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2017年06月28日

清水町 しみずまち

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清水町 しみずまち

北堀川から南へ二筋目の道路沿いに、東は東浜町から西は北本町まで東西に連なる町並。
町名は北本町角の清水(井戸)に由来する。
高砂は海浜に近く清水の湧出する井戸が少なかったので町民の飲料水として貴重なものであった。
また、高砂町成立期の移住者の出身地名だとする説もある。
町年寄安田長兵衛は大蔵元であった。

天保九年(一八三八)の家数八四戸・人数三七〇人

2017年06月27日

釣船町 つりふねまち


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釣船町 つりふねまち

南本町の西に位置し、かつては海沿いで西堀川まで連なる町並。
町名は船持猟師が集住したことに由来する。
そのため網屋、狩網など漁業に関連する屋号を持つ人たちが多く住んでいた。

天保八年(一八三七)の家数七九戸・人数三二五人



2017年06月26日

宮前町 みやまえまち

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宮前町 みやまえまち

町名は江戸時代後期に開かれた宮前新田に由来する。
宮前新田は文政三年(一八二〇)印南郡大国村の木綿商岸本十右衛門が開いていたもので八町八反余りあった。
昭和十一年に宮前新田のほとんどは隣接する工楽新田とともに鐘淵紡績の人絹工場(現株式会社カネカ 高砂工業所)の敷地になった。

町名の制定は昭和二十七年である。

2017年06月24日

狩網町 かりあみまち

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狩網町 かりあみまち

町場の南端に位置し、かつては海沿いで東は南本町から西は南渡海町まで連なる町並。
町名は猟師が集住したことに由来する。
隣接する釣船町や猟師町などと共に漁業の盛んな町であった。
天保九年(一八三八)の家数五二戸・人数一八二人


2017年06月21日

猟師町 りょうしまち

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猟師町 りょうしまち

東は西宮町から南は南本町まで東西に連なる町並。
町名の由来は猟師(漁師)が集住したことによる。
かつて、高砂周辺は御厨庄と呼ばれて供物として朝廷に魚介類を納めていた。
このことから高砂の海岸部は古くからの漁村であったことがわかる。

天保九年(一八三八)の家数四一戸・人数一四六人

2017年06月18日

藍屋町 あいやまち

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藍屋町 あいやまち

北堀川の北岸沿いに東西に連なる町並。
町名は藍(紺)屋が集住したことに由来する。
町大年寄炭屋玖左衛門は大蔵元であった。
町の東には百闡と呼ばれた姫路藩の蔵米の倉庫が南北二棟あり、加古川上流から物資を運搬する高瀬舟の検閲のため津留穀留番所が置かれていた。

天保八年(一八三七)の家数八三戸・人数三九〇人

2017年06月13日

東浜町 ひがしはままち

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東浜町 ひがしはままち

北は高勢町、南は材木町まで南北に連なる町並。
町名の由来は町場の東端で現在の堀川である高砂川沿いに位置したことによる。
船着場はあり問屋の蔵が建並んでいた。
壺屋長左衛門・小間物屋儀兵衛・米屋清兵衛は大蔵元で塩座薬でもあった。

天保九年(一八三八)の家数十三戸・人数五四人

2017年06月12日

南浜町 みなみはままち

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南浜町 みなみはままち

町場の南東部、現在の堀川である高砂川河口に位置し今津町から南へ連なる町並。
町名は町場の南の浜であったことに由来する。
船着場があり、問屋の蔵が建並びにぎわった町であった。
柴屋七大太夫・塩屋次右衛門は幕末頃の高砂町の大年寄であり、大蔵元でもあった。
また、儒学者三浦迂斎の生誕地である。
川口番所・塩座会所・川方会所・浦高札場があった。

安永二年(一七七三)の家数三四戸・人数一五五人

2017年06月10日

田町 たまち

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田町 たまち

南堀川から南へ二筋目の道路沿いに連なる町並。
町名の由来は砂浜や高洲でであった当地の開発にあたらせるために、加古川対岸の養田・池田・長田村などの農民を移住させて町を形成したことによる。

天保九年(一八三八)の家数六三戸・人数二四〇人





2017年06月09日

大工町 だいくまち

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大工町 だいくまち

西堀川沿いにかつてあった寺町から南へ南北に連なる町並。
町名は漁船や渡海船などを建造する船大工などが集住したことに由来する。
町年寄大工屋善兵衛のほか、組頭が三人おり、大工職人の家が二一軒あった。
天保九年(一八三八)の家数三九戸・人数一七三人


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画像は高砂市観光協会より
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