2017年07月08日
魚町 うおまち
魚町 うおまち
今津町から西へ西堀川までの東西の町並。
町名の由来は瀬戸内からあがる魚介類を売買する魚市場や魚問屋があったことによる。
高砂町成立期には魚店町と西魚町であったが、江戸時代中期までに統合されたと思われる。
高砂町の大年寄を務めた糟屋長平がいた。
天保九年(一八三八)の家数六九・人数二八三人
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