2019年10月31日

その他のグループ・サウンズ                                                           井上宗孝とシャープ・ファイブ












井上宗孝とシャープ・ファイブ(いのうえむねたかとシャープファイブ、
英語: Munetaka Inoue and His Sharp Five)は、日本のバンドです。
シャープ・ホークスのバックバンドであったシャープ・ホークスとその
グループを前身とし、インストルメンタル演奏のバンドとしては
ザ・シャープ・ファイブともクレジットされました。


最初.png
出典amazon.co.jp

別名:シャープ・ホークスとそのグループ (1963年 - 1965年)
ザ・シャープ・ファイブ (1965年 - 1980年)
ジャンル:歌謡曲、グループ・サウンズ、和製ロック、インストルメンタル
活動期間:1963年 - 1980年
レーベル:キングレコード (1963年 - 1967年)
日本コロムビア (1967年 - 1970年)
キャニオンレコード (1970年 - 1980年)
事務所:第一プロダクション
シャープ・ファイブ事務所


メンバー
井上宗孝 (1963年 - 1980年) -
ドラム(1965年結成メンバー・1994年再結成メンバー)

古屋紀  (1963年 - 1974年) -
ピアノ・オルガン(1965年結成メンバー・1994年再結成メンバー)

三根信宏 (1964年 - 1974年) -
リードギター(1965年結成メンバー・1994年再結成メンバー)

山内英美 (1967年 - 1977年) -
リズムギター(1994年再結成メンバー)

西島純 (1969年 - 1980年) - ベース
陣野重正 (1972年 - 1980年) - ヴォーカル
天野浩二 (1974年 - 1980年) - リードギター
小林正和 (1974年 - 1980年) - ドラム(1994年再結成メンバー)
秋山功 (1963年 - 1967年) - ベース(1965年結成メンバー)
前田旭 (1965年 - 1967年) - リズムギター(1965年結成メンバー)
伊藤昌明 (1967年 - 1969年) - ベース(1994年再結成メンバー)
保山道夫 - サイドギター(1994年再結成メンバー)
竹原浩史 - ベース
村田修 - キーボード

略歴
1961年 - ウエスタン・キャラバン解散
1963年 - 井上宗孝ら、シャープ・ホークスの二代目バックバンドとして
     シャープ・ホークスとそのグループ結成
1965年 - 井上宗孝とシャープ・ファイブと改称して独立
1967年12月 - キングレコードから日本コロムビアに移籍、 
     シャープ・ホークスとの活動を終了
1968年11月 - アルバム『春の海』がオリコンチャート1位を獲得する
1974年 - 三根信宏、古屋紀が脱退
1980年 - 解散
1994年 - 再結成
2007年 - 再再結成、アルバム新録
2008年1月 - 井上宗孝が活動終了を宣言


概要
活動期
1961年(昭和36年)、スティールギター奏者の相沢芳郎(のちの相澤秀禎)が
マネジメントに専念するため、相沢が率いたロカビリーバンドのウエスタン・キャラバン
解散したが、のちにシャープ・ファイブの結成メンバーになる井上宗孝(1938年 - )、
秋山功(1939年 - )、古屋紀(1940年 - )らは、同バンドに所属していた。
1963年(昭和38年)3月シャープ・ホークスが結成され、当初は岡田朝光とザ・キャラバン
バックを務めたが、音楽性の違いから、同グループをマネジメントする第一プロダクション代表の
岸部清の考えで、井上宗孝らウエスタン・キャラバン出身者を新たに迎え、シャープ・ホークスと
そのグループとした。シャープ・ホークスは、東京・池袋の音楽喫茶ドラムを中心に
ライヴ活動を展開し、その演奏は「そのグループ」が行なった。
1964年(昭和39年)ブルー・ファイヤーを脱退した三根信宏(1945年 - )が
リードギターとして迎えられた。三根の父はディック・ミネ
(1908年 - 1991年)であり、長男はロカビリー歌手の三根敬男、信宏はその三男である。

1965年(昭和40年)には、井上宗孝とシャープ・ファイブと改称して独立、
シャープ・ホークスのバッキングを続ける傍ら、同年6月23日に放送開始したテレビ番組
『勝ち抜きエレキ合戦』にレギュラー出演、テーマ曲演奏・模範演奏を行う。
同年9月1日に発売された千代川八千代(現在の千田かおり)のシングル『流れの果てに』、
同年12月10日に発売された紀本ヨシオ『だから泣かないで』でバッキング、
『だから泣かないで』ではベース奏者の秋山が編曲者としてクレジットされた。
同年9月には、キングレコードが発売した『グランド・ヒット・パレード 第3集』では、
A面はジャッキー吉川とブルーコメッツ、B面は井上宗孝とシャープ・ファイブが
分担して演奏している。同年11月20日には、同社から、同バンドのファーストアルバム
『フォー・ナイス・ガイ!』が発売された。シャープ・ホークスがレコードデビューしたのは、
翌1966年(昭和41年)9月1日に発売されたシングル『ついておいで』であり、
キーボード奏者の古屋が編曲者としてクレジット、同シングルのアーティスト名も
「シャープ・ホークス 井上宗孝とシャープ・ファイヴ」とクレジットされた。
同月には、同バンドが単独でインストルメンタルのシングル『ゴールデン・ギター』
発売され、シングルデビューも果たす。同盤の表題曲はリードギター奏者の三根の
オリジナル作品であり、B面の『渚の乙女』はピョートル・チャイコフスキーの楽曲を
古屋が編曲したものである。同年には、同バンドはギターをフェンダーから日本製の
グヤトーンに切り替え、グヤトーンミュージックセンターが主催する
「グヤトーン・シャープファイブショー」が全国展開され、そのステージに精力的に出演した。
当時のメンバーは、前田旭、秋山功、三根信宏、古屋紀、井上宗孝である。

1967年(昭和42年)6月には、同月に発行された『週刊明星』はグループ・サウンズ(GS)
特集の様相を呈しており、同誌上で行われた座談会「バンド・リーダー座談会
若いハートが燃えている!」に、ジャッキー吉川(1938年 - 、ジャッキー吉川と
ブルー・コメッツ)、田辺昭知(1938年 - 、田辺昭知とザ・スパイダース)、
岸部修三(現在の岸部一徳、1947年 - 、ザ・タイガース)、加瀬邦彦(1941年 - 2015年、
加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ)、水谷淳(現在の水谷公生、1947年 - 、アウト・キャスト)と
ともに、同バンドのリーダー井上宗孝が参加した。
同年、三根が開発に関わった
エレクトリック・ギター(エレキギター) 「グヤトーン・シャープファイブ・モデル」
(GUYATONE LG-350T)が発売された。同年12月には、日本コロムビアに移籍、
それとともにシャープ・ホークスとの活動を終了する。日本コロムビアでの初仕事は、
同月に「前田美波里 井上宗孝とシャープ・ファイヴ」名義で発表されたシングル
『ふたりの浜辺』である。一方キングレコードでは、年明け1968年(昭和43年)1月20日
発売されたシングル『オーケイ!』「シャープ・ホークス 井上宗孝とシャープ・ファイヴ」
名義の最後の仕事になった。同作は、ハワード(英語版)=ブレイクリー(英語版)の
楽曲を古屋が編曲、同バンドが演奏、シャープ・ホークスが歌ったものである。

1968年4月に発行された『週刊明星』の巻頭では、「GS珍ルックまかり通る」として、
寺内タケシとバニーズ、萩原健一らのザ・テンプターズ、輿石秀之(現在の大石吾朗)らの
ジ・エドワーズ、ザ・ピーコックスとともに登場、衣裳的にも注目されたが、
同年11月には、 『春の海』『さくらさくら』といった純邦楽をアレンジして
演奏したアルバム『シャープ・ファイヴ 春の海』がオリコンチャートの
アルバム部門1位を獲得する。日本コロムビア社内でもゴールデンディスクLP賞と
ゴールデンディスクヒット賞を受賞した。日本コロムビア在籍期間に、
インストルメンタル109曲、歌唱楽曲11曲の音源を残した。

1970年(昭和45年)10月には、新興のキャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)に移籍、
同月10日に発売された『第九/シャープ5クラシックに挑戦』以降、『春の海』路線の
インストルメンタル・アルバムを連打する。1974年(昭和49年)には、ギター奏者の三根信宏、
キーボード奏者の古屋紀が脱退、リードギターには天野浩二が加わった。
事務所設立の時期は不明であるが、1975年(昭和50年)前後には、シャープ・ファイブ事務所に
所属した。1980年(昭和55年)には解散、リーダーの井上宗孝は、ウエスタン・キャラバンの
創立者だった相澤秀禎が1968年に設立していた芸能プロダクション、サンミュージック
プロダクションに入社、裏方として都はるみのマネジメントを務めた。
日本コロムビアの公式ウェブサイト内の同バンドの項目では、解散を1981年(昭和56年)
あるとしている。その後、井上宗孝は音楽活動を引退して岐阜県下呂市に移り住んだが、
2019年4月19日、82歳の誕生日を迎えた日に死去した。

解散後
1994年(平成6年)、東京都中野区の中野サンプラザで「20年ぶりの
シャープファイブ・コンサート」を行ない、再結成を果たした。
再結成時のメンバーは、井上宗孝、古屋紀、三根信宏、伊藤昌明、
山内英美、小林正和、保山道夫であった。2007年(平成19年)4月19日には、
新たに録音したCDアルバム『ゴールデン・ギター』を発表した。
2008年(平成20年)2月22日に放送された『BS永遠の音楽大全集』第12回
『グループサウンズ大全集』にも再び結集したが、これをもってその活動を終了したと、
井上宗孝は宣言している。

グヤトーン・シャープファイブ・モデル
グヤトーン(1970年代)。
日本初のエレクトリック・ギター製造会社グヤ(のちの東京サウンド)の創業者、
松木三男(1915年 - 1992年)が立ち上げたブランドであるグヤトーンが、
シャープファイブのギター奏者、三根信宏と共同開発を行い、1967年(昭和42年)、
「シャープファイブ・モデル」と銘打たれた同ブランド最高機種モデルとして
「GUYATONE LG-350T」を発売した。同品はその後も、三根脱退後の
1978年(昭和53年)にも「GUYATONE LG-350T Custom」、1982年(昭和57年)には
「GUYATONE LG-2100」が発売され、「シャープファイブ・モデル」は継承された。
GUYATONE LG-350T クリックしてください画像が見れます。
出典nagihara.exblog.jp
GUYATONE LG-350T Custom クリックしてください画像が見れます。
出典aucview.aucfan.com
GUYATONE LG-2100 クリックしてください画像が見れます。
出典digimart.net
東京サウンドは、1995年(平成7年)には、後継機種として「GUYATONE Sharp5 Custom LG-2100/M」
発売、同年4月に発行された『Player』は同品を紹介し、「60年代のノスタルジー溢れる
スタイリングと、90年代のテクノロジーがみごとに合体」「あまりパワー感のある
サウンドではないが、壮年ギタリストのノスタルジーを満足させてくれる数少ないギター」と
評した。同品を共同開発した三根信宏は、続けてアンプ「GUYATONE Zip-1500/MJ」を共同開発、
これに対して、翌1996年(平成8年)1月に発行された『Player』は「本機の真骨頂は、
現代においてシャープファイブやベンチャーズなどのインストゥルメンタル・ミュージックを
演奏するためのチューンナップがなされている」と同品を紹介した。
出典:ウィキペディア






続きます。
posted by taisei64 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | アイドル
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