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2012年02月10日
ジャングル走破記(4)ブラジルから
この道はカラカライという所まで未舗装のこの状態が続くが、この間に多くのイガラッペがあり、それぞれには木製の橋が架けられているが、此れがまた渡りにくい、何故かといえば平らに敷いた板の上に進行方向に板が渡してあり、その上をタイヤがとおるようになっているから、短い橋は未だ良いが長めの橋になると結構神経を使う事になり、つかれる。
カラカライにまもなくの所に一本わりと大きな川があり、ここは橋ができていないため、フェリーで渡される、所用時間は確か10分程度だったと記憶しているが、実はこの渡しでも一つの事件があったのである。
我々は夜を徹してジャングルを走った。途中に小さな部落はいくつかあるが、ほとんどの工程は全くの闇、何の明かりも無く、道路を走る車の明かりだけが唯一の明かりである。
途中で道の上に光るものに出くわした。何だと思って思わず車を止め、よく見るとワニが道路を横断する所だった。思わずカメラを取り出して車を降りて構えたが、残念ながらとき既に遅く、ワニのしっぽが反対側に消えていく所だった。夢中でシャッターは切ったのだがやはり写っていたのは闇だけだったのである。
それにしても此れだけの闇の中で立った二人で長時間車を転がしていても”恐い”という感情にならなかった事は今でも不思議に感じられる。
多分恐い感情よりも未知を知りたい感情のほうが高ぶっていたんだろうと思う。
そしてこの闇の中で上を見上げた時、我々は言葉を失った。星である。満天の星である。
其れを見た時鳥肌が立つような思いを感じたのは僕だけだっただろうか?
其れは言葉では説明できないような美しさであり、本当に手を伸ばしたら届きそうで、掴んで捕れそうなのである。
星がこんなにも多く、天の川はちゃんと川になっているんだという事が簡単に理解できるような環境は日本ではどこを探しても見つからないだろう。
そしてこんなチャンスに遭えた事がとてもうれしくなったのである。此れだけ多くの星があったら異星人がいても不思議でない感じがするし、SFの世界が現実の世界になっても不思議ではないだろうなと思わず思いをはせてしまう一日でした。
カラカライにまもなくの所に一本わりと大きな川があり、ここは橋ができていないため、フェリーで渡される、所用時間は確か10分程度だったと記憶しているが、実はこの渡しでも一つの事件があったのである。
我々は夜を徹してジャングルを走った。途中に小さな部落はいくつかあるが、ほとんどの工程は全くの闇、何の明かりも無く、道路を走る車の明かりだけが唯一の明かりである。
途中で道の上に光るものに出くわした。何だと思って思わず車を止め、よく見るとワニが道路を横断する所だった。思わずカメラを取り出して車を降りて構えたが、残念ながらとき既に遅く、ワニのしっぽが反対側に消えていく所だった。夢中でシャッターは切ったのだがやはり写っていたのは闇だけだったのである。
それにしても此れだけの闇の中で立った二人で長時間車を転がしていても”恐い”という感情にならなかった事は今でも不思議に感じられる。
多分恐い感情よりも未知を知りたい感情のほうが高ぶっていたんだろうと思う。
そしてこの闇の中で上を見上げた時、我々は言葉を失った。星である。満天の星である。
其れを見た時鳥肌が立つような思いを感じたのは僕だけだっただろうか?
其れは言葉では説明できないような美しさであり、本当に手を伸ばしたら届きそうで、掴んで捕れそうなのである。
星がこんなにも多く、天の川はちゃんと川になっているんだという事が簡単に理解できるような環境は日本ではどこを探しても見つからないだろう。
そしてこんなチャンスに遭えた事がとてもうれしくなったのである。此れだけ多くの星があったら異星人がいても不思議でない感じがするし、SFの世界が現実の世界になっても不思議ではないだろうなと思わず思いをはせてしまう一日でした。
2012年02月09日
ジャングル走破記(3)ブラジルから
それでもプレジデントフェゲレードで一服し、ガソリンを補給して再スターとをかけた。
ここプレジデントフェゲレードは赤土の土埃でひどく、集落全体が赤埃で包まれ、集落内の道路は舗装されているにも関わらず、土埃が3−5cmも積もりそこを掃いては取るという繰り返しで、洗濯物などは表に干せず、なんとも大変な町であると感じた。
後はひたすら同じ景色を繰り返し見ながら、道路の穴を避けて前に進むしかないので運転は単調そのものであるが、やっぱりこの雄大な景色と、青い空、緑のジャングル、赤い道のコントラストはここにきたから感じられたんだと思わずにはいられなかった。
其れから特記すべきは、この単調な走りの中でも、次々と自然のドラマが展開されていく事である。
まずジャングルの中で思わずため息を漏らしそうになるのが、蝶の乱舞で数え切れない無数の蝶が自分の周りで飛び回る様はこの世のものとはおもえない異様な光景となる。
蝶の事は詳しいわけではないので、それ以上の事は知るすべも無いが、素人にも其れは其れで大いなる感動の事実である。多分時期的な差で多い少ないがあるのかも知れませんが!
時々走っているとインディオの人々に遭う事がある。今回はそう多くあったわけではないが、頭にかごの紐をかけてあるく様はちょっと一般人とは違う感じを受けたのは僕だけではなかったであろう。
約100kmおきにとりあえずガソリンスタンドがあり、ガソリンは確保できるが時々はガソリンが無かったりもするので、ガソリンスタンドのたびに満タンにしておく事は必須事項であろう。
僕らの車はとりあえず、途中でダッシュボードの中側から火を噴いた以外は良好に走りつづけた。なぜ火を噴いたかって!其れはエアコンのリード線が接触不良で熱をもってついに発火となったみたいで、この先、この暑さでエアコン無しというわけにもいかないのでダッシュボードに手を突っ込んで修理する羽目になりましたが!
其れからもう一つはどうもタイヤがガソリンスタンドにつくたびに空気が減っている。其の都度空気を入れて何とか持たせたが原因はわからないままで、多分小さな穴のパンクだったであろう事は後で気がつく事に成った。
それにしてもここを走るトラックやバスのなんと頼もしい事か?特別仕様の足回りをもち運転手を2人用意しての走行はマナウス市内のバスのイメージと変らない。
そしてこれらの車の後につこうものならまったく前が見えなくなり、危なくて思わず車を止めて暫く埃が遠のくまで待たなければならなくなる。
あらためてひどい道である事を実感させられる一瞬である。
ここプレジデントフェゲレードは赤土の土埃でひどく、集落全体が赤埃で包まれ、集落内の道路は舗装されているにも関わらず、土埃が3−5cmも積もりそこを掃いては取るという繰り返しで、洗濯物などは表に干せず、なんとも大変な町であると感じた。
後はひたすら同じ景色を繰り返し見ながら、道路の穴を避けて前に進むしかないので運転は単調そのものであるが、やっぱりこの雄大な景色と、青い空、緑のジャングル、赤い道のコントラストはここにきたから感じられたんだと思わずにはいられなかった。
其れから特記すべきは、この単調な走りの中でも、次々と自然のドラマが展開されていく事である。
まずジャングルの中で思わずため息を漏らしそうになるのが、蝶の乱舞で数え切れない無数の蝶が自分の周りで飛び回る様はこの世のものとはおもえない異様な光景となる。
蝶の事は詳しいわけではないので、それ以上の事は知るすべも無いが、素人にも其れは其れで大いなる感動の事実である。多分時期的な差で多い少ないがあるのかも知れませんが!
時々走っているとインディオの人々に遭う事がある。今回はそう多くあったわけではないが、頭にかごの紐をかけてあるく様はちょっと一般人とは違う感じを受けたのは僕だけではなかったであろう。
約100kmおきにとりあえずガソリンスタンドがあり、ガソリンは確保できるが時々はガソリンが無かったりもするので、ガソリンスタンドのたびに満タンにしておく事は必須事項であろう。
僕らの車はとりあえず、途中でダッシュボードの中側から火を噴いた以外は良好に走りつづけた。なぜ火を噴いたかって!其れはエアコンのリード線が接触不良で熱をもってついに発火となったみたいで、この先、この暑さでエアコン無しというわけにもいかないのでダッシュボードに手を突っ込んで修理する羽目になりましたが!
其れからもう一つはどうもタイヤがガソリンスタンドにつくたびに空気が減っている。其の都度空気を入れて何とか持たせたが原因はわからないままで、多分小さな穴のパンクだったであろう事は後で気がつく事に成った。
それにしてもここを走るトラックやバスのなんと頼もしい事か?特別仕様の足回りをもち運転手を2人用意しての走行はマナウス市内のバスのイメージと変らない。
そしてこれらの車の後につこうものならまったく前が見えなくなり、危なくて思わず車を止めて暫く埃が遠のくまで待たなければならなくなる。
あらためてひどい道である事を実感させられる一瞬である。
ドライブレコーダー
2012年02月05日
ジャングル走破記録(2)ブラジルから
まず最初の到達点はマナウスから約100KM先にあるプレジデントフェゲレード、実はこの頃からこの道路の舗装工事がスタートしており、マナウスープレジデントフェゲレード間が其の真っ只中だったのである。
其れは何を意味するかといえば、元々悪い道が工事によって余計走りにくい状態になっている事であった。
事実道路周辺には多くの工事用器材、運搬トラックが行き来し道路上には真あたらしい赤土が山と積まれ、其れを順番にならしている状態でとてもまともに走れるような状態でない事を目の前にして唖然としたのである。
しかしながらここで引き返すわけにもいかず、赤い土がならべられた長い下り坂の向うでは工事のおっさんがおいでおいでと手を振っているのである。
そんなわけで大きなタイヤを半分も埋めながら強引に前に進む事にしたのである。それにしても前を見ればはるかとおくまで伸びる一本の赤絨毯の上を大蛇がのたくったような景色が延々と繰り返されるのである。
其れは数箇所の工事区域を抜け、工事区域以外では道路上にいくつも並んだ穴ぼこを避けるように車が走った跡が刻まれ、まるで大蛇がのたくったように見せているのであった。
そんなこんなでプレジデントフェゲレードについたのがなんと約4時間後わずか100KMの道が4時間かかったわけで、最初の走行予定時間から大きく遅れるであろう事を既にこの時点で余儀なくされたのである。
其れは何を意味するかといえば、元々悪い道が工事によって余計走りにくい状態になっている事であった。
事実道路周辺には多くの工事用器材、運搬トラックが行き来し道路上には真あたらしい赤土が山と積まれ、其れを順番にならしている状態でとてもまともに走れるような状態でない事を目の前にして唖然としたのである。
しかしながらここで引き返すわけにもいかず、赤い土がならべられた長い下り坂の向うでは工事のおっさんがおいでおいでと手を振っているのである。
そんなわけで大きなタイヤを半分も埋めながら強引に前に進む事にしたのである。それにしても前を見ればはるかとおくまで伸びる一本の赤絨毯の上を大蛇がのたくったような景色が延々と繰り返されるのである。
其れは数箇所の工事区域を抜け、工事区域以外では道路上にいくつも並んだ穴ぼこを避けるように車が走った跡が刻まれ、まるで大蛇がのたくったように見せているのであった。
そんなこんなでプレジデントフェゲレードについたのがなんと約4時間後わずか100KMの道が4時間かかったわけで、最初の走行予定時間から大きく遅れるであろう事を既にこの時点で余儀なくされたのである。
ジャングル走破記(ブラジルから)
もう大分前になるが、僕が南米最大の国ブラジルのアマゾンジャングルにある大都市マナウスに赴任していたころの思い出の記録を披露して行きたいと思います。
====興味をもって読んでいただけるとってもうれしいな(^^;)====
これはアマゾン中央部の大都市マナウスから北のベネズエラ沖に浮かぶマルガリータ島までの往復約4000KM以上を8日間で走破した記録であり、その道程のいろいろな思い出を書き綴っています。
ブラジル領域の約500KM以上は当時未舗装状態で相当苦労しましたが、今思い起こせば貴重な財産と思えてきます。
====ここから本文です====
其れは真っ青な空と緑のジャングルの鮮やかなコントラストの中に延々と続く一本の赤い道であった。
僕がこの道の存在を知ったのが赴任当初の94年、地図を眺めながらマナウスからヴェネズエラのマルガリータ島まで真っ直ぐ伸びた一本の道がある事に気がついたのである。
むかしから車を転がす事が大好きだった僕は、何とかこの道を走破してみたい衝動に駆られ情報集めに入った。
但しこの頃のこの道に関する情報は非常に乏しく、あまり正確な情報は結局得られずに時間だけが過ぎたが、95年の9月、満を持して決行にかかった。
と書くとかなり周到に準備され、決行したように感じられると思いますが、実際はほとんど無謀な決行であった事は隠せません。
車は輸入車のイスズ アミーゴ(本人4WDのつもりだったが実際は2WD、帰ってくるまで信じきっていたから無理も聞いた)タイヤはトラクターのタイヤのような大きなタイヤを履いていた。
実際にヴェネズエラに入るにはビザと車の証明書が必要で此れを取得のためにヴェネズエラ領事館にぎりぎりの前日いった。此れが物語の始まりで準備していた様式と受け入れていた様式が違い作り直し、サインの証明から必要で取り直し、領事館の業務が午前中のみで実際には此れだけで昼近く、事情を領事館に説明すると何と総領事自ら3時頃まで待ってくれて発給をしてくれたのである。
此れで準備オッケーでマナウスを出発したのは未だ太陽が顔を見せない朝の5時、ひんやりと心地よかった事を今でも思い出す。
マナウス市内は格別書く事も無いが、道路は広く良好な滑り出し、BR−174の入り口にある検問所も難なく通過し、さあ!いよいよアメリカンハイウェイの始まりと意気揚々で車を走らせたのでした。
検問所を通過して舗装路であった道路も10分も走らないうちに赤い土をむき出しにした道路が始まったのだが、この時点では此れから先約530KMの未舗装道路に特に何の感情も感じていなかったのである。
====興味をもって読んでいただけるとってもうれしいな(^^;)====
これはアマゾン中央部の大都市マナウスから北のベネズエラ沖に浮かぶマルガリータ島までの往復約4000KM以上を8日間で走破した記録であり、その道程のいろいろな思い出を書き綴っています。
ブラジル領域の約500KM以上は当時未舗装状態で相当苦労しましたが、今思い起こせば貴重な財産と思えてきます。
====ここから本文です====
其れは真っ青な空と緑のジャングルの鮮やかなコントラストの中に延々と続く一本の赤い道であった。
僕がこの道の存在を知ったのが赴任当初の94年、地図を眺めながらマナウスからヴェネズエラのマルガリータ島まで真っ直ぐ伸びた一本の道がある事に気がついたのである。
むかしから車を転がす事が大好きだった僕は、何とかこの道を走破してみたい衝動に駆られ情報集めに入った。
但しこの頃のこの道に関する情報は非常に乏しく、あまり正確な情報は結局得られずに時間だけが過ぎたが、95年の9月、満を持して決行にかかった。
と書くとかなり周到に準備され、決行したように感じられると思いますが、実際はほとんど無謀な決行であった事は隠せません。
車は輸入車のイスズ アミーゴ(本人4WDのつもりだったが実際は2WD、帰ってくるまで信じきっていたから無理も聞いた)タイヤはトラクターのタイヤのような大きなタイヤを履いていた。
実際にヴェネズエラに入るにはビザと車の証明書が必要で此れを取得のためにヴェネズエラ領事館にぎりぎりの前日いった。此れが物語の始まりで準備していた様式と受け入れていた様式が違い作り直し、サインの証明から必要で取り直し、領事館の業務が午前中のみで実際には此れだけで昼近く、事情を領事館に説明すると何と総領事自ら3時頃まで待ってくれて発給をしてくれたのである。
此れで準備オッケーでマナウスを出発したのは未だ太陽が顔を見せない朝の5時、ひんやりと心地よかった事を今でも思い出す。
マナウス市内は格別書く事も無いが、道路は広く良好な滑り出し、BR−174の入り口にある検問所も難なく通過し、さあ!いよいよアメリカンハイウェイの始まりと意気揚々で車を走らせたのでした。
検問所を通過して舗装路であった道路も10分も走らないうちに赤い土をむき出しにした道路が始まったのだが、この時点では此れから先約530KMの未舗装道路に特に何の感情も感じていなかったのである。