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プロフィール
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次女カイちゃんと私↑パタヤにて
プロフィール

妻はタイ人、娘ばかり3人も!

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■近況

2009年の9月15日に脳梗塞を発症、右手が少し不自由になりました。
MRAで脳梗塞の部位を特定でき、素早い処置をとれたので大事に至りませんでした。
快復にむけてリハビリ中です。
(2011/01/01更新)

■自己紹介・リンク

[ はじめに ]
タイのスラチャイです。
英語学習に王道はありません。
毎日毎日の地道な努力の積み重ねが必要です。
スラチャイはNHKのラジオ英語会話で現在の英語力を身につけました。
一日僅か15分の学習でも数年間継続すれば相当な学習効果が期待できます。

[ 名前 ]
松井 清 (スラチャイ)

[ 略歴 ]
・福岡県出身
・国立高知大学卒業
・準大手建設会社に就職
・50歳で会社を早期退職
・99/10 タイ全土を旅行
・00/10 タイに移住
・03/07 カイちゃん誕生
・07/06 シーファーちゃん誕生
・現在タイ国コンケン在住

[ 座右の銘 ]
Slow and steady wins the race.
遅くとも着実な者が勝利する
(NHK基礎英語芹沢栄先生)

[ 学習の手引き ]
・音読して耳から英語を吸収
・Think in English.
・ネイティブ発音付辞書活用
・英英辞典を活用(英和も)
・翻訳和文で専門用語確認



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2019年06月04日

オアフ島のノースショアモクレイアでホノルル市の山岳道路工事を担当

40代のときハワイはオアフ島のモクレイアでホノルル市の山岳道路工事を担当しました。
モクレイアはノースショアにあり、サーフィン世界大会で有名なハレイワに隣接する地域です。
一年間滞在したのはハワイの大富豪デリンガムの別荘でした。
一部屋が与えられ、そこで一年を過ごしました。

Capture_2

これがわたしが一年間寝泊まりしていた部屋です。
100年を超す木製家具と調度の美しさにひかれました。

Capture_4

工事の入札はビッグハウスの会議室でなされました。
こちらの大きなテーブルも100年を超す逸品です。
その美しさと手触りの良さに驚嘆させられました。
ペンダント式の照明器具も100年以上前のものです。

Capture_3

posted by srachai at 15:04| Comment(41) | エッセイ

2019年01月06日

バンコク楽宮ホテル

バンコク楽宮ホテルに泊まったことがあります。
サパンクワーイ、スティサーンインタマラソイ1のスダパレスに宿泊していました。
あえて楽宮ホテルに泊まったのには理由があります。
バックパッカーたちの評判を聞きつけ、自分で確かめたくなったからです。
4階の一番上等の部屋を借りました。
部屋は広く、大きなベッドが二つもありましたが、トイレは不潔で昭和の公衆便所!
それでも幸せでした。
数日しか宿泊しなかったのですが、思い出は強烈です。
やさしかった下の階のおばさんはラーメンをつくりわたしの部屋まで運んでくれました。
夕方北京飯店で晩酌をし、酔っぱらってあたりを徘徊しました。
売れ残っている娼婦たちを部屋に連れ込んで宴会をしました。
ただただ淋しかったからです。
10人以上がわたしの部屋ですごしました。
みなやさしかった。
ラジカセの音楽を流し、安いビールとウイスキーでもりあがりました。
わたしは満腹でも、彼女たちは飢えていました。
わたしがお金を渡して買ってきたチキンの丸焼きにかぶりついていました。
むねがつまります。
posted by srachai at 17:58| Comment(40) | エッセイ

2018年05月04日

これから先の人生を変えてしまうほどの大きな発見

私がブラインドタッチを覚えたのは35歳くらいのときです。ブラザーの手動式のタイプライターを購入して、生まれて初めてブラインドタッチの練習をしました。2週間くらいで指が自然に動くようになりましたが、その威力は大変なものでした。やがて 社内では一番のタイピングスピードをほこるようになりました。あの時のブラインドタッチの練習は大変でしたが、習得した技術は、その後の私の人生を支えるようになりました。

2009年の9月15日に脳梗塞を発症しました。すぐに病院で MRA 血管撮影を受け、素早い処置をしたので、大事には至りませんでした。ですが、右手が多少不自由になり、タイピングのスピードも大幅に落ちるようになりました。昔のように、人が目を見張るようなスピードでタイピングをすることは、もはや、できなくなりました。一番悲しかったことは、クラシックギターで、得意のバッハを弾いて聴かせることができなくなったことです。

これはつい数日まえの話ですが、ネットを巡回していて、音声入力というものを発見しました。すぐに、音声入力の準備をしましたが、1日がかりでも、それを達成することはできませんでした。しばらくしてから、 Google 音声入力ができるのは、Google Chromeというウェブブラウザ 上だけで、それができるのを発見しました。 Google Chrome が提供する音声入力の威力は凄まじいです。PC上でも、 スマートフォンと同じように、素早く音声入力ができることを発見しました。それ以来、音声入力の虜となり、仕事にも応用できるようになりました。これは画期的な発見であり、私のこれから先の人生を変えてしまうほどの大きな発見でした。
posted by srachai at 14:56| Comment(0) | エッセイ

2018年03月27日

旅の終わりに

 どんなに楽しい旅であっても、終りのない旅はない。
また、どんなに苦しい旅であっても、終りのない旅はない。
どんな旅であっても、終りはかならずやってくるのだ。
旅は人生の縮図であるともいえるし、
旅とは実は人生そのものだということもできる。



 一昨日2011年5月1日、夜8時半にコンケン駅で列車に飛び乗った。
2等車の座席は満席だった。
しかたなくバンコク、ホアランポーン駅まで3等車の狭くて堅い座席で我慢した。
さらに、ディーゼル車の先頭車両だったので、音がものすごく、排気ガスが容赦なく目や喉(のど)を責めたてる。
列車は到着予定時刻の早朝5時より大幅に遅れて6時過ぎにホアランポーン駅に滑り込んだ。
9時間に及ぶ、拷問のようなつらい時間であった。
それでは、悪いことばかりだったのか。
答えはノーだ。
普段めったに交際できないタイ人家族と心も体も触れあう旅が楽しめた。



 真向かいの体重80キロ超のおばさんは30歳くらい。
4〜5歳の男の子を抱いている。
この堅い座席に座っているだけでも辛いのに子供を抱いているお母さんは柔和な表情をしている。
ときどき子供がむずかって、熟睡できないのか大声で泣きじゃぐる。
もしも白人の座席が近くにあれば間違いなくクレームをつけられるケースだ。
周囲のタイ人、全く動じない。動じているのは眠りを妨げられたスラチャイくらいのものだ。
満席状態で立ち席の人も多くいる。なんだか昔の日本の夜行列車の風景だ。



 斜め前の20〜30代の姉妹。なかなかの美形だ。
スラチャイが美人だなって見つめているとそれを見透かされたように笑顔を返してくる。
やがて妹のほうが眠りはじめて、姉の右肩に頭を埋めてこっくりしている。
こんなところでも美しい姉妹愛は人を感動させる。
もしもスラチャイが若くて独身だったら間違いなく話しかけているケースだ。



 ずーっと向こうの席では、美しい20代の女性が大股開きでご開帳。
スラチャイが見て見ぬふりをして、そっと覗いていると、覗かれているのが分かるのか、閉じられてしまう。
こんな馬鹿なこと繰り返しているうちにも列車はひたすらバンコクを目指してがったんごっとん。
ご開帳のこの女性が突然目を覚ましてスラチャイと目があう。
赤くなって下を向いたのはスラチャイのほうであった。



 横の30〜40代のおばさん、スラチャイの横でやたらと姿勢をかえる。
そうでなくとも密着しているので、とても寝ていられる状態ではない。
スラチャイの左肩に頭を埋めて熟睡しているこの女性の首をしめてやろうかと思った。
こちらは一睡もしていないのだぞ!



 コンケンからバンコクまでたくさんの駅に停車する。
深夜に列車が駅に到着する毎に大勢の物売りが乗り込んできて商いを行う。
次の停車駅までが勝負なので、深夜にもかかわらず大声が飛び交う。
タイの夜行列車でも三等車の車内はこの雰囲気なのでとても眠ることなどできないのだ。
売り子のなかにはまだ10代の美しいタイ娘がいたりするので、眠りかけていたスラチャイも現金なもの。
すぐに飛び起きて、飲み物や食べ物を買ってしまう。
サラパオ(中華まんじゅう)のお姉さんはまだ子供、多分14〜15歳。美人だったな。
すらりと伸びた美しい姿態に圧倒されてしまった。
一瞬の静けさは、これらの売り子が列車を降りてしまって、次の売り子が乗り込むまでのわずかな時間だけなのだ。



 明け方の6時半ころホアランポーン駅に到着した。
車内では乗車券のチェックがあるが駅の出口には係員さえいない。
誰でも自由に出たり入ったりできる。
3バーツ支払ってトイレを借りる。
タイでは公共トイレは有料なのだ。
電気カミソリでばりばりとひげを剃ると周囲のタイ人たちが珍しそうな顔をする。
かまわず歯を磨いて、顔を洗う。
爽快な気分が体いっぱいにあふれてくる。



 ホアランポーン駅から徒歩10分で楽宮旅社、北京飯店がある。
スワニーさん元気にしているだろうか。
スワニーさんはまもなく80歳になる女性。
日本の貧乏旅行者(バックパッカー)にとって、楽宮旅社、北京飯店は聖地である。
欧米人のバックパッカーがカオサンを目指すのと好対照なのだ。
スワニーさんの料理はそのスピードが信条。いつもさっとおいしい日本料理を食べさせてくれる。
バンコクで遊びほうけてお金がなくなっては、ここで安い日本食を食べさせてもらった。
無性にスワニーさんに会いたくなった。



 誘惑を断ち切って、ホアランポーン駅の地下鉄に飛び乗る。
日本大使館のあるルムピニまでわずか三つ目の駅であり、10分くらいで到着する。
早朝7時に日本大使館に到着、人影は全くない。
大使館領事部は8時半に業務開始であるが、8時には中に入れる。
8時にドアーが開くまで、チェンマイからやってきたビザ取得が目的の女性と、とりとめのない会話をする。
彼女は横須賀に行くと言っていた。



 9時に在留証明申請を受け付けてもらったら、わずか30分で発行された。
大使の署名付きであるが、最近大使が人事異動で入れ替わっていた。
タイの大使は入れ替わりが激しいような印象を受ける。
これでは地に着いた大使館業務、サービスは難しいのではと思った。
大使は日本を代表する表看板なのだから。
職員はこの10年変わっていないようだ。
タイ語は流ちょうでもプライドが高すぎるような印象を受けた。(受け付けてもらった女性)



 9時半に大使館の前からタクシーに飛び乗って、北バスターミナルへ。
いつもは高速道路を利用するが、運転手が今日はすいているので下を走りたいと抜かす。
何のことはない、時間をかけても走行距離を稼ぎたかっただけなのだ。
なつかしいあの道、この道、全部覚えていた。まるで昨日のことのように。
当時、バンコクの端から端までタクシーに乗っても100バーツを超すことはなかった。
北バスターミナルでメーターを見たら、137バーツとなっていたので、140バーツ支払った。
高速道路を利用すれば80バーツくらいなのだが、高速道路料金40バーツは客が支払う。
結局、時間の浪費であったが、バンコク観光をした気分にはひたれた。



 10時半のバスに飛び乗って、夕方4時にはコンケンに無事戻ることができた。
コンケンのバスターミナルからローマホテルまで徒歩5分。
ローマホテルに駐車していた車に飛び乗って、団地に戻る。
まだ明るいので、娘たちは元気に外で遊んでいた。
バンコクからコンケンに戻ると空気までちがう。
安堵のため息をついたあとで、家族でローマホテルに出かけソレントレストランで食事をした。
酒を飲むので帰りはいつもタクシー。
わずか100バーツのタクシー代をけちって、事故っても情けない話だから。
私は小さな幸せを感じていた。






posted by srachai at 21:41| Comment(0) | エッセイ

2011年08月21日

私が死んだら・・・

私が死んだら・・・

私が死亡した直後に妻のとるべき行動を箇条書きにしてみました。
題して、「遺族年金受給手順」。
在タイ日本国大使館にもお知らせしています。
英文では、契約書や仕様書で一般的に多様されるshallを使いました。
タイ語は小学生レベルです^^。


遺族年金受給手順.txt 平成23年7月27日(水)

วิธีทำของคุณแม่ที่รักจะได้รับบำนาญครอบครัวของผู้ตาย
愛する妻が遺族年金を受けるための手順
How to get the survivor’s pension for my loving wife.

คุณต้องอ่านเข้าใจดังที่จะกล่าวต่อไปนี้
下記をよく読んで理解してください。
Read carefully the following items and understand them all.

วิธีทำทีจะต้องทำหลังจากผมตายแล้ว (คำพูลสอนสะอาดต้องตามคำที่จะกล่าวต่อไปนี้)
私の死後やるべきこと 
(私の妻カムプーンソーンサアートは以下の指示に従ってください)
Things to do after my death are the followings.
(My wife, Khumpoon Sonsaard shall follow the following instruction.)

1)
คุณต้องได้รับใบรับรองแพทย์ตายที่โรงพยาบาล แล้วก็จะไปที่ว่าการอำเภอเพื่อได้รับมรณะบัตร
ในมรณะบัตรต้องเขียนเบอร์พาสปอร์ของผม (คุณพ่อสุรชัย kiyoshi matsui) ด้วย
私が死亡したら、医者から死亡診断書をもらってください。
それからタイ国郡役場に出向いて死亡登録証(モラナバット)を発行してもらってください。
死亡登録証(モラナバット)に、私のパスポート番号を記入させてください。
As soon as after my death, you have to get a death certificate from the doctor.
Then you have to go to the county office to obtain the death registration certificate.
Passport number of myself must be written on the same docum't.

2)
ไปสถานทูตญี่ปุ่นกับซองจดหมาย (a) และซองจดหมาย (b) ให้เจ้าหน้าที่สถานทูตญี่ปุ่น
ซองจดหมาย (a) คือใบแจ้งตาย (ประมาณ1เดือนครึ่ง จะผ่าน แล้วก็ คุณจะสามารถได้รับเอกสารทะเบียนบ้าน จากญี่ปุ่น)
ซองจดหมาย (b) คือเอกสารเพื่อได้บำนาญครอบครัวของผู้ตาย
封筒 (a) 、封筒 (b)を持って、バンコクの日本大使館に出かけ、二つの封筒を大使館の職員に渡してください。
封筒 (a) は死亡届です。(日本の戸籍に死亡の事実が記載されるまで一ヵ月半かかります)
封筒 (b) は遺族年金を受け取るための書類です。
You shall visit the Japanese Embassy in Bangkok, with envelope (a) and envelope (b) respectively to hand them to the personnel in charge with the Embassy.
Envelope (a) encloses the notification of my death to the city in Japan. (It’ll take about one and half month for the docum'tation process.)
Envelope (b) encloses the application form for survivors’ pension.

3)
ไปที่ว่าการอำเภอเอาแบบฟอร์ม ท.ร.14/1เขียนให้แล้วก็ได้รับเอกสารดังนี้ (เอกสารทะเบียนประชา)
タイ国郡役場に出かけて、タイ国民登録事項証明書(トーロー第14/1号様式)に必要事項を記入して証明を受けてく
ださい。(居住証明)
You shall visit the county office to get T.R.14/1 certificate. ( the certificate for residence)

4)
ไปธนาคารกสิกรไทยสาขาย่อยบิ๊กซีขอนแก่น ได้รับเอกสารบัญชีของคุณแม่ เพื่อได้รับบำนาญครอบครัวของผู้ตายจากญี่ปุ่น
(โดยภาษาอังกฤษดีกว่า)
ธนาคาร bank: ธนาคารกสิกรไทยสาขาย่อยบิ๊กซีขอนแก่น kasikornbank big-c branch office
ชื่อ name: นางคำพูล สองสะาด khumpoon sonsaard
แลกที่บัญชี:A/C No. ●●●-●-●●●●●-●
タイ農民銀行コンケンビクシー支店にでかけ、貴女の普通預金(Saving Account)口座の証明を取得してください。
(できれば英文で証明してもらってください)
銀行名:
名前(名義):
口座番号:
You shall visit Kasikorn Bank, Khonkaen big-c branch office to get the bank deposit certificate from the same bank.
(English certificate is better, if possible.)
Name of Bank:
Name of the account:
Number of the account:

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posted by srachai at 09:35| Comment(0) | エッセイ

2011年08月20日

天国より届いた手紙 (家族を本当に愛するならば)

改訂版01 平成23年7月27日(水)
天国より届いた手紙 (家族を本当に愛するならば)

私が突然死んでも家族がいきなり路頭に迷わないようにしなければならないと、何度も考えていました。
ですが、それは現在に至るまで実現されていません。

何故でしょうか。

人間は生まれてくれば必ず死にます。運命(さだめ)なのです。
その厳粛で当たり前の事実を受け入れるのが怖かったのでしょう。
現実から逃避していたような気がします。

来年の五月、バンコクの大使館を訪問するときに、大使館の職員に相談して対策をたてよう。
そんな言い訳で何年も先延ばしにしてきました。
気がつけば、在タイ13年目。
タイに生き、毎日充実した人生を送り、終焉はタイで迎えると決心できていました。

何かのきっかけで人生の方向が突然変わることがあります。
今回がそのケースでした。
友人というか、知り合いから届いた一通のメールで目覚めました。

私は家族を本当に愛してはいなかったと。
私が愛していたのは自分自身に他ならなかったと、自分を責めました。
もしも明日突然交通事故で他界したらどうでしょうか。
家族は路頭に迷うに違いありません。

私は決心しました。
今すぐ作戦を実行すると。
名付けて、「天国より届いた手紙」(家族を本当に愛するならば)です。

天国より届いた手紙(ラフですが、原案です。英語、タイ語の翻訳も併記します)

●日本語オリジナル、Japanese original draft, ภาษาญี่ปุ่น
天国より届いた手紙
関係者一同様:
皆様こんにちは。
この手紙は、いわば天国より届いた手紙とご認識ください。
本人はすでに他界しております。
この手紙は、生前に作成しており、私が死んだら郵便局より発送するように、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)に生前に依頼しておいたものです。
存命中は、皆様から多大なご助力を受けたことを、深く感謝いたします。ほんとうに、ありがとうございます。
同封の書類をご確認ください。
書類の作成には万全を期したつもりですが、万が一不備がございましたら、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)宛てにご連絡ください。
妻は日本語が解せませんので、在タイ日本国大使館に出向いて、ご協力をお願いに行かせます。
大使館にはその旨連絡しておきます。
誠に勝手なお願いではありますが、妻は日本語を解しません。まったく対応ができないのです。
ここはタイ語の堪能な在タイ日本国大使館の職員の手助けが必須なのです。
私の死後も、家族が平穏に暮らせることを願っています。
皆様の暖かいお心、天国に行っても決して忘れません。
ありがとうございます。
松井清、天国より

●英語翻訳: English translation ภาษาไทย
Letter from the Heaven
To whom it may concern:
It is nice to see you again.
This letter is a kind of letter from the heaven, because I’ve already passed away.
Myself have created this letter when I’m still alive.
I’ve requested my wife, Khumpoon Sonsaard to send this letter to you immediately after my death.
I’d like to express my sincere gratitude to you and your kind assistance when I’m alive.
Thank you very much indeed.
Here enclosed is an attachment of this letter for your further assistance to the bereaved.
I’ve made every effort in creating this document but if there may be any mistake, please send it back to my wife, Khumpoon Sonsaard for necessary correction.
Then, my wife will visit the Japanese Embassy in Bangkok for appropriate advice and assistance.
I’ve already made for an arrangement in this regard with the Japanese Embassy in Bangkok.
It’s almost impossible for my wife to understand Japanese words, so staff of the Japanese Embassy is a must to carry out the deal, as they can contact my wife with Thai language.
I hope my family is able to spend a happy life, even after my death.
I never forget your thoughtful mind and kindness given to my family and myself.
Thank you so much.
Kiyoshi Matsui, from the Heaven.

●タイ語翻訳: Thai translation ภาษาไทย
จดหมายจากสวรรค์
ผู้เกี่ยวข้อง
สวัสดีครับทุกคน
จดหมายนี้คือจดหมายมาจากสวรรค์เลยนะครับ
เพราะผมเสียชีวิตแล้วนะครับ
ผมเขียนแล้วจดหมายนี้เมื่อผมยังไม่ตาย แล้วก็ ผมทำให้ภรรยาผม (คำพูล สอนสะอาด) ส่งจดหมายนี้ให้คุณโดยไปรษณีย์ นะครับ
ผมขอร้องขอบคุณมากมายให้แก่พวกคุณทุกคน เพราะพวกคุณช่วยครอบครัวผมเลยนะครับ ขอบคุณมากนะครับ
คุณเชิญเช็กเอกสารที่มีในซองจดหมายนี้นะครับ
ผมทำเอกสารนี้เขียนให้คุณกับระมัดระวัง แต่ว่าถ้ามีเขียนผิด คุณต้องส่งให้ภรรยาผม (คำพูล สอนสะอาด) ครับมาเอกสารนะครับ
ภรรยาผมจะไปสถานทูตญี่ปุ่นเอาช่วยนะครับ
ผมบอกสถานทูตญี่ปุ่นแล้วนะครับ
ภรรยาผมไม่เข้าใจภาษาญี่ปุ่นเลย ดังนั้นทำเองไม่ได้ เอาช่วยมาจากสถานทูตญี่ปุ่นนะครับ
เจ้าหน้าที่สถานทูตญี่ปุ่นสามารถช่วยภรรยาผมก็ได้ เพราะพวกเขาพูดภาษาไทยก็ได้นะครับ
ผมมีความปรารถนา คือ ครอบครัวผมมีความสุขนานเลยนะครับ
ผมไม่ลืมความใจดีคุณ หลังจากผมไปถึงสวรรค์ก็เหมือนกันนะครับ
ขอบคุณ มาก ๆ
kiyoshi matsui (สุรชัย)จากสวรรค์

私が死んだら、生前に作成しておいた10通ほどの封筒を郵便局に投函するだけで、家族が引き続き安心して暮らせるようにします。
在タイ日本国大使館には、生前に、この手順につき丁寧に説明しておかなければなりません。
何も問題なければ、私はただ天国から微笑んでいればすむということになります。

すぐにやらなければならない作業のステップは100ステップ程になります。

posted by srachai at 11:15| Comment(0) | エッセイ

2011年07月18日

天国より届いた手紙 (家族を本当に愛するならば)

私が突然死んでも家族がいきなり路頭に迷わないようにしなければならないと、何度も考えていました。
ですが、それは現在に至るまで実現されていません。

何故でしょうか。

人間は生まれてくれば必ず死にます。運命(さだめ)なのです。
その厳粛で当たり前の事実を受け入れるのが怖かったのでしょう。
現実から逃避していたような気がします。

来年の五月、バンコクの大使館を訪問するときに、大使館の職員に相談して対策をたてよう。
そんな言い訳で何年も先延ばしにしてきました。
気がつけば、在タイ13年目。
タイに生き、毎日充実した人生を送り、終焉はタイで迎えると決心できていました。

何かのきっかけで人生の方向が突然変わることがあります。
今回のがそのケースでした。
友人というか、知り合いから届いた一通のメールで目覚めました。

私は家族を本当に愛してはいなかったと。
私が愛していたのは自分自身に他ならなかったと、自分を責めました。
もしも明日突然交通事故で他界したらどうでしょうか。
家族は路頭に迷うに違いありません。

私は決心しました。
今すぐ作戦を実行すると。
名付けて、「天国より届いた手紙」(家族を本当に愛するならば)です。

天国より届いた手紙(ラフですが、原案です。英語、タイ語の翻訳も併記します)

関係者一同様:

皆様こんにちは。
この手紙は、いわば天国より届いた手紙とご認識ください。
本人はすでに他界しております。
この手紙は、生前に作成しており、私が死んだら郵便局より発送するように、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)に生前に依頼しておいたものです。
存命中は、皆様から多大なご助力を受けたことを、深く感謝いたします。ほんとうに、ありがとうございます。
同封の書類をご確認ください。
書類の作成には万全を期したつもりですが、万が一不備がございましたら、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)ではなくて、在タイ日本国大使館までご連絡ください。
大使館には、生前にその旨伝えておきます。
誠に勝手なお願いではありますが、妻は日本語を解しません。まったく対応ができないのです。
ここはタイ語の堪能な在タイ日本国大使館の職員の手助けが必須なのです。
私の死後も、家族が平穏に暮らせることを願っています。
皆様の暖かいお心、天国に行っても決して忘れません。
ありがとうございます。

松井清、天国より

英語翻訳:(粗訳です、まだチェックしていません)

To whom it may concern:

It is nice to see you again.
This letter is a kind of letter from the heaven, because I’ve already passed away.
Myself have created this letter when I’m still alive.
I’ve requested my wife, Khumpoon Sonsaard to send this letter to you immediately after my death.
I’d like to express my sincere gratitude to you and your kind assistance when I’m alive.
Thank you very much indeed.
Here enclosed is an attachment of this letter for your further assistance to the bereaved.
I’ve made every effort in creating this document but if there may be any mistake, please send the instruction in this regard to the Japanese Embassy in Bangkok for necessary correction.
I’ve already made an arrangement for it with the Japanese Embassy in Bangkok.
It’s almost impossible for my wife to understand Japanese words, so staff of the Japanese Embassy is a must in proceeding the deal, as they can contact my wife with Thai language.
I hope my family is able to spend a happy life, even after my death.
I never forget your thoughtful mind and kindness given to my family and myself.
Thank you so much.

Kiyoshi Matsui, from the Heaven.

タイ語翻訳:
作成中です^^。タイ語は難しいのです。

私が死んだら、生前に作成しておいた10通ほどの封筒を郵便局に投函するだけで、家族が引き続き安心して暮らせるようにするのが狙いですが、在タイ日本国大使館の協力が必須だと思います。
もちろん、何も問題なければ、私はただ天国から微笑んでいればすむということになります。

すぐにやらなければならない作業のステップは100ステップ程度になるかも知れません。

まず、千葉市若葉区役所に死亡届の様式の送付を依頼します。同時に日本年金機構中央年金事務所に遺族年金請求の様式の送付を依頼します。平成23年7月18日(月)には郵便局から日本に向けて国際郵便を投函します。

やっと第一歩を踏み出せました。
posted by srachai at 08:54| Comment(0) | エッセイ

2011年05月10日

旅の終わりに

どんなに楽しい旅であっても、終りのない旅はない。
また、どんなに苦しい旅であっても、終りのない旅はない。
どんな旅であっても、終りはかならずやってくるのだ。
旅は人生の縮図であるともいえるし、
旅とは実は人生そのものだということもできる。

一昨日2011年5月1日、夜8時半にコンケン駅で列車に飛び乗った。
2等車の座席は満席だった。
しかたなくバンコク、ホアランポーン駅まで3等車の狭くて堅い座席で我慢した。
さらに、ディーゼル車の先頭車両だったので、音がものすごく、排気ガスが容赦なく目や喉(のど)を責めたてる。
列車は到着予定時刻の早朝5時より大幅に遅れて6時過ぎにホアランポーン駅に滑り込んだ。
9時間に及ぶ、拷問のようなつらい時間であった。
それでは、悪いことばかりだったのか。
答えはノーだ。
普段めったに交際できないタイ人家族と心も体も触れあう旅が楽しめた。

真向かいの体重80キロ超のおばさんは30歳くらい。
4〜5歳の男の子を抱いている。
この堅い座席に座っているだけでも辛いのに子供を抱いているお母さんは柔和な表情をしている。
ときどき子供がむずかって、熟睡できないのか大声で泣きじゃぐる。
もしも白人の座席が近くにあれば間違いなくクレームをつけられるケースだ。
周囲のタイ人、全く動じない。動じているのは眠りを妨げられたスラチャイくらいのものだ。
満席状態で立ち席の人も多くいる。なんだか昔の日本の夜行列車の風景だ。

斜め前の20〜30代の姉妹。なかなかの美形だ。
スラチャイが美人だなって見つめているとそれを見透かされたように笑顔を返してくる。
やがて妹のほうが眠りはじめて、姉の右肩に頭を埋めてこっくりしている。
こんなところでも美しい姉妹愛は人を感動させる。
もしもスラチャイが若くて独身だったら間違いなく話しかけているケースだ。

ずーっと向こうの席では、美しい20代の女性が大股開きでご開帳。
スラチャイが見て見ぬふりをして、そっと覗いていると、覗かれているのが分かるのか、閉じられてしまう。
こんな馬鹿なこと繰り返しているうちにも列車はひたすらバンコクを目指してがったんごっとん。
ご開帳のこの女性が突然目を覚ましてスラチャイと目があう。
赤くなって下を向いたのはスラチャイのほうであった。

横の30〜40代のおばさん、スラチャイの横でやたらと姿勢をかえる。
そうでなくとも密着しているので、とても寝ていられる状態ではない。
スラチャイの左肩に頭を埋めて熟睡しているこの女性の首をしめてやろうかと思った。
こちらは一睡もしていないのだぞ!

コンケンからバンコクまでたくさんの駅に停車する。
深夜に列車が駅に到着する毎に大勢の物売りが乗り込んできて商いを行う。
次の停車駅までが勝負なので、深夜にもかかわらず大声が飛び交う。
タイの夜行列車でも三等車の車内はこの雰囲気なのでとても眠ることなどできないのだ。
売り子のなかにはまだ10代の美しいタイ娘がいたりするので、眠りかけていたスラチャイも現金なもの。
すぐに飛び起きて、飲み物や食べ物を買ってしまう。
サラパオ(中華まんじゅう)のお姉さんはまだ子供、多分14〜15歳。美人だったな。
すらりと伸びた美しい姿態に圧倒されてしまった。
一瞬の静けさは、これらの売り子が列車を降りてしまって、次の売り子が乗り込むまでのわずかな時間だけなのだ。

明け方の6時半ころホアランポーン駅に到着した。
車内では乗車券のチェックがあるが駅の出口には係員さえいない。
誰でも自由に出たり入ったりできる。
3バーツ支払ってトイレを借りる。
タイでは公共トイレは有料なのだ。
電気カミソリでばりばりとひげを剃ると周囲のタイ人たちが珍しそうな顔をする。
かまわず歯を磨いて、顔を洗う。
爽快な気分が体いっぱいにあふれてくる。

ホアランポーン駅から徒歩10分で楽宮旅社、北京飯店がある。
スワニーさん元気にしているだろうか。
スワニーさんはまもなく80歳になる女性。
日本の貧乏旅行者(バックパッカー)にとって、楽宮旅社、北京飯店は聖地である。
欧米人のバックパッカーがカオサンを目指すのと好対照なのだ。
スワニーさんの料理はそのスピードが信条。いつもさっとおいしい日本料理を食べさせてくれる。
バンコクで遊びほうけてお金がなくなっては、ここで安い日本食を食べさせてもらった。
無性にスワニーさんに会いたくなった。

誘惑を断ち切って、ホアランポーン駅の地下鉄に飛び乗る。
日本大使館のあるルムピニまでわずか三つ目の駅であり、10分くらいで到着する。
早朝7時に日本大使館に到着、人影は全くない。
大使館領事部は8時半に業務開始であるが、8時には中に入れる。
8時にドアーが開くまで、チェンマイからやってきたビザ取得が目的の女性と、とりとめのない会話をする。
彼女は横須賀に行くと言っていた。

9時に在留証明申請を受け付けてもらったら、わずか30分で発行された。
大使の署名付きであるが、最近大使が人事異動で入れ替わっていた。
タイの大使は入れ替わりが激しいような印象を受ける。
これでは地に着いた大使館業務、サービスは難しいのではと思った。
大使は日本を代表する表看板なのだから。
職員はこの10年変わっていないようだ。
タイ語は流ちょうでもプライドが高すぎるような印象を受けた。(受け付けてもらった女性)

9時半に大使館の前からタクシーに飛び乗って、北バスターミナルへ。
いつもは高速道路を利用するが、運転手が今日はすいているので下を走りたいと抜かす。
何のことはない、時間をかけても走行距離を稼ぎたかっただけなのだ。
なつかしいあの道、この道、全部覚えていた。まるで昨日のことのように。
当時、バンコクの端から端までタクシーに乗っても100バーツを超すことはなかった。
北バスターミナルでメーターを見たら、137バーツとなっていたので、140バーツ支払った。
高速道路を利用すれば80バーツくらいなのだが、高速道路料金40バーツは客が支払う。
結局、時間の浪費であったが、バンコク観光をした気分にはひたれた。

10時半のバスに飛び乗って、夕方4時にはコンケンに無事戻ることができた。
コンケンのバスターミナルからローマホテルまで徒歩5分。
ローマホテルに駐車していた車に飛び乗って、団地に戻る。
まだ明るいので、娘たちは元気に外で遊んでいた。
バンコクからコンケンに戻ると空気までちがう。
安堵のため息を流したあとで、家族でローマホテルに戻りソレントレストランで食事をした。
酒を飲むので帰りはいつもタクシー。
わずか100バーツのタクシー代をけちって、事故っても情けない話だから。
私は小さな幸せを感じていた。
posted by srachai at 18:01| Comment(0) | エッセイ

2010年09月13日

バンコク楽宮ホテル

北京飯店はタイフリークの間ではかなり有名な店です。
小さな決して清潔とは言えない店ですが、スワニーさんがいつもいつも笑顔で対応してくれるのが救いでした。
バンコクはヨーロッパや西アジア、インドなどを旅行するバックパッカーの中継地点でした。
インドやパキスタンを旅行してヘトヘトになった旅行者たちが帰国の途中でここに立ち寄り久しぶりの日本食を味わったのです。味噌汁、焼き魚、冷奴、納豆、豚肉の生姜焼き、トンカツ、チャーハン、等々は長旅で疲れ果てた旅人たちの心を休めてくれました。場末でもこれだけ美味しく感じるというのが実感です。
狭い店の中には小さなテーブルが三つほどしかありませんが、テーブルの上に小さな本棚があり旅人が残していった週刊誌や漫画、文庫本等々が置かれてあります。旅人はこれらの雑誌を懐かしそうに眺めながら、ビールを飲んだり、食事をしたり、雑談したり…、当時は日本人貧乏旅行者の溜まり場だったのです。
スワニーさんは日本人のくだらない話を真面目に聞いてくれる数少ない人でした。
タイフリークでスワニーさんのお世話になった人は結構多いのではないでしょうか。
私もその末席を汚しています。
昨年の6月スワニーさんを久しぶりに訪ねましたが、もはやあの厚化粧もされていなくて別人かと思いました。
時の流れっていうものは本当に非情なものですね。
(スラチャイ記)

北京飯店(店の左側の鉄製スライド式扉をくぐり2Fの楽宮ホテル受付へ)

photo by srachai from OCNフォトフレンド

スワニーさん(20年くらい前の写真)

photo by srachai from OCNフォトフレンド
posted by srachai at 14:57| Comment(0) | エッセイ

2010年09月11日

バンコク楽宮ホテル

「バンコク楽宮ホテル」は谷恒生が1980年代に書き下ろした徳間文庫の小説である。
一等航海士として、世界中の海を渡り歩いていたころの経験をもとにして、バンコク中華街ヤワラーのはずれにある「楽宮ホテル」に出入りする不思議な日本人の生態、ホテルに居住する笑顔の娼婦などとの交流などが描写されている。
80年代の貧乏旅行者たちが楽宮ホテルの一室の壁にこう書き残している。「金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、何もないのがヨーロッパ、問題外のオセアニア」、「豊かな青春、惨めな老後」、等々。
20年前私が楽宮ホテルを訪ねたときには落書きされた部屋を特定することも出来なかった。多分消されてしまったのであろう。部屋には多くの娼婦たちが寝泊りしていた。
ここは日本人貧乏旅行者の言わば溜まり場であったが、そのあまりの汚さに、その地位をすぐ近くのジュライホテルに奪われていた。どのくらい汚いかといえば昭和初期の公衆便所の小便器の脇に大きなベッドだけがむなしく横たわっていると表現できる。パスポートや現金は拠点ホテルのセイフティーボックスに納めて、とりあえず必要な現金のみズボンのポケットに押し込んでここに数日滞在した。
部屋は窓の無い階段下の狭い部屋で一泊50バーツ、日本人が泊まれる明るい窓のついた広い部屋は一泊120バーツだった。狭い部屋は居心地が悪いので娼婦たちは夕方になるとラジカセを片手に私の部屋まで押しかけて来た。毎晩集まる娼婦たちの人数は10名を超えていた。私は小額のお金を渡してビールやウイスキー、また屋台の軽食をパックしてもらったものを買ってきてもらい部屋で毎夜パーティーをした。楽しかった。深夜の2時頃には一人あたり50バーツのチップを渡して、それでやっと眠りにつくことができた。やがて、女を買わない変な日本人が有名になり、あぶれた街娼たちが集まりだしたので、潮時だと感じて拠点ホテルに戻った。ちょっと淋しかった。
ホテルの一階はタイフリークの間では有名な場末の北京飯店、経営者はスワニーさん。昨年の6月にここを訪れたときにもまだ元気で小さな汚いお店を一生懸命切り盛りしていた。スワニーさんとは長い間の顔見知り、私はビールを1本注文しておつまみは日本式冷奴、料理の素早さがこの店の信条である。スワニーさんとしばしの間世間話をして、それから私はタクシーでバンコク北バスターミナル(モーチット)まで戻り、すぐにコンケン行きのバスに飛び乗った。
(スラチャイ記)
posted by srachai at 14:09| Comment(0) | エッセイ
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