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posted by fanblog

2015年05月06日

そう言えば「寄生獣」岩明均(part1)



 そう言えば、最近アニメ化や映画化をして注目を集めている昔のマンガ『寄生獣』。
 アニメの「寄生獣〜セイの格率」は中々上手く現代風にアレンジして、良い作品に仕上がっていました。

 しかし、原作のパワーというものはやはり凄まじいものがあったように思います。『寄生獣』に興味を抱いたなら、マンガのほうもご覧になることをおすすめ致しますよ。


寄生獣 セイの格率 オリジナル・サウンドトラック




寄生獣 完全版全8巻 完結コミックセット





 寄生獣は1988年から1995年にかけての作品ですが、その後も持続的に人気を博し、また後のマンガに大きな影響を与えました。(例えば、幽々白書やベルセルクなど。)
 一見した所の特徴としては、ゾッとする触手や残忍な描写、また冷酷なやり取りなどが印象的でしょう。しかし、残忍や冷酷、魑魅魍魎というのが物語として腑に落ちるものとなる為には、土台となる人間観・価値観が丁寧に描写されていなければなりません。でなければ単に印象のためだけに残忍や冷酷や魑魅魍魎を提示しているにすぎない作品になり、そうした作品はおおむね唾棄されるべきものと成り下るのが常です。
 『寄生獣』が持続的に支持されてきたのは、印象的なおぞましさの一方、重厚な人間観・価値観がその作品世界を下支えしているからでしょう。


 さて、『寄生獣』の話としては、人間の脳に寄生するパラサイト(寄生生物)を巡って展開します。パラサイトは人間の脳の部位、つまり頭部を奪って人間のふりをします。だから、固体に限って言えば「寄生」というよりは「成り代わり」ですね。また、彼らの主食は人間なので、普段人間のふりをしていつつも食事の時はおぞましくその姿を変形させて人を喰らうわけです。(その戦闘能力はライオンを遥かに凌駕しますから、単体の人間ではとても敵うものではありません。)

 パラサイト単体の行動が「成り代わり」であっても、「寄生」という言葉が適切なのは、寄生獣という種全体が人間という種に寄生して存在せざるをえないという関係にあるからでしょう。これはいわば生物とウィルスの関係と同じです。要は、ウィルスは生物を殺しますが、あまりウィルスの力が強すぎると生物が全滅してしまいウィルスそのものも存在できなくなるでしょう。実際、インフルエンザなどの猛威を奮うウィルスはある程度までゆくと殺傷力を弱めて感染対象が全滅しないようにしますね。尤も、ウィルスは生物ではないですけど、「意志を持ち、知能を持ったウィルス」というものを考えればそれがちょうど寄生獣なのではないでしょうか。

 ですから、翻って人間を考えてみると、寄生獣は人間の量を調節するという意味で人間という種全体を成り立たせるモノでもある……という理屈に一理が生まれてくる。要は、人間に天敵がいない状態は人間の過激な増大を生み、そのことが人間そのものの存立すらを成り立たせなくすると考えるのであれば、循環的な生態系の理屈として「人間の捕食者」というものが必要であるという理が生まれてきますでしょう。

 作中にもそのように考えた人間がいて、彼はパラサイト達の支持を得て市長・自治体の組長になります。彼は自治体の組長という政治的権限を用いてパラサイト達に人間捕食の便宜を計らいます。つまり、そうすることによってパラサイトによる人間の量の調節を実現しようとしたわけです。
 おそろしい事に、その市長のまわりは彼以外は全てパラサイトで、パラサイトは一見したところ人間にしか見えませんから、普通に見ていたら市長は何の問題もない好青年に見える。

 さて、ここでの問題は実は二段階あります。一つ目は、「人間の量の調節」という考え方そのものの成否。二つ目は、「人間の恣意がそのことに関与して良いものか」という問題です。作品としての立ち位置では、前者は考えうるが、後者は傲慢であると示唆されています。









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