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2016年05月29日
アウトカーブの魅力
おはようございます。今朝の東京は爽やかな晴れの天気を迎えました。
この時期は過ごしやすく、人々も動きやすい時期でございますので、鉄道写真の撮影をする為に今日も、ロケ地に足を運んでいると思います。
私は300mmの望遠レンズを使い、掲載写真(※)の様なアウトカーブでの撮影が好きです。ただ望遠レンズがF4の値の為、F2.8の様な、明るいレンズを使っての撮影ができないことは残念です。
さて何故、アウトカーブに拘るのかと申しますと、インカーブ・ストーレートトラックでの撮影は、シャッタースピードを1/1000〜1/500にしなければ、ピントずれしてぶれてしまう為です。また私のカメラ機能が連射での撮影が秒2コマしか撮影できない一眼レフの為、シャッターチャンスが限られてしまうのも理由です。
前述のアウトカーブで望遠レンズを使えば、1/500〜1/250のシャッタースピードで撮影が可能で、光を多く入れられる為、アウトカーブでの撮影に拘って来ました。また列車が通過する際に迫力ある写真を撮影できるのも、アウトカーブの醍醐味です。
まだアウトカーブで撮影されていない方は、この機会にチャレンジしてみては如何でしょうか。
※ 東海道本線 山崎〜島本にて 2008年3月撮影 特急サンダーバード1号 (京都)
2016年05月28日
置き換えが決定した719系交流電車
おはようございます。今朝の東京は曇り空の朝を迎えました。
一昨日、JR東日本仙台支社で使用中の719系電車(写真参照※)が、今秋からE721系1000番台(4両固定編成)に置き換えられ、順次廃車との発表にショックを受けました。
719系電車は1989年に、老朽化した国鉄型の急行車両451系・453系を置き換える為、0番台84両が製造され仙台車両センターに配属されました。また1991年に奥羽本線の福島〜新庄の改軌区間(山形線)用に、5000番台24両が製造され山形車両センターに配属されました。
0番台は現在、東北本線 黒磯〜一ノ関・利府と、常磐線 浜吉田〜岩沼(仙台発着で運転されております)および磐越西線 郡山〜会津若松・喜多方で運転されております。また嘗ては仙山線でも運転されておりましたが、現在はE721系に置き換えられ撤退しております。
磐越西線で運転されている719系のうち1編成は、福島県会津地方のマスコットカラー「あかべえ」をあしらった専用編成で運転されております。また昨年、福島デスティネーションキャンペーンに合わせ登場した「フルーティア」は、同系H27編成が専用車両として改造され、700番台に改番されました。走るカフェをコンセプトに従来クハ718-27は、クシ718-701としてカフェカウンターに改造されております。(クシの記号は今回が初めての形式です) こちらの車両は土休日や夏休みを中心に、郡山〜会津若松で運転されております。
0番台84両は1両の廃車も無く、前面デザインの国鉄型211系を受け継いだスタイルと、廃車発生品を使用したDT32系台車、集団見合い型のセミクロスシートの車内とユニークな車両で、フルーティアの改造を除いて運転されて来ました。
これから廃車予定の車両も、第三セクターの阿武隈急行に譲渡され、3扉の車内と8両編成迄の増結可能な車両構造を活用し、通勤・通学のラッシュ時の輸送改善と、ステンレス車体の利点を活用しメンテナンスコスト低減に貢献して欲しいと願っております。
この機会に719系0番台のオリジナル塗装の編成をこの週末、撮影と乗車しに出掛けてみては如何でしょうか。
※ 東北本線 金谷川〜松川間にて 2001年8月撮影 福島県
2016年05月26日
日本最長距離貨物列車
JR貨物の貨物列車で最長距離の貨物列車は、福岡貨物ターミナル1時55分発、札幌貨物ターミナル21時13分着行きのコンテナ貨物列車が走っております。
距離は2136.6kmを約43時間掛けて、福岡貨物ターミナルと札幌貨物ターミナルを結んでおります。列車番号も3回変わり、福岡貨物ターミナル〜吹田が2070レ・吹田〜青森信号所が3099レ・青森信号所〜札幌貨物ターミナルが99レと変わりながら走っております。
因みに札幌貨物ターミナル発、福岡貨物ターミナルを結ぶ貨物列車は、2128.2kmを37時間で結んでおります。
1990年に定期貨物列車に格上げされ、25年以上も走り続けて来た日本最長距離の貨物列車は、今日も顧客への荷物を載せ走行しております。
※ 写真は2001年1月 東海道本線 山崎〜島本(当時は高槻)にて撮影。
能力を発揮できなかった近郊型電車
鉄道車両でも、当初の計画通りの運用を見越して、製造された車両は数多く有りますが、人間と同様に思う様な能力を発揮できずに終わる車両もございます。
写真は(※)1978年に製造された、417系交直流近郊型電車(交流は50Hz・60Hz対応)です。(以下417系)
この車両は国鉄時代に東北仙台等の地方線区で当時、客車列車運用されていた普通列車が、2デッキの扉で運用され通勤・通学時間帯に遅延を引き起こし、手動扉で安全性の問題もあった為、普通列車の輸送改善として誕生いたしました。
417系は1978年に仙台地区での運用に、3両5編成の15両が製造され仙台運転所(現 仙台車両センター)に配属されました。また運転区間は東北本線の黒磯〜一ノ関間でで運転され、仙山線の仙台〜作並間でも一時運転されました。
2扉ステップ付で、車内はボックスシートと車端部はロングスシートの車内構造で、ボックスシートも急行型車両と同様にゆったりした造りでした。
417系は仙台以外の運用で秋田・金沢地区での運用も計画しておりましたが、国鉄の財政悪化により前述の15両で製造は打ち切りになりました。また当時の国鉄の方針では、北海道以外の交流区間は、交直流電車にする方針でしたので、417系も交直流電車として登場しましたが直流区間での運転は、山口県下松にある日立製作所笠戸工場からの出場時に山陽本線・東海道本線・東北本線黒磯迄の直流区間の自力回送と、交流区間の60Hzでの試運転は門司〜南福岡での試運転だけに留まり、2007年7月1日の運用終了迄、一貫して東北仙台地区の前述の区間で一生涯を過ごしました。
当時の国鉄財政悪化と、その後のJR各社の新型車両の方針が変更されてしまった為、持ち分の能力を発揮できずに宝の持ち腐れになってしまったことは否めないと思います。
15両製造のうち現在、第三セクターの阿武隈急行でA417系としてトップナンバーが1編成運用されておりましたが、この車両も今年3月26日のダイヤ改正で運用を終えました。そして明後日には阿武隈急行で、ラストラン運用となります。
またそれ以外の417系4番が、宮城利府に機械扱いで車籍の無い状態で、保管されております。
筆者も417系に乗車したのは、新白河〜郡山間を移動した時に乗車しました。415系電車と異なり空気ばね台車で、ゆったり移動した覚えがございます。その時に乗ったのが最初で最後でしたが、国鉄時代の悲運の交直流近郊型電車での乗車体験は、今でも貴重な思い出です。
※ 東北本線 金谷川〜松川間にて 2001年8月 撮影(福島県)
2016年05月25日
誕生から25年が経ちました
JR西日本の通勤型電車、207系が誕生してから今年で25年が経ちました。
1986年の国鉄末期に誕生した207系900番台は、JR常磐緩行線・東京メトロ千代田線の乗り入れ用の試作車として誕生しましたが、JR西日本の207系とは全く別のコンセプトの為、関係無い形式です。
試作車が誕生したのは1991年3月に誕生し、その年の翌月から運用開始されました。同車はJR西日本で初めてVVVFインバターが採用され、最高速度は登場当時の通勤型では初の120km/h対応となりました。また定員増を狙って従来2800mmだった在来の通勤型電車の幅を2950mmのワイドボディーを採用し、裾絞りの車幅構造を取り入れました。
車両はビート加工軽量のオールステンレス構造で前頭部前面は普通銅製、側面・屋根面はFRP製となっております。
種別表示は幕式で、行先表示器はLEDを採用しております。
当初は7両固定編成で登場いたしましたが、同年12月の量産化では、2両編成・3両編成・4両編成が誕生し、1994年には東海道本線・山陽本線の普通列車用に6両固定編成が誕生いたしました。
主な走行線区はJR西日本のアーバンネットワークエリアを中心に、東海道本線・山陽本線・JR東西線・片町線・福知山線・おおさか東線・関西本線です。
車両は2003年迄に484両が製造されましたが、2005年4月25日に発生した福知山線脱線事故で、7両が廃車され現在は477両全車が兵庫県にある網干総合車両所に、配属されております。
207系は湖西線等での運用も考慮し、全車半自動式のドアや耐雪ブレーキも装備されております。(嘗て湖西線でも運用されておりました。)
車体塗装は濃淡ブルーと境目に白色が入った帯を巻いておりましたが、2005年度からは後継系列の321系に合わせ、窓周りと窓下に紺色、窓下に上からオレンジ・白・紺の4本帯を巻く塗装に変更されました。
2014年からは20年以上経過した0番台より、体質改善工事が施行され今年度からは1000番台で体質改善工事の改造が開始されております。
関西のJR西日本の通勤型電車207系は現在、321系および来年度に誕生する、大阪環状線で活躍中の103系置き換え用の323系と共に、同車のアーバンネットワークの主力次世代電車として、今後も通勤・通学客輸送に貢献することと思います。
※ 写真は山陽本線の緩行線を走る、西明石発松井山手行き普通列車。(塩屋〜須磨間にて撮影 2005年8月)
2016年05月20日
リゾート列車で週末の旅に出掛けよう
おはようございます。今朝の東京は曇り空の天気です。明日からの週末を利用し、温泉旅行に出掛ける方々や社員旅行(現在は減少している)に出掛ける方々も、いらっしゃると思います。
東京から定番の温泉地伊豆へは、大抵の方々がマイカーで移動し社員旅行で移動される方々は、観光バスで移動される方々が多いと思います。
鉄道でも東京・新宿や埼玉の大宮から、伊豆方面の特急が運転されております。写真の251系を使用した特急スーパービュー踊り子号や185系を使用した特急踊り子号、臨時列車では成田エクスプレス用のE259系を使用した、特急マリンエクスプレス踊り子号伊豆急行の2100系リゾート21を使用した、特急リゾート踊り子号が運転されております。
伊豆の温泉地も25年前のバブル崩壊で、リゾート需要が減少し嘗ての勢いは無いですが、首都圏から近い温泉地と言うこともあり、週末は1泊2日の温泉旅行へ出掛ける方々もいらっしゃいます。
前述の251系特急スーパービュー踊り子号も、登場から25年以上が経過し伊豆急行の海岸線を走る為、外販の痛みもあり今後の運行形態も気になりますが、折角のハイデッカー車体で、側面窓も大きく、グリーン車・普通車の先頭車は、前面展望も楽しめますし、ファミリー向けの個室3室も設けられておりますので、末永く活躍して欲しいと思います。
私も特急スーパービュー踊り子号に乗ったのは、今から24年前の1992年に伊東から東京迄、グリーン車を利用して以来ご無沙汰しております。
グリーン車に乗車した当時は、シートサービスがありコーヒーやお茶の無料サービスがございました。また車内販売ではレトルトながらも、お皿に盛ったカレーライスを食べ、相模湾を眺めながら移動した思い出がございます。
車両の配属は当初、東京の田町車両センターでしたが、現在は埼玉の大宮車両センターへ185系電車と共に転属しております。
折角上野東京ラインも開通いたしましたので、東京発着の同列車は車両回送で大宮出入を兼ねて、旅客営業をして欲しいと思います。そうすれば上野・赤羽・浦和地区からの利用者にとっては、便利になります。
少子高齢化社会と不景気で、鉄道輸送の取り巻く環境は年々厳しくなります。利用に便利な鉄道にして今日も安全輸送で移動して欲しいと思います。
※ 東海道本線 大森〜蒲田間にて、(2010年1月 撮影)
2016年05月18日
懐かしの餘部橋梁を走る特急はまかぜ号
こんにちは。東京は昨日の雨模様の天気から一転して、今日は快晴の空模様です。自宅の洗濯物や蒲団もカラッと乾きやすく、1年のうちで最も最高な季節だと思います。
今日は2回目の更新ですが、懐かしい写真を掲載いたします。写真は大阪から兵庫県の浜坂・鳥取を結ぶ、姫路周り播但線経由の特急はまかぜ号です。
こちらの写真は新餘部橋梁付け替え工事前の2007年3月に、撮影した写真でございます。
初代餘部橋梁のトレッスル橋の餘部橋梁を走る、キハ181系ディゼルカーも現在では、初代餘部橋梁と共に過去のものとなりました。
現在はコンクリート製の新餘部橋梁と、新型ディーゼルカーのキハ189系の特急はまかぜ号が、今日も大阪・神戸から日本海側の浜坂・山陰鳥取を3往復で結んでおります。
特急はまかぜ号が1972年3月15日に、運転開始した当初はキハ80系のディーゼルカーでスタートいたしました。誕生当初はグリーン車1両・普通車4両・食堂車1両を連結しておりました。キハ80系は現在のキハ189系の軽快ディーゼル特急に比べれば速度は遅いですが、食堂車で食事しながら餘部橋梁の景色を眺め、食事することは叶いませんでした。
現役のキハ189系特急はまかぜ号が、これからも関西と北近畿の温泉地区と山陰を結ぶ特急列車として、末永く活躍することを祈ります。
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由布岳と特急ゆふいんの森
九州熊本・大分の震災が発生してから1ヵ月が経ちましたが、被災地では現在でも小規模な余震が続いております。
このゴールデンウィークは、九州への観光客がかなり減少いたしました。
大分の温泉地、湯布院も観光客が減少し寂しい限りでございます。九州の観光地も風評被害に負けずに、以前の様に活気付いて欲しいと思います。
さて掲載写真は、今から6年前に撮影した、由布岳をバックに走る特急ゆふいんの森号でございます。こちらの特急列車は、福岡の博多から大分の湯布院および別府を結ぶ列車です。
車両はキハ71系とキハ72系の2種類が運用されております。車両検査の時には臨時特急ゆふ号として、キハ185系で運転されます。(何れもディーゼルカーです。)
さて前述のキハ71系・キハ72系の車両はハイデッカータイプで、車内にはビュッフェも営業しております。週末や夏休み・年末年始・ゴールデンウィークは軒並み満席になる列車です。
地震の被害で被災した大分湯布院ですが、雄大な九州の由布岳を眺めながら、旅をしてみては如何でしょうか。
2016年05月16日
踏切事故に遭遇した小田急ロマンスカー
こんにちは。週明け月曜日如何お過ごしですか。
昨晩、21時55分頃、川崎市麻生区上麻生の、小田急小田原線 新百合ヶ丘〜柿生間の新百合ヶ丘1号踏切にて、箱根湯本発新宿行きの特急ロマンスカーはこね52号が、遮断機を潜り侵入して来たプリウスの車と衝突し、乗用車はロマンスカー車両の7000形LSEの床下に潜り込み大破、7000形LSEも前面スカート等や側面の損傷を受けました。
この事故で乗用車を運転していた、同区66歳の無職女性が、頭等を強打し死亡しました。またロマンスカーの乗客100名と乗員に、怪我はありませんでした。
今回の踏切事故の影響で、新百合ヶ丘〜町田間が運転見合わせになり16日2時7分の運転再開迄、66本が運休し約2万人に影響がでました。
ロマンスカーの乗客は、23時15分頃から、事故現場から約1200m離れた新百合ヶ丘駅迄歩き、新宿方面等の電車に乗り換えました。
神奈川県警麻生署の調べによれば、乗用車は遮断機が下りた踏切に進入し、当該のロマンスカーと衝突したとのことでした。また女性の自宅からは遺書の様なメモも見つかっており、同署は関連を調べております。なお女性は通院で病院通いをしておりました。
本人の切実な事情で自家用車に乗り、遮断機の下りた踏切に突進し死ぬ覚悟はあったと思いますが、最悪の場合ロマンスカーの車両も脱線・横転し乗客・乗員死亡や重傷を負う、可能性もあったので今回の自殺に関しては同情できません。
ただ切実な事情があり、お亡くなりになられたのは残念です。ご冥福をお祈りいたします。
さて小田急ロマンスカーの7000形LSEは、1980年〜1983年に掛けて、4編成44両が製造され初代ロマンスカー3000形SEを、置き換える目的で登場しました。
1981年には鉄道友の会主催の、第24回ブルーリボン賞も受賞した車両でございます。1995年〜1987年に掛けて掲載写真の10000形HISEに準じた、ワインレット基調の塗装に変更されました。(現在は登場時の塗装に戻っております。)
7000形LSEも2010年に7002編成が廃車になり、7001編成も2012年に廃車されました。現在2編成が稼働中ですが、今回7004形LSEの踏切事故の被害状況に寄っては、廃車の可能性もございます。
1980年誕生の3代目ロマンスカー7000形LSEも最も若い車両で、7004編成の1983年製造ですので奇跡の復活を、願い小田急ロマンスカーを利用して行きたいと思います。
またドライバーの皆さんも、踏切での無謀横断はぜひ止めてもらいたいと思います。ドライバーのあなただけでなく、乗客・乗員も巻き添えにし、最悪死亡事故や大怪我を負わせますので。
※ 写真は小田急小田原線を走る、特急はこね号(リニューアル塗装) 開成〜栢山間にて。1999年7月撮影。