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2017年01月31日

父親の誕生日。

今日は父親の誕生日。


今日は一日とても暖かい日だった


最近はようやく実家暮らしにも慣れて


だいぶ病気も良くなってきた


思えば父親の誕生日に、同じ家に一緒にいるというのは


おそらく初めての経験かもしれない


私の父親も母親も、仕事人間だったので


家にもあまりいなかったし


いたとしても


まともに会話をした記憶もないくらいだ


父親と、まともに会話したのは


以前書いた、私が東京に行くときに


「東京での就職の世話をしてやる」


という会話がはじめてだったと思う


学校の休みと親の、休みが重なるなんてことも


夏休みでもない限り、なかった



だから、両親との記憶は夏休みの極わずかな期間しかない


円満な家庭であれば、楽しい思い出も沢山あるのだろうが


あまり記憶にない


そんな状況で生きていた私は



父親になんと朝、声を掛ければよいのか


考えた


無難に、おはようの後におめでとうと言った


父親は恥ずかしいのか照れているのか


誕生日なんてどうでも良い!!と言った


まぁ私が無職であるのも、面白くないのかもしれない


そして、母が買ってきたケーキを夕飯の後に


3人で食べた


昔であれば、祖母を含め6名の家族だったが、今は3人


ほんとに20年問という時の長さを感じる


お互いに、20年間どんな思いで過ごしてきたことなど


わかるはずも無いのに


家族というのは不思議なもので


そんな事はどうでもよい事なんだなと


思った一日だった。


2017年01月25日

親孝行。


親孝行。


今日は、母親を助手席に乗せドライブをした。


「助手席が私でなんか悪いね〜」と、恥ずかしそうに言う母に


今までこういう事が出来なかったんだから良いんだよと


話した。



思えば、私は高校を卒業してから、ほとんど実家には帰らなかったし


多くても一年に、2回ほどで、しかも日帰り、、


仕事が忙しいという事もあったが


過去の記事を見てもらえればわかるが、結婚してからは馬鹿女と暮らしていた為


実家に帰ることすら制限されていたからだ、もちろん馬鹿女は、私の実家などには来るはずもない


特に何か私の両親から嫌がらせをされたとか、そういう事ではなく


ただ馬鹿女が嫌っていただけで、今思い出しても嫌な気持ちになる





私も、そんな馬鹿女と縁が切れて、いまはもう清々しい気持ちである





母親とはドライブをしながら、ポツポツと話す程度だったが


途中で買い物をして、コンビニでコーヒーを買い



車の中で二人で飲んだ、、、



40年以上生きてきたが、とてもホッとする時間だった



もう20年以上も離れて住んでいた私には、田舎といえどもだいぶ様変わりして


新しい道路も沢山出来て、新しくできた店も多いが、だいたい地方にできるチェーン店は


どこも同じだ



昔からある店は、代替わりしていて20代の若者が後を継ぎ、地域の活性化に取り組んでいる



20年は、流石に長い時間であったなと思う


ただ変わらないものもある、匂いだ、最近調子が戻ってきたのか


学生の時に嗅いだ事のある、匂いを感じられるようになってきた



土地それぞれ匂いというのは、変わらないものだなと思う



東京に住んでいた時の匂いは、自由で懐かしい匂いだ



東京駅の臭い


新宿の臭い


渋谷の臭い


一人暮らしの臭い



色々と思いだされるが、東京駅の匂いは今でも変わらないのかな?


東京で暮らしていた時は


休みの日、若かったこともあったし、現場仕事で体力もあったので


自転車で色々と東京の中を巡ったものだ



新宿や渋谷の人混みの中を自転車で走っていると何だか、思い出すと恥ずかしいが


東京にもともと住んでいる人間のような、ちょっと優越感があったのを思い出す。


もちろん電車を使う時もあったが、帰省する時くらいだった。


そして、一軒家風のアパートに帰り、家の前の自転車屋のおじいちゃんに断りを入れ、


自転車に空気を入れるのがいつものパターンだった



東京に住んでいると芸能人は珍しい存在ではなく、地域密着型の企業で働いていると尚更だ


芸能人の家で、仕事をすることも多かったし、気に入られることも多かった



一緒にジムやサウナで汗を流したり、いつも行くお店で立ち話をしたり


普通の存在だった。



顧客の息子や娘が、芸能人になることも多かった



私が住んでいたアパートは当時としては特殊な作りで、二世帯住宅の1階部分のような作りで


大家さんのお店の裏の目の前、雨が降れば大家さんが洗濯物を取り込んだりしてくれる(笑)



そして地域密着型の会社で働いていて、わかったことがある


私にこのアパートを紹介してくれた、不動産屋のおねーさんが


私に大家さんの裏のアパートに住むように仕向けたということだ



仕事の関係で、おねーさんとよく会う機会があり、1年ほどした時教えてくれた


おねーさん曰く、高校を卒業したばかりで仕事も無く学生でもない、バック一つで東京に来た


私がとても心配だったそうだ、まぁ確かに私でも心配に思うだろう


それで、他の物件はあまり見せないで、地元でも有力者である大家さんの、お店の裏のアパートを紹介したそうで


家賃交渉もしてくれて、大家さんに、それとなく色々と伝えていたとのことだった


そして、おねーさんは、ほどなくして不動産屋の店長になった、社長の娘さんだったそうだ



東京の中でも小さな商店街だったが、商店街の中の人達と顔見知りになるのもさほど時間はかからなかった


気が付けばみんな知り合いのようなもので


商店街の祭りにも、若者だったのでよくかり出された


夏祭りや、クリスマスの行事等々



新聞配達をしている苦学生の人達とも、仲間になった


おそらく当時、ラインなどがあれば今でもつながっていたかもしれない人達


東京に住んでいると色々な人達に出合う、生き方も考え方も多様で


ほんとに面白い




そんなことを一瞬、母とドライブしていて思い出した。


人間の生き方は、人それぞれだし、見えない所で助けられていて


今日、親孝行をできたと感じた自分がとても幸せな人間に思えた1日だった。


2017年01月24日

アドラーの心理学、嫌われる勇気 第二話を見て。

また、嫌われる勇気を見てしまったんだが


第二話は、目的論について描かれていた


前回のような不快な部分は少なかったように思う


まぁかなりネットでも、叩かれていたので、もしかすると変更した場所もあったのかもしれないが


目的論についても、かなり丁寧に描かれていたのではないだろうか?


詳しく知りたい方は、目的論で検索すれば説明されていると思うので詳しくは書かないが


結局は、例えば私が、うつ病で家に引きこもっているのも、居心地が良いからであって


これも、目的論になるのかな?


上司に意見しないのも、自分の立場を守ろうとしているからという理由で、意見しない


自分の立場が悪くなってしまうからね、、、これも目的論


そもそも、働いていることも、目的があって働いてるわけで、お金を稼ぐための手段で


目的なく行動している人達なんて、存在しないと思うけどね


そう考えると、そもそも現代社会では、あまり意味のない事のようにすら感じてしまう


それにしても、みんながみんなこのドラマのようになると


今迄の日本的な考え方だと、かなり傷付くと思いますよ(笑)







posted by situgyou40 at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 2017

2017年01月23日

カルピスで働いている方達に感謝です。

カルピスで働いている方達に感謝です。


うつ病でカルピスを飲み始めて、数週間たちますが


ほんとうにカルピスで働いている人達には感謝です。


最初、カルピスを飲み始めたときは、半信半疑でいたが


頭の締め付けも無くなり、多少のネガティブ感はありますが


身体がだいぶ楽になりました


ほんとうに感謝です。


少しだけ意欲も出てきたように思います。


何と言葉にして伝えればよういのかわかりませんが


確実にうつ病が良くなっている実感もあります。


おそらく持続しているので、プラセボ効果とかそういうのではないともいます。


ほんとうにありがとうございます。


2017年01月20日

うつ病でカルピスを飲み始めて数日が経った現在の状況を書こう

うつ病でカルピスを飲み始めて数日が経った現在の状況を書こう


カルピスがうつ病の特効薬として話題になり、数日たつが


身体症状がほぼ消えた、思い込みによる部分もあるかもしれないが


一年以上苦しんた、頭痛が消えたそして、憂鬱感もだいぶ消えた


こんな事なら早くカルピスを飲んでおくべきだったと思う


そして、体調が良いからかもしれないが、顔色もだいぶ良くなり


顔がすっきりしたといわれるほどだ


まぁカルピスの公式サイトですら、うつ病に効くというような記述もあるのだから


あながち嘘ではないのだろう


うつ病で軽度にしろ重度にしろ、飲んでみる価値は十分にあると思う。

2017年01月16日

カルピスを飲むと、うつ病が治るらしい

どうやらカルピスを飲むと、うつ病が治るという話が


話題になっているようだが、腸内細菌を整えて自己免疫能力を高めるというのが


その根拠らしい、そもそもうつ病というのは、治療法や原因がはっきりしない


病気なので、こういう話が出てくるのだろう


癌にしても、癌細胞そのものに、完璧に効く薬や治療方法が無いのと一緒だ


うつ病や癌に効く、特効薬など開発されれば、多くの医者が廃業することになるだろう


うつ病の、原因として考えられるのが、自律神経の乱れとかストレス


どれも目には見えないものだ、人間の感情と同じで目に見えない


そうなれば人は、何か有効な治療方法を探すのは当然の事で


カルピスが効くというのは、もっともらしい細菌という、名のもとに


話題になっているのだろう、でも私もカルピスを買ってきた(笑)


うつ病というのは本当に闇の中で生きているので、なんにでも助けを求めたいからだ


早く治して、昔のように元気に活動したい一心で、、、


それにとても手に入りやすい商品だから

2017年01月14日

はじめての外食

今日は、うつ病になってから初めて、外食に行った。


うつ病になってからというもの、外で食事をするといえば


コンビニで買った弁当を、車の中で一人で食べるくらいで


それでも、人の目が気になったりビクビクしながら食べていたが


今日はとても気分が良く


うつ病になって、一年も経ってしまったが


回転すしで、外食する事が出来た


これは、私にとってはとても素晴らしい事で


かなり前向きな一歩!!馬鹿だと思われるかもしれないが


ほんとうに、生きてて良かった!!という感じだった


こんなんだから当然働くことも出来ないし、外に出て運動なんてのも出来ない


でもコンビニなどで買い物は出来ていた


外食しているとなんだか自分が、社会の中に少しではあるが組み込まれたような気がして


少しだけ大人になったような変な気分に襲われたが、最後まで楽しく食事をする事が出来た。


もちろん一人ではない、親と一緒だ、若いころは、親と外食するというのはなんだか少し恥ずかしかったが


恥ずかしい気持ちは40代という年齢なので、遠い昔に置いてきたようだった


それよりもむしろ、親孝行が出来ているかもしれないという、気持ちの方が強かったと思う。


思えば、私が東京に住んでいた、20年ほど前が両親と外食をした最後だったと


笑いながら話した。


20年というとなんだかとても大昔のように感じるし、そうでもない感じもする


私が大学に行っていれば、働き始めた年齢はせいぜい、10数年前なわけで


10数年といえば、そんなに昔でもない、


私の場合は、23年くらいかな?高校卒業からよくここまで働き詰めの毎日なのに


身体を壊さなかったものだ、今は壊れてしまったが、しょうがないとすら感じる


私の中にも、病気なので、もう長くは生きられないという確信じみた気持ちがあったからなのか


両親からの外食の誘いに、快く応じられた。


なんだろう、ほんとに今日は気分が良い、何でもできそうな気がする


散歩どころか、走ることも出来そうだ


掃除も出来そう


旅行も


全て


posted by situgyou40 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 2017

2017年01月13日

うつ病がアドラーの心理学のドラマを見て



うつ病がアドラーの心理学のドラマを見て


昨日の夜は久しぶりに、ドラマを見た


嫌われる勇気


アドラーの心理学を題材にしたドラマなのだが


そもそも、アドラーの心理学を何の説明も無しに紹介して


さもその方が良いという、ドラマの構成には疑問を感じる


私も、心理学を色々と勉強しているから言える事だが


アドラーの意図と注意事項くらいは最初に説明するべきだと思う


アドラーの心理学でググれば、間違った使い方による、その危険性がわかると思う


それに、アドラーはそんな、子どもが泣き叫ぶ目の前でショートケーキなど食べないであろう


ことは、彼の生き方を理解していれば、わかるだろう


そういう説明もなく、アドラーを引き合いに出すというのは、とても不快だしアドラーが言いたい事ではないと感じる


もしかしたら、最後までこのドラマを見たら理解できるのだろうか?


いや、アドラーに嫌悪感を抱いた人達はもう見ないだろう


実際に、アドラーの真意を理解せずに、実践した人達の中には、悲惨な目に合っている人達も多いのだ


アドラーは、私はとても優しい人物だと思うし、実際にそれを実践してきた人物だと理解している


どうしても、心理学とかそういうたぐいのものは、正しく理解しないと、自己中心的な人物に見られがちである


でも、正しく理解していれば、そのような事にもならないし、自分自身の人生を豊かなものにする物だと思う


そこで、現在、私のような、うつ病の人が、アドラーの心理学の「嫌われる勇気」を見た場合、とても危険な事が起こる可能性がある


アドラー自身も言っているように、アドラー自信が考えた物であり、精神が不安定な場合は必ずしも有効ではないという事も言っている


あのドラマをうのみにすれば、極めて自己中心的で他人を傷付けることになるだろう


自分に嘘をつかないというのは、良いかもしれないが


泣き叫ぶ子供の前で、ショートケーキを食べるシーンは、不快な人間でも良いという、捉え方をされるのは簡単に想像できる


もっと言えば、自分が良ければ周りの人間が不幸になっても良いと、理解すると思う


思うというのは、精神が安定していれば思わない事だが


精神が不安定であれば、そう思ってしまうと思う。


極論を言えば、自分さえよければ殺人まで犯すであろう


ドラマの中で「対人関係の悩みが全て」というが、目の前の物を食べるか食べないかも、自分と自分の対人関係の中の葛藤なのである


アドラーの考えで言えばだが


よく、


自分が幸せであれば良い


という言葉があるが、その中には色々な意味合いや、簡単に言えば人生の重みがある、


けして自己中心的になれというのではなく、自己愛を高めろという事である


そういう部分の説明もなく、誰でも視聴できる公共の電波にのせて放送するというのは


極めて危険と私は思う。


2017年01月08日

穏やかな一日

穏やかな一日


今日はなんだかとても穏やかな一日だった


昨夜は、病気の事をインターネットで調べほとんど寝ていないのだが


寝不足でハイな状態だったのかもしれない


思えば、寝不足でハイになるなんていう事は


うつ病になってからは、なかったかもしれない


不眠症の時は、目はギンギンで眠くはないが


元気という事はなかった、眠くないのに眠りたい


変な感じで、徐々に精神も壊れていったのだと思う


でも、今日は昔、働いていた時に感じたことのある


徹夜明けだけど、何だか爽快感のある感じで、とても気分が良い


今日は日曜日で、あまり外には出たく無かったのだが


どうしても、車でドライブしたくて、久しぶりに日曜日にドライブした


結論から言うと、平日とあまり変わりがなかった


平日は働いていて今日は休みだから、こんな時間に買い物に来たんだよ


という気持ちで


コンビニに入っても、いつもと何も変わらず


な〜んだ、、、という気持ちで、ドライブして駐車場に車を止めると


車の横を、真新しいスーツに身を包んだ若者たちが、通り過ぎていった


私の田舎では、今日が成人式の日なのである


田舎だからかな?(笑)


成人式の後は飲み会かな?


成人式に出たことも無いのにそんなことを、私は思っていた


私の成人式は、もう20年以上前で、高校卒業後、東京で働いていた


当時は、建設現場で働いていて1月といえば、新入生が入るアパートの建設の最終段階で


仕上げ作業などにも忙しく、寒い中泥だらけになりながら働いていた。。


休む暇などなかったし、成人式だから休みたいという事の言える雰囲気でもなかった


まぁでも、私が休みたいといえば、どんなに忙しくても社長は休みをくれたと思う


そんな私に気を使ってか、その日は社長が昼食をご馳走してくれた


ご馳走してくれたといっても、外食とかではなく、お弁当だが(笑)


そして、社長が屋根の上で食べよう!!今日はお前の成人式だろう!!記念になるだろうと


笑顔で言うので、完成間近の4階建てのアパートの屋根の上で、社長と二人で、昼食を食べた


目の前には、確か川を挟んで競艇場があり、とても見晴らしがよくて


真っ青な空、そして、川の流れもゆっくりで、とても穏やかな日だったと思う。


20代前後というと働いている人達ばかりではなく、東京だと尚更、同じ年代の学生が目につき


何とも言えない気持ちになったのを覚えている


私は、高校を卒業してから東京で暮らし建設現場で働いていた


どうして、東京の建設現場で働いていたかといえば


高校卒業後、アルバイトで貯めた20万円とバック一つで東京へ行く為に


家を飛び出したからだ、もちろん親の反対もあった


普段あまりしゃべらない父親に、東京での就職先を紹介してやると言われた


だがそんな父親が私は大嫌いで、断った


親のコネで、その会社に入っていれば今頃は、贅沢な暮らしをしていただろう


そして、新幹線に乗り東京駅で降りた


あっという間だった


今考えると、この時の両親の気持ちは、とても辛いものだったと思う。


私なら、心配過ぎて後を付けたかもしれないな。。


当時は、平野ノラが持っている携帯電話位しかないし、所持していた人なんて見たことも無いw


東京に付き、当然何の当てもないがとりあえず新宿へ向かった


そしてそこから、西武新宿線にのり適当な駅で降りた


駅前の不動産屋に入ると、人の多さに驚いた


田舎だと、不動産屋というと、なんていうか客なんてほとんどいなくて


近所のおやじたちのたまり場みたいなイメージだったからだ(笑)


まぁ新宿に付いたときに人の多さに、何の疑いも無く


今日は、お祭りなんだな、と思ったくらいだから、、、


そして


担当した不動産屋のおねーさんが、とても親切で、何も知らない私に


学校にこれから通うために勉強中です!!


て、大家さんに言うんだよとアドバイスしてくれ


無事に商店街の裏通りにあるアパートを借りる事が出来た、ただ、、、


目の前が大家さんがやっているお店の裏だったので、噓がばれるんじゃないかと、ちょっと不安だったが、、


でも、のちのち、不動産屋のおねーさんと、大家さんには


私が東京で暮らしているあいだじゅう、大変お世話になることになる


即日入居し、その日からもう、東京暮らしが始まった


今思えば、私にはとても広い部屋だった2Kで風呂も広く、機能も豊富だった


浴室乾燥機やウオッシュレットもあり、、エアコンもその日のうちに新品に交換してくれたし


なぜか、暖房器具まで用意してくれて、一階で通りに面していたので、大家さん夫婦が、一週間くらいかけて


外から丸見えにならないようにベランダの手すりの隙間に、細工までしてくれたw


そんな部屋の片隅に、黒いバックと高校を卒業して家を飛び出してきたばかりの自分


家具も家電製品も、テーブルも↑に書いたもの以外は何もない、、、


でも、すぐに家具や家電がそろう事になる、今考えてもすごい出来事だった


その日の夕方、玄関のチャイムが鳴った、なんと大家さんが、餃子とご飯を持ってきてくれた


食堂を経営していた大家さんが、心配くれたんだと思う


だって、ほんとに若かったからね(笑)


そして、その日から、度々大家さんから、食べ物をご馳走になる事になる(^^;


夜になりまたチャイムが鳴る、不動産屋のおねーさんが心配して見に来てくれて


毛布の差し入れをしてくれた( ;∀;)


一夜明けて、商店街をふらふらしていると、ある会社の自動ドアに、社員募集中!!


という、手書きの紙を見た、これだ!!!と思った。


どんな会社かも知らないのに(笑)


そして、そのままその会社に入り、社長がいないから夕方に来てくださいというので


一応、履歴書を書いて、写真も張らずに、普段着で5時頃に再度行くと


成人の日に、アパートの屋根の上で一緒にご飯を食べた、社長と初めて会う事になる


ほとんど何も聞かれなかったが、お給料はいくらほしい?と聞かれ16万くらいはほしいですと答えると


それじゃ生活できないと、大爆笑されて、正確には忘れたが20万円以上で雇われることになり


そして一週間後から、その会社で働く事になる、アパートから歩いてわずか30秒の距離の会社で、、


若さって怖いと思う(笑)


そしてなんと、エアコンを取り付けに来てくれた人が、私の直属の上司となる


あっこのあいだ会いましたよね?!ていう感じで、、、、(笑)


田舎で暮らしていたから、東京でも窓全開で生活していたら、大家さんが目隠ししてくれていたけど


当然家の中が丸見えで、何もない部屋を見て、大家さんが勉強するのにテーブルぐらい必要だろう!!と、コタツをくれて


ちょっと心が痛んだが、息子が使ってたという、イスとテーブルまでくれた。。


会社では中古だったけど洗濯機とテレビなど家電製品を一気にもらい、、、


一カ月もたたないうちに、仕事ばかりか全てそろってしまった


当然、大家さんには、勉強中の学生というのはばれたが


笑って許してくれた(笑)


そして、玄関を出た目の前の、自転車屋のおじいちゃんから中古だけど自転車まで貰い


東京での移動手段は、自転車中心になり、新宿だろうが渋谷だろうがすべて自転車で行った(笑)










東京の人は冷たいというけれど、そんなのは場所によると思う。


私が東京で出会った人達はみんな、心が温かい人達ばかりでした






今思い返すと、よくやったと思う、希望に満ち溢れていた、何も怖くなかったな




せっかくなのでまた暇な時に続きを書こうと思う、つづく

2017年01月07日

神社。後厄。2017。

神社。後厄。2017。

今年は、新年早々、神社にお参りに行った。


お守りも買った、神社では買ったという表現はおかしいのかな?


何だか、本当に去年はひどい目に合って、本当に苦しかった


ただその分、逆に今がとても幸せな気がする


正直あまり実家には、帰ってきたくはなかった


でも、結婚生活に比べれば、天国だし


両親も心配してくれているようで、少し安心した


災い転じて福となす


という言葉がぴったりだと思う


40代で無職というと、世間には冷たい目で見る人達がいるが


それはたぶん、本当に苦しんだことが無い人がする事なのだろう


ある意味幸せで、羨ましいが


そんな人間に、いくら冷たくされたりしても、どうでもよくなった


そんな人間と話していても、重みのある真実味のある言葉など聞けないし


偽りのある言葉など、見抜けるようになったから。。


そいういえば、以前書いた人生設計の中で自分なら



後厄には、癌とかぶっこむかもしれない!!



と書いたのだが、まぁあながち間違っていなかったかもしれない


先日、病院に行き検査したのだが


正直、癌どころではないかもしれないので


精密検査の結果がでたら書こうと思う。


まぁ長年の間、結婚生活の中で奴隷のように働いて、病院に行くにも、簡単にはお金など貰えなかったので


痛い所や、不安なところがあっても、行かなかったので悪化してしまったのかもしれない


親に勧められ総合病院に行った結果、わかった事なので


親には、本当に感謝だが、親を悲しませる結果にならないように祈るだけである


何の映画かドラマか忘れたが、田中邦衛が、長年過酷な労働で、まじめに働いていて、血便が出て


どうすればいいのかわからずに、献血か何かで外にいた医者に相談して


大病だとわかり、最後は幸せそうな笑顔で、どこかに救急車で運ばれて、死ぬというのを見た時があるが


まさに、そんな心境である、、


後悔するのはあまり好きではないが、結婚などせずに、今まで稼いでいたお金で


両親を旅行に連れて行ったり、何か買ったり、両親や兄弟の為にお金を使いたかった


そして、そばにいれば良かったと思う


でも、こんな状態になってしまったが、両親が生きていて、今現在一緒に生活できているので


私は、かなり幸せなほうなのだと思う。



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