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白石様堀のなごり(白岡市) [2024/02/27 21:20]
新井白石ゆかりの堀跡を訪ねました。 <白石様堀>はくせきさまぼり ■ 現地訪問 ■ この日の探索のスタートはJR新白岡駅 <新白岡駅西口> 駅の東側はニュータウンとなっています。今回の目的地は西側です。 <白石様堀公園>はくせきさまぼりこうえん [白岡市新白岡]7丁目 駅近くの白石様堀公園。新田開発を行った新井白石の功績をたたえて名付けられました。目的地はまだ先ですが、実は白石様堀跡は既にここから始まっています。 <公園内..
暗渠と城跡37 道路沿いの住宅に漂う岩槻城大構のなごり [2024/02/18 22:20]
鎌倉時代以前に築かれたとされる武蔵国の岩槻城は、戦国時代末期には、城だけでなく、城下町の外周も堀や土塁で囲む総構(そうがまえ)の構造となっていました。ここ岩槻では、総構のことを大構(おおがまえ)といいます。今回はその「大構」のなごり(?)ではないかという道路沿いの風景に触れさせて頂きます。 ここは大構の遺構として知られる場所です。都市化にともない、街なかの堀は埋められ土塁もほとんどが取り崩されましたが、ここだけは残っています。 コンクリで固められていますが..
暗渠と城跡36 金沢城の外堀を潜った導水路のなごり [2023/10/28 21:05]
今回は、台地上に築かれた金沢城に水を供給した用水の話です。市内を散策中にこんな光景と出会いました。 <石管と説明板> なんだろう 説明板には、金沢市内を流れる辰巳用水と、石管に関する説明が記されています。少し抜粋させて頂きながらご紹介します(『』内は原文の転記です)。冒頭に『寛永八年四月(一六三一年)に城下から出火、当時水利の便に悪かった金沢城が全焼した』とあり、これが用水を造るきっかけとなったと記されています。この惨事に対し『翌九年に三代藩主前田利常は十キ..
普通の道にしか見えない堀跡(金沢市)暗渠と城跡35 西内惣構のなごり [2023/10/14 22:10]
金沢市内には、藩政時代に造られた用水が、網目のように張りめぐらされています。その一部は、金沢城総構えの堀、つまり城下町防御の役割を兼ねていました。 <西町藪ノ内通>にしちょうやぶのうちどおり ここは交通量の多い国道157号と並行する裏通り。何の変哲もない道ですが、ここにもかつては堀の役割を担った用水がありました。地下に埋設、つまり暗渠化されて地表からは姿を消しましたが、この道そのものが、そのまま用水の流路なのです。 別な言い方をすると、ここが「西内惣構堀」と..
暗渠と城跡34 渋取川と蓮上院土塁(小田原市) [2023/04/30 22:25]
小田原城総構の東側の堀跡と土塁跡の話です。 <蓮上院土塁>れんじょういん すっかり市街地化された小田原市内に残る土塁跡です。豊臣秀吉の小田原攻め(1590年)の際に小田原北条氏が築いた総構の一部で、近くの寺院の名から蓮上院土塁と呼ばれています。小田原城の痕跡は丘陵地帯に数多く残されていますが、街の開発が進む平野部に残された土塁はとても貴重です。 <土塁の窪み> 土塁が凹んでいる場所があります。土塁に何らかの建物を築いた跡かと思いきや、現地説明板によれば..
庭園の池と海をつないでいた水の路(芝離宮)  [2022/06/19 21:50]
今回は芝離宮の敷地外にある水路の話です 水路の側面には昔の石垣が残されています。しっかりと積まれた石垣を活かした上で、コンクリートで補強しているようですね。これは芝離宮に海の水を引き込むための水路の跡です。庭園内の池はいまでこそ真水ですが、かつては江戸湾とつなげることで、潮の満ち引きによる変化を楽しめるようになっていました。 周囲の開発の都合で、芝離宮の池はいまは海から遮断されていますが、かつての「潮入りの池」のための施しが、庭園の外側にこうして残されてい..
水の道のなごり(神田上水跡)暗渠と城跡29 [2021/10/21 22:01]
文京区春日の徳川慶喜屋敷跡へ向かう途中で、自分の歩いている道がそのままかつての水路であることに気付きました。きっかけは通りに設置された説明板です。 <神田上水説明板> 神田上水?ここが? 神田川を通り越し、やや高い場所を歩いている感覚だったので、水の道が通っていることに一瞬戸惑い、よくよく考えて納得しました。水は低い方へ流れるだけ。人の暮らしを支えるために、台地の端を縫うように水路が築かれたわけですね。これなら高い場所にも生活水がいきわたります。 <金..
暗渠となった堀のなごり(法音寺城跡) 暗渠と城跡28  [2021/09/18 20:50]
本来そこにあったものの余韻が漂う。人がそれを感じ取るアンテナはたくさんあるかと思いますが、今回は舗装された道路の表面に感じる城のなごりの話です。訪ねたのは栃木県野木町の法音寺城跡です。 まずは一目瞭然の城のなごりから <土塁> 土塁跡です。手前側が城内で、土塁の向こう側、つまり外側には堀が設けられていました。 <土塁の向こう側> ちょっと分かりにくいですが堀跡です。 つづきまして <法音寺境内の堀跡> こちらは法音寺の境内(裏手)の竹林..
まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門(お勧め本) [2021/04/27 22:50]
<細長い児童公園> 今回はお勧め本のご紹介です。その名も「まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門」 2021年4月27日発売 著者:吉村生 著者:高山英男 まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門 [ 吉村 生 ] まぁ内容そのものはタイトルのままですね。ただ「水路の上」には水面があるだけと思っている方に、ちょっとだけ補足させて頂きます。 <水路> この本で言うところの水路とはこういう道のことです。 <橋の跡> 進んで行くと橋の..
赤坂の谷底で川跡を探す(太刀洗川) [2020/10/18 22:10]
今回の主役は太刀洗川 血の付いた刀を洗った川 ? そんな想像をしてしまうインパクトのある名です。その川は赤坂を流れていたと知り、現地を訪問してみました。では早速。こちらです。 <太刀洗川>たちあらいがわ なにこれ? はい。また暗渠です。この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川という意味でご理解下さい(毎回同じ)。言い方を変えると、地下に埋設されて姿は見えないけれど、川ということになります。 <高橋是清翁記念公園> ..
暗渠と城跡27 そこにあったもののなごり [2020/09/08 22:30]
今回は、城跡好きがなぜか暗渠に魅かれる理由(の一つ)をご紹介できればと思い、二つの画像を用意しました。 <護岸の跡> このコンクリの道はもともと水路でした。道の隅(左手)に残っているのは護岸の跡です。暗渠化工事の際に、構造上の理由から護岸はそのままにして水路が埋められため、こうして跡が残っています。 <見附跡> 川の側面に昔の石垣が残されています。かなり高い位置まで積まれていますね。これは江戸城の城門の跡です。痕跡からして『桝形門』という立派な構造だっ..
用水路の暗渠と雨乞いの石碑(旧浦和市) [2020/09/06 21:48]
今回は川沿いをウォーキング中に見つけた石碑の話です。 <石碑> これはなんの石碑だろう? なるほど ちょっと冒頭を抜粋させて頂きます 『この碑は、かつてこの地域が農業盛んであった時代のもので、水の恵みを預かる様、雨乞い祈願したものと云い伝えられてきました』 雨乞い祈願 の石碑だったのですね いまではそんな雰囲気は漂いませんが、この付近は江戸時代の半ば頃までは低湿地、その後は水路の整備で沼地の水が抜かれ、水田へと姿を変えました。これに..
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