2021年11月23日

2021年(令和3年)丑年の米沢詣で 

新型コロナウイルスの新規感染者数が激減した2021年11月初旬、毎年恒例にしている米沢へ訪問してきました。といっても日帰りです。

<米沢駅構内>
Yonezawagyu.JPG
あら、牛さんの場所が違うな

いも米沢駅のホームで出迎えてくれる米沢牛が、改札付近に引っ越していました。しかもマスクをしています。

<2020年11月撮影>
2020-Yonezawagyu.JPG
もともとはこの場所でした。『つばさ』を下車して米沢で最初に会うのがこの牛さん。いつもそのパターンでした。

あまり意識していませんでしたが、今回ブログにまとめるにあたって改めてよく見ると、米沢牛の幟には『米沢牛銘柄推進協議会』と記されています。漠然と観光協会のような団体が設置していると思っていましたが、ちょっと違うようです。米沢周辺の牛が全て米沢牛を名乗れるわけではなく、飼育に一定の要件を満たした上で、この協議会が認定した黒毛和牛だけが米沢牛とされています。味そのものだけでなく、こういった厳密さの裏付けがあるからこそ、三大和牛の一つに数えられるのですね。

<米沢牛>
Yonezawa-Station2021.JPG
後ろ姿も立派

ちなみに
三大和牛というのは定義がやや曖昧で、米沢牛と神戸牛(兵庫県)・松阪牛(三重県)・近江牛(滋賀県)の4銘柄が、各々で三大和牛を名乗っているとのこと。どれも名の知れた銘柄ですし、四大和牛とした方がすっきりしますね(事情も察しないで適当に言っています)。


さてさて
それではいつもの場所へ

<米沢城本丸跡>
2021-autumn-Yonezawa-castle.JPG
毎年来ているので、活動的に観て回るというわけでもなく、休養のつもりで訪問しました。

コロナの影響で何かと行動が制約され、気分や体調が優れないという方、結構多いのではないでしょうか。災難が直接降りかからなかった人でも、漠然とした不安にいつも晒されていたら、知らず知らずのうちに本来の調子が出なくなっていることもありますよね。

そんな自分をちょっとリセットしたい。読書でも映画鑑賞でもなんでも良いのですが、外出自粛がある程度は許されるようになったいま、日常とは異なる場所へ移動してしまうという方法もあるような気がします(もちろん人によります)。温泉旅行やグルメ旅行、あるいは久しぶりに故郷を訪ねるとか、リセットできる環境は人により異なりますね。私の場合、それがここ米沢というだけです。

<謙信公御堂跡>
2021-autumn-Yonezawajo.JPG
米沢城下を見下ろせる場所。かつて上杉謙信の遺骸を納めた御堂があった場所です。

<語り継がれる人たち>
Yonezawa202111-Yozan.JPG
Yonezawa202111-Uesugi.JPG
Yonezawa202111-Kanetsugu-kagekatsu.JPG
厳しい環境下で必死に生き抜いた偉人たちゆかりの地。人が長く語り継ぐには訳があり、それを感じるためだけに今年も足を運びました。


今年は昨年以上にコロナウイルスに起因するストレスが蓄積される一年だったのではないでしょうか。夏頃の爆発的な感染拡大と比較すると、もう第6波は来ないで、このまま収束するのではないかという期待も膨らみます。しかし、なぜ新型コロナの新規感染者数が激減したのかさえ明確になっていません。引き続き一定の緊張を保ち、その時を待ちたいと思います。

<米沢駅>
Yonezawa-station-building-2021.JPG
また来ますよ

<米沢牛>
Yonezawa-station-building-cow.JPG
次回はマスクが外されてますように!

令和3年(丑年)11月


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2021年06月05日

土塁とフセギ(東松山市)高坂館跡

土塁目当てに訪れた城跡でこんな光景と出会いました。

<堀切りとフセギ>
Fusegi.JPG

左手奥に土塁が見えています。そして斜面に刻まれた堀切り。右手前になにやらお札が掲げられていますね

<札のアップ>
Fusegi-Takasaka.JPG
フセギ?でしょうか

フセギとは、疫病や悪霊などの侵入を防ぐために、村堺などに縄を張ったり、札を掲げたりする習慣のこと。『道切り』または『辻切り』などとも呼ばれます。

at-village-boundaries.JPG
ここは低地に面した台地の斜面です。右手の道路の向こう側は低湿地になっています。まさに村境と思いたくなる場所ではありますが、これはそのたぐいと受け止めて良いのでしょうかね

場所は高坂の高済寺さんの裏手になります。私は城跡(高坂館跡)として訪問したため、境内の土塁を眺めたあと、低地との高低差を味わうべく北側の斜面に回り込みました。お札をみつけたのは偶然です。

ここ東松山市には、フセギ(防ぎ)の習慣が受け継がれている場所がいくつか存在しています。ネット検索すると、市内のフセギ行事が『望月』『西本宿』『後本宿』『悪戸』といった地区こどに紹介されています(他にもあります)。ただ、調べ方が下手なせいか、高済寺さんの裏手のお札がどの地区のフセギ行事に含まれるのか分かりませんでした。あるいは、集落の出入り口に掲げる一般的なフセギとは、別な意味のものなのかもしれません。このあたり、曖昧で恐縮です。

ただ、ここを境界と定め、いわば結界の類をはっていることに変わりはありませんね。

Barrier-Border.JPG

内と外との間に隔たりを設け、侵入を防ぐ。そという意味では、土塁や堀も同じです。どちらも人の切実な思いが込められています。その両方を感じる光景でした。

■訪問:高済寺
 (高坂館跡)
[埼玉県東松山市高坂]834

■参考:
東松山市ホームページ
→東松山市の指定文化財
(その一部を追記欄で紹介)



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---------■ 追 記 ■---------
フセギは疫病や悪霊などの悪いものが、地区に入るのを防ぐための民俗行事です。高済寺さんを訪問した日、東松山市内の別な場所でフセギを見つけました。

Fusegi-Along-the -street.JPG
道路沿いの電信柱に備え付けられています。

Fusegi-at-the-park.JPG
こちらにも。これは公園入口です。

私がみつけたのは比較的簡易的なものです。行事のメインとなる所には、藁で作った立派なフセギが掲げられています。ご興味のある方は東松山市のホームページを参照下さい。勝手に画像を拝借するわけにもいきませんので、下記にページの一部を記しておきます。

後本宿のフセギ行事
http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/shougaigakushuubu/bunkazai/menu/shitei_bunkazai/1621836175286.html

タグ:道切り
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2021年05月16日

コロナ禍の『旅の日』2021年5月16日

本日5月16日は旅の日。1689年5月16日、松尾芭蕉が河合曾良とともに旅立った日です。日本旅のペンクラブにより1988年に制定されたそうです。

<芭蕉と曾良>
yamagataenotabi10B (1).jpg
こちらは山形県の山寺で撮影した師弟の画像。5月に旅立った二人がこの地を訪れたのは7月でした。閑さや岩にしみ入る蝉の声。その季節らしい句ですね。

せっかくの『旅の日』ですが、ちょっと身動きがとれない状態が続いています。2020年の春先から既にくすぶり始めていた新型コロナウィルスは、最初の緊急事態宣言を経て一旦は小康状態となりましたが、その後は感染拡大が続いています。第3派と呼ばれる状態のまま2021年を迎えて、現在は第4波の真っ最中です。緊急事態宣言の対象は、本日から9都道府県に拡大。そして、まん延防止等重点措置の適用対象も3県を加えて10県となります。

旅どころではありませんね

延期になっていたオリンピック・パラリンピックも7月には開催されるとのこと。世間ではいろんな意見が飛び交っていますが、まずは自分が出来るこをするしかありません。このさき数ヶ月のことはわかりませんが、来年の『旅の日』には、皆がなんら気がねなく旅に出られるようになっていることを祈ります。

yamagataenotabi8.JPG
岩にしみ入る蝉の声

2021年5月16日
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2021年04月04日

村境の道切り 上尾市のフセギ(川の大じめ)

今回は上尾市の道切りのお話です。

道切りとは、疫病や悪霊が村に侵入するのを防ぐために、いわば結界をはるようなものですね。かつては日本各地で行われていた習慣のようですが、最近ではあまり見聞きすることがありません。以下は上尾市に道切りの習慣が伝承されている場所があると聞き及び、訪ねた時の記録です。

<道切り>
Kawa-Fusegi-Michikiri.jpg
かなり重厚な縄が張られています。こちらではフセギと呼ばれているようです。

<草鞋>
Big-Shoes.jpg
馬のわらじと呼ばれる大きな草鞋がつるされています。いろんな解釈があろうかと思いますが、私は「この村にはこんな草鞋を履く大男がいるんだぞ!」という威嚇のようなものと受け止めています。

上尾市教育委員会のホームページによれば『県東部に分布する蛇縄を掛ける行事と、県西部で行われる村境に草履を掛ける行事が知られていますが、川の大じめ行事は、形式的にも位置的にも中間に位置し、フセギ行事全体を考える上でも重要なものです。』とのこと。道切りの方法は地域によって異なりますが、ここ上尾市の道切りは、県内の東西それぞれの特徴が取り入れられたいわばハイブリットな形式ということですね。

<川の大じめ>かわのおおじめ
Intangible-Cultural-Heritage-Ageo.jpg
大注連を張るこの地の道切り行事(フセギ行事)は『川の大じめ』と呼ばれ、上尾市の無形民俗文化財に指定されています。

<川>
Address-Display-Kawa.jpg
ここでいう『川』は地名です。

<村境>
Kawa-Village-Entrance-Fusegi.jpg
ここはかつての川村の入口ということになります。

<庚申塔>こうしんとう
God-Stone.jpg
傍らの庚申塔です。字がよく読めませんでしたが、道しるべも兼ねているようです。ここは古くから人の通り道だったのですね。

<神明神社>しんめいじんじゃ
Shinmei-Shrine-Ageo.jpg
こちらはすぐ近くの神明神社です。旧川村の鎮守です。毎年こちらの神社で注連縄が作られ、かつての村の出入り口に取り付けられるそうです。

<説明板>
Shinmei-Shrine-Kawa.jpg
地元の歴史までよく分かる説明です。もともとあった複数の村が、江戸初期にはひとつに統合されていたようです。神社の説明ですが、すみません、今回は省略させて頂くとして、最後の方にフセギ行事に関する記載がありますので、そのまま転記させて頂きます。
『当地には「川の大じめ」と呼ばれる魔除け行事がある。毎年五月十五日に大きな注連縄を作り、西方の今泉との村境まで運び常設の柱に下げ、村の悪霊災難除けとして祀る行事で、上尾市指定民俗文化となっている』とのこと。

昔はいま以上に疫病の類が怖れられていたはずです。それらにどう向き合ってきたのか?道切りの習慣を受け継ぐということは、そこに込められた思いも受け継ぐということですね。

Kawa-Michikiri.jpg
姿形も立派ですが、それ以上に貴重なことに思えました。

■訪問
川の大じめ
[埼玉県上尾市大字川]134
神明神社
[埼玉県上尾市川2丁目]3-2

■参考及び出典
・神明神社説明板
・上尾市教育委員会ホームページ
 『川の大じめ』
https://www.city.ageo.lg.jp/site/iinkai/064110110908.html
タグ:道切り
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2021年02月11日

集落の四隅を守る道切り 市川市国府台の辻切り

<国府台の道切り>みちきり
Kohnodai-Michikiri-Snake-Village-Entrance.JPG
悪い病気や悪霊などの侵入を防ぐために、集落の出入り口に縄を張ったり、札を掲げたりする『道切り』という習慣。いまはあまり見かけませんが、かつては日本各地で行われていました。


■国府台の辻切り■こうのだいのつじきり
今回訪問した市川市国府台では『辻切り』と呼ばれています。『斬り』だと物騒ですね。『切り』です。念のため。
<藁の大蛇>
Kohnodai-Village-Entrance.JPG
ここはかつての集落の入り口

Kohnodai-Michikiri-Snake.JPG
ワラで作った大蛇が木に備え付けられています。首には木の札が結びつけられていますね。道切り(辻切り)の方法は地方によって異なりますが、暮らしの場への出入り口に何かしらを設置することは同じ。内と外を遮断するわけですね。

<国府台天満宮>
Kohnodai-Shrine.JPG
国府台の辻切り行事は、毎年1月にこちらの境内で行われます。藁で造り上げた大蛇にお神酒を飲ませ、魂入(たまい)れをしてから木に結びつけるそうです。室町時代から伝わる伝統行事です。

<説明板>
Kohnodai-Michikiri-Note.JPG
ちょっと光の関係で見えにくいですが、天満宮と辻切り行事に関する説明がなされています。まず、こちらの天満宮があの太田道灌により建立されたと伝わると記されています。すぐ近くの里見公園は、道灌の弟が築いた国府台城跡です。説得力がありますね。つづいて『辻切り』について。一部抜粋させて頂きますと『辻切りとは、人畜に危害を与える悪霊や悪疫が部落に侵入するのを防ぐため、部落の四隅の辻を、霊力によって遮断してしまうことから起こった名称です』とのこと。ここでいう『辻』とは境界のことですね。四方の境に大蛇を祀り、その霊力で悪しきものの侵入を防ぐということです。

藁の大蛇は全部で4体。最初にご紹介した大蛇は集落の西(里見公園の西北)にあたります。他の3か所も見てみますかね。

<南側>
Kohnodai-Michikiri-On-branch.JPG
Kohnodai-Michikiri-Tsujikiri-Snake.JPG
こちらは別の場所の大蛇
shirononagori-Satomi-Gargen.JPG
江戸川沿いの道から里見公園へ入ってすぐの場所(公園の南西隅)です。
Shirononagori-Rakan-no-I.JPG
こちらの『羅漢の井』のすぐそばです。


<北側>
Kohnodai-Tsuji.JPG
Kohnodai-Snake-Face.JPG
こちらは天満宮から見て北東に位置する大蛇。天満宮から歩いてすぐの場所です。私の訪問は2月上旬ですので、備え付けられてからまだひと月以内の比較的新しい状態です。

<東側>
Kohnodai--Michikiri-Snake.JPG
Village-Entrance-Last.JPG
こちらは大きな通り(松戸街道)に面しています。これで四体すべて確認できました。


日本では古くから「怪しいものは境界からやってくる」といった考え方が広く浸透していたようで、道切り(辻切り)の習慣に限らず、石仏などが村境に設けられている例をよく目にします。現代とは異なり、暮らしの場から遠くに出かけるという機会は滅多になかったわけですから、日々を脅かすものは外からやってくるという感覚も、何となく解るような気がしますね。道切り(辻切り)という習慣は、日本人の実生活を背景に生まれたわけですから、日本らしさがこもった文化といえます。分かったようなことは言いたくありませんが、国府台への訪問で、それをほんのちょっとだけ感じることはできまた。

ということで
国府台の道切り(辻切り)のご紹介でした。

最後に
今回は国府台天満宮で行われる辻切り行事を実際に見学したことのあるMさんにご案内頂きました。私にとっては、街探索で時々ご一緒させて頂いているお仲間です。地図まで用意頂き、非常に効率的に四体の大蛇を確認することができました。ありがとうございます。同時に、辻切りの保存会の皆様にも感謝申し上げます。とても有意義な訪問となりました。

Kohnodai-Shrine-Tenmangu.JPG

■訪問:国府台天満宮
(大蛇はその周辺)
[千葉県市川市国府台]3-11
タグ:道切り
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2021年01月11日

村境の道切り 清瀬市下宿のフセギ

今回は清瀬市の道切りのお話です。

<清瀬市の道切り>
MichikiriKiyose (2).JPG
ここはかつての村の入り口です

■道切り■みちきり
はやり病や悪霊などが入ってこないように、村の出入り口に縄を張ったり、札を掲げたりする『道切り』という習慣。いまはあまり見かけませんが、かつては日本各地で行われていました。呼び方は場所によって異なり『辻切り』という呼び名もよく耳にします。

■清瀬市下宿のふせぎ■
今回訪問した場所では『ふせぎ』と呼ばれていました。
<ふせぎ>
MichikiriKiyose (7).JPG
ここは清瀬市下宿。二本の大木の間に藁細工の大蛇が掛けられています。

<設置場所>
MichikiriKiyose (8).JPG
この地点がかつての村の内と外の堺ということです。そして、はやり病や悪い霊が侵入せぬよう地元の皆さんが祈願する場所。『ふせぎ』は防ぐからきた呼び名と受け止めました。

<大蛇>
MichikiriKiyose (9).JPG
かなり重厚な藁細工です。丈夫そうな木に掛けてありますが、かなりの重労働と思われます。男手が集まって縄を掛けるのでしょう。

<青面金剛>しょうめんこんごう
MichikiriKiyose (4).JPG
大蛇の注連縄が掛けられている木の横には青面金剛像と思われる塔がひっそりと。庚申塔も災いが入らぬよう村境に建てられていることが多いですね。

<庚申塔と道切り>
MichikiriKiyose (5).JPG
二つ揃うといかにも村境という光景です

<説明板>
MichikiriKiyose (1).JPG
説明板には東京都指定無形民俗文化財(風俗慣習)と記されています。江戸時代の終わり頃からいまに受け継がれているようです。あと地名の下宿ですが、私は『しもじゅく』と読みましたが『したじゅく』と読むようです。

以下は清瀬市のホームページの説明です。一部をそのまま転記させて頂きます
『毎年5月3日午後1時から行われる下宿「ふせぎ」は、清瀬に古くから伝わる伝統行事です。この日、円通寺へ通ずる観音坂にある二本の大木の間に、村に悪い虫や病が入ってくるのを「ふせぐ」ために全長20mほどもある大きなわらの大蛇がかけられます。わらの大蛇は、地域の人々により円通寺の長屋門の下で毎年新しく作り替えられます。』
とのこと。保存会の皆様の尽力で、いまも伝統行事として受け継がれていることも記されていました。私の住む場所では見られない光景。ありがたいです。

MichikiriKiyose (3).JPG
ホームページの画像を見ると、木にかけられたばかりの大蛇は、もう少し顔がはっきりしています。風雪にさらされ、ちょっと形は崩れかけていますが、逆にここでずっと災いを防ぎ続けてきた雄姿に見えなくもありません。このスケールの大蛇はここ一カ所のみですが、かつての村(清戸下宿村)の出入り口14カ所に小さな蛇が取り付けられているそうです。大小関係なく、役割は同じですね。

<円通寺>
sn508kiyose (1).JPG
かつての村の入り口から中へ進むと、説明にあった円通寺が見えてきます。清瀬で最も古いお寺です。

<山門>
sn508kiyose (2).JPG
南北朝時代に開かれたと伝わる真言宗豊山派の古刹

<鐘楼>
sn508kiyose (3).JPG

<本堂>
sn508kiyose (4).JPG
新田義貞の弟(脇屋義助)が鎌倉から持ち帰った観音像所蔵の寺院

<長屋門>
sn508kiyose (5).JPG
藁の大蛇はこちらで毎年新しくものに作り替えられます。本尊だけではなく、この立派な長屋門も清瀬市の文化財に指定されています。

<旧清戸下宿村>
sn508kiyose (6).JPG
のどかな道でありながら、人の暮らしが醸し出す文化が漂います

<柳瀬川>
sn508kiyose2.JPG
こちらは北を流れる柳瀬川です。下宿は水の恩恵を受けることで、古くから人の営みがあった場所です。長い長い歴史のなかで、いつしか『ふせぎ』という文化が村に根付いたわけですね。そして、それがいまでも継承されている。素晴らしいことですね。

ということで
清瀬市の道切りのお話でした。

<観音坂>
MichikiriKiyose (6).JPG
よそ者がお邪魔しました。

■訪問:清瀬市の道切り
(下宿のフセギ)
[東京都清瀬市下宿]

■参考及び出典元
[清瀬市ホームページ]
タグ:道切り
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2021年01月01日

2021年(令和3年)の幕開け さいたま市の道場天満宮にて

今年は丑年ということで、新年を迎えるに当たり天満宮の話でブログをスタートさせて頂きます。

<牛>
shirononagori507 (4).JPG
鳥居脇の牛さん

<道場天満宮>どうじょう
道場天満宮.JPG
ここは埼玉県さいたま市の『道場天満宮』です。かつてこの付近に鎌倉幕府の御家人・畠山重忠の館があったとされる場所です。

<社殿>
shirononagori507 (2).JPG
この地の天満宮の創建年代は不詳ですが、お隣の『金剛寺』境内に古くから祀られていたとされています。

<金剛寺>
shirononagori507 (3).JPG
今回は省略しますが、金剛寺にはこの地を領した重忠にまつわる話が伝わります。

さて
天満宮とは、すなわち菅原道真を祭神とする神社ですね。そして菅原道真といえば学問の神。そこまでは一般的ですが、どうして牛が登場するのかはあまり知られていません。

shirononagori507 (1).JPG

菅原道真と牛?

あまり世間一般に広まらないのは、諸説あってはっきりしないからでしょう。菅原道真が生まれた年?亡くなった年?あるいは道真の遺骸を運んだ牛車にまつわるお話等々。絶対にこうだという理由がないのです。しかし天満宮と言えば牛ということを、皆が当たり前に受け入れている。不確かさを容認しながらご利益とともに受け入れてしまうのが、我々日本人の良さのようにも感じてしまいます。

<撫で牛>なでうし
shirononagori507 (5).JPG
撫でるとご利益があるとされています。皆が撫ぜるからでしょうか?ピカピカの状態です。


新たな歳となりましたが、昨年感染拡大した新型コロナウィルスの影響はまだ続いています。不確かさを受け入れて、その範囲内でどう振舞えば少しでもマシになるのか、考えていくしかありませんね。2021年が、昨年よりは過ごしやすくなったと思える歳でありますように。

2021年1月 元旦

■訪問:道場天満宮
[さいたま市桜区道場]


畠山重忠の館跡として訪問した記録は以下になります。拙い内容ですが、良かったら覗いてみて下さい

■道場館跡■
shirononagori300 (1).jpg
→『記事へすすむ



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2020年12月31日

道切りに込められた思い(蓮田市)伊豆島の大蛇

日本に古くからある「道切り(みちきり)」という習慣をご存じでしょうか?はやり病や悪霊などが入ってこないように、村の出入り口に縄を張ったり、札を掲げたりする習慣です。「辻切り」などとも呼ばれます。適切な解釈かどうかわかりませんが、いわば『結界をはる』のと同じと思われます。

数年前の話になりますが、この『道切り』の習慣をいまに受け継いでいるところがあると聞き、埼玉県蓮田市に足を運んだことがあります。以下はその時に撮影した画像です。

<蓮田の道切り>みちきり
michikiri (hasuda).jpg
ここは蓮田市黒浜。道切りにもいろんな方法がありますが、黒浜では藁細工の大蛇が設けられています。この地点が内と外の堺ということですね。

<伊豆島の大蛇>いずしまのだいじゃ
michikiri (kurohama)2.jpg
蓮田市のホームページの説明をそのまま使用させて頂きますと『民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事』です。市の指定無形民俗文化財となっています。設置の方法ですが『注連縄と同じ「左巻き」に撚って作られています。藁で全長約2メートルに作り上げられた大蛇は、「破竹(はちく)」と呼ばれる竹に刺し、現在は3ヶ所に立てられています』とのこと。受け継がれた作法があるわけですね。

<別な場所>
michikiri (kurohama)3.jpg
別の場で撮影。出入りできるところは一つではありませんからね。

この付近で写真を撮っていたら、地元の男性に声を掛けて頂きました。お話を伺うと、毎年5月初旬に新しいものに付け代わるとのこと。私の訪問はその直前でした。1年間で最も疲れた状態の大蛇を撮影したことになります。


<付近の様子>
michikiri-motoarakawa.jpg
ここは元荒川沿い(左岸)

<久伊豆神社>ひさいずじじゃ
michikiri (kurohamahisaizu).jpg
こちらは黒浜の久伊豆神社です。元荒川流域を中心に分布している神社です。奥の本殿は蓮田市指定文化財に指定されています。

<村社>
kurohamahisaizu.jpg
鳥居隣の石碑には『村社』の文字。 かつての黒浜村の村社ということですね。

<説明板>
kurohamahisaizu5.jpg
こちらの説明板によれば『室町時代の享禄年間(1528年〜1532年)に騎西町の玉敷神社より』勧請したことが起源とのこと。つまり、ここ黒浜はそんな古くから人が暮らしていた場所ということ。その営みのなかで、いつしか『道切り』の習慣が定着したのですね。


医学がいまほど発達していなかった頃、疫病の蔓延は地震や火事以上に怖れられていたかもしれません。病そのものは目に見えませんからね。薬は勿論、感染への対策もいまほど確立されていません。一人の発症から始まり、村が全滅することだってあり得ます。

そんな災いが、自分たちの暮らしの場に入り込みませんように

道切りの習慣には、はやり病に日本人がどう向き合ってきたがかえまみえる気がします。災いが入り込むことを防ぐため、皆が力を合わせて村の堺に道切りを設け、願いを込めた。蓮田市黒沢への訪問で、古くから今日まで繋いできたそんな思いをちょっとだけ感じることができまた。

michikiri (kurohama).jpg

2020年は新型コロナウイルスに翻弄される一年でした。むかしの人たちが道切りに込めた願い。そして行動。我々が今まさに大切にしなくてはいけないことなのかもしれません。

2020年12年31日

■訪問:蓮田市の道切り
(伊豆島の大蛇)
[埼玉県蓮田市大字黒浜]
■参考及び出典元
[蓮田市ホームページ]
タグ:道切り
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