2017年02月24日

暗渠と城跡2 世田谷城のなごり

暗渠と城跡

都内にもあるつわものどもが夢の跡。暗渠をからめた楽しみ方、二つ目の例として世田谷城跡烏山川緑道をご紹介します。

■世田谷城■
<世田谷城跡>
BL setagaya1.jpg
城址公園として整備されています

<遺構>
BL setagaya6.jpg

BL setagaya5.jpg

<現地説明板>
BL setagaya2.jpg
空堀あり、土塁あり、、、ですね。23区内としてはとても貴重な遺構です。城跡好きとしては有難いですね。ただ、ここはもともとの世田谷城のほんの一部に過ぎません。

<豪徳寺>
gotoku (2).jpg
立派ですね。実はここが世田谷城の本丸(主郭)跡です。
gotoku (6).jpg
井伊家の菩提寺です
gotoku (4).jpg

豪徳寺を含め、この辺り一帯が全て城跡ということになります。まぁ城のなごりを一番留めているのは冒頭の世田谷城址公園ということになりますが、例えば豪徳寺の参道付近でも、土塁の痕跡を見ることもできます。

<土塁>
gotoku (8).jpg
参道わきの壁の向こう側になります。一部ですが残っています。

この街の中の城跡、吉良氏による築城とされています。吉良氏といえば足利一門の名門。その居城でした。ただ、と言うかだからなのか、吉良氏はあまりガツガツ感が無く、勢力は徐々に低迷していきます。そして戦国時代末期には小田原の北条氏の配下となっていましたが、秀吉による小田原城征伐の際には特に抗うこともなく、領地は没収されてしまいます。世田谷城はこの時に廃城となりました。

ただ、そのまま没落しないところはさすが名門です。徳川の時代になると、吉良氏は高家として扱われ、旗本になっています。幕府の儀典関連を取りまとめる家となり、やがてその名は上野介が赤穂浪士に討たれることにより、後世の誰もが知る家名となりました。あの、知られ方はともかくもともと名門です。(ちょっとだけフォロー)。

話を世田谷城にもどします。

分類すると山城ということになりますが、現地ではあまり「山」を実感できません。ただまぁ城山通りという名の道もあるし、台地の先端部に立地していることは間違いないようです。

<現地の地図>
BL setagaya3.jpg
北側以外の三方に川(緑の線がそうです)があることが分ります。人の手による堀や土塁以外に、この川も天然堀の役割を果たしていたのでしょう。又は、運搬の手段だったかも知れません。

<現在の烏山川>
BL setagaya10river (2).jpg
天然堀だったかつての川は、地下に埋設されています。いわゆる暗渠(あんきょ)ですね。道になっても、この蛇行が川のなごりを留めています。そして城下橋の文字。この付近、暗渠になる前は橋があったのですね。これも川のなごり。無言の暗渠がいろいろと教えてくれています

微高地に位置し、三方は川だった。
これが世田谷城の地の利ということになりますね。

<烏山川緑道>
BL setagaya10river (3).jpg
とりあえず行ってみる。結果として歩く。これが目標なので、かつては川だった道を散歩してから帰りました。城巡りのあとは暗渠散歩です。

-------■世田谷城■-------
築城年:不明
築城者:吉良氏
城 主:吉良氏
廃城年:1590年
現 状 :豪徳寺・世田谷城址公園
[東京都世田谷区豪徳寺]


【補足】
電車の場合は世田谷線が良いですね。城跡は宮の坂駅 から徒歩5分程度。烏山川緑道を含め、豪徳寺・世田谷城址公園をゆっくりと回る「街歩き」をお勧めします。


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-------追 記-------

■世田谷の川■
城跡の話は終わりにして、ここからはちょっと川の話を。現地で撮影した解説図のアップです。

<世田谷の緑道と河川>
BL setagaya10river (1).jpg
世田谷にもいろんな川があったのですね。全てを訪ねたことはないので分りませんが、烏山川同様、きっと暗渠化が進んでいるのでしょう。呑川(のみかわ)なんていう名もありますね。何となくいい名前です(かなり個人的に)。あ、烏山川と東の方で合流するようです。他に奥沢城付近の九品仏川(くほんぶつがわ)。地表から姿を消しても、きっとそれぞれの川が何かしらのなごりを残しているのだと思います。
そして蛇崩川(じゃくずれがわ)。ここはわざわざ見に行ったことがあります。

<蛇崩川の暗渠の出口>
BL jakuzure.jpg
蛇崩川は世田谷区と目黒区を流れる川なんですが、全域が暗渠化されています。陽の当たる場所といったら、目黒川(手前)と合流する寸前のこの僅かな区間のみ。ありのままの姿からは程遠く、何やら不憫に思うのは私だけでしょうか。ただこちらの思惑とは関係なく、水はたんたんと流れ続けています。

やや長くなりましたが、お読み頂きありがとうございます。

最後に
暗渠についてもっと知りたい方のために、お勧め本を追記しておきます。暗渠をテーマとした本はたくさんありますが、当サイトお勧めは「はじめての暗渠散歩」です。暗渠はマニアックな世界と思われがちですが、この本ならあまり身構える必要はありません。どなたでも気軽に読めるように書かれた一冊です。
はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
本田創/山英男/吉村生/三土たつお


タグ:暗渠と城跡
posted by Isuke at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2017年02月23日

暗渠と城跡1 奥沢城のなごり

■街の中の城巡り■
城跡巡りですが、そういつもいつも遠くまで行ける訳ではありません。普通の会社員です。それなりに忙しく、お小遣いにも上限が・・・。

そこで通勤定期を使って、土日に都内の城跡を訪ね歩いたりしています。「街の中の城跡巡り」ですね。結構歩くことになります。ただ、お医者様からもう少し歩けと言われているので一石二鳥。家でゴロゴロするくらいなら、とりあえず行ってみる。ジム通いもウォーキングも続きませんでしたが、これは沢山歩いても苦になりません。

■世田谷区の城跡■
都内にもある「つわものどもが夢の跡」。その例として、奥沢の城跡を訪ねた時のことを。遺構が豊富に残っている郊外の城跡とは異なり、ちょっとしたコツが要ります。城跡と併せて、今回はその「コツ」のご紹介です。

<奥沢城跡>おくさわじょう
okusawa (1).jpg
土塁跡と推定されているところに石碑があります。ここは東京都世田谷区。いわゆる高級住宅街です。

<九品仏浄真寺>くほんぶつじょうしんじ
okusawa (2).jpg
城跡は現在お寺です。
okusawa (3).jpg
立派ですね。

23区内とは思えない静かな空間。ここ奥沢城は世田谷城を本拠としていた吉良氏により築かれました。いわば世田谷城の支城ですね。吉良氏の家臣の大平氏が守る城でした。

吉良氏ってあの吉良? はい
住宅地で土塁あり? そうです
鷺草伝説の城?     はい  

鷺草伝説、城主の姫様にまつわる悲しくもいい話ですが、長くなるのでまたいつか。


■暗渠と城跡■
さて今回のテーマは、市街地化されたエリアの城跡をいかに楽しむか。あくまで私流の楽しみ方ですが、ヒントになれば嬉しいです。

まず訪問前に、おおまかで良いので城の立地を調べておきます。歴史は後からでも良いので、とりあえず地形。どんな「地の利」があったということですね。

奥沢城に関して、事前に知っておきたいポイントは

城は突き出た台地の上にあり、三方を川や湿地に守られていた

これだけ。もうこれだけで充分です。

突き出た台地・三方が川。郊外の城跡なら、それを実感できますが、奥沢は宅地化され、もうその面影はありません。城跡好きの人は、周辺の環境も含めて楽しむもの。湿地どころか川すら見当たらりません。

それでは中世の城を楽しむ要素が乏しいなぁ……

はい。そうです。ただ、まったく無い訳ではない。湿地は難しいですが「川を感じる」ことはできます。ちょっとした気付きと、強引な想像力が必要になりますが、、、

はい、これがです!
kuhonbutsu5.jpg
九品仏(くほんぶつ)川。別名は丑川といいます。ありましたね!

これ道だろ!!

そうとも言います。

ただ、この姿は川のなごりです。遊歩道として街に溶け込んでいますが、戦国時代以前から続く川の流れです。川は無くなったのではなく、地下に埋設されて地表から消えただけ。ここを上流に遡って行けば、奥沢城跡に辿りつきます。昔の人が、舟で川を遡ったのと同じように。

こういう川の状態を暗渠(あんきょ)と言います。

この暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなります。天然の堀だった川のなごりを感じることは、城のなごりを感じるのと同じ。私はそう思っています。

今回の現地訪問では、まず城跡が周囲より高台になっていることを実感し、暗渠の径路を追うことで城の東側から北側が川だったことも実感できました。知識は後からでも補えますが、この「実感」は現地ならではの楽しみと言えます。

おわり

ちょっと、無理がありますかね・・・?ただ、私は本当にそうやって楽しんでいます。

奥沢城跡は東急大井町線の九品仏駅を降りてたらすぐです。まっすぐ進んでも、高低差を実感することはありません。なぜなら、駅も城跡も、同じ台地の上にあるからです。

それより、城跡周辺を歩き回ってみる。そうすると、低いながら舌状台地になっていることを実感できます。そして暗渠、つまり川ですね。水が集まるということは、周辺でもっとも低い位置という証。このあたりをヒントに、歩き回ることをお勧めします。焦らず、ただのんびりと。

-------■奥沢城■-------
築城年:不明
築城者:吉良頼康
城 主:大平氏(吉良氏家臣)
廃城年:1590年
現 状 :九品仏浄真寺
[東京都世田谷区奥沢]
※九品仏駅近く


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-----再訪問の画像を追加-----
本文にあった暗渠を上流に遡ったら何が待っているのか?別な日に訪問した時の画像を追加します。
<住宅地>
Ankyo&Shiro 1.JPG
九品仏川の暗渠は続いています。右手の方が高くなっていること、伝わりますでしょうか。まぁもうちょっと進んだ方がはっきりします。

<橋の跡>
Ankyo&Shiro 2.JPG
この画像だと、車止めがある歩道が暗渠です。どうやらここにはかつて橋があったようです。橋の名は「しろむかいばし」。城の向かいにある橋といった意味でしょうか。橋も川も、もう姿は見えません。そして城も失われました。それでも残る「城向橋」の文字。こういうの好きですね。

<微高地>
Ankyo&Shiro 3.JPG
右手は奥沢城が築かれた微高地。その北側の先端部分になります。そして手前の木製の道。これもただの道ではなくて暗渠、つまり川ですね。勿論、昔からこんな川幅で行儀よく流れていたわけではありません。もっと蛇行したり、周辺に適当に水を溢れさせながら、一番低い所を流れていたのでしょう。場所によっては、池や沼もあったかもしれません。地図でみると、九品仏川はこの付近から始まっているようです。

<公園>
Ankyo&Shiro 5.JPG
Ankyo&Shiro 4.JPG
かつてはこの付近から水が湧いていたのでしょうか?

<川のゆくえ>
Ankyo&Shiro 6.JPG
更に上流を目指しましたが、この先の車止めで暗渠を見失いました。ただ、暗渠を調べたことで、九品仏川が舌状台地をかすめるように流れていたことは分りました。川の源流までは特定できず。まぁそんな結論ですかね。

<奥沢城の土塁>
Ankyo&Shiro 8.JPG
暗渠ばかり強調しましたが、こちらは城跡の土塁跡です。台地上の城を取り囲むように土塁を設けたようです。

以上、追記でした。

再訪については別途投稿していますので、もし良かった覗いてみて下さい。
→『奥沢の城跡


-----お勧め暗渠本-----
暗渠をテーマとした本が出版されています。当サイトお勧めは「はじめての暗渠散歩」です。マニアックな世界と思われがちですが、この本ならあまり身構える必要はありません。どなたでも気軽に読めるように書かれた一冊です。

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
本田創/山英男/吉村生/三土たつお


タグ:暗渠と城跡
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もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
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