2020年05月03日

加賀藩前田家上屋敷のなごり:赤門(御守殿門)

<赤門>
shirononagori427 (2).jpg
東京大学を象徴する存在ですね。そしてこの敷地が、もともとは前田家の屋敷跡ということも比較的有名なお話。今回はその辺りをもうちょっとだけ詳しくご紹介したいと思います。

■大名の屋敷■
前田家の場合、上屋敷がここ本郷、中屋敷は本駒込、そして下屋敷は板橋に設けられました。屋敷の上中下ですが、位置的に江戸城に近い順で上屋敷・中屋敷・下屋敷と思って良いです(大筋)。大名にも大小ありますので、どの家でも必ず上中下の屋敷があった訳ではありません。今回主役の前田家は、加賀百万石ですからね。これに仕える家臣も沢山いました。一番郊外にある板橋の屋敷は、なんと約21万7千坪もありました。

■赤門■
この門の誕生は江戸時代後期。11代将軍の徳川家斉(いえなり)の娘である溶姫(ようひめ)が、前田家当主の斉泰輿入れするに際し朱色の門が造設されました。

これは大名が将軍家から嫁を迎える際のしきたり、つまり基本ルールだったようです。そのお住まいは御守殿(ごしゅでん)と呼ばれ、出入り口には朱塗りの門が設けられ、御守殿門と呼ばれたそうです。

そういうことなら、他にも赤門がたくさん残っていそうな気もしますよね?

しかし現存するのがここ東京大学の赤門だけのようです。もともとは現在の位置より15メートルほど奥に建っていましたが、1903年(明治36)に大学建設のためいまの位置に移されたそうです。

<御守殿門>ごしゅでんもん
shirononagori427 (1).jpg
当時15歳だった溶姫が、17歳の加賀藩主に嫁いだ時の門です。かつての大名屋敷の貴重な遺構であり、国の重要文化財に指定されています。あくまで東京大学の門ですので、訪問される方は学生の皆さんの迷惑にならないよう見学して下さい。

■訪問
東京大学赤門(御守殿門)
[東京都文京区本郷] 7丁目


お城巡りランキング

posted by Isuke at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2020年04月11日

荏原氏館のなごり

つわものどもが夢の跡
今回は源氏の末裔のとされる豪族の館跡を訪ねた時の記録です。場所は品川区旗の台。東急大井町線の荏原町駅の北側です。

■法蓮寺■ほうれんじ
<荏原氏館跡>えばら
shirononagori421 (4).jpg
館跡の一部と推定されている日蓮宗の法蓮寺です。

shirononagori421 (11).jpg
こちらの寺院は、この地の豪族であった『荏原氏』の館を寺としたのが始まりとされています。

●徳川将軍ゆかりの寺
shirononagori421 (6).jpg
江戸時代の話になりますが、法蓮寺の住職が11代将軍の徳川家斉と相撲を取ったとあります。住職は天下の将軍に手加減はせず、逆に気に入られたそうです。住職の人柄、そして普段の信頼関係があってのことですね。

法蓮寺の境内にいわゆる遺構の類はありません。ただ、隣接する八幡神社が小高い台地となっていると聞き及んでいましたので、そちらへ向かうこととしました。

ということで
何となく高低差を感じながら八幡神社へ
shirononagori421 (7).jpg


■旗岡八幡神社■はたがおかはちまん
shirononagori421 (5).jpg
旗岡八幡神社です。先ほどの法蓮寺を含むこの付近一帯が館跡と推定されています。

shirononagori421 (10).jpg
shirononagori421 (9).jpg
shirononagori421 (1).jpg

●源氏ゆかりの神社
旗岡という呼び名、そして当地の地名である旗の台についてですが、平安時代(1030年)に下総で起きた乱を制圧すべく、源頼信がこの地に陣を張って源氏の白旗を掲げたことに由来します。そして源氏の氏神である八幡神を奉って戦勝を祈願した。これが旗岡八幡神社の発祥とされています。

shirononagori421 (8).jpg
やがて鎌倉時代中期にこの地の領主となった荏原左衛門尉義宗が、八幡神社を建立。いまに至ります。

だいたいこんな感じです

■つわものどもが夢の跡■
shirononagori421 (3).jpg
荏原氏を名乗る地元豪族の館跡を訪ねてみたら、河内源氏の祖である源頼信、それから徳川11代将軍にとってもゆかりの地だった。そうそうたる顔ぶれです。遺構はありませんが雰囲気も良く、訪問した甲斐がありました。

------■荏原氏館■------
別 名:荏原館
築城主:荏原氏
築城年:不明(鎌倉時代)
城 主:荏原氏
廃城年:不明
現 況:法蓮寺・旗岡八幡神社
[東京都品川区旗の台]


お城巡りランキング
posted by Isuke at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2020年03月20日

新井宿城のなごり

つわものどもが夢の跡
前回の『馬込城跡』に引き続き、今回も小田原北条氏家臣・梶原氏によって築かれたと伝わる城跡です。
<新井宿城跡>あらいじゅく
shirononagori416 (10).jpg
低地に面した急斜面

■訪問記■
訪問したのは大田区山王の熊野神社。JR大森駅から徒歩で10程度の距離です。
<熊野神社>
shirononagori416 (4).jpg
shirononagori416 (6).jpg
shirononagori416 (1).jpg
この熊野神社付近が城跡ではないかと推定されています。遺構は無いと聞いていましたので、恒例によって地形を楽しむことにしました。神社は台地上にあり、南側は崖状になっています。

shirononagori416 (9).jpg
shirononagori416 (3).jpg
低地へ向かう斜面。わりと急です。遺構はなくとも、要害性は納得です。

shirononagori416 (11).jpg
階段はありますが、足がデカイ人には不利

だいたいこんな感じですかね

ちなみに
shirononagori416 (2).jpg
斜面を下った先(この画像だと左手)には、戦国末期開創と伝わる善慶寺があります。城跡からやや話がそれますが、善慶寺には江戸時代に村の窮状を将軍に直訴しようとして領主(旗本・木原氏)に処刑された六人衆の墓があることでも知られています。切実な願いは叶いませんでしたが、新井宿義民六人衆として語り継がれています。

<境内社>
shirononagori416 (7).jpg
こちらの稲荷社は、もともとは善慶寺の稲荷堂であったとのこと

城のなごりに話を戻します
北条早雲から始まる北条氏が、既に関東一円を支配していた頃、その家臣である梶原氏がこの付近を治め、今回訪問の大田区山王にも拠点を築いていた。全体をざっくりとまとめるとそんな感じの説明になりますかね。今回訪問した場所は低地に面した山王台地の隅。急な斜面と高低差から、それらしい『地の利』を実感することができました。遺構はありませんが、城跡と推定されるのに相応しい場所だと思います。

つわものどもが夢の跡
shirononagori416 (8).jpg
梶原氏居城跡と伝わる場所は複数ありますが、他は疑わしいとか思わず、一族が分散して拠点を構えていたと受けとめることにします。その方が楽しいですからね

------■新井宿城■------
別 名:梶原城
築城主:梶原氏
築城年:不明(戦国時代)
城 主:梶原氏
廃城年:不明
現 況:山王熊野神社ほか
[東京都大田区山王]


お城巡りランキング

posted by Isuke at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

馬込城のなごり

つわものどもが夢の跡
小田原北条氏の家臣の城跡とされる場所を訪ねました。
<馬込城跡>
shirononagori414 (1).jpg
画像は大田区南馬込の湯殿神社。この付近一帯が小田原北条氏家臣・梶原助五郎(三河守)の所領で、その居城については諸説あるなか、この地も候補とされています。

shirononagori414 (4).jpg
湯殿神社は周囲と比較して一段高い台地上に位置しています。遺構はありませんが、所領を与えられた梶原氏は、この地形を利用して統治の拠点としたのかもしれませんね。

shirononagori414 (2).jpg
shirononagori414 (7).jpg
shirononagori414 (5).jpg

梶原助五郎の主は北条氏直のようなので、時代としては戦国末期といった感じでしょうか。氏直が第5代当主となったのが1580年、豊臣秀吉によって北条氏が滅びるのが1590年ですから、梶原助五郎が馬込村に所領を与えられて居城を構えていたのは、だいたいそのあたりですかね。

shirononagori414 (3).jpg

広範囲に及んだとされる梶原氏の所領も、いまはそのほとんどが都市化の波にのみこまれ、当時の姿を偲ぶことはちょっと難しいです。ただ、高低差に富んだ地形は嘘をつきません。谷地にはかつて沼なども存在したとのこと。現地を実際に訪ね、そういったことを肌で感じられた。それだけで満足です。

<つわものどもが夢の跡>
shirononagori414 (6).jpg
梶原助五郎については、鎌倉幕府の有力な御家人・梶原景時の末裔とする説もあるようですが、無関係とする説もあり、事実は定かではないようです。関東をほぼ制覇した小田原北条氏配下の拠点が、ここ湯殿神社付近にもあった。そして梶原氏を名乗っていた。そう受け止め、探索を終了しました。

------■馬込城■------
別 名:梶原城
築城主:梶原氏
築城年:不明
城 主:梶原助五郎
廃城年:不明
現 況:湯殿神社ほか
[大田区南馬込]5丁目


お城巡りランキング
posted by Isuke at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2020年03月15日

古城に咲き続ける梅の花 赤塚城跡

2020年の春は新型コロナウイルスの影響で各種イベントが中止。そして人が多く集まるようなところへは行かないという空気に包まれています。

SN204aktsukaumematsuri (17).JPG
こちらは2018年の3月に撮影した赤塚城跡の梅林です。約200本もの梅の木が植えられています。ふと思い立って訪問してみたら、たまたまイベントと重なってしまい、人の多さに戸惑いました。

SN204aktsukaumematsuri (4).JPG
年に一度の『赤塚梅まつり』。2020年は3月14日・15日の二日間にわたり開催される予定でした。しかし新型コロナウイルスの影響で中止です。多くの出店や武者行列や鉄砲隊の演武などなど。楽しみにしていた方も多かったでしょう。残念ですね。

ただ、それでも花は咲き誇ります。
今年も来年も、その先もずっと。

SN204aktsukaumematsuri (16).JPG

またいつかお邪魔しますかね

■ご紹介の城:赤塚城
[東京都板橋区赤塚]

当ブログの過去記事
赤塚梅まつり→『記事へすすむ

posted by Isuke at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2019年12月29日

今井城のなごり 赤坂氷川神社

つわものどもが夢の跡
木曽義仲四天王の一人が砦を築いたと伝わる場所を訪ねました。
<現地>
shirononagori395 (5).jpg
こちらが今井四郎が砦を築いたと伝わる場所です。現在は氷川神社となっており、こちらは境内社の鳥居です。

■赤坂氷川神社■ひかわじんじゃ
<現地到着>
shirononagori395a1.jpg
ここですね。私は東側の入口からお邪魔させて頂きました。

<入口付近の説明板>
shirononagori395 (10).jpg
歴史ある神社です
shirononagori395 (8).jpg
なんと見事な!
shirononagori395 (2).jpg
8代将軍吉宗とも関わりのある神社

ちょっと立派すぎて、根拠が不確かなまま砦跡としてご紹介するのも気が引けます。でもせっかく訪問したので、失礼のない程度にご紹介を続けます。東京十社のひとつで、とても有名な神社なのです。

<鳥居付近>
shirononagori395 (6).jpg
shirononagori395 (4).jpg
shirononagori395 (7).jpg
付近には末社が祀られています。冒頭の画像はそのうちの一社・西行稲荷の鳥居でした。ほかもありますが、とりあえず鳥居奥の石段を登った先を引き続きご紹介します。

<境内>
shirononagori395a.jpg
素敵な境内です。結構な広さです。

<楼門>
shirononagori395c.jpg
この門の奥、土塀に囲まれた中がいよいよ社殿です。

<社殿>
shirononagori395 (13).jpg
祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめ)・大己貴命(おおなむちのみこと)です。先の説明板にもありましたが、将軍吉宗が老中の水野忠之に命じて、現在の社殿を建立したとのこと(1729年)。

その時の社殿がいまも受け継がれているのです。とても貴重ですね。そして『安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れました。江戸時代当時のままの姿を残しており、東京都重要文化財に指定をされています。』とのこと[出典:赤坂氷川神社オフィシャルサイト]。それ以前は『浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡』というのも興味深い話です。

<浅野土佐守邸跡の説明板>
shirononagori395 (9).jpg
現在の赤坂四丁目から氷川神社が遷宮される前は、浅野内匠頭夫人の実家の屋敷があったということですね。

<氷川神社のイチョウ>
sn395d.jpg
説明板によれば、この大イチョウは氷川神社がこの地に建立された時には既に樹齢百年を超えていたとのこと。ということは、瑶泉院も見上げたイチョウなのかも知れませんね。いろいろと考えさせられます。

ただ
今井四郎のなごりは特に感じません

■今井兼平の砦?■ いまいかねひら
私はあくまで今井四郎兼平が築いた砦跡として訪問しています。ただ、それも伝承にすぎず、遺構も確かな文献もないそうです。

では何で行くの?

まぁ不確かであっても、自分の中で熱いものがあれば、とりあえず行ってみる。趣味の世界はそれで良いかと。自分にとっての今井四郎は、すなわち平家物語の「木曾殿最期」の世界だけですが、若い時にインパクトを受けたせいか、その勇ましさへの憧れは消えることはありません。

追い詰められ、主に名誉ある自害を促すも敵に討たれてしまいそれも叶わず。最後は自ら太刀を口に含み、馬上から飛び降りて自害。

東国の殿ばら
日本一の剛の者の自害する手本よ


東国の武士どもよ
日本一の剛の者の自害を見よ!


それはともかく
今井四郎兼平は兄の兼光と共に木曽義仲に仕えた武将。あくまでイメージですが、活躍の場は信濃国やその周辺のような気もします。越後や越中には今井四郎が築いたと伝わる城跡があるそうですが武蔵に?必要があったのでしょうか?ちょっと想像できません(私には)。

強いて言うなら、主である義仲は、父が館を構えていた武蔵国の生まれではないかとされていますので、何らかの繋がりを期待できなくもありません。ちなみに、武蔵国と言っても現在の埼玉県比企郡嵐山町ですので、ちょっと港区赤坂からは遠いですね。

<境内へ登る途中に撮影>
shirononagori395 (11).jpg

<境内より撮影>
shirononagori395a2.jpg
周囲と多少の高低差は実感できます。

ちょっとした丘の上ですので、むかしはある程度遠くまで見渡せる場所だったのでしょう。訪問したことで、何らかの砦が築かれたとしても不思議ではないことだけは実感しました。

今井四郎との関係はあくまで伝承に過ぎません。ただ、この地が古くは今井村と呼ばれていたことに僅かな期待を込めたいと思います。江戸末期の古地図にも、今井台今井谷といった文字が確認できます。

今井四郎のなごりを感ることはできませんでしたが、素晴らしい神社で、貴重な文化財とも出会えました。足を運んだ甲斐は充分ありました。

sn395e.jpg
お邪魔しました。

■訪問:赤坂氷川神社
[東京都港区赤坂]6丁目



お城巡りランキング


posted by Isuke at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2019年10月14日

暗渠と城跡21 北沢川と三宿城

都内にもある城のなごり
今回は吉良氏が居城とした世田谷城の支城ではないかと伝わる三宿城跡を訪ねました。

<三宿の森緑地>みしゅく
shirononagori373.JPG
それらしい光景?まるで曲輪を取り囲む土塁の跡のようですね。しかしこれは公園として整備されたもの。事前にお話ししておきますが、三宿城跡とされるエリアで遺構は確認できません。ここを真っ先にご紹介する理由は、高台に築かれたとされる城跡で、最も周辺との高低差を実感した場所だからです。

<丘の上>
shirononagori373b.JPG
柵の向こう側は崖状になっています。下の神社の屋根で、なんとなく伝わると思います。三宿城は多聞寺砦とも呼ばれていますが、この今は無き『多聞寺』の毘沙門天が、屋根が見えている神社(三宿神社)に祀られています。

<公園内>
shirononagori373a.JPG
雰囲気だけ味わう。更に土が盛ってあるのでいろいろ想像してしまいましたが、多分私の思い過ごしでしょう。

<三宿の森緑地入口>
shirononagori373c.JPG
お世話になりました

さて
公園を出て道を挟んだ向かいの小学校へ

<多聞小学校>
shirononagori373d.JPG
三宿の森緑地のすぐ傍の多聞小学校です。こちらを三宿城跡として紹介している記事の方が多いですかね。ともに多聞山と呼ばれる丘の上にあります。

冒頭で世田谷城の支城と紹介しましたが、では誰が築き、誰が城主だったか詳細は不明です。世田谷城主の吉良氏が、居城の東側の拠点として築いたという説もあります。そしてその時期に、三宿村も開かれたのではないかと考えられています。推定ながら、このエリアの中核を担うべくまず砦と寺が築かれ、村も徐々に形成されていった。そんな感じでしょうか。

小学校も公園も明らかに高台に位置していることから、地形には納得できました。そこからいいように想像すると、攻め手を拒む要塞があっても不思議ではない。そう感じました。

現地に行ってみて肌で感じる。それが正解かどうかより、楽しめたので来た甲斐がありました。

ということで
ある程度納得して高台から低地へ移動

<坂道>
shirononagori373e.JPG
時々振り返り、高低差を実感

更に下った先にて

<車止め>
shirononagori373f.JPG
あ、あれはもしや

<北沢川>
shirononagori373g.JPG
川に出ました

これ道でしょ?

はい。そうとも言いますが川です。地下に埋設され、地表が道として利用されている川です。いわゆる暗渠ですね。見慣れない字ですが「あんきょ」と読みます。この『暗渠』に気付くアンテナがあると、都内の城跡巡りが一層深みを増します

<北沢川緑道>
shirononagori373h.JPG
この暗渠は一般的には緑道と呼ばれています。川のなごりを留めようと、地表に水の流れが再現されています。いいですね。

北沢川はこの位置より下流で烏山川と合流します。今回訪問の三宿城は、この二本の川に挟まれた高台に築かれました。つまり、高台という高低差に加えて、これを挟み込むように流れる二本の天然堀を利用した城だったということですね。低地を流れる川の周辺は、きっと池や沼も点在する湿地帯だったのでしょう。そもそも三宿の名は水宿からきていると言われています。水が宿る地ということですね。

地形に納得。そして暗渠に気付いたことで川の役割にも納得しました。

-------■ 三宿城 ■-------
別 名:多聞寺城 多聞寺砦
築城年:不明(15世紀後半?)
築城者:不明(吉良氏?)
城 主:不明(吉良氏配下?)
廃 城:不明
[東京都世田谷区三宿]


お城巡りランキング


posted by Isuke at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]

2019年10月09日

江戸城 馬場先門のなごり

日比谷濠から和田倉濠を散策する途中で、いままで気づかなかった説明板に足がとなりました。

<説明板>
shirononagori372 (1).JPG
馬場先門?

城跡ブログをやっているのにお恥ずかしい話ですが、こんな場所に城門があったことを知りませんでした。馬場先濠なら知っていましたが、そもそも何で馬場先というかも知らず。

<地図>
shirononagori371d.JPG
位置的には赤い印が現在位置。日比谷濠と馬場先濠の間です。道も広いので何度も通っているのに、いままで説明板に気付きませんでした。

<馬場先門>
shirononagori372 (2).JPG
説明によれば『門の名は、寛永期(1624〜1644年)に門内の馬場で将軍が朝鮮使節の曲馬を上覧し朝鮮馬場と呼ばれていたことに由来します。門は1629年(寛永6年)に築造されました。』とのこと。

<絵図>
shirononagori372 (3).JPG
構造的には枡形門ですね。ただ手前は濠なのに橋は無いようです。舟の出入りを想定したのでしょうか?門の奥、右へ曲がった区画では、馬を駆けさせている姿が見えます。

現地での理解は中途半端だったので、帰宅してから調べました。枡形門として築かれたものの、やはり橋は架けられなかったようです。これにより不開御門(あかずのごもん)と呼ばれていました。あと、説明板の内容をもう少し詳しく説明すると、奥の馬場は、徳川家光の将軍就任祝賀に招かれた朝鮮特使団が馬術の芸を披露したことから朝鮮馬場と呼ばれるようになったようです。不開御門はいつしか『馬場先の門』ということで馬場先門と呼ばれるようになりました。

特定の誰かの命名というより、そう呼ばれているうちに、それが定着したということですかね。

ずっと開かずの門だったのか?ということはなく、のちには橋が架けられたようです。きっかけは江戸の大惨事となった明暦の大火(1668年)です。この教訓から、江戸の町は大改造が施され、城の天然堀でもある隅田川に新たな橋も設けられました。逃げ場の確保ということですね。馬場先門の橋も、そういった政策の一環ということですね。

橋が架けられた馬先門は、大名とその家臣だけでなく、通行手形を持つ商人の出入りも許されていたそうです。

<付近の石垣>
shirononagori371e.JPG
だいたいこの付近でしょうか?

ただ、いまは桝形門の石垣すら残っていませんね。

<和田倉門跡>
shirononagori371 (6).JPG
こちらはもうちょっと北にある和田倉門跡です。門そのものは残っていなくても、普通ならこんな感じで枡形構造の石垣が確認できそうなものですが。

1904年に日露戦争の戦勝祝賀会で市民の行列が馬場先門に殺到し、20人もの死者を出す事件が起きてしまいました。大惨事ですね。枡形は敵の侵入を鈍らせ、進む先の見通しも悪い構造です。これが災いし、押しかける市民の事故につながったようです。枡形門は撤去され、堀の一部が埋め立てられ道路となりました。

枡形門の痕跡すらないには、それ相応の理由があったのですね。

ということで
現在は残っていない江戸城の城門のご紹介でした。日比谷門と和田倉門の間にも枡形門があった。私も知らなかったので、読んで頂いた方の参考になれば嬉しいです。

■訪問:馬場先門跡
[千代田区丸の内]2


お城巡りランキング


posted by Isuke at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 難航不落 金山城のなごり
  2. 2. 武士たちから始まる茶畑
  3. 3. 山上道及と唐沢山城
  4. 4. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  5. 5. 伊奈一族の拠点 伊奈氏屋敷跡(伊奈町) 
  6. 6. 鮭延秀綱の軌跡(鮭延城から鮭延寺)
  7. 7. 神流川の戦い 滝川一益vs北条氏邦・氏直
  8. 8. 消えた見沼の浮き城 寿能城
  9. 9. 諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
最新記事
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]
[当サイトお勧め本]

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]