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2022年04月29日

とんぼ橋の石材(川口市)街道沿いの水路のなごり 

今回は街道探索の途中で出会った橋のなごりの話です。

<石橋の石材>
Tonbobashi-Stone.JPG
日光御成道の宿場として賑わった鳩ヶ谷で撮影しました。

<千住道>
senju-michi.JPG
最初はこの「千住道」の案内板が目に入り足を止めました。右手は千住方面へつながる古道です。しかしよく見ると、その下に細長い石材が横たわっているではないですか

なんだろう?

ちゃんと説明板が設置されていました。

<説明板>
Tonbobashi-Explanation-Board.JPG
ちょっと若干色あせていますが、読むのに難はありません。せっかくですので、川口市教員委員会さんの原文の前半部分をそのまま下記に抜粋させて頂きます。

『昭和五十三年三月四日に見沼代用水の分流である平柳領用水掘の蓋掛け工事の際に、この場所で大きな石材五本が発見されました。その一本の側面に、次の文字が刻まれています。
丁延寶五年
武州下足立郡鳩ヶ谷町 とんぼ橋
巳三月吉日
この刻印の延宝五年(一六七七)は見沼代用水完成の五十一年前で、すでに開削され流れていた用水(平柳領用水の前身)に架けられていた石橋だということがわかりました。』

(以下省略)

とんぼ橋という名の石橋がここに架かっていたようです。見沼代用水とは、この近くを流れる用水路です。

<見沼代用水>みぬまだいようすい
Minumadaiyosui-Hatogaya.JPG
こちらになります。現在の埼玉県行田市で利根川の水を引き込み、各地の水田を潤してきた用水路です。始まりは江戸時代中期、将軍が徳川吉宗の時代です。幕府の役人・井沢弥惣兵衛為永の指揮のもと掘削されました。

では平柳領用水とは?

見沼代用水からの分水路です。この地が当時平柳領と呼ばれていたことから、その名がついたのでしょう。現地説明文では『平柳領用水』ですが、一般的に平柳用水と呼ばれています。

<吹上橋>ふきあげばし
Fukiage-bridge.JPG
見沼代用水に架かる吹上橋。平柳用水はこの橋のたもとから分流して、街道の東側に沿って流れ、先々で更に枝分かれしながら周辺の村に水を供給していたようです。

<街道>
twitter-Isuke-Ankyo-Hirayanagi-Aqueduct.jpg
街道の東側というとこの画像だと右手側になります。ちょっと現地では実感がわきませんでしたが、今も歩道の下には水の流れがあるようです。いわゆる暗渠ですね。

暗渠

はい。この見慣れない文字は「あんきょ」と読みます地下に埋設された川や水路とご理解下さい。見慣れてくると、水路に蓋をしただけの暗渠は外見でわかります。ただ、あまりに綺麗に舗装されると、暗渠の上級者でないと見分けがつきません。

<説明板拡大>
Tonbobashi-location.JPG
先ほどの説明板を拡大しました。この地図だと日光御成道の沿いに水路が設けられていて、そこを渡って千住道に入るところに橋が架けられていたように見えます。

<歩道>
Ankyo-Hirayanagi-Aqueduct.JPG
現在は水の流れは見えません。暗渠下級レベルの私には正確な位置がわかりませんが、この辺りの歩道も平柳用水の暗渠なのかもしれません。

<とんぼ橋のなごり>
Tonbobashi-Old- Stone.JPG
まぁ橋があったのですから、そこは水の流れる場所だったのでしょう

最後に
水の流れの様子がわかる昔の写真をご紹介します

<説明板>
Hatogaya-Direction-Board.JPG
こちらに設置されている説明板の写真です

<説明板の写真>
Photo-Hirayanagi-Yosui.JPG
明治26年頃に吹上橋から街道を撮影した写真とのこと。左手(東側)は水路となっていますね。今では暗渠化され街の景色にその姿はありませんが、こうして人の暮らしのすぐそばにある様子がいいですね。

ということで
橋の痕跡と出会い、水路のなごりを感じたというお話でした。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:とんぼ橋の石材
[埼玉県川口市坂下町]3-1-16

■参考及び抜粋
・Wikipedia:2022/4/29
・現地説明板
(川口市教育委員会)



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タグ:日光御成道
posted by Isuke at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 川跡・暗渠

2022年02月06日

桜川のなごり(港区)かつて将監橋付近で古川と合流した川

港区芝の将監橋を訪ねた時に、こんな光景を目にしました

<暗渠>あんきょ
Ankyo-Sakuragawa.jpg
川と暗渠の合流地点か

暗渠とは地下に埋設され地上から姿を消した川のこと。ここは暗渠化された川が古川と合流する地点にほかなりません。

<古川>
SyougenBashi-Furukawa.JPG
こちらが合流先の古川。上流では渋谷川と呼ばれています。水はこの付近では西から東へ向かい、そのまま東京湾へ流れ出ます。

そこへ北側から合流する川があった。
そういうことですね。

川の名は桜川

予備知識もないのでまたWIKIさんから抜粋させて頂きますと『東京都港区をかつて流れていた川』で、もともとは『虎ノ門と愛宕山の間あたりで当時の日比谷入江に注いでいた』が、入江の埋め立てや江戸城の外濠整備により人工の流路へと付け替えられたようです。自然の川が、水路のような扱いとなったわけですね。その流路はというと『溜池に並行してそのすぐ南を南東へ流れ、虎ノ門南方で南へ折れ、愛宕山と増上寺の東を南流して、将監橋(しょうげんばし)のたもとで古川に注ぐものであった』とのこと。
[『』内はWikipedia抜粋]

まるほど
しかしその桜川も、関東大震災後の街の復興のため、全て埋め立てられました。

<将監橋>
SyougenBashi-main-pillar.JPG
古川に架かる将監橋です

<暗渠の出口>
Ankyo-Sakuragawa.jpg
橋のたもとの暗渠の出口。桜川は地上から姿を消していますが、ここだけは位置がはっきりしています。この先の地下の流路はわかりませんが、古地図を見る限り、かつての桜川はここからほぼまっすぐ北へ延びていたようなので、その流路をたどってみることにしました。暗渠口の上には赤い小さな鳥居が見えています。まずはそこからスタートすることにしました。

<通元院>
TempleOnAnkyo.JPG
ここですね。ちょっと雰囲気的に足を踏み入れて良いものか迷いましたが、こちらは通元院という浄土宗のお寺です。左手には橋の上から鳥居が見えていた稲荷神社があります

<瘡守稲荷大明神>かさもりいなり
kasamoriinariOnAnkyo.jpg
いわゆる稲荷社です。社殿の左の石塔が目をひきます

<元禄七年銘納経石塔>
StonePagodaOnAnkyo.jpg
やや急いでいたのでとりあえず撮影し、あとから調べました。比較的新しいと思っていましたが、なんと元禄7年の造立で、しかも港区指定有形文化財でした。右は観音菩薩、左は不動明王。背面にはたくさんの文字が刻まれていましたが、ちょっと私には読めませんでした。通元院さん、お邪魔致しました。

さて
将監橋を離れて北へ向かいます

LostRiverSakuragawa-SyogenBashi.jpg
将監橋付近

LostRiverSakuragawa-LawsonShiba2.jpg
正確な位置はわかりませんが、この道がほぼかつての桜川の流路です。道の左手の住所表示は芝公園、右手は芝大門になります。

Lost-River-ShibaParkBill.jpg
芝パークビル付近を通過

Lost-River-Shibadaimon.jpg
芝大門です。増上寺のかつての入り口。桜川は門前を流れていたわけですね

LostRiverSakuragawa-Shibamyojin.jpg
芝大神宮の裏側を通過

LostRiverSakuragawa-FamilyMart.jpg
芝パークホテル付近を通過

LostRiverSakuragawa-ShibaNBF.jpg
日本自動車会館付近を通過


LostRiverSakuragawa-Atagokesatsumae.jpg
愛宕警察署が正面に見えてきました。ここまでほぼ直線だった桜川は、この付近でやや東(右手)に流路が変わったようなのですが詳細は不明です

その東側でこんな光景と出会いました

<福祉プラザさくら川>
Lost-River-Name.jpg
こちらは住所だと新橋六丁目になります。桜川の名を冠する福祉施設です

<桜川小学校跡地>
Lost-River-Sakuragawasyo.jpg
もともとは区立桜川小学校でした。こちらも桜川の名を冠する学校だったようです。姿を消しても、その名は残ったということですね

ということで
消えた川の流路と思われる道を遡り、川の名を冠する施設にたどり着いたというお話でした。

拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。

■訪問:桜川の川跡(推定)
[芝公園・芝大門・新橋]

■参考及び出典
・Wikipedia:2022/2/6
・東京の水 2005 Revisited
(古川(2)二之橋〜河口まで)

http://tokyowater2005remaster.blogspot.com/2016/11/5152.html
・港区立郷土資料館ホームページ
(元禄七年銘納経石塔)

https://www.minato-rekishi.com/museum/2009/10/5.html


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2021年10月23日

神田川の大曲 江戸城下の治水事業のなごり

江戸幕府を開いた徳川家康により、関東のあちらこちらで大規模な治水事業が実施されました。かつては東京湾に注いでいた利根川を、太平洋へ注ぐように流路変更した事業(利根川東遷事業)は有名ですね。そこまでのスケールではないものの、江戸城下の町づくりで、どうしても必要だった流路変更のなごりをご紹介させて頂きます。

<大曲>おおまがり
Kandagawa-Omagari.JPG
こちらは東京都内を流れる神田川です。川か大きく曲がるから大曲。住所表記上は存在しませんが、この付近の地名でもあり、その名を冠したバス停もあります。神田川と並走する首都高速の高架も大きな弧を描いています。

そういう地形なだけ?

まぁ地形も影響はしていますが、この流路は江戸時代に人の手が加えられたなごりなのです。

今はコンクリの街となって実感しにくいですが、この付近は北と南の台地に挟まれた谷地です。現在の神田川の基となった平川が、江戸城を迂回しながら日比谷入江に注いでしました(江戸城は海岸沿いの城で日比谷は海でした)。平川に限らず、これと合流する小石川、そして台地を隔てて東側を流れる石神井川も、南下して直接江戸湾に流れ込む川でした。これらが増水した場合、これから築こうという江戸城下の町は直撃を受けます。そこで、これらを全て東へ向かわせ、隅田川に流れ込むように付け替え工事が行われました。このいわば東遷事業の時に、現在の神田川の流路がほぼ完成したようです。

大曲もその時に?

そう思われますが、厳密なことは分かりませんでした。あるいは、この付近にはかつて白鳥池と呼ばれる大きな沼があり、これが埋め立てられる工程で急カーブとなったのかもしれません(あくまで推定ですのでご容赦下さい)。

<白鳥橋>しらとりばし
Shiratori-Bashi.JPG

ShiratoriBashi-Kandagawa.JPG
神田川に架かる白鳥橋です。かつてあった沼の名が、そのまま橋の名となっています。白鳥池とは別に、流路の下流には小石川大沼と呼ばれた沼もありました。要するに、台地に挟まれたこの付近の低地は、ほとんどが湿地帯だったと思われます。

<白鳥橋と大曲>
Kanda-River-Big-Turn.JPG
神田川は白鳥橋の前後での流路が急カーブを描き、東向きの流れから南向きの流れへと変わり、再び東の隅田川へ向かいます。地形が創った流路ではなく、人が意識して造り上げたもの。むかしの人たちの水との格闘のなごりということになります。

ということで
江戸城を中心とした治水事業のなごりのご紹介でした。江戸時代ともなると、城づくりと町づくりはセットと言えますね。

■訪問:神田川大曲
(白鳥橋)
[東京都文京区水道]1丁目


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2020年10月18日

赤坂の谷底で川跡を探す(太刀洗川)

今回の主役は太刀洗川

血の付いた刀を洗った川

そんな想像をしてしまうインパクトのある名です。その川は赤坂を流れていたと知り、現地を訪問してみました。では早速。こちらです。

<太刀洗川>たちあらいがわ
sn487ANKYO (1).jpg

なにこれ?

はい。また暗渠です。この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川という意味でご理解下さい(毎回同じ)。言い方を変えると、地下に埋設されて姿は見えないけれど、川ということになります

<高橋是清翁記念公園>
sn487ANKYO (2).jpg
太刀洗川の源流はこの公園と考えられています。これをヒントに探索を開始しました。中は広々としています。赤坂としては大変贅沢な区画。

<高橋是清像>たかはしこれきよ
sn487ANKYO (3).jpg
この公園は名前の通り総理大臣・高橋是清の邸宅跡地です。二・二六事件の際には、反乱軍がこの地を襲撃。高橋是清が亡くなった場所でもあります。

ANKYO487 (4).jpg
現在は記念公園として整備され、憩いの場となっています。

ANKYO487 (5).jpg
そして水の流れ

ここから始まる太刀洗川の流路を下ってみました。

といっても、川の姿はありません。コンクリで覆われた街中で、一番低そうな場所を探しながら歩く。そんな感じの探索となりました。

sn487ANKYO (4).jpg
まずは谷へ降りますかね

sn487ANKYO (6).jpg
地形には納得しながらも、ここが流路とは限らないという若干の不安を抱えたまま歩き続けました

sn487AnkyoAkasaka (2).jpg
とりあえずこっちだろう

sn487AnkyoAkasaka (1).jpg
まぁこっちだわな

sn487ANKYO (7).jpg
おお、これは分かりやすい谷(当日参考にしていた暗渠ブログの画像と景色が一致して安心した瞬間でした)。向こう側の高くなっているところは国道です。226ならぬ246(青山通り)。かなり急な坂ですね。水がどこに集まっていくか想像しやすい場所です。まぁはっきりとした流路までは分からないものの、太刀洗川が流れていったであろう方へ向かって歩き続けました。

ANKYO487 (1).jpg
たぶんここだろう

ANKYO487 (3).jpg
たぶん

sn487ANKYO (10).jpg
ここかね

そして

sn487ANKYO (5).jpg
冒頭の画像と同じ場所。ここはかつての太刀洗川の流路で間違いないようです。ただし、ここで探索は終了。この先は完全に見失いました。


川の名の話に戻します。
ネット検索すると、筑後国の地名に太刀洗(たちあらい)というのがあったことが分りました。現在の福岡県の大刀洗町です。太の点がどうも手続きの関係で抜けてしまったようですが、地名として現在も残っています。こちらの『太刀洗』は、合戦(筑後川の戦い)のあとで武将(菊池武光)が刀に付着した血を川で洗ったという伝承があります。

赤坂の太刀洗川にも、武将が太刀を洗ったことに由来するといった伝承がないわけではないのですが、調べたところはっきりせず。とりあえず、由来は不明ということにしておきます。

ということで
太刀洗川という名前だけにつられて現地を訪問してみたというお話でした。城跡好きですが、暗渠を含めた川跡好きてもあるので。

訪問は午前中が仕事だった土曜日の午後。まったく予備知識がなかったので、自称・中級暗渠ハンターの高山さんのブログ『東京Peeling!』のかなり古い記事を頼りに赤坂を歩き回りました。

■ブログ:東京Peeling!
記事:太刀洗川を探す
→記事へすすむ


■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

暗渠パラダイス!(朝日新聞出版)
著者:高山英男/吉村生

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著者:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

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2020年10月15日

知恵伊豆菩提寺の伊豆殿堀(平林寺堀)

今回は寺の境内に残る水路のご紹介です

<平林寺>へいりんじ
sn485 (2).jpg
平林寺境内に残る堀跡

■伊豆殿堀■いずどのぼり
<野火止用水>のびどめようすい
sn485 (1).jpg
野火止用水は徳川幕府の老中も務めた松平伊豆守信綱によって開削された水路です(1655年)。同じく松平伊豆守により開削された『玉川上水』から分水し、埼玉県新座市を通って新河岸川まで続きます(約25q)。乾燥した台地はこの水路によって潤い、人々の暮らしを豊かにしました。その有難さから、伊豆守にあやかって『伊豆殿堀』とも呼ばれたそうです。
これらについては別途投稿していますので、よかったら覗いてみて下さい。
→『記事へすすむ


■平林寺堀■へいりんじぼり
東京都の立川市を起点として武蔵野台地上を北東に向かって流れる野火止用水は、新座市西堀1丁目付近で本堀と平林寺堀に分かれます。まぁ野火止用水の本流と支流ということですね。平林寺堀は本流の東側を流れ、平林寺を経由して新河岸川へと流れ込みます。
<平林寺>
sn484 (3).jpg
sn484c.jpg

<境内の平林寺堀>
sn485 (8).jpg
境内の水の流れ。これも野火止用水の一部ということですね

<放生池>ほうじょういけ
sn485 (7).jpg
水路の水により潤っています

<平林寺堀跡>
sn485 (5).jpg
いまは流れが確認できませんが、こちらも平林寺堀。やはり野火止用水の一部ということです。


■松平伊豆守信綱■いずのかみのぶつな
島原の乱を収めた功績から、6万石で川越藩主となった松平伊豆守(1596〜1662年)。川越城の改修、城下町や街道の整備など、川越繁栄の基盤造りに取り組みました。そして、当時は荒野も同然の領地の開拓にも果敢に挑み、水路を設けて新田開発を実施しました。武蔵野台地のなかでも、野火止(当時は野火留という字)は特に乾いた土地で、水利に恵まれませんでした。自らの領内を潤したい。野火止用水は『知恵伊豆』と呼ばれた松平伊豆守のそんな思いが具体化したものです。

sn485 (9).jpg

幕政において秀でていた上に、社会基盤の整備でも大きな功績を残した松平伊豆守。1662年、老中職のまま満65歳でこの世を去りました。平林寺堀が分水されたのはそれよりあとのことのようです(1728年 )。伊豆殿堀の本堀から分水された水音は、平林寺の墓所でしずかに眠っている伊豆守を和ませたかもしれませんね。

sn485a.jpg

■訪問:平林寺
[埼玉県新座市野火止]


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------- 追 記 -------
お邪魔させて頂いた平林寺さんの画像を貼っておきます。
<総門>
sn485Heirinji (2).jpg

<山門>
sn485Heirinji (3).jpg

<仏殿>
sn485Heirinji (6).jpg

<戴渓堂>たいけいどう
sn485Heirinji (8).jpg

<放生池と弁天堂>
sn485 (6).jpg

<半僧坊感応殿>はんそうぼうかんのうでん
sn485Heirinji (5).jpg

<半僧門>はんそうもん
sn485Heirinji (7).jpg

なんの説明もなく恐縮ですが以上です。本堂は遠くから眺めただけで撮影しませんでした。松平伊豆守信綱の墓所は訪問しましたが、お墓はなるべく投稿しないようにしていますので、案内板だけ掲載しておきます。

sn485He.jpg

posted by Isuke at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 川跡・暗渠

2020年09月06日

用水路の暗渠と雨乞いの石碑(旧浦和市)

今回は川沿いをウォーキング中に見つけた石碑の話です。

<石碑>
sn478ankyo (4).jpg
これはなんの石碑だろう?

sn478ankyo (5).jpg
なるほど

ちょっと冒頭を抜粋させて頂きます
『この碑は、かつてこの地域が農業盛んであった時代のもので、水の恵みを預かる様、雨乞い祈願したものと云い伝えられてきました』

雨乞い祈願
の石碑だったのですね

いまではそんな雰囲気は漂いませんが、この付近は江戸時代の半ば頃までは低湿地、その後は水路の整備で沼地の水が抜かれ、水田へと姿を変えました。これにより食べ物の生産性は飛躍的に向上することになりますが、雨不足は豊かになったはずの暮らしにそのまま直撃する深刻な問題です。場合によっては、致命的な被害となったことでしょう。

天気は人の力ではどうしようもないことです。個々の祈りが集まり、形となったのがこの石碑なのでしょう。


ところで
もはや周囲に水田はありません。でも水路は残されています。もっとも、地表からは姿を消しましたが

<鴻沼川の旧流路>こうぬまがわ
sn478ankyo (12).jpg
さきほどの石碑のすぐそばです。立ち入り禁止のこの空き地は、かつての川跡です。川の名は鴻沼川。現在のさいたま市を流れるこの川は、自然の河川ではなく、江戸時代の新田開発の際に開削された水路、いわば人口の川です。ながらくここを流れていましたが、のちに流路変更されました。

<鴻沼川の旧流路の暗渠>
sn478ankyo (13).jpg
道を挟んだこちらもかつての鴻沼川の川跡です。地下からはゴーゴーという水の音が聞こえます。いわゆる暗渠ですね。

<鴻沼川東縁の暗渠>
sn478ankyo (11).jpg
こちらは石碑の真ん前の道路です。左手のアパートの脇に石碑があります。ここもただの道ではなく、いわゆる暗渠。正確に言うと、一番左手は歩道、真ん中が水路だった暗渠、右手は水路沿いの道です。

sn478ankyo (9).jpg
鴻沼川の本流ではなく、同時期に設けられた鴻沼川東縁の暗渠です。道路ではないので、耐久性の問題から車止めが設けられています。水はいまでも地下を流れ、本流である鴻沼川へ合流します。

画像だけ見るとコンクリばかりですね。でもとらえ方によっては、ここは今でも水辺なのです。

sn478ankyo (6).jpg
都市開発が進み、水田の多くは姿を消し、現在でも我々の生活に役立っている水路まで、地上から姿を消しつつあります。水道の蛇口をひねれば、水は確保できるのですから、その存在を意識する機会は減りましたよね。石碑の説明文の最後には『いつの世も水を大切にする心は重要です』と記されています。水に不自由しないということが、実はとても大切なことなんだと、この石碑が伝えてくれているような気がしました。

<鴻沼川>
sn478ankyo (1).jpg
流路変更された現在の鴻沼川です

■訪問:雨乞いの石碑
[さいたま市南区関]

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2020年03月29日

川のなごりに降るなごり雪 

3月29日に雪?さいたま市としては珍しい天気となった日曜日、花見も兼ねて、以前から気にしている川跡を訪ねました。

AnkyoUrawa202003 (6).jpg
ただの道のようですが、これは暗渠(あんきょ)です。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。道の下ではいまも水が流れ続けています。

AnkyoUrawa202003 (1).jpg
奥へ進むと行き止まり。そこから先は川になっています。その手前に水門があります。地下を流れる水は、水門が設けられた出口から川へと流れ出ます。

AnkyoUrawa202003 (8).jpg
こちらが合流先の鴻沼川です。先ほど暗渠はいわば鴻沼川の支流ですね。ただし、最初から支流だったわけではなく、鴻沼川の蛇行を強制する過程で支流となりました。簡単に言うと、先ほどの暗渠こそが鴻沼川のもともとの流路なのです。

AnkyoUrawa202003 (4).jpg
再び暗渠。古くはこちらが本流。つまり、この道はかつての鴻沼川のなごりなのです。

川だった道に雪が降り積もる

違和感というか、不思議な感覚に囚われてしまうのは私だけでしょうかね?左手は高台になっており、鴻沼川はそこを避けるように一旦大きくカーブし、すぐ横をかすめるように流れていた訳ですね。

さて
せっかく桜が咲き誇っているので、高台へ向かうことにしました

AnkyoUrawa202003 (9).jpg
こちらは高台にある神明神社です

AnkyoUrawa20200329.jpg
満開の桜に雪が降り注ぎ幻想的でした。神社の後ろ側が更に高くなっていますね。古墳です。古墳時代後期と考えられている直径33m・高さ4.5mの円墳です。鴻沼川は江戸時代の新田開発の際に人の手によって造られた川なので、それよりずっとずっと以前の人の営みのなごりという事になります。

ということで
まもなく4月という日曜日に雪が降り、傘をさして暗渠と桜を楽しんだというお話でした。新型コロナウィルス対策で私も外出は減らしていますが、ほぼ人と会わないような所なら良いのではないかと思っています。この日は神社で一人、川沿いで一組とすれ違っただけで、暗渠に至っては人影すら見かけませんでした。誰も立ち寄らないような場所でも、ちょっと見方を変えるだけで結構楽しめる。当ブログに訪問頂けた方と、そのあたりを共有できれば幸いです。

■訪問
神明神社古墳
[さいたま市南区関]1-148-2


-----追 記-----
後日再訪したので画像を貼っておきます

Isuke202004 (5).jpg
雪は解け桜もほぼ散ってしまいました。いつもの景色です。支流としてご紹介した暗渠が頑張っていますね。

Isuke202004 (2).jpg
ほら、ここですよ。ちゃんと水は流れている

Isuke202004 (3).jpg
姿なくとも現役の川

Isuke202004 (6).jpg
行き止まり。あそこが先ほどの暗渠の出口

Isuke202004 (4).jpg
水門

Isuke202004 (1).jpg
神明神社古墳

以上です

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2020年03月15日

遠ざかる川の記憶 地図から消えた水のなごり

完成間際の浦和の舗道にて
SN413ANKYO (4).jpg
もう魚が泳いでいた事なんて忘れ去られるのでしょうね

この道はいわゆる暗渠。『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や水路のことですね。6年前(2014年)、たまたまこの区画の暗渠工事を目撃してしまい、それ以降ときどき訪れて撮影を続けてきました。

のどかな流れにボックスカルバートがはめ込まれ、埋められ、舗装されるまで。もうすぐ工事が終了するようなので、本日の撮影で定点観測も終わりにします。

<最初の発見>2014年
sirononagori229Ankyo (2).jpg
この時点ではまだ、ボックスカルバートと護岸の隙間で魚が暴れていました。

sirononagori229Ankyo (3).jpg

sirononagori229AnkyoAD (1).jpg

sirononagori229AnkyoAD (2).jpg

sirononagori229Ankyo (5).jpg

<そして本日>2020年
SN413ANKYO (3).jpg
舗装が終了していました

この川の名は高沼用水東縁。水はこの先で鴻沼川と合流します。まぁ水の流れそのものは今後も同じですが、この綺麗に整備された歩道を川跡と気付く人は多くないはず。いや、ほぼいなくなるのかも知れません。

もはや地図からも消えた水のなごり

車道より幅広の歩道、あるいは車止めなどを見て、気付いてくれる人がいたら嬉しいですね。

SN413ANKYO (2).jpg

これからも
水の流れは人の暮らしに寄り添っています。
タグ:暗渠
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Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
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