2020年03月29日

川のなごりに降るなごり雪 

3月29日に雪?さいたま市としては珍しい天気となった日曜日、花見も兼ねて、以前から気にしている川跡を訪ねました。

AnkyoUrawa202003 (6).jpg
ただの道のようですが、これは暗渠(あんきょ)です。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。道の下ではいまも水が流れ続けています。

AnkyoUrawa202003 (1).jpg
奥へ進むと行き止まり。そこから先は川になっています。その手前に水門があります。地下を流れる水は、水門が設けられた出口から川へと流れ出ます。

AnkyoUrawa202003 (8).jpg
こちらが合流先の鴻沼川です。先ほど暗渠はいわば鴻沼川の支流ですね。ただし、最初から支流だったわけではなく、鴻沼川の蛇行を強制する過程で支流となりました。簡単に言うと、先ほどの暗渠こそが鴻沼川のもともとの流路なのです。

AnkyoUrawa202003 (4).jpg
再び暗渠。古くはこちらが本流。つまり、この道はかつての鴻沼川のなごりなのです。

川だった道に雪が降り積もる

違和感というか、不思議な感覚に囚われてしまうのは私だけでしょうかね?左手は高台になっており、鴻沼川はそこを避けるように一旦大きくカーブし、すぐ横をかすめるように流れていた訳ですね。

さて
せっかく桜が咲き誇っているので、高台へ向かうことにしました

AnkyoUrawa202003 (9).jpg
こちらは高台にある神明神社です

AnkyoUrawa20200329.jpg
満開の桜に雪が降り注ぎ幻想的でした。神社の後ろ側が更に高くなっていますね。古墳です。古墳時代後期と考えられている直径33m・高さ4.5mの円墳です。鴻沼川は江戸時代の新田開発の際に人の手によって造られた川なので、それよりずっとずっと以前の人の営みのなごりという事になります。

ということで
まもなく4月という日曜日に雪が降り、傘をさして暗渠と桜を楽しんだというお話でした。新型コロナウィルス対策で私も外出は減らしていますが、ほぼ人と会わないような所なら良いのではないかと思っています。この日は神社で一人、川沿いで一組とすれ違っただけで、暗渠に至っては人影すら見かけませんでした。誰も立ち寄らないような場所でも、ちょっと見方を変えるだけで結構楽しめる。当ブログに訪問頂けた方と、そのあたりを共有できれば幸いです。

■訪問
神明神社古墳
[さいたま市南区関]1-148-2


-----追 記-----
後日再訪したので画像を貼っておきます

Isuke202004 (5).jpg
雪は解け桜もほぼ散ってしまいました。いつもの景色です。支流としてご紹介した暗渠が頑張っていますね。

Isuke202004 (2).jpg
ほら、ここですよ。ちゃんと水は流れている

Isuke202004 (3).jpg
姿なくとも現役の川

Isuke202004 (6).jpg
行き止まり。あそこが先ほどの暗渠の出口

Isuke202004 (4).jpg
水門

Isuke202004 (1).jpg
神明神社古墳

以上です

------お勧め暗渠本------
静かなブームとなって世間に広まりつつある暗渠の魅力。こんな拙ブログでは伝わらない深さが、本になって出版されています。多数ありますが、当サイトお勧めは「暗渠パラダイス」です。

ANKTO PARADISE2020 (1).jpg
私も読者のひとりです

------■Amazon■------

暗渠パラダイス!

新品価格
¥1,980から
(2020/3/20 22:27時点)




------■楽天市場■------

暗渠パラダイス! [ 高山英男、吉村生 ]

価格:1,980円
(2020/3/20 22:38時点)



タグ:暗渠

2020年03月20日

暗渠パラダイス! お勧め暗渠本のご紹介

今回は本のご紹介です。その名も『暗渠パラダイス!』。以前当ブログでもご紹介した『暗渠マニアック!』の著者である山英男さんと吉村生(なま)さんのコンビによる暗渠本第2弾。お二人は暗渠マニアックスとして各種イベントを開催したり雑誌等で活躍中で、各々が人気暗渠ブロガーでもあります。私はもともとその暗渠ブログのファンでした。

ANKTO PARADISE2020 (1).jpg

■そもそも暗渠とは■
城跡ブログでありながら、当ブログにたびたび登場する『暗渠』の文字。まずこれは『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。見えない川。蓋をされた川。そんな感じですかね。

都市化とともに川の暗渠化がすすみ、むかしそこにあった景色は失われました。気が付けば、街に埋もれるように不自然な小道が残るだけ。

ANKTO PARADISE2020 (5).jpg

不自然なその小道

いまも水が流れているのかもしれませんよ

ANKTO PARADISE2020 (2).jpg

見えなくたって、流れが途絶えた訳ではない。ということは、今でも川なんです。大雨ともなれば、空から落ちてくる水を集めて下流へと流す。真夜中の川がそうであるように、人に気付かれず、意識もされず、ただ淡々と水が流れている。


<谷端川>
AnkyoParadise.jpg
これは私の個人撮影。板橋区の暗渠です。

ひと知れず
絶えることない水の流れ

暗渠の受け止め方は人それぞれですが、私個人はそんなところに心を惹かれてしまいます。

今回ご紹介の『暗渠パラダイス!』が、姿なき川への水先案内人となってくれれば嬉しいです。

ANKTO PARADISE2020 (3).jpg

別に遠くに行かなくたって
すぐそこに異世界が待っていますよ

-----■Amazon■-----

暗渠パラダイス!

新品価格
¥1,980から
(2020/3/20 22:27時点)




-----■楽天市場■-----

暗渠パラダイス! [ 高山英男、吉村生 ]

価格:1,980円
(2020/3/20 22:38時点)



タグ:暗渠

2020年03月15日

遠ざかる川の記憶 地図から消えた水のなごり

完成間際の浦和の舗道にて
SN413ANKYO (4).jpg
もう魚が泳いでいた事なんて忘れ去られるのでしょうね

この道はいわゆる暗渠。『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川や水路のことですね。6年前(2014年)、たまたまこの区画の暗渠工事を目撃してしまい、それ以降ときどき訪れて撮影を続けてきました。

のどかな流れにボックスカルバートがはめ込まれ、埋められ、舗装されるまで。もうすぐ工事が終了するようなので、本日の撮影で定点観測も終わりにします。

<最初の発見>2014年
sirononagori229Ankyo (2).jpg
この時点ではまだ、ボックスカルバートと護岸の隙間で魚が暴れていました。

sirononagori229Ankyo (3).jpg

sirononagori229AnkyoAD (1).jpg

sirononagori229AnkyoAD (2).jpg

sirononagori229Ankyo (5).jpg

<そして本日>2020年
SN413ANKYO (3).jpg
舗装が終了していました

この川の名は高沼用水東縁。水はこの先で鴻沼川と合流します。まぁ水の流れそのものは今後も同じですが、この綺麗に整備された歩道を川跡と気付く人は多くないはず。いや、ほぼいなくなるのかも知れません。

もはや地図からも消えた水のなごり

車道より幅広の歩道、あるいは車止めなどを見て、気付いてくれる人がいたら嬉しいですね。

SN413ANKYO (2).jpg

これからも
水の流れは人の暮らしに寄り添っています。


------お勧め暗渠本------
静かなブームとなって世間に広まりつつある暗渠の魅力。こんな拙ブログでは伝わらない深さが、本になって出版されています。多数ありますが、当サイトお勧めは「暗渠パラダイス」「暗渠マニアック」そして「はじめての暗渠散歩」です。

暗渠パラダイス! [ 高山英男、吉村生 ]



暗渠マニアック![本/雑誌] / 吉村生/著 高山英男/著



はじめての暗渠散歩 水のない水辺をあるく


タグ:暗渠

2020年01月26日

蛇行する荒川のなごりと水塚に鎮座する村の鎮守(浮間ヶ池と浮間氷川神社)

今回は川のなごりです。荒川の蛇行のなごりを感じに北区を散策してきました。
<浮間氷川神社>
sn409 (4).jpg
荒川流域に多く分布する氷川神社。かつての荒川はこの付近で大きく蛇行し、周辺に広がる湿地はたび重なる洪水に悩まされていました。村の鎮守であり続けたこちらの氷川神社は、盛土の上に鎮座しています。

■川のなごり■
<浮間舟渡駅>うきまふなど
sn409 (12).jpg
今回下車した駅は埼京線の浮間舟渡駅です。駅名は地名の浮間舟渡を合わせたもので、更に細かいことをいうと浮間は北区で舟渡は板橋区。つまり区にまたがった場所に位置する駅なのです。この一見どうでも良い話が、荒川のかつての蛇行と関係しています。

<区境>
sn409 (3).jpg
下車して目的地へ向かう途中、道路を撮影。工事の管轄が違うからでしょうか。区境に線が入っています。向こうに見えている池も、この線の延長線上が北区と板橋区の境になります。

<浮間公園>
sn409 (8).jpg
目的地到着。といっても改札を出てから徒歩1分です。

<浮間ヶ池>
sn409 (13).jpg
この大きな池がかつての荒川のなごり。蛇行する荒川はかつてここを流れていました。そのままなら、川がかつての村境、そして区と区の境だったわけですね。
ところで、いろんな野鳥がいることで有名な公園ですが、なんとカモメが沢山いるではないですか。海からはけっこう離れていますがね。荒川沿いを内陸へ向かって移動してきたのでしょうか?ちょっと不思議な光景でした。

<風車>
sn409 (1).jpg
風車はこの公園のシンボル的な存在です。花も見応えがある公園なのですが、私の訪問は1月下旬のためちょっと地味に映りますかね。私の関心事は花より左手の土塁。これは昔の堤防をそのまま残したのでしょうか?調べたもののはっきりしないので、勝手にそう思うことにしました。

<説明板>
sn409 (2).jpg
ちょっと疲れた説明板ですが、充分読み取れます。浮間ヶ池が荒川の一部だったこと、現在の荒川は公園北側の土手の向こう側を流れていることなどが記載されています。洪水が多かったようですね。この対策として着手された流路変更の大工事は、明治44年から昭和5年にかけて行われたようです。

<別な説明板>
sn409 (11).jpg
こちらは別の説明板の地図。昭和3年とありますから、改修工事の途中の地図ということですね。大きく南に蛇行していた荒川の流路が、北側で直線に変えられているのがわかります。『浮間』の名は、川に突き出た地形が浮島のように映ったことに由来します。地図を見る限り、まさにそんな感じだったのでしょう。お隣の『舟渡』も水辺を思わせる名。地名は貴重な手がかりですね。

<公園北側>
sn409 (7).jpg
公園の北側は荒川の堤防になっています。

<堤防>
sn409 (14).jpg
高いなぁ。まぁせっかくだから登ってみますかね

<荒川>
sn409 (15).jpg
堤防の上です。昔の荒川は幅が狭いうえに蛇行が多かったようですが、今は幅広でまっすぐ。川の向こうに見えてるのは川口市の高層ビルです。この巨大な堤防により遮断され、浮間ヶ池が再び荒川と交じり合うことはありません。


■低湿地のなごり■
工事前は荒川の氾濫に悩まされた浮間。いまでは湿地の面影もありませんが、冒頭にご紹介の神社にそのなごりを確認し、今回の探索の締めとしました。
<浮間氷川神社鳥居>
sn409 (6).jpg
創建時期は不詳ながら、江戸時代には浮間村の鎮守だったと伝わります。

洪水の多い低地では、周辺より高く盛土をして倉など設けておく水塚(みづか)の跡をみかけることがあります。ここ浮間の鎮守は、水塚の上に鎮座しています。

<浮間氷川神社拝殿>
sn409 (5).jpg
水害が多かったであろう村の神社です。想像ですが、緊急時には避難場所にもなっていたのかもしれませんね。

ということで
荒川の古い流路とかつての湿地を散策したというお話でした。最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。


■訪問:
浮間公園〔浮間ヶ池〕
[東京都北区浮間]2丁目
[東京都板橋区舟渡]2丁目

浮間氷川神社
[東京都北区浮間]2丁目19-6


-----追 記-----

桜の時期に再訪した浮間公園の画像を貼っておきます。

Ukima (2).jpg

Ukima (1).jpg

地元の人たちの憩いの場です

2019年11月20日

浦和暗渠散歩 天王川を下る

秋晴れの穏やかな日曜日
浦和の天王川のなごりを感じに行きました。

<天王川>てんのうがわ
nagoriANKYO (3).JPG
まぁ道ですが、いわゆる『暗渠』です。天王川の暗渠です。地下に埋設されているものの、今でも周辺の水を集めながら流れ続けています。水路のようにも映りますが、もともとあった自然の川。浦和区の針ヶ谷から始まり、長年かけて細長い谷を刻んできました。そもそもこの谷の形が『針ヶ谷』という地名の由来ではないかと考えられています。

さて
城跡巡りもこういった街探索も、普段は独りです。しかしこの日は心強いお仲間がたくさん。地元埼玉だけでなく、千葉・東京・神奈川からも同志が集まってくれました。

何のため?
浦和の暗渠を見るためです。ヘンですかね?

私も暗渠を見るために、わざわざ川崎市の溝ノ口まで行ったことがあります。
その時の投稿→『記事にすすむ

なかなか一般的な感覚では理解しにくいかもしれませんが、マニアとはそういうもの。暗渠に興味を持つかどうかは別として、このブログを読んで頂いているみなさんにも、周囲の人になかなか理解してもらえない趣味とか、拘りとか、美意識とか、あるんじゃないですかね?

では暗渠を訪ねて何をしたかというと

nagoriANKYO (1).JPG
源流部を確認しに行ったり

nagoriANKYO (2).JPG
これも暗渠か?などと疑ったり

nagoriANKYO (5).JPG
支流を確認したり

nagoriANKYO (10).JPG
支流から本流をながめたり

nagoriANKYO (4).JPG
また本流に戻ったり

暗渠だけを見つめるというより、周囲との高低差や、川沿いならではの雰囲気を味わいながら歩きます。川に背を向けた家々、クリーニング屋さんなど。湧水と出会えたら、これはもうちょっとした感動ですね。あと暗渠らしい光景といえば車止めやマンホール、橋の跡や護岸の跡といったところでしょうか。また、暗渠を歩くとなぜか猫とよく合うのも、人によっては楽しみなのかもしれません。私はそうでもないのですが・・・

nagoriANKYO (15).JPG
他にも、途中で見かける馬頭観音や庚申塔に足を止めたりします。そしてかつての人の営みに思いを馳せてみる。

まぁいずれにせよ、何に拘り何を思うかは人それぞれなので、この日の参加者が足を止める場所もまちまちです。

ただ、蓋をされた川、つまり暗渠だけは共通のテーマ。この共通テーマのもとに集まり、各々が勝手に楽しむ。集団で行動していますが、まぁそんな感じの散策となります。


さてさて
私の拘りはやはり城跡ですね。この日は天王川沿いの三郎山にかつてあったとされる針ヶ谷陣屋跡で足を止めました。そして、参加者の皆さんに生意気にもうんちくをたれました(ちょっと雑でしたが)。実は当ブログに天王川が登場するのは2度目で、以前陣屋跡とセットで『暗渠と城跡』と題してご紹介させて頂いています。

その時の投稿→『記事へすすむ

まぁその時調べたことをしゃべっただけですが、現地でちょっとショックだったのが、私の訪問時にあった説明板が撤去され、近くの公園にバージョンアップした説明板が設置されていたことです。

nagoriANKYO (7).JPG
うぁ分かり易いし綺麗!

少ない情報をかき集めてブログにまとめたので、説明板がこんな素晴らしい内容だと笑うしかありませんでした。

nagoriANKYO (9).JPG
針ヶ谷三山?

聞いたことのない針ヶ谷三山という言葉。かつて陣屋があった三郎山は、そのうちの一つということですね。また勉強になりました。浦和区文化の小径づくり推進委員会さん、ありがとうございます。

そして針ヶ谷陣屋のあとは、ちょっと天王川から離れますが戦国武将ゆかりの廓信寺へ

nagoriANKYO (11).JPG
徳川家康の三河時代からの家臣で、岩付城主となった高力清長。その清長から浦和を任された代官が、清長亡きあと冥福を祈るために創建したことに始まるお寺です。ここも過去にブログにまとているので、良かったら覗いてみて下さい。

廓信寺の投稿→『記事へすすむ

廓信寺のあとは、北浦和駅付近で少し休憩。そして再びみんなそろって天王川へ!

行くはずでした。

が、一人だけ行けず・・・

実は不肖Isuke、信号待ちの間に廓信寺のことをツイートしていたらお仲間を見失うことに!天王川がどのへんか分かっているので追いかけましたが見つけられず・・・そもそも皆さん支流とか寄り道する可能性もありましたので、天王川の暗渠上にいるとも限りません

Isuke20201911 (2).JPG
まいったなぁ

姿の見えない川を見失うことはよくありますが、お仲間を見失うとは

ということで、ここからは一人
針ヶ谷から始まる天王川は、南下して浦和駒場スタジアム付近で藤右衛門川(谷田川)と合流します。皆さんがそちらを探索中に、大筋で似たような方角へ向い、自分なりにいろんなところで足を止めながら浦和駅方面へ

といっても、ご紹介できるのは浦和区本太(もとぶと)の氷川神社くらいですかね。
Isuke20201911 (1).JPG
こちらは創建年不詳ながら、約1500年位前から鎮座していると伝わります。

Isuke20201911 (3).JPG
扁額には元府趾の文字。これは奈良時代の律令制の府がこの地にあったことを示すと考えられています。元は府があったあと=元府趾=もとぶと。そういう受け止め方で良いかと。この地はその当時の統治の中核だったということですね。

そして
RIKI.jpg
ここでやっとお仲間と再会。浦和の人気店・力(リキ)です。

RIKIurawa.jpg
互いの本名すら知らない暗渠マニアたちの宴です。

ということで
今回は以上です。暗渠日記のような内容に、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

Ankyo2019.jpg

------お勧め暗渠本------
川崎での暗渠散歩に続き、今回の浦和暗渠でも暗渠ファンの間では有名な方とご一緒させて頂きました。いつもなら暗渠の説明をする立場の方ですが、今回は参加者としてご自身の関心事に集中されていた様子です。著書は沢山ありますが、私のお勧めは「はじめての暗渠散歩」です。著者4名のうちお一人が、今回ご一緒させて頂いた方です。

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
本田創/山英男/吉村生/三土たつお




お城巡りランキング


タグ:暗渠

2019年11月04日

火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり

かつての大宮宿南方にあったとされる刑場跡を訪ねました。

<火の玉不動>
sn365.JPG
さいたま新都心駅近くの『火の玉不動』です。左の道路は中山道です。

江戸の刑場跡を訪問する際はかなり躊躇しましたが、今回の訪問は大宮の『涙橋跡』を目にした時に既に決めていました。縁起の良い場所とは言い難いものの、人が訪れ手を合わせ、何かを感じる方が、忘れさられるより良いように思えるからです。

<火の玉不動とお女郎地蔵>
sn365b.JPG
祠には火の玉不動とお女郎地蔵が祀られています。左側が 火の玉不動です。

江戸時代、この付近には下原と呼ばれる原野が広がり、そこに引かれた高沼用水の流れがありました。そして水路に架かる高台橋のすぐそばに、刑場があったとされています。

高台橋付近では、ふわふわと飛ぶ火の玉が目撃されたそうです。人魂を連想するのが自然ですね。ある男がその正体を突き止めるべく火の玉を斬りつけたところ、不動明王を斬ってしまった。火の玉不動の名はこんな話に由来します。

ちなみに、一緒に祀られているお女郎地蔵は、大宮宿の美しい女郎の悲恋にまつわるもの。思い悩み高台橋から身を投げ、その後まもなく火の玉が飛ぶようになったことから、供養の為に地蔵が建てられたと伝わります。

<現地説明板>
sn365c.JPG
祠の裏側に説明がなされていますが、火の玉不動に関する説明はないようです。『北袋町と吉敷町の境を流れる鴻沼(高沼)用水にかかる橋が高台橋』であることや、水路が造られた経緯が記されています。

当時原野のようだったところに造られた水路なら、水も清らかだったことでしょう。闇に飛び交う蛍が、火の玉に映ってもおかしくない。私は霊感とは無縁の男なので、そんな程度の想像しかできませんでした。

それにしても
いまでは橋はおろか、付近に水路も見当たりませんね。ただ、注意深く見れば、そのなごりは残されています。

<高沼遊歩道>
sn365c2.JPG
火の玉不動の左手の道に『高沼遊歩道』と記されています。もう見つけたのも同然です。

<暗渠>
sn365d.JPG
これはただの道ではありません。いわゆる暗渠です。この地下がそのまま水路ということです。個人的に、暗渠をみつけるとその出口を探したくなります。

<暗渠の出口>
sn365e.JPG
この日はすぐに見つかりました。火の玉不動と中山道を挟んだ逆側。つまり駅側です。敷地に入れないのでこんな画像となりますが、線路を潜った水路はここで一瞬空と出会い、再び地下へ隠れます。

高台橋は高沼用水と中山道が交差する場所に架けられた橋ですので、まさにこの地点ということですね。刑場そのものではありませんが、橋の位置は納得です。江戸の刑場は、街道沿いに設けられました。見せしめの意味があったようです。そして大宮宿の刑場も中山道沿い。同じ意味なのかもしれませんね。

最後に
下原刑場は明治時代なってすぐに廃止となっています。つまり古い古いお話です。その後跡地は牧場であったり工場の敷地として使われ、今では立派な商業施設が建ち並んでいます。刑場跡というとあまり良いイメージはありませんが、そもそも当ブログの主たるテーマの城跡も、多くの人が亡くなった場所なのです。気付きもしないより、残された痕跡に足を止めて何かを思う。今回訪問の供養塔も、そういう場所であり続けて欲しいと思いました。

sn365f.JPG

■訪問:火の玉不動
[埼玉県さいたま市大宮区吉敷町]

■当ブログの関連記事■
大宮宿の涙橋→『記事へすすむ


お城巡りランキング


タグ:暗渠

2019年10月27日

大宮宿の涙橋 (さいたま市大宮区)

さいたま市大宮区で橋の痕跡と出会いました

<涙橋跡>
sn375Omiya (3).JPG
なみだばし?そう刻まれた石碑の土台は実際に使われていた橋の一部でしょうか?

涙橋と言えば、思い出すのは荒川区の泪橋。刑場へ向かう罪人が涙ながらに渡ったことからそう呼ばれるようになりました。ここ大宮の涙橋も由来は同じなのでしょうか?

<説明板>
sn375Omiya (5).JPG
史蹟としてちゃんと名の由来が説明されています。これによれば
『住時大宮宿の辺の中山道を横切って溝川の流れがあり、「中の橋」と呼ばれる橋が架かっていた。当時吉敷町の街外れ、高台橋に罪人の処刑場があって、その親類縁者が「中の橋」でこの世の別れを惜しみ涙を流したことでいつしか「涙橋」と呼ばれるようになったと言われている。』
[出典:現地説明板]
とのこと。中山道を横切る溝川とは、かつてあった大きな沼(鴻沼)に注ぐ水路のことですね。以下は後半の抜粋になりますが、昭和42年の第四銀行大宮支店開業の際の工事で、橋桁の枠石が発見され石碑としたようです。

なるほど。納得しました。
それにしても大宮に刑場ですか・・・

江戸の刑場については調べたことがありましたが、自分にとっての地元・埼玉の刑場については全く考えたこともありませんでした。あって当然ですよね。

大宮は江戸時代に宿場町として栄えました。中山道で日本橋から数えて4番目の宿場です(板橋→蕨→浦和→大宮)。その宿場の南方の原っぱに刑場があったようです。下原刑場というそうです。そこへ送られる罪人がこの世との根性の別れに涙ながらに渡った橋が、いつしか涙橋と呼ばれたわけですね。

人が行きかう中山道沿いです。いろんな人間模様があったのでしょう。下原刑場は地元民の強い要望で明治元年に廃止となったそうです。

sn375Omiya (1).JPG
石碑そのものは旧中山道から細い路地に入ったところにあります

sn375Omiya (4).JPG
ちょっと地味ですが、ご興味のある方は探してみてくだい

■訪問:涙橋跡
(第四銀行大宮支店)
[さいたま市大宮区下町]2丁目

■当ブログの関連記事■
荒川区の泪橋→『記事へすすむ
品川区の涙橋→『記事へすすむ


------ 追 記------
この日は特に目的もなく、ひとりで大宮区の街探索。宿場として栄えたわりに史蹟が多い街とは言えませんが、良く探せば、興味深い場所がないわけではありません。今回は涙橋からすぐ近くの2つをご紹介させて頂きます。

<加賀前田家の屋敷門>
sn375Omiya (6).jpg
こちらは中山道沿いで、涙橋がある方とは道を挟んで逆側になります。立派な門ですね。前田家の江戸屋敷から貰い受けたものだそうです。ちょっと選挙のポスターが目立ってしまうので、モザイクを入れさせて頂きました。

次は
悲しい涙橋のお話とは逆に、心温まる言い伝えがある場所です。

<地蔵尊>
sn375Omiya (2).JPG
涙橋跡からちょっと浦和方面(南)へ移動した小さな路地。塩地蔵尊(左)と子育地蔵(右)が並んでいます

子育地蔵はよく耳にしますが塩地蔵尊?

どんな言い伝えがあるでしょうか

『妻に先立たれた二人の娘を連れた浪人が、ここ大宮宿で病に倒れてしまいます。すると姉妹の夢枕に地蔵が現れ、塩断ちするよう告げて消えました。姉妹は早速塩断ちして、近くの地蔵にお祈りしました。すると父親の病は治り、感謝した姉妹はたくさんの塩を地蔵に供えました。』
ちょっと省略しましたが、現地の説明だとだいたいこういうお話です。内容も良いですが、ここ大宮が人が行き交う宿場だったことが伝わってきますね。

sn375Omiya (7).JPG
いまでも塩が供えられています。語り継がれている証ですね。


お城巡りランキング


2019年07月29日

裏方の英雄 伊奈忠次のなごり (水戸市)

<伊奈忠次>いな ただつぐ
shirononagori357 (2).JPG
水戸市内の道明橋に建てられた伊奈備前守忠次の銅像です。背景は備前堀。その名の通り、伊奈備前守の指導で造られた治水と利水を兼ねた用水路です。

この堀の始まりは江戸初期。水戸藩主が初代の徳川頼房の時に、近くの千波湖の増水対策として堀が掘削されました。堀の長さは約 12kmにも及び、当時の21の村々を灌漑し、恩恵をもたらしました。そして今も、現役の水路として活かされています。

shirononagori357 (3).JPG
伊奈忠次は徳川家康の古くからの家臣です。家康の伊賀越えにも同行していますし、合戦にも参加していますが、治水で名を馳せた人物。有名な利根川の流路変更(付け替え)だけではなく、関東各地には忠次やその一族が関わった用水路が今でも残されています。

<道明橋と備前堀>
shirononagori357 (1).JPG
ここ水戸市内を流れる備前堀もそのひとつ。徳川幕府の関東で基盤造りに貢献した、裏方の英雄のなごりです。

■訪問:道明橋
[茨城県水戸市本町・紺屋町]


当ブログでは、伊奈氏屋敷跡訪問時に忠次ほか伊奈一族の活躍について触れさせて頂いております。拙い説明ですが、お読み頂けたら嬉しいです。
→『記事へ進む


お城巡りランキング

タグ:伊奈一族
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 難航不落 金山城のなごり
  2. 2. 武士たちから始まる茶畑
  3. 3. 山上道及と唐沢山城
  4. 4. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  5. 5. 伊奈一族の拠点 伊奈氏屋敷跡(伊奈町) 
  6. 6. 鮭延秀綱の軌跡(鮭延城から鮭延寺)
  7. 7. 神流川の戦い 滝川一益vs北条氏邦・氏直
  8. 8. 消えた見沼の浮き城 寿能城
  9. 9. 諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
最新記事
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]
[当サイトお勧め本]

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]