2021年10月23日

神田川の大曲 江戸城下の治水事業のなごり

江戸幕府を開いた徳川家康により、関東のあちらこちらで大規模な治水事業が実施されました。かつては東京湾に注いでいた利根川を、太平洋へ注ぐように流路変更した事業(利根川東遷事業)は有名ですね。そこまでのスケールではないものの、江戸城下の町づくりで、どうしても必要だった流路変更のなごりをご紹介させて頂きます。

<大曲>おおまがり
Kandagawa-Omagari.JPG
こちらは東京都内を流れる神田川です。川か大きく曲がるから大曲。住所表記上は存在しませんが、この付近の地名でもあり、その名を冠したバス停もあります。神田川と並走する首都高速の高架も大きな弧を描いています。

そういう地形なだけ?

まぁ地形も影響はしていますが、この流路は江戸時代に人の手が加えられたなごりなのです。

今はコンクリの街となって実感しにくいですが、この付近は北と南の台地に挟まれた谷地です。現在の神田川の基となった平川が、江戸城を迂回しながら日比谷入江に注いでしました(江戸城は海岸沿いの城で日比谷は海でした)。平川に限らず、これと合流する小石川、そして台地を隔てて東側を流れる石神井川も、南下して直接江戸湾に流れ込む川でした。これらが増水した場合、これから築こうという江戸城下の町は直撃を受けます。そこで、これらを全て東へ向かわせ、隅田川に流れ込むように付け替え工事が行われました。このいわば東遷事業の時に、現在の神田川の流路がほぼ完成したようです。

大曲もその時に?

そう思われますが、厳密なことは分かりませんでした。あるいは、この付近にはかつて白鳥池と呼ばれる大きな沼があり、これが埋め立てられる工程で急カーブとなったのかもしれません(あくまで推定ですのでご容赦下さい)。

<白鳥橋>しらとりばし
Shiratori-Bashi.JPG

ShiratoriBashi-Kandagawa.JPG
神田川に架かる白鳥橋です。かつてあった沼の名が、そのまま橋の名となっています。白鳥池とは別に、流路の下流には小石川大沼と呼ばれた沼もありました。要するに、台地に挟まれたこの付近の低地は、ほとんどが湿地帯だったと思われます。

<白鳥橋と大曲>
Kanda-River-Big-Turn.JPG
神田川は白鳥橋の前後での流路が急カーブを描き、東向きの流れから南向きの流れへと変わり、再び東の隅田川へ向かいます。地形が創った流路ではなく、人が意識して造り上げたもの。むかしの人たちの水との格闘のなごりということになります。

ということで
江戸城を中心とした治水事業のなごりのご紹介でした。江戸時代ともなると、城づくりと町づくりはセットと言えますね。

■訪問:神田川大曲
(白鳥橋)
[東京都文京区水道]1丁目


お城巡りランキング

2021年10月21日

水の道のなごり(神田上水跡)暗渠と城跡29

文京区春日の徳川慶喜屋敷跡へ向かう途中で、自分の歩いている道がそのままかつての水路であることに気付きました。きっかけは通りに設置された説明板です。

<神田上水説明板>
Kandajousui- information-board.JPG
神田上水?ここが?

神田川を通り越し、やや高い場所を歩いている感覚だったので、水の道が通っていることに一瞬戸惑い、よくよく考えて納得しました。水は低い方へ流れるだけ。人の暮らしを支えるために、台地の端を縫うように水路が築かれたわけですね。これなら高い場所にも生活水がいきわたります。

<金富小学校付近>
Kandajousui-Ankyo.JPG
この道がそのまま神田上水の流路です。文京区春日を歩いているつもりでしたが、道の南側(画像左手)の住所は水道。ここに上水が通っていたことが地名の由来です。

神田上水は、徳川家康の家臣・大久保藤五郎により築かれました。大久保藤五郎は家康の命で既に小石川上水を完成させていましたが、その後の江戸の人口の増加や、周辺河川の再整備の影響などもあり、小石川上水を改良する形で神田上水を築き上げました。

<説明板拡大>
Kandajousui-Channel.JPG
神田川と別れた上水は小日向台地南端を通って水戸藩邸内(現在の小石川後楽園)に流れ込んでいたようです。更に東へ進んだのちに南下し、掛樋(=水道橋)で神田川を渡って武家地ほか江戸城下の広範囲に水を供給し続けました。重要なインフラだったわですね。

そんな神田上水も、明治34年(1901年)には役割を終えて暗渠化されました。つまり姿を消しました。

暗渠・・・

この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。城跡を主テーマにしている当ブログですが、この暗渠にも着目し、『暗渠と城跡』と題して何度か記事を投稿させて頂いております。暗渠、つまり地下に埋設され姿を消した川や堀は、かつて防衛上重要な役割を担っていた。まぁそんな感じの内容です。

神田上水は、天然の川でも城の堀でもありません。ただこの日ふと頭をよぎったのは、そもそも城とはなんなのかということです。城の概念は時代によって変わっています。戦の時だけ籠もる砦のようなものから始まり、戦国時代末期には、小田原城に代表されるように町そのものを堀や土塁で囲む『総構え』というスタイルも確立されています。町はすなわち人の暮らし。同じく総構えの構造になっている江戸城にとって、暮らしの場はその一部。そういう意味では、上水道に限らず、城下の暮らしを支えるためのインフラは全て城の一部、といえなくもない。

ちょっと極端な考え方ですが、そんなことを思いながら、かつての神田上水の経路を通って徳川慶喜屋敷跡へ向かいました。

■訪問:水道通り
(神田上水跡)
[文京区春日]2丁目付近
[文京区水道]2丁目付近

■参考
・Wikipedia:2021/10/21
・現地説明板
(文京区教育委員会)



-------- 関連画像 --------
<徳川慶喜公屋敷跡>
Tokugawa-Yoshinobu-Yashikiato.JPG
[東京都文京区春日] 2丁目
次の記事で紹介させて頂きます


お城巡りランキング

2020年10月18日

赤坂の谷底で川跡を探す(太刀洗川)

今回の主役は太刀洗川

血の付いた刀を洗った川

そんな想像をしてしまうインパクトのある名です。その川は赤坂を流れていたと知り、現地を訪問してみました。では早速。こちらです。

<太刀洗川>たちあらいがわ
sn487ANKYO (1).jpg

なにこれ?

はい。また暗渠です。この見慣れない字は『あんきょ』と読みます。地下に埋設された川という意味でご理解下さい(毎回同じ)。言い方を変えると、地下に埋設されて姿は見えないけれど、川ということになります

<高橋是清翁記念公園>
sn487ANKYO (2).jpg
太刀洗川の源流はこの公園と考えられています。これをヒントに探索を開始しました。中は広々としています。赤坂としては大変贅沢な区画。

<高橋是清像>たかはしこれきよ
sn487ANKYO (3).jpg
この公園は名前の通り総理大臣・高橋是清の邸宅跡地です。二・二六事件の際には、反乱軍がこの地を襲撃。高橋是清が亡くなった場所でもあります。

ANKYO487 (4).jpg
現在は記念公園として整備され、憩いの場となっています。

ANKYO487 (5).jpg
そして水の流れ

ここから始まる太刀洗川の流路を下ってみました。

といっても、川の姿はありません。コンクリで覆われた街中で、一番低そうな場所を探しながら歩く。そんな感じの探索となりました。

sn487ANKYO (4).jpg
まずは谷へ降りますかね

sn487ANKYO (6).jpg
地形には納得しながらも、ここが流路とは限らないという若干の不安を抱えたまま歩き続けました

sn487AnkyoAkasaka (2).jpg
とりあえずこっちだろう

sn487AnkyoAkasaka (1).jpg
まぁこっちだわな

sn487ANKYO (7).jpg
おお、これは分かりやすい谷(当日参考にしていた暗渠ブログの画像と景色が一致して安心した瞬間でした)。向こう側の高くなっているところは国道です。226ならぬ246(青山通り)。かなり急な坂ですね。水がどこに集まっていくか想像しやすい場所です。まぁはっきりとした流路までは分からないものの、太刀洗川が流れていったであろう方へ向かって歩き続けました。

ANKYO487 (1).jpg
たぶんここだろう

ANKYO487 (3).jpg
たぶん

sn487ANKYO (10).jpg
ここかね

そして

sn487ANKYO (5).jpg
冒頭の画像と同じ場所。ここはかつての太刀洗川の流路で間違いないようです。ただし、ここで探索は終了。この先は完全に見失いました。


川の名の話に戻します。
ネット検索すると、筑後国の地名に太刀洗(たちあらい)というのがあったことが分りました。現在の福岡県の大刀洗町です。太の点がどうも手続きの関係で抜けてしまったようですが、地名として現在も残っています。こちらの『太刀洗』は、合戦(筑後川の戦い)のあとで武将(菊池武光)が刀に付着した血を川で洗ったという伝承があります。

赤坂の太刀洗川にも、武将が太刀を洗ったことに由来するといった伝承がないわけではないのですが、調べたところはっきりせず。とりあえず、由来は不明ということにしておきます。

ということで
太刀洗川という名前だけにつられて現地を訪問してみたというお話でした。城跡好きですが、暗渠を含めた川跡好きてもあるので。

訪問は午前中が仕事だった土曜日の午後。まったく予備知識がなかったので、自称・中級暗渠ハンターの高山さんのブログ『東京Peeling!』のかなり古い記事を頼りに赤坂を歩き回りました。

■ブログ:東京Peeling!
記事:太刀洗川を探す
→記事へすすむ


■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

暗渠パラダイス!(朝日新聞出版)
著者:高山英男/吉村生

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
著者:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

暗渠マニアック ! (柏書房)
著者:吉村生/山英男

※広告掲載期限切れのため書名のみ

タグ:暗渠

2020年10月15日

知恵伊豆菩提寺の伊豆殿堀(平林寺堀)

今回は寺の境内に残る水路のご紹介です

<平林寺>へいりんじ
sn485 (2).jpg
平林寺境内に残る堀跡

■伊豆殿堀■いずどのぼり
<野火止用水>のびどめようすい
sn485 (1).jpg
野火止用水は徳川幕府の老中も務めた松平伊豆守信綱によって開削された水路です(1655年)。同じく松平伊豆守により開削された『玉川上水』から分水し、埼玉県新座市を通って新河岸川まで続きます(約25q)。乾燥した台地はこの水路によって潤い、人々の暮らしを豊かにしました。その有難さから、伊豆守にあやかって『伊豆殿堀』とも呼ばれたそうです。
これらについては別途投稿していますので、よかったら覗いてみて下さい。
→『記事へすすむ


■平林寺堀■へいりんじぼり
東京都の立川市を起点として武蔵野台地上を北東に向かって流れる野火止用水は、新座市西堀1丁目付近で本堀と平林寺堀に分かれます。まぁ野火止用水の本流と支流ということですね。平林寺堀は本流の東側を流れ、平林寺を経由して新河岸川へと流れ込みます。
<平林寺>
sn484 (3).jpg
sn484c.jpg

<境内の平林寺堀>
sn485 (8).jpg
境内の水の流れ。これも野火止用水の一部ということですね

<放生池>ほうじょういけ
sn485 (7).jpg
水路の水により潤っています

<平林寺堀跡>
sn485 (5).jpg
いまは流れが確認できませんが、こちらも平林寺堀。やはり野火止用水の一部ということです。


■松平伊豆守信綱■いずのかみのぶつな
島原の乱を収めた功績から、6万石で川越藩主となった松平伊豆守(1596〜1662年)。川越城の改修、城下町や街道の整備など、川越繁栄の基盤造りに取り組みました。そして、当時は荒野も同然の領地の開拓にも果敢に挑み、水路を設けて新田開発を実施しました。武蔵野台地のなかでも、野火止(当時は野火留という字)は特に乾いた土地で、水利に恵まれませんでした。自らの領内を潤したい。野火止用水は『知恵伊豆』と呼ばれた松平伊豆守のそんな思いが具体化したものです。

sn485 (9).jpg

幕政において秀でていた上に、社会基盤の整備でも大きな功績を残した松平伊豆守。1662年、老中職のまま満65歳でこの世を去りました。平林寺堀が分水されたのはそれよりあとのことのようです(1728年 )。伊豆殿堀の本堀から分水された水音は、平林寺の墓所でしずかに眠っている伊豆守を和ませたかもしれませんね。

sn485a.jpg

■訪問:平林寺
[埼玉県新座市野火止]


お城巡りランキング


------- 追 記 -------
お邪魔させて頂いた平林寺さんの画像を貼っておきます。
<総門>
sn485Heirinji (2).jpg

<山門>
sn485Heirinji (3).jpg

<仏殿>
sn485Heirinji (6).jpg

<戴渓堂>たいけいどう
sn485Heirinji (8).jpg

<放生池と弁天堂>
sn485 (6).jpg

<半僧坊感応殿>はんそうぼうかんのうでん
sn485Heirinji (5).jpg

<半僧門>はんそうもん
sn485Heirinji (7).jpg

なんの説明もなく恐縮ですが以上です。本堂は遠くから眺めただけで撮影しませんでした。松平伊豆守信綱の墓所は訪問しましたが、お墓はなるべく投稿しないようにしていますので、案内板だけ掲載しておきます。

sn485He.jpg

2020年09月08日

暗渠と城跡27 そこにあったもののなごり

今回は、城跡好きがなぜか暗渠に魅かれる理由(の一つ)をご紹介できればと思い、二つの画像を用意しました。

<護岸の跡>
sn479Ankyo.jpg
このコンクリの道はもともと水路でした。道の隅(左手)に残っているのは護岸の跡です。暗渠化工事の際に、構造上の理由から護岸はそのままにして水路が埋められため、こうして跡が残っています。

<見附跡>
shirononagori479.jpg
川の側面に昔の石垣が残されています。かなり高い位置まで積まれていますね。これは江戸城の城門の跡です。痕跡からして『桝形門』という立派な構造だったと思われます。開発の都合で桝形門の石垣は撤去されましたが、川に面した部分は護岸を兼ねているので、取り壊さなかったわけですね(きっと)。

水路は水の通り道として、城門は城の出入り口として、それぞれ役割を果たしていました。形を失いながら、痕跡だけが残されている

情緒的に似たものを感じるのは私だけでしようか?

ということで
今回はあまりくどくど説明しません。画像だけ見比べて頂ければと思います。何を感じるかはその人次第。思い浮かべるものが、その人らしさということで良いと思っています。

埋もれている痕跡を見つけて何かを想像してみる。そのきっかけになれば嬉しいです。


お城巡りランキング


-------追 記-------
ほぼ同じ内容で、もうちょっと意見を言わせてもらった投稿があります。良かったら覗いてみて下さい。

街の中で痕跡に気付く
sirononagori168sotobori.jpg
[投稿:2017年12月17日]
→記事へすすむ

2020年09月06日

用水路の暗渠と雨乞いの石碑(旧浦和市)

今回は川沿いをウォーキング中に見つけた石碑の話です。

<石碑>
sn478ankyo (4).jpg
これはなんの石碑だろう?

sn478ankyo (5).jpg
なるほど

ちょっと冒頭を抜粋させて頂きます
『この碑は、かつてこの地域が農業盛んであった時代のもので、水の恵みを預かる様、雨乞い祈願したものと云い伝えられてきました』

雨乞い祈願
の石碑だったのですね

いまではそんな雰囲気は漂いませんが、この付近は江戸時代の半ば頃までは低湿地、その後は水路の整備で沼地の水が抜かれ、水田へと姿を変えました。これにより食べ物の生産性は飛躍的に向上することになりますが、雨不足は豊かになったはずの暮らしにそのまま直撃する深刻な問題です。場合によっては、致命的な被害となったことでしょう。

天気は人の力ではどうしようもないことです。個々の祈りが集まり、形となったのがこの石碑なのでしょう。


ところで
もはや周囲に水田はありません。でも水路は残されています。もっとも、地表からは姿を消しましたが

<鴻沼川の旧流路>こうぬまがわ
sn478ankyo (12).jpg
さきほどの石碑のすぐそばです。立ち入り禁止のこの空き地は、かつての川跡です。川の名は鴻沼川。現在のさいたま市を流れるこの川は、自然の河川ではなく、江戸時代の新田開発の際に開削された水路、いわば人口の川です。ながらくここを流れていましたが、のちに流路変更されました。

<鴻沼川の旧流路の暗渠>
sn478ankyo (13).jpg
道を挟んだこちらもかつての鴻沼川の川跡です。地下からはゴーゴーという水の音が聞こえます。いわゆる暗渠ですね。

<鴻沼川東縁の暗渠>
sn478ankyo (11).jpg
こちらは石碑の真ん前の道路です。左手のアパートの脇に石碑があります。ここもただの道ではなく、いわゆる暗渠。正確に言うと、一番左手は歩道、真ん中が水路だった暗渠、右手は水路沿いの道です。

sn478ankyo (9).jpg
鴻沼川の本流ではなく、同時期に設けられた鴻沼川東縁の暗渠です。道路ではないので、耐久性の問題から車止めが設けられています。水はいまでも地下を流れ、本流である鴻沼川へ合流します。

画像だけ見るとコンクリばかりですね。でもとらえ方によっては、ここは今でも水辺なのです。

sn478ankyo (6).jpg
都市開発が進み、水田の多くは姿を消し、現在でも我々の生活に役立っている水路まで、地上から姿を消しつつあります。水道の蛇口をひねれば、水は確保できるのですから、その存在を意識する機会は減りましたよね。石碑の説明文の最後には『いつの世も水を大切にする心は重要です』と記されています。水に不自由しないということが、実はとても大切なことなんだと、この石碑が伝えてくれているような気がしました。

<鴻沼川>
sn478ankyo (1).jpg
流路変更された現在の鴻沼川です

■訪問:雨乞いの石碑
[さいたま市南区関]

■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

暗渠パラダイス!(朝日新聞出版)
著者:高山英男/吉村生

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
著者:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

暗渠マニアック ! (柏書房)
著者:吉村生/山英男

※広告掲載期限切れのため書名のみ
タグ:暗渠

2020年07月24日

追記 元荒川の旧流路(暗渠と城跡22岩槻城の天然堀のなごり)

2ヶ月ほど前に、元荒川の旧流路に気づいて川跡を追った記事を投稿しました。

暗渠と城跡22
岩槻城の天然堀のなごり
[投稿:2020年05月31日]
→『記事へすすむ

-------■概 要■-------
岩槻の龍門寺というお寺を訪問し、その近くで川跡の雰囲気を醸し出す空き地をみかけた。それは岩槻城にとっての天然堀・元荒川のむかしの流路だと分かった。

<川跡>
sn435motoarakawa (4).jpg
sn435motoarakawa (2).jpg

<龍門寺>
shirononagori437 (18).jpg
龍門寺[さいたま市岩槻区日の出町]

ざっとそんな内容でした。


-------■追 記■-------
あれから約2ヶ月
コロナの影響で遠出をひかえているせいもあり、家から比較的近い岩槻区にお邪魔する機会が増えました。
久しぶりに訪ねた岩槻城址公園の説明板で、元荒川と龍門寺の位置関係を改めて確認できたので、その画像を貼っておきます。
<説明板>
shirononagoriMAPiwatsukijo.jpg

<元荒川の旧流路と龍門寺>
shirononagoriMAPiwa (6).jpg
龍門寺を見つけました。すぐそばを流れる元荒川も。間違いありません。ちょっと付け加えるなら、この位置で川は再びカーブするのですから、龍門寺は少し高い位置にあるということですね。現地では極端な高低差は実感できませんでしたが、お隣の新正寺曲輪と同様、低層の台地上に位置しているようです。

<岩槻区内の元荒川>
shirononagoriIWATSKI2020r.jpg

まぁ最初からすべて分かっていたら、空き地を見てあんなには燃えなかったことでしょう。かといって、川の蛇行について漠然としたイメージすらなければ、素通りしていたでしょう。

知り尽くしてしまうと面白さもない

学校や職場の試験じゃないんだから、趣味は60点くらいの感覚でよしとしますかね。人にもよりますが、私はその程度の方がずっと楽しめるような気がします。

以上

過去記事の追記でした


お城巡りランキング
タグ:暗渠と城跡

2020年03月29日

川のなごりに降るなごり雪 

3月29日に雪?さいたま市としては珍しい天気となった日曜日、花見も兼ねて、以前から気にしている川跡を訪ねました。

AnkyoUrawa202003 (6).jpg
ただの道のようですが、これは暗渠(あんきょ)です。地下に埋設された川や水路という意味に受け取って下さい。道の下ではいまも水が流れ続けています。

AnkyoUrawa202003 (1).jpg
奥へ進むと行き止まり。そこから先は川になっています。その手前に水門があります。地下を流れる水は、水門が設けられた出口から川へと流れ出ます。

AnkyoUrawa202003 (8).jpg
こちらが合流先の鴻沼川です。先ほど暗渠はいわば鴻沼川の支流ですね。ただし、最初から支流だったわけではなく、鴻沼川の蛇行を強制する過程で支流となりました。簡単に言うと、先ほどの暗渠こそが鴻沼川のもともとの流路なのです。

AnkyoUrawa202003 (4).jpg
再び暗渠。古くはこちらが本流。つまり、この道はかつての鴻沼川のなごりなのです。

川だった道に雪が降り積もる

違和感というか、不思議な感覚に囚われてしまうのは私だけでしょうかね?左手は高台になっており、鴻沼川はそこを避けるように一旦大きくカーブし、すぐ横をかすめるように流れていた訳ですね。

さて
せっかく桜が咲き誇っているので、高台へ向かうことにしました

AnkyoUrawa202003 (9).jpg
こちらは高台にある神明神社です

AnkyoUrawa20200329.jpg
満開の桜に雪が降り注ぎ幻想的でした。神社の後ろ側が更に高くなっていますね。古墳です。古墳時代後期と考えられている直径33m・高さ4.5mの円墳です。鴻沼川は江戸時代の新田開発の際に人の手によって造られた川なので、それよりずっとずっと以前の人の営みのなごりという事になります。

ということで
まもなく4月という日曜日に雪が降り、傘をさして暗渠と桜を楽しんだというお話でした。新型コロナウィルス対策で私も外出は減らしていますが、ほぼ人と会わないような所なら良いのではないかと思っています。この日は神社で一人、川沿いで一組とすれ違っただけで、暗渠に至っては人影すら見かけませんでした。誰も立ち寄らないような場所でも、ちょっと見方を変えるだけで結構楽しめる。当ブログに訪問頂けた方と、そのあたりを共有できれば幸いです。

■訪問
神明神社古墳
[さいたま市南区関]1-148-2


-----追 記-----
後日再訪したので画像を貼っておきます

Isuke202004 (5).jpg
雪は解け桜もほぼ散ってしまいました。いつもの景色です。支流としてご紹介した暗渠が頑張っていますね。

Isuke202004 (2).jpg
ほら、ここですよ。ちゃんと水は流れている

Isuke202004 (3).jpg
姿なくとも現役の川

Isuke202004 (6).jpg
行き止まり。あそこが先ほどの暗渠の出口

Isuke202004 (4).jpg
水門

Isuke202004 (1).jpg
神明神社古墳

以上です

■お勧め本■
静かなブームになりつつある『暗渠』に関する本のご紹介です。当ブログでは下記をお勧め致します。

暗渠パラダイス!(朝日新聞出版)
著者:高山英男/吉村生

はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
著者:本田創/山英男/吉村生/三土たつお

暗渠マニアック ! (柏書房)
著者:吉村生/山英男

※広告掲載期限切れのため書名のみ
タグ:暗渠
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 戦国大名今川家のなごり(観泉寺) 高家今川家菩提寺
  3. 3. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  4. 4. 土呂陣屋跡 旗本となった武田家臣・初鹿野信昌の足跡
  5. 5. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  6. 6. 法音寺城のなごり(野木町)
  7. 7. 山城山頂に残る神秘の溜池 金山城 日ノ池
  8. 8. 浜松城のなごり 家康が17年間居城とした城
  9. 9. 岡崎城のなごり
  10. 10. 和田堀 館跡の伝承がある杉並区の公園
  11. 11. 壬生城のなごり
  12. 12. 高天神城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
最新記事
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

クルマで行く山城さんぽ100 絶対インスタにアップしたい「絶対見たい名城」30選 (CARTOP MOOK ACTIVE LIFE 009)

[当サイトお勧め本]

図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防 (サイエンス・アイ新書) [ 萩原さちこ ]

小説上杉鷹山 (集英社文庫) [ 童門冬二 ]