アフィリエイト広告を利用しています

2017年04月30日

誇り高き成田氏と忍城(のぼうの城)

■成田氏百年■
忍城(おしじょう)の「成田氏」は、親泰・長泰・氏長の三代にわたって百年続きました。戦乱の世、しかも激戦区(現在の埼玉県北部)で百年続くのは大変なことです。前の記事で経済力の裏付けに触れましたが、それだけでは、もっと強い勢力(武田・上杉・北条など)に潰されてしまいます。

<城内>
shirononagori Oshi (1).jpg

■北条と上杉の狭間■
小田原北条氏の勢力が強まり、関東の北部へと進出し始めると、成田氏は北条の配下へ組み込まれます(忍城が攻め落とされた訳ではありませんが、この時城主の成田長泰は降伏する道を選びました) 。
北から上杉謙信 (長尾景虎)が関東に進出すると、北条配下の成田氏は当然抵抗しますが、結果として上杉謙信に従うことに。時を経て、上杉軍の小田原城攻めでは先鋒として北条氏の小田原城を攻めることになります。関東における上杉謙信の勢いには凄まじいものがありましたが、北条氏の小田原城は難攻不落の堅城。城攻めは失敗に終わり、謙信は軍を引くことに。その後のある事件がきっかで、成田氏は再び上杉氏の元を去ります。

■事件とは・・・■
謙信は小田原城を攻めたあと、鶴岡八幡宮を参詣し、そこで上杉憲政から関東管領職を譲渡されます。この時その事件は起きました。任式で成田長泰が下馬をしなかったことに腹を立てた謙信が、扇で長泰の烏帽子を打ち落しました。恥辱を受け、成田氏は兵を率いて居城へ戻ったそうです(史実かどうか諸説あり)

私は上杉家と謙信のファン。この話は謙信の武勇伝として漠然と記憶していました。ただ「のぼうの城」以降いろいろと成田氏のことも調べてみると、この事件の受け止め方も変わりました。

成田氏は高い誇りと反骨心を兼ね備えた家柄なのではないか・・・
この話も、謙信だけでなく、成田長泰の気質を伝えているものではないだろうか・・・

まぁ資料の信憑性とか、下馬しないことは本来失礼ではないとか、調べるときりがありません。
誇り高き成田氏」と捉えた方が、後に秀吉の天下軍が「唯一落とせなかった忍城」という史実と繋がりやすく、更には「のぼうの城」に登場する「のぼうさん(成田長親)」の常識を覆す戦いまする」とも一致します。
学者ではないので、私はそう思うことにします。

<のぼうの城>
FANmybook (2).JPG

最後に「のぼうの城」ののぼうさんの台詞をご紹介して終わりにしたいと思います。

小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。

ならば無能で、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。

それが世の習いと申すなら、
このわしは許さん



お城巡りランキング
タグ:関東七名城
posted by Isuke at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6219497
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)