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2022年01月10日

赤山陣屋のなごり

つわものどもが夢の跡
今回は久々の訪問となった川口市の赤山陣屋の話です。

<赤山陣屋堀跡>
Akayamajinya-WestSide.JPG
極寒の師走、一人でてくてくと歩いてきました

■伊奈忠治の陣屋■いな ただはる
ここ赤山陣屋は、江戸時代の関東において、治水事業・新田開発で功績を残した伊奈氏の本拠地です。伊奈氏三代目の忠治により築かれました。

<赤山陣屋入口>
Akayamajinya-Entrance-Stone-Monument.JPG

<赤山日枝神社> あかやまひえじんじゃ
Akayama-HieJinjya-Torii.JPG
Akayama-HieJinjya.JPG
盛り土の上に鎮座する日枝神社。空堀を造成する時の土を積んだとされています。

拝殿近くの説明板に「山王三社」に関する記載がありました。赤山陣屋にはもともと天神社・八幡社・御陣山稲荷社が各々鳥居を構え別棟で祀られていました。しかし陣屋なきあと荒廃し、明治になって合祀され、赤山村の鎮守とされたようです。

<本殿>
Main-shrine-HieJinjya.JPG
日枝神社という社号は明治以降です


<伊奈陣屋説明板>
Akayamajinya-Information-Plate.JPG
伊奈氏と赤山陣屋、そして伊奈氏の成した事業について説明がなされています。

ここに限らず、陣屋跡のあちらこちらにこういったプレートが設置されています。大変広いので、縄張り図とともに現在位置が表示されているのがありがたいです。その縄張りですが、本丸と二の丸を基本として、周囲に家臣の屋敷のための曲輪を、北側には出丸を配置した構造となっています。平面図の上では複雑な縄張りには見えませんが、沼地を含むもともとの地形を活かした巧みな設計になっています。土木事業で名を馳せた伊奈氏ですので、当然なのかもしれませんね。

<東堀>
Akayamajinya-Horiato.JPG
先ほどの日枝神社(山王社)近くの堀跡。陣屋の東側です

<赤山城址碑>
Akayamajinya-Castle-Stone-Monument.JPG
本丸の最南端付近の城址碑。両脇には説明板が設置されています。かつての本丸虎口はこの辺りと考えられます。

<説明板>
Akayama-Castle-Map-Information.JPG
地図とともに詳細な説明が記されています。一部抜粋させて頂くと『伊奈半十郎忠治が、元和4(1618)年頃に在地支配と開発事業の拠点とするために築いたと言われています。以来、10代忠尊が改易された寛政4(1792)年までこの地に存続しました』とのこと。

本丸と二の丸だけでも約110,000u、周囲の家臣持ち分の区画なども含めると約770,000uにも及ぶ広大なものだったことも記されています。伊奈氏が管轄する土地は30万石を越えますが、藩主ではなく、あくまで幕府の土地を管理する代官です。それゆえ陣屋と呼ぶのが正しいのかもしれませんが、規模や構造でいうと城といった方がしっくりくるかもしれません。

<本丸跡>
Akayamajinya-Homaruato.JPG
いまは何もありませんが、宅地化されてしまうことなく、陣屋跡として維持されています。

<南堀跡>
Akayamajinya-Minami-Hori.JPG
植木に保護されるようにして、かつての南堀が残されています

<西堀>
Akayamajinya-West-Moat.JPG
Akayamajinya-West-Moat-Bend.JPG
この付近も整備された堀跡ではありますが、何となく昔の雰囲気が漂います

<二の丸>
Akayamajinya-Second-Section.JPG
陣屋跡は一部で私有地と区別がつかないところもあります。見学する方は、少なくとも畑に足を踏み入れるのはやめましょう

<二の丸の最西端>
Akayamajinya-Ninomaru.JPG
二の丸の西の端です。あまり凝ってない平らな区画が良いですね。曲輪の向うは斜面になっており、縄張り図と一致します。曲輪の奥の方(画像だと右手)に土が盛ってあり、一段高くなっています。物見のための区画と受け止めましたが、詳細は不明です。

<赤山陣屋の北側>
Akayamajinya-Castle-North-Side.JPG
竹林に囲まれた雰囲気の良いエリアです

<北堀>
Akayamajinya-North-Moat.JPG
低くなっているところが、そのまま北側の堀と推定されます。前回訪問した時は、ここが陣屋の最北端と思っていました。しかし今回の訪問で、更に北に出丸があったことを知りました。

<外環道路>
Elevated-Road-Akayama.JPG
出丸とされる区画はあの外環道路の向こう側になります

<出丸案内板と出丸跡>
Akayamajinya-Castle-Outside-information.JPG
現在は霊園墓地となっています。遺構はありませんが、出丸の周囲は沼地だったことが何となく伝わってくる場所でした。地形を味わうという意味では、訪問してみて良かったです。

■関東郡代伊奈氏■
赤山陣屋を築いた伊奈忠治は、家康に古くから仕えていた伊奈忠次の次男です。関東諸代官を統括する役割を担っていた父の後継者となり、父と同じく治水事業・新田開発で実績を残しました。また、幕府の直轄領の管理(年貢の管理といった農政全般から裁判・警察といった役割を含む)も任されています。関東郡代とはこの役職のことで、伊奈忠治が初代とされています。伊奈氏はこの役職を世襲し、長きに渡って天領支配に関わりました。伊奈氏の正式な肩書は複数人いる関東代官頭であって、関東郡代は自称とする説もあるようですが、代官として担った役割は同じです。


■陣屋の破却■
三代目忠治以降も、伊奈氏は土木事業を中心に業績を残し、更に飢饉の際の貧民の救済や百姓一揆鎮圧など、領民と直接関りのあるお役目を担い続けました。幕府の財政を下支えし、領民からも信頼を得ていた伊奈氏ですが、12代目忠尊の時に諸々の不祥事で罷免され、所領は没収となりました。163年間も続いた赤山陣屋は、この時に取り壊されました。

<つわものどもが夢の跡>
Akayamajinya-Higashi-Hori.JPG
伊奈一族が拠点とした陣屋跡です

--------■赤山陣屋■--------
別 名:赤山城
築城年:1629年(寛永6)
築城者:伊奈忠治
屋敷主:伊奈氏3代〜12代
廃城年:1792年(寛政4)
[埼玉県川口市赤山]

■参考及び出典
・現地説明板(川口市教育委員会)
・企画展冊子(川口市教育委員会)
 「“みち”との出会い〜赤山街道〜」
・Wikipedia:2022/1/10




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タグ:伊奈一族
posted by Isuke at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
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