2021年10月11日

敗軍の将 終焉の地(川越市)大道寺政繁供養塔

つわものどもが夢の跡
小田原北条氏の重臣だった大道寺政繁の終焉の地の話です。

<大道寺政繁供養塔>だいどうじ まさしげ
Didouji-Memorial-Tower.JPG
北条氏康・氏政・氏直の三代に仕えた大道寺政繁の供養塔です。多方面で活躍した政繁の終焉の地はここ川越でした。

■ 御由緒六家 ■ごゆいしょろっけ
大道寺家小田原北条氏配下屈指の名門家です。いかに重要視されていたかは、WIKIさんの御由緒六家に関する説明を読んで頂ければ伝わると思います。
『若き日の伊勢新九郎入道宗瑞(北条早雲)は、伊勢国の大道寺・多目・荒木・山中・荒川・在竹の6人と親しく交友していた。あるとき7人で関東へ修行に下ることになり、神水を酌み交わして「この中の誰か1人が大名になったら、他の者は家臣となってその人を盛り立て、国をたくさん治めよう」と誓い合い、それぞれ関東へ下った。早雲は今川氏親から駿河国富士郡下方庄を賜った後、6人の兵を招いて伊豆国へ討ち入り、6人は早雲の家老となって伊豆国を治めた。』
[出典元:Wikipedia]
つまり大道寺家と北条家は昨日今日の付き合いという訳ではないということです。政繁はその三代目で、代々の通称である孫九郎を名乗り、北条の主要な合戦での武功のみならず、任された職や町の統治、更には治水や農地開発などでも実績を残しました。

名実ともに実力者

だったわけですね


■北国軍を迎え撃つ■
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が始まります。20万を超える大軍は複数に分かれ、関東に迫りました。このうち、東山道から侵攻する北国軍(前田利家上杉景勝真田昌幸他)を食い止めるべく、大道寺政繁は碓氷峠に出陣します。

しかし兵力の差は明らか。敗走を余儀なくされ、松井田城に籠もります。松井田城はもともとあった城に政繁が大改修を施した堅城。しかし、圧倒的な大軍を防ぎきることはできませんでした。水も兵糧も底をつき、開城降伏となりました。


■ 敵の案内役 ■
大道寺政繁がどんな条件で降伏したのかはわかりません。ただ、その後に敵である豊臣勢の案内役をかってでたことは事実のようです。北条方の忍城、松山城、鉢形城への道案内に続き、八王子城では自身の率いる兵を突入させ、豊臣側の勝利に貢献しました。

裏切り?

そういう評価もあります。ただ、私はきっと深い考えがあってのことだと思っています。理由?根拠はありません。ただ、そう思いたいという理由はあります。

それは
『花の慶次』に描かれた大道寺政繁が
慶次も認める猛将だったから


たったそれだけです。
 

■ 開戦責任 ■
小田原城が陥落した後、大道寺政繁は秀吉から切腹を命じられます北条氏政・氏照の兄弟、そして重臣の松田憲秀らと同じく、開戦の責任を咎められてのことです。

豊臣軍に協力したのに?

この結末には、秀吉が寝返り行為を嫌ったから、あるいは秀吉家臣と意見が対立したからなど諸説ありますが、はっきりとはしていません。

政繁は自らの本城である河越城下常楽寺にて切腹して果てました(1590年8月18日:享年58歳)。

<常楽寺表門>じょうらくじ
Kawagoes-yakata-ato-temple.JPG
政繁の供養塔がある埼玉県川越市の常楽寺です。墓所は群馬県安中市の補陀寺にあります。

<本堂>
Didouji-Masashige-Joushinji.JPG
本尊は阿弥陀如来。常楽寺は地元豪族・河越氏の持仏堂が始まりとされています。

そして

<大道寺政繁供養塔>
Didouji-Masashige-Memorial-Tower.JPG
大道寺政繁の供養塔は一般の方のお墓と同じ区画にあります。当ブログ、お墓はなるべく掲載しないことにしていますので、画像に手を加えさせて頂きました。

<法名>
Dharma-Name.JPG
法名は松雲院殿江月常清大居士


■ 敗軍の将 ■
敵に寝返ったような形で終わってしまったことは残念です。どんな複雑な事情があったのか、もはや知るすべがありません。3万5千の豊臣勢に対し、松井田城に立て籠った大道寺政繁の兵は3千。約1ヶ月間持ち堪えましたが、援軍が来るあてもなく、政繁は城兵の助命を条件に降伏する道を選びました。

よく『城主の切腹と引き換えに城兵は救済される』といった話を耳にしますが、これは戦国時代を通しての価値観ではありません。大道寺政繁が戦った北国軍の実質的なリーダーである前田利家は、鉢形城を攻めて開城させた時も、城主の北条氏邦を助命しています。敗軍の将がすなわち切腹というわけではないのです。また、寝返った者が先鋒に回されるという例も、戦国の世では珍しいことではありませんでした。試されて当然ということです。つまり、大道寺政繁が降伏後に腹を切らず、自軍の城に攻め込んだ行動は、当時としてはそんなに不自然なことではなかったように思われます。

<つわものどもが夢の跡>
Masashige-Memorial-Tower.JPG
この地が大道寺政繁終焉の地となりました。どんな思いでこの世を去ったのでしょうか。豊臣軍に勝てないことを悟った政繁は、自分や家来のことのみならず、敗戦後の北条家及び家臣団の存続のことまで考えていたような気がします。そのようには語り継がれていませんが、敗れた大道寺政繁は何かを語る立場にはありませんでした。

ということで
大道寺政繁と終焉の地に建つ供養塔のご紹介でした。極めて個人的な意見も混じっておりますが、ただの会社員のブログということでお許し下さい。

■訪問:大道寺政繁供養塔
(常楽寺)

[埼玉県川越市上戸]194

■参考及び出典
・Wikipedia:2021/10/12
花の慶次〜雲のかなたに〜
(原作:隆慶一郎/作画:原哲夫)



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posted by Isuke at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
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