<白鶴城址碑>
こちらは岩槻城鍛冶曲輪跡に建つ城址碑です。白鶴城址碑と刻まれています。
以下はWikiさんからの抜粋です
『築城を命じられた太田道灌は、沼のほとりで2羽の白鶴が木の枝を水面に落とし、その上に舞い降りたことから、たくさんの竹をたばねて沼に埋め、盛土をして城づくりをし、岩付城ができたという』
[出典:Wikipedia:2020/8/13]
情景が目に浮かぶような言い伝えです。これが『白鶴城』という名の由来です。岩槻城が『竹束の城』とも呼ばれる所以でもあるわけですね。
<岩槻城址公園>
ここはかつて深い沼地でした
<蓮池と八ツ橋>
本丸を取り囲んでいた沼は姿を消しましたが、整備された城址公園に、そのなごりを感じることができます。橋はかつての岩槻城とは無関係ながら、朱塗りの橋が見事で、訪れる人の目を楽しませてくれます。
沼地や湿地などに生息するツル。今でこそ生息地が限られますが、かつてはここ岩槻でも、その姿を見ることができたのでしょうね。
ということで
鶴が舞い降りる様子をヒントに、沼を埋め立てて城を築いた。これが白鶴城の名の由来というお話でした。ちなみに、太田道灌の幼名は鶴千代です。
■訪問:岩槻城鍛冶曲輪
[さいたま市岩槻区太田]
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タグ:太田道灌