2019年10月01日

水戸城のなごり

つわものどもが夢の跡
水戸徳川家の居城跡を訪問しました。
<大堀切>
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二の丸と本丸を隔てる大堀切跡です。なんという高低差!ここまでとは思っていなかったので、しばし見惚れました。

■常陸江戸氏の居城■
水戸城と言えば徳川御三家の一つである水戸徳川家の居城として有名ですね。ただ城そのものの歴史は相当長く、築城は平安時代末期又は鎌倉時代初期頃まで遡ります。常陸国の武将で源頼朝に従った御家人・馬場資幹(すけもと)がこの地に城を築いたのが始まりと言う説が一般的です。馬場氏の居城であったことから、当初は馬場城と呼ばれていました。

室町時代に入ると、関東では鎌倉公方と関東管領による対立が起こり、関東管領に味方した馬場氏は、公方に味方する江戸氏(常陸江戸氏)に敗れることになり、城も失ってしまいました。

新たに城に入った江戸氏の支配は、その後170年も続きます。超安定政権ですね。ただ、江戸氏はそれまで結びつきの強かった常陸の名族・佐竹氏と対立するようになっていきます。やがて戦国末期、関東の諸大名の明暗をわけた豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)おいて、江戸氏は北条氏側に、佐竹氏(義重・義宣)は豊臣側に味方する構図となり、結果として秀吉より常陸一国54万石を与えられた佐竹氏が、江戸氏を滅ぼすことになります(1594年)。佐竹氏は居城を太田城から馬場城へ移し、大改修を施すとともに名を水戸城と改めました。

私の勝手な思い込みで、水戸城といえば徳川氏の前は佐竹氏という印象でしたが、思いのほかその歴史は短く、関ヶ原の戦い後すぐ、佐竹氏は家康の命で水戸から出羽国秋田に移されています。関ヶ原の戦いでの曖昧な態度(西軍に与した疑い)が原因と言われています。


■水戸徳川の城■
1602年(慶長7年)に、家康は佐竹氏に代わって自らの五男(信吉)を水戸に入城させましたが、もともと体が弱く、21歳の若さで亡くなってしまいます(1603年)。子は無かったため、次に十男の徳川頼宣が20万石で水戸城に入城。その頼宣が駿府(50万石)へ移ると、今度は十一男の頼房が下妻城より25万石で入城。頼房は常陸水戸藩の初代藩主となり、これ以降明治時代の廃城まで、水戸城は水戸徳川家の居城であり続けました。

<徳川頼房像>
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水戸徳川家の祖となった頼房の銅像です。

<徳川光圀>
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こちらは駅前で撮影。ご存じの黄門様です。光圀は常陸水戸藩の第2代藩主です。頼房の三男、つまり家康の孫にあたります。


■縄張り■
水戸城はとにかく広いので、まず全体を頭にいれて探索した方が楽しいですね。
<二の丸展示館>
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水戸城の歴史を紹介した展示館です。城の模型が展示されていると聞き、ちょっと立ち寄らせて頂きました。

<水戸城模型>
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手前(方角だと東側)の本丸から二の丸、三の丸と連なる連郭式縄張りです。本丸の更に東側に「東二の丸」も配置されています。こうして曲輪の配置だけを見ると平城のようですね。でも南に千波湖(せんばこ)、北側に那珂川が流れる丘陵に築かれていますので、分類は山城(平山城)で良いと思います。石垣は使用せず、城の基礎は土塁と空堀で構成される土の城。ここに建造物を設けて城の体を成していました。豪華な天守といったものもなく、広いとはいえ徳川御三家の居城のわりには質素なつくりと言えます。


■城のなごり■
水戸は言うまでも無く地域の中核都市として開発が進んでしまっていますが、市街地化された城跡を散策すると『城のなごり』を残そうとする工夫が随所にみられます。堀や歴史的建造物の保存もさることながら、公立学校の門や塀も昔を思わせる手の凝ったものが多く、かつてこの地が水戸城であったことを感じずにはいられません。私はただの訪問者ですが、ここで実際に暮らす人たちにとって、誇りといって良いのではないでしょうか。とても羨ましい環境でした。

<三の丸の外堀跡>
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三の丸西側の堀跡です。まぁ水戸城の外堀になりますね。城のなごりを意識して演出している場所が多い中、こちらはどこの城跡でも目にするほのぼのとした光景です。地味ではありますが、水戸城を代表する遺構ではないでしょうか。

<弘道館>
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三の丸の弘道館。9代藩主斉昭が水戸城内に開いた藩校です。長州藩の明倫館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称されました。最後の将軍となる徳川慶喜も、幼少期にここで学んだそうです。ちなみに、偕楽園の造園も斉昭が藩主の時です。

つづいて二の丸方面へ

<大手橋>
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大手門へ繋がる橋。ここに最初に橋を設けたのは佐竹義宣。徳川の時代に橋が修復され、大手橋と呼ばれるようになったそうです。

<堀跡>
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二の丸と三の丸の間の堀です。堀跡は県道として利用されています。

<大手門>工事中
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私の訪問は2019年の夏。復元整備の真っ最中で、門を潜ることはできませんでした。迂回して門の内側から撮影。ちょっと残念でしたが、秋には立派な姿を見られるそうです。楽しみですね。


<二の丸跡の街並み>
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大手門近くの公立中学。城を意識した立派な造りです。先ほどの『二の丸展示館』のお隣です。二の丸は学校が立ち並ぶ文教エリアとなっており、要所要所に説明板が設置されています。

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茨城師範学校跡

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水戸城三階櫓跡。かつてあったと伝わる櫓はここに建てられていたわけですね。水戸城に天守はなく、ここ二の丸の御三階櫓が天守の役割を果たしていました。昭和まで現存していましたが、1945年の水戸空襲で焼失したそうです。

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二の丸御殿跡

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巨木「水戸城跡の大シイ」から杉山門方面を撮影。この先を更に東へ向かえば本丸跡です。

<本城橋>
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二の丸跡と本丸跡の間の堀切に架かる橋です。

<深い堀切>
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この高低差には驚きました。比高で20m以上はありそうです。

<堀の底>
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JR水郡線です。貴重な堀跡に線路が敷かれていることについては賛否あるようですが、遺構を壊さず街を栄えさせるためなので、私は良い光景だと感じました。

<旧水戸城薬医門>
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橋を渡った先、つまり本丸の県立水戸第一高校。その敷地内で、立派な城のなごりと出会えます。復元ではなく、こちらは現存する貴重な遺構です。職場にここの卒業生がいるのですが、とても謙虚な人で、母校の自慢話を聞いたことがありません。今度会ったら『もっと自慢しろ!』と言ってやりたいです。素敵なことです。

<念のため>
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私は不法侵入ではありません。校門は通過しましたが、薬医門の手前までは入って良いことになっています。それより先は関係者以外入ってはいけません。

<校門>
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お邪魔しました。そもそも校門の脇が土塁になってますね。これも水戸城のなごり。私の目には、校門が虎口に映ります。素敵なことです。


■つわものどもが夢の跡■
日本100名城にも選ばれている水戸城。スケールも都市化も雰囲気を残そうとする整備も凄かったので、最後に敢えて地味な土塁跡だけ選んで貼っておきます。

<街の中の土塁>
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長きに渡って江戸氏の拠点だった城を佐竹氏が改修。その後はずっとずっと徳川氏の居城でした。散在する遺構、そして城だったことを強く意識して整備された街並み。そのすべてが水戸城のなごりです。

-------■ 水戸城 ■-------
別 名:馬場城 水府城桂城
築城年:鎌倉初期(又は平安末期)
築城者:馬場資幹
改修者:佐竹義宣・徳川頼房
城 主:馬場氏・江戸氏・佐竹氏
   水戸徳川氏(藩主として11代)
廃 城:1871年(明治4)
[茨城県水戸市三の丸]


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タグ:日本100名城
posted by Isuke at 04:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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