アフィリエイト広告を利用しています

2019年03月09日

高坂館跡 北条氏の土塁・加賀爪氏歴代の墓

つわものどもが夢の跡
関東の城好きの間ではよく知られている「高坂館跡」を訪ねました。場所は埼玉県東松山市です。

■始まりは高坂氏■
<高坂館跡>
shirononagori319 (1).JPG
東武東上線の高坂駅を出て平坦な住宅地を北東へ向かうと、突然土塁が現れます。徒歩10分くらいですかね。江戸氏の流れをくむ豪族・高坂氏が、この地に館を構えたことに始まるとされています。

<高済寺>
shirononagori319 (4).JPG
現在は曹洞宗寺院の高済寺となっています。創建は江戸時代です。

<城山稲荷と土塁>
shirononagori319 (5).JPG
城山稲荷という名が、ここがどんな場所だったのかを物語っていますね。背後には土塁。もともと土塁の上にあったようですが、諸事情で土塁が削られた際に移設されたそうです。

高坂氏は、のちに河越氏当主の河越直重を中心とする一揆に加勢しますが、足利氏満に敗れ、領地替えにより当地を去ることになったようです。


■北条氏の足跡■
やがて戦国時代となり、北条氏松山城を攻める際に高坂に陣を置いたとされています。現在確認できる土塁や堀は、この時(1562年)に築かれたものと考えられています。

<北条氏の土塁跡>
shirononagori319 (2).JPG
ということは、この土塁跡は、やがて関東覇者となる北条氏の足跡ということですね!

<土塁跡と堀跡>
shirononagori319 (3).JPG
手前は堀跡。現役の時は、もっと深かったことでしょう。

実は、高坂氏の館は当地に隣接する別の場所(高坂弐番町遺跡)ではないかとする説もあります。これについて詳細は触れませんが、残された遺構が松山城を攻める北条氏により築かれたことは史実。それだけでも、見る価値が充分にあります。

<土塁の上>
shirononagori319ad (2).JPG
土塁の上から撮影。右手が堀跡です。

<堀跡>
shirononagori319 (8).JPG
部分的に埋められてしまっています。このあたりが城好きの間で話題になっている点ですかね。つまり、この遺構は失われてしまうのではないかと。私の訪問は2019年の1月下旬です。貴重な歴史の痕跡、このまま変わらないと良いのですが・・・


■名族・加賀爪家■ かがつめ
<土塁の奥>
shirononagori319ad (1).JPG
土塁が一段と高くなっていますが、その付近に何かあるようです。行ってみますかね。

<加賀爪氏累代の墓>
shirononagori319 (7).JPG
この先、土塁の北端には加賀爪家歴代の墓がありました。お墓の撮影は避けたいので、それと分かるものをいくつか貼っておきます。ちなみに、この土塁そのものが、もともとあった古墳を利用したものと考えられています。土塁で高い場所と聞けば、城好きならまず物見台を想像しますよね。この土塁の場合、古墳のなごりと考えられているようです。

<説明板>
shirononagori319 (11).JPG
加賀爪家に関する説明です。

<土塁下>
shirononagori319 (6).JPG
こちらは土塁の下になりますが、「加賀爪氏累代之墓」と刻まれています。

加賀爪家は上杉諸派のひとつ八条上杉家の流れをくむ名族加賀爪上杉家とも呼ばれています。

徳川家康が関東に入ると、ここ高坂に3千石を与えられた加賀爪政尚(6代当主)が高坂館の主となります。加賀爪政尚は若いころから家康に仕えてきた人物。小牧・長久手の戦いや、関ヶ原においても武功を挙げました。しかし1596年の慶長伏見地震の際に、伏見城の城門の下敷きとなり亡くなりました。

加賀爪家を継いだ忠澄は旗本となり、江戸町奉行や目付にも任じられていますが、江戸の火災で陣頭指揮をとっている最中に殉職。二代続けて災害により亡くなったわけですね。

忠澄の跡を継いだ8代当主・直澄は、武蔵国高坂藩初代藩主、そして1万1500石の大名になっています。関東で1万石以上、立派ですね。ただ1681年、養子として加賀爪家に入った直清の時に領地問題(隣地とのトラブル)があり、加賀爪家は家禄を断絶されてしまいます。もともとの原因は、直澄が加増された時に、領地の境界線をしっかり確認していなかったことによるものとのこと。高坂の地を治めた名族、ちょっと残念な幕引きですね。

直澄は流罪となって土佐国の山内氏に預けられ、養子だった直清は実家でもある石川家(この時は神戸藩)にお預けとなりました。

■館跡の周辺■
<土塁の先>
shirononagori319 (10).JPG
加賀爪家歴代の墓より更に奥は、急斜面になっています。ではそちら側(北側)を探索してみますかね。

<高低差>
shirononagori319 (12).JPG
館跡の北側から撮影。土塁に加えて、もともとの高低差を実感できます。更に下へ行けるようなので、足を運んでみました。

<橋の供養塔>
shirononagori319 (14).JPG
橋があった。つまりは水が流れていた。この付近で最も低い場所と思って良いですよね。

<館の築かれた丘>
shirononagori319 (13).JPG
その低い位置から見た館跡がある丘です。左手の石碑が先ほどの供養塔です。

周辺はだいたいこんな感じですかね


■つわものどもが夢の跡■
<土塁と高済寺>
shirononagori319L.JPG
豪族・高坂氏から始まる古い歴史。小田原北条氏が築いた土塁。そして名族・加賀爪氏のなごり。地形にも納得し、満足な訪問となりました。願わくば、貴重な遺構がこのまま残って欲しいですね。

-------■高坂館 ■-------
別 名:高坂城 高坂陣屋
築城年:14世紀
築城者:高坂氏
改修者:北条氏
城 主:高坂氏・加賀爪氏
廃 城:詳細不明
[東松山市高坂]834


お城巡りランキング
posted by Isuke at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8624727
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)