アフィリエイト広告を利用しています

2018年11月27日

江戸無血開城に至る会談の場所 田町の薩摩藩邸跡

■西郷・勝会見の場所■
<西郷南洲・勝海舟会見の地>
shirononagori285 (4).JPG
新政府軍による江戸城総攻撃が開始される直前、攻める側の西郷隆盛と、幕府側の勝海舟の会談が行われた場所です。2018年大河ドラマ「西郷どん」の影響で、ちょっとした人気スポットになっています。

<現地撮影>
shirononagori285 (2).JPG
西郷と勝の会談

<現地撮影(地図)>
shirononagori285 (3).JPG
ここはかつて薩摩藩の蔵屋敷があったところ。

<三菱自動車>
shirononagori285 (8).JPG
現在は三菱自動車工業の本社ビルとなっています。

二人の会談はまず高輪の薩摩藩下屋敷で行われ、翌日この地にて2度目の話し合いがなされたようです。二人といっても、各々が複雑な事情をたくさん背負った上での交渉。条件が合意に至らない場合、戦もあり得ました。既にその準備はできていましたので。ギリギリの話し合いだったわけですね。


ちょっと移動して、同じく港区芝の別の場所へ

<薩摩藩上屋敷跡>
shirononagori285 (7).JPG
こちらは薩摩藩上屋敷跡。NEC本社ビルの敷地です。

<石碑>
shirononagori285 (6).JPG
冒頭の蔵屋敷跡から徒歩圏内。上屋敷があるなら、なんでここを会談の場所としなかったの?実は薩摩藩と対立関係にあった庄内藩の焼き討ちにより、薩摩藩の上屋敷は既に焼失していました。

<NEC本社ビル付近>
shirononagori285 (5).JPG
晩秋の薩摩藩上屋敷跡。将軍家に嫁ぐ篤姫が、江戸で暮らし始めた場所ということですね。


■江戸無血開城■
江戸城の明け渡しが決まりました。これにより、江戸城下は戦火を免れました。兵士のみならず、市民の命も救われたわけですね。

ただ、ここで戦はここで終わりませんでした。徳川家の本城が、戦うことなく明け渡された。この事実は、のちの会津戦争にも大きく影響したのではないでしょうか。そういう意味でも、今回訪問の地は、歴史的に重みのある場所だと思えました。

<田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)跡>
shirononagori285 (1).JPG
[東京都港区芝]5丁目


お城巡りランキング
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8337731
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)