2018年10月27日

早雲始まりの城 興国寺城

つわものどもが夢の跡
北条早雲の最初の居城として知られる沼津市の城跡を訪ねました。

<興国寺城>
shirononagori278 (12).JPG
北条早雲はのちに関東覇者となる小田原北条氏の祖。韮山城を拠点としたことで知られていますが、最初の城はここ興国寺城です。当時の名は伊勢新九郎盛時。北条早雲は後世の人による呼び名です。

■興国寺城■ こうこくじじょう
国の史跡に指定されています。山の麓に位置し、低湿地に向かって半島状に突き出した台地上に築かれました。城の東西は谷、南方は低湿地という天然の地形を上手く活かした縄張りです。

先述の通り、北条早雲が旗揚げした城として有名ですが、ここ沼津はそもそも戦国時代の激戦区であり、北条氏のほかに今川氏武田氏、そして徳川氏とも関わりのある城です。東海道に続く竹田道と根方街道が交差する交通の要所。重要拠点であり続けたわけですね。

■築城■
築城の時期は不明です。1487年頃の今川家の家督争いで、今川氏親を助けた北条早雲が富士郡に所領を与えられ、この城に入ったということですから、その時には既に興国寺城は存在していたわけですね(早雲が築城者ではない)。この地にはもともと興国寺という寺があり、寺の移転後に城が築かれました。

■現地訪問■
低地から山に向かって曲輪が配置された連郭式の山城です。南側の低地から探索を開始しました。

<平地>
shirononagori278 (7).JPG
昔は湿地だったと思われる平地

<平地との高低差>
shirononagori278 (3).JPG
この高低差が城の始まり。奥へ進むほど高くなっていきます。

<三の丸から二の丸>
shirononagori278 (5).JPG
手前が三の丸。奥に向かって二の丸、本丸と続きます。曲輪同士の高低差はあまりなく、緩やかな山の裾野を平らに造成して築いたようですね。奥がこの城の見どころですが、当初城が築かれたのはこの三の丸付近(16世紀半ば頃)で、奥へ向かって拡張していったようです。湿地帯の微高地を利用した小規模な城から始まったわけですね。

<本丸>
shirononagori278 (8).JPG
一番広い曲輪です。奥が行き止まりになっていますね。山の一部?と見間違いますよね。あれがこの城の最大の特徴と言えるでしょう。

<本丸の北側の土塁>
shirononagori278 (9).JPG
圧倒的な迫力の「土塁」です。

当然登りますが、その前に土塁手前(つまり本丸の奥)の神社へ

<穂見神社> ほみじんじゃ
shirononagori278 (10).JPG
穂見神社です。創建は1857年。安政の大地震による津波の影響(塩害)で凶作が続き、この地に農業神を祀るに至ったようです(現在の山梨県南アルプス市の穂見神社から分祀)。
右手には北条早雲、そして家康の家臣で駿河国興国寺藩主となった天野康景の碑があります。

<幟と説明板>
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続日本100名城スタンブラリーの幟が風になびいていました。左手は説明板。すぐ裏は土塁。

<説明文>
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戦国大名北条早雲が初めて城主となった城・・・

<北条早雲石碑>
shirononagori278 (14).JPG
説明文にもありますが、ここがあの北条早雲の旗揚げの場所かと思うと、何とも感慨深いですね。初代城主と彫られてますが、どうなんでしょうか。まぁそこはあまりこだわりません。早雲は今川氏の後継者をめぐる対立を解決し、領地を与えられてこの城に入りました。やがて堀越公方家(足利茶々丸)を倒し、韮山城を築城して伊豆を制覇。小田原、三浦半島へ勢力を拡大しました。

さて、いよいよ土塁の探索です。

<土塁の上の道標>
shirononagori278 (21).JPG
先ほど神社の上が天守台。そして土塁の向こう側は巨大な空堀となっています。

<土塁の上から撮影>
shirononagori278 (24).JPG
下に見えるのは先ほどの神社。高さもあり急角度です。

<土塁上から見た本丸>
shirononagori278 (23).JPG
凄い眺め

<堀側を撮影>
shirononagori278 (19).JPG
深い・・・

shirononagori278 (17).JPG
急勾配・・・

ではその堀へ降りてみますかね

<大空堀の中>
shirononagori278 (27).JPG
見事過ぎる大空堀。美しさすら感じます。画像だと普通の堀に見えてしまいますが、かなりの深さです。

<人と比較>
shirononagori278 (25).JPG
ちょっとスケールが伝わらないので友人に登場してもらいます。後ろ姿だから勘弁ね。

<人と比較2>
SN278facemsked.JPG
先を行く友人は右折、北の丸を目指して再び登り始めました。手前は振り返った私です。別の友人が撮影してくれました。この堀がどれだけ深いか、分って頂けると思います。

<大空堀の底>
shirononagori278 (29).JPG
そろそろ出口へ

<堀の途切れるところ>
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構造的に、普段は城の出入り口しても使用されていたのではないかと感じましたが、あくまで個人の感想です。右手に石垣のようなものが映っていますが、そういう地層と考えた方が良さそうです。

<出口>
shirononagori278 (31).JPG
出ました。かつては湿地だったと思われる低地です。

それにしても凄い土塁と空堀でした。こんな莫大な土を全部積み上げたのか?詳細不明ですが、山の麓に位置していることから、もともとの不規則な傾斜地を利用し、本丸側と堀側の両方を削り、その土も盛ったと想像する方が現実的なように思います(これも個人意見です)。


■江戸初期まで続く城■
繰り返しになりますが、この地は有力な戦国大名がしのぎを削った場所。興国寺城の主は、今川・北条・武田・徳川といった具合に目まぐるしく変わりました。

北条氏の拠点が小田原に移っていた頃、興国寺城は再び今川氏配下の城になっています。その今川氏が桶狭間の戦いで敗れると、今度は駿河に侵攻した武田氏の城となりました。これを小田原の北条氏が奪回。しかし武田氏と北条氏はのちに和議を結びますので、興国寺城はまた武田氏の配下となります。この時は、武田一門の穴山梅雪の家臣・保坂掃部介が城主として興国寺城に入りました。その武田氏が滅ぶと、興国寺城は徳川の配下に。そして関ヶ原の戦いのあとは、家康の家臣である天野康景が城主となりました。

かなり省略しましたが、大筋はこんな感じです。諸説あるのを承知でまとめてしまいました。お許し下さい。

■最後の城主■
天野康景は三河の奉行として徳川家に貢献したのち、1万石を与えられて興国寺藩主となりました。農政や治水工事に尽力する優秀な藩主であったようですが、領内での揉め事の裁定を巡って失脚。蓄えていた資材を盗もうとした天領の農民を、自藩の足軽が斬ってしまい、この者を幕府に引き渡すことを拒否して出奔したそうです。

興国寺城の最後の城主、なんとも立派な方ではないですか!話の筋を重んじる方だったようですね。それにしても、三河時代からの忠義の武士にこんな思いをさせてしまっては、団結力の強い徳川家臣団の絆にひびが入ったりしないのですかね?

康景が没したあとの話になりますが、息子の康宗は赦免され、天野氏は旗本として存続します。ということで、ちょっとだけ救われる話で納まっています。


■廃城■
天野康景の出奔が1607年(慶長12年)の出来事。このタイミングで興国寺城は廃城となりました。北条早雲がこの城に入ってから、百年以上あとの話です。

<つわものどもが夢の跡>
shirononagori278 (28).JPG
この城は早雲始まりの城です。まずそれだけで満足。そして巨大な土塁は早雲より後の時代のものと思われますが、これはこれで純粋に城として見事。ほれぼれする遺構でした。

来て良かった。

心からそう思える城跡でした。

-------■興国寺城■-------
別 名:根古屋城 杜若城
築城年:不明(15世紀後期)
築城者:不明
城 主:北条氏・武田氏・松平氏 他
廃 城:1607年(慶長12)

[静岡県沼津市根古屋]


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posted by Isuke at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[中部]
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