2018年09月27日

伊達家上屋敷跡 政宗終焉の地

日比谷公園の皇居よりの隅に、こんな説明板があります。

<説明板>
shirononagori271 (4).JPG
伊達政宗終焉の地と書かれていますね。むかしは無かったはず。ちょっと目をひくタイトルですね。

<屋敷跡>
shirononagori271 (5).JPG
要するに、この付近は仙台藩の伊達家上屋敷跡ということですね。

伊達政宗は米沢で生まれ、会津で覇権を争い、仙台に王国を築きました(仙台藩初代藩主)。その最期は、仙台ではなく江戸屋敷だった。そういうことです。
この地は1601年から1661年まで、伊達家の上屋敷(外桜田上屋敷)として使用されていました。

政宗が亡くなったのは1636年(享年70)。体調を崩した政宗を心配して、時の将軍である徳川家光が自らこの地にあった屋敷へ見舞いに訪れたそうです。政宗はかなり弱っていたようですが、身なりを整えて将軍を迎えました。その数日後、政宗はこの世を去っています。最後の最後まで「伊達」を貫いたのですね。その政宗が亡くなると、家光は江戸で7日、京都で3日の間服喪するよう異例の指示を出しています。徳川幕府の支配下にある諸大名の中でも、伊達政宗は特別な存在だったことがわかります。

政宗の亡骸は、大名行列により国元へ送られました。墓所は仙台にあります。


<日比谷見附跡>
shirononagori271 (1).JPG
冒頭の説明板は、日比谷見附跡を通り過ぎてすぐの場所です。
この日比谷御門、かつては高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、現在は石垣のみが残っています。江戸初期の工事(1629年)において、桝形を請け負ったのは仙台藩でした。そう、伊達政宗の仕事ということです。

<日比谷見附から見た内濠>
shirononagori271 (7).JPG
手前の石垣が日比谷見附跡の上部です。そして道路の向こう側に見えている濠が江戸城の内濠。実際に現地で眺めると、距離を実感できます。

<石垣の上>
shirononagori271 (6).JPG
いい眺め。最高のベンチです。

<心字池>
shirononagori271 (2).JPG
公園造成時に造られた池。ここはかつて水濠だった場所です。

<池と石垣>
shirononagori271 (3).JPG
城郭だった頃の雰囲気が伝わってくるようです。

ということで
『伊達政宗終焉の地』そのものに遺構のようなものはありませんが、近くの日比谷見附跡も、いわば伊達政宗ゆかりの地。そして城のなごりが漂う場所です。当ブログがきっかけで、足を止める人がいたら嬉しいです。

同じ景色も、ちょっと思い入れがあるだけで違って映ります。


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