2018年08月31日

小峰城 戊辰150年の夏

つわものどもが夢の跡
南北朝時代における名門家の築城から始まり、幕末の動乱においても重要な役割を担った城を訪ねました。

<小峰城>こみねじょう
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盛岡城・若松城とともに「東北三名城」と賞される名城です。

■現地訪問■
最寄り駅は白河駅。新幹線が停車する新白河のお隣です。そこから徒歩圏内。
<ホームから撮影>
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ホームから小峰城のシンボル・三重櫓が見えています。

<白河駅>
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駅の出口は南側、城は逆方向の北側になります。「反対側かぁ」と一瞬思いましたが、線路を潜る通路に満足しました。城に関する説明がぎっしりです。

<通路の壁>
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これはごく一部。歴史などについても説明がなされており、全部目を通すと、結構時間を要します。有難いですね。

<石垣の説明>
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石垣の積み方についても解説あり。帰り道も足を止めてしまいました。通路内なのでちょっと画像が暗くて申し訳ありません。

<通路の出口>
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通路を抜けるとこんな感じです。これは城郭の一部ではなく駅の付属施設。徐々に雰囲気が盛り上がります。

<現地到着>
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城の手前はかつての二の丸。公園として整備されています。厳密なことを言うと、先ほどの白河駅付近はかつての三の丸なので、既に城跡の中にいたとも言えますね。


■小峰城■
<二の丸の石碑>
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東北では珍しい総石垣造りの城郭。左手に見える石垣が途切れている部分が、本丸への入口「清水門」跡です。ここから入りますかね。

<清水門跡説明板>
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二の丸と本丸をつなぐ重要な門でした。

<内堀と石垣>
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清水門から見て右手の堀。2011年3月の東日本大震災により、この付近の石垣は崩壊し、しばらく一般の立ち入りは出来ませんでした。現在はこの姿。2015年4月に復興式が開催されたそうです。

<逆側>
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堀を通り過ぎて左手。ずっと奥が月見櫓跡。

<桜之門跡>
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いい感じです。ここから登ります。

<桜之門内側より>
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<三重櫓>さんじゅうやぐら
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字の通り、三重の屋根を持つ櫓(やぐら)です。ちなみに、二重なら二重櫓。一重なら平櫓といいます。

<三重御櫓絵図>
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現地の説明板です。


■戦略要地■
ここ白河は関東との境界に位置する奥州街道沿いの要地。いわば東北の入口です。古くから白河関(しらかわのせき)が置かれ、重視されてきました。
<駅前で撮影した地図>
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小峰城はそんな重要拠点の砦として、阿武隈川と谷津田川の間に位置する丘陵に築かれました。

■名門結城氏の城■
1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に城を築き、小峰城と名づけたのが始まりとされています。結城氏といえば、常陸国(茨城県)の名門家ですね。白河の結城氏も祖は同じです。一族の祖・結城朝光が白河庄に領地を得て、その子孫が移り住んだ。これが白河結城氏の始まりでした。親朝はこの白河結城氏の当主の嫡男。しかし家督は息子に継がせ、本人は別家として小峰氏を創設しています。

■奥州仕置■
その後も白河結城氏と小峰氏はおおむね良好な関係を保ち、互いに繁栄しました。しかし戦国期に入る頃にはその関係も悪化。いわゆる内紛が起きていました。更に外部からの侵攻も重なり、名門家は徐々に衰退していきます。そして1590年の秀吉による奥州仕置。小田原征伐に参加しなかった白河結城氏は、領地を失うこととなりました。白河は蒲生氏の所領となります。

■近代城郭へ■
江戸時代(1627年)に丹羽長重が10万石で入城。ここに白河藩が成立し、4年を費やして城は大改築され、近代城郭へ生まれ変わりました。

<三重櫓と前門>
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美しい佇まい。ともに1990年代の復元です。

丹羽氏?そうです。長重は、かつて織田信長に仕えた丹羽長秀の長男。秀吉の小田原征伐でも活躍しました。
しかし関ヶ原の戦いでは西軍に与したため失脚。徳川の世で、西軍はちょっとまずいですね。でも、それで終わらないのが丹羽長重の凄いところです。1万石の大名に復帰後、大坂の陣で活躍して徳川家に認められ、再び出世しました。小峰城の大改修は、領土なしから10万石にまでなった不死鳥の如き武将によってなされたわけですね。

<おとめ桜と石碑>
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城の改修の際、積み上げた本丸の石垣が何度も壊れました。そこで、なんと人柱を立てることに。その当日、最初に城に来た者という取り決めに従い、作事奉行の娘が人柱となりました。娘が埋められた所には桜の木が植えられ、「おとめ桜」と呼ばれるようになりました。
近代城郭へ変貌した大改修に付随して、そんな人柱伝説が語り継がれています。

<二の丸方向の眺め>
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分類は山城(平山城)でよいかと思います。

<逆側>
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城の裏手では、まだ修復作業が続けられていました。


■戊辰戦争■
江戸時代に多くの城主交代があった小峰城。歴代城主には、「寛政の改革」で知られる松平定信も名を連ねます。ただ全部ご紹介できないので、ちょっと(かなり)とばして幕末に話を移します。

諸事情(老中も務める藩主の失脚)により白河藩は幕領となっており、空き城となっていた小峰城は、二本松藩主の丹羽長国が預かっていました。そして1868年、丹羽長国は奥羽越列藩同盟として新政府軍と戦うことに。小峰城もその舞台となります。両軍は奥州街道の要衝だった小峰城をめぐって激突し、この時に城の大半は焼失してしまいました。

<本丸周辺の石垣>
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白河における両軍の戦いは、約百日にも及びました(1868年6月10日から8 月31日)。死者は千人を上回りました。この「白河口の戦い」は戊辰戦争全体のなかでも最大級の戦いであり、その後の両軍の運命に大きく影響したとされています。

<鎮護神山>
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本丸の東の鎮護神山。登った先には「戊辰薩藩戦死者墓」がありました。つまり戊辰戦争における敵方の墓ということですね。各地で戦死し、散在していた薩摩藩士の墓を合葬したものです。

<城内から撮影>
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会津藩・仙台藩を中心とした奥羽列藩同盟と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍が激突した地です。


■つわものどもが夢の跡■
<木造による復元>
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実質は天守閣の三重櫓。オリジナルは150年前の戊辰戦争によって焼失。これを鉄筋は使わず、かつての建築様式に従って木造により復元した貴重な建築物です。

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激しい歴史を刻み、後世の人の手によって蘇った城郭。日本100名城に名を連ねる素晴らしい城でした。

-------■小 峰 城■-------
別 名:白河小峰城・白河城
築城年:1340年
築城者:結城親朝
改修者:丹羽長重
城 主:結城氏・丹羽氏
榊原氏・松平氏 他
廃城年:1871年
[福島県白河市郭内]


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タグ:日本100名城
posted by Isuke at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]
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