2018年08月18日

いろは樋 つないできた水の流れ (志木市)

つわものどもが夢の跡
今回もまた水路関連のお話です。ただの水路ではありませんよ!何とかしようという人の思いが込められた江戸時代の「川を渡る水路」です。

<復元模型>
SN257irohadoi (1).jpg
これはかつて新河岸川に架けられた水路橋の復元(模型)です。川と川に挟まれた地区に、用水路の水を供給する目的で造られました。

■いろは樋■ いろはどい
始まりは1662年、つまり江戸時代です。乾燥した武蔵野台地を潤した「野火止用水(のびどめようすい)の水を、更に川を越えて対岸の村に送るために築かれました。当時その村(宗岡村)は、新河岸川と荒川に挟まれている影響から、水害にあう一方で恒常的な農業水不足に悩まされていました。これでは人の暮らしが成り立ちません。いろは樋はその救済のための水路橋ということですね。

<野火止用水跡>
SN257nobidomeyosui.jpg
こちらは志木市のおとなり新座市で撮影しました。

野火止用水は、現在の東京都立川市で玉川上水から分水し、埼玉県新座市を通って志木市で新河岸川へと流れて出ていました。この「あとは川へ流れ出るだけ」の水に、川を渡ってもらおうとしたわけですね。この付近を知行していた旗本・岡部忠直の命により、家臣の白井武左衛門が架設したと伝わります。

<下り竜>
SN257irohadoi (3).jpg
<登り竜>
SN257irohadoi (2).jpg

これら江戸時代の復元模型は、志木市本町の「市場坂上」交差点付近に展示されています。下り竜登り竜。下る?登る?説明すると下の通りです。

■ジオラマ模型■
私の下手な説明より、現地に展示されているジオラマ模型を見てもらった方が早いですね。
<ジオラマ模型>
SN257irohadoi (4).jpg
大きなガラスケースの中を覗けば、全容がわかるようになっています。これを上流から順をおって見てみましょう。

<野火止用水>
SN257irohadoi (5).jpg
まず野火止用水から。水は左から右へ流れています。一番右手の小屋の付近で小枡(こます)と呼ばれるところに一旦水を貯め、高低差を利用して水を加速させます。

<大枡>おおます
SN257irohadoi (6).jpg
次に小枡から流れてきた水をここでまた一旦貯め、更に勢いよく落とします。この落ちる部分が「下り竜」で、もともとの地形の高低差も利用し、更に地下までもぐります。地下の水路ですから、この区間はいわゆる暗渠となるわけですね。

<登り竜>
SN257irohadoi (7).jpg
地下に埋設された水路(暗渠)を勢いよく流れてきた水は、ここで地上に出た樋を一気に登ります。これが登り竜。ボンプもなしに下から上に移動するのですから、水はかなりの勢いで流れいるわけですね。

<掛樋>
SN257irohadoi (9).jpg
水は高さを維持して移動

<水路橋>
SN257irohadoi (8).jpg
新河岸川を渡ります

<宗岡村>
SN257irohadoi (10).jpg
総延長126間(260m)の水路橋のゴール。同時に野火止用水のゴールでもあります。

という感じですかね。

■名前の由来■
水路橋の柱が48本あったことから、いろはの文字数にちなみ「いろは樋」と呼ばれたそうです。

<展示されている写真>
SN257irohadoi (11).jpg
やや脆弱な造りに映りますが、この水路橋が宗岡村の人たちの暮らしを支えたわけですね。


■つわものどもが夢の跡■
洪水により何度も崩壊した木製の「いろは樋」は、明治期には鉄管やレンガ造りとなっていました。

<つわものどもが夢の跡>
SN257irohadoi (12).jpg
[志木市本町]2丁目
明治時代に使われていた大枡です。こちらは実物。とても貴重な歴史の痕跡です。志木市の指定文化財に指定されています。

進化し続けた。ということは、必要とされ続けたということですね。それぞれの時代のプロたちの仕事が、人の思いに応えて、水の流れを繋いできたわけです。いろは樋そのものはもう存在しませんが、痕跡はこうして残っています。

残してもらったという方が適切でしょうか。後世に伝えようとする人の思いにより、私も知る機会を得ました。ありがとうございます。
この記事へのコメント
真鍋清さま
知らないことばかりです!「いろは樋」のことはSNSで画像を見て知りました。あまり予習せず、とりあえず行ってみたので、到着するまで実物が展示されていると思っていました。現地の説明で概要を理解。その後いろいろ調べてブログにまとめてみました。しかしそのような絶妙な配置とは思いもせず。勉強になります。ありがとうございました。
Posted by Isuke 2020 at 2019年07月15日 19:41
野火止用水を志木市方面にも安定して波及させるために設けられた「いろは樋」、緻密で知恵に富んだ構造が今見ても惹かれると思います。
いろは樋再現モニュメントが設置された志木市本町の「市場坂上」交差点付近のこの小公園、もともとは柳瀬川の斜面林を切り開いて作られたものですが新河岸川/柳瀬川/野火止用水が交叉するこの界隈にクラシックな風情をもたらし、憩いと安らぎのうちに歴史的考古学を学べる好スポットではないでしょうか。
小生もこのポケットパーク(小桝/大桝/登り竜ほかの模型が設置)に立ち寄って休憩と瞑想に浸ることが多いです。
さてここ「いろは樋のポケットパーク」、埼玉県志木市を南北に貫く「主要地方道36号」保谷志木線とそこから西南方向に枝分かれする「一般県道113号」川越新座線が交差する区画に設けられていることはご存知でしょうか。当のポケットパークが位置する区画は登り竜/下り竜が県道36号と県道113号の境界付近にあり、大桝は両県道を仕切る横断歩道近く、小桝+埋樋は県道113号の歩道部分に面しているといった具合に広がりがあるのが特徴ですね。
ポケットパーク中で南西端にあたる「小桝+埋樋」設置区画(∴いろは保育園入口周辺)は道路区画上も「県道113号」川越新座線であると同時に「主要地方道36号」保谷志木線でもあるというのがユニークであるとともに、「主要地方道36号の支線」を兼ねる「県道113号」という機能を暗示し、そこへ実物大のモニュメントをアレンジするという設定が実に巧妙で心惹かれる現状なのです。
Posted by 真鍋清 at 2019年07月15日 15:02
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