2018年06月10日

保科正之と幻の天守閣 江戸城本丸跡

つわものどもが夢の跡
今回はいわずと知れた江戸城本丸跡です。外国人観光客が多い有名なスポットですね。梅雨の合間の晴れの日、広々とした曲輪まで登ってみました。

<天守台>
shirononagori239 (24).JPG
本丸の北側にある天守台。本来なら、この上に天守閣があるわけですね。

いや、久しぶりに見ましたがホントに大きいです。41m×45mという広さ。石積みの高さは11mとのこと。どんな天守閣を想定していたのでしょうか。


■江戸城の天守閣■
江戸時代初期、天守閣は権力の象徴でした。ましてここは将軍の城です。徳川家康のみならず、秀忠も家光もそれぞれ天守閣を築き直しています。家光のときには、五層構造の天守閣だったそうです。これが江戸城の歴史で最も壮大、そして最後の天守閣でした。


■天守閣は江戸初期のみ■
三代将軍家光が築いた天守閣は、明暦3年(1657年)の火災で焼け落ちてしまいました。翌年に天守台が築かれていましたが、城下の復興を優先すべきという考えから、再建は見送られました。そしてそれ以降、天守台の上に天守閣が築かれることはありませんでした。つまり、江戸城に天守閣が存在したのは、江戸初期の約五十年間ということになります。

<御影石>みかげいし
shirononagori239 (26).JPG
天守台の工事を請け負ったのは加賀前田家でした。この時の藩主は前田綱紀。威信をかけた大工事です。5千ともいわれる工夫を動員し、石材は御影石(カコウ岩ですネ)を瀬戸内から運ばせたそうです。その姿が、今に残る天守台です。

■保科正之■ほしな まさゆき
城下の復興を優先させることを提唱したのは、会津藩主の保科正之。家光の異母兄弟ですね。1657年3月2日の明暦の大火。この時の将軍は第4代の家綱でした。しかしまだ若く(17歳)、復興の指揮はサポート役である保科正之がとったと考えられています。

当時の江戸の大半を焼いたといわれる大災害に対し、保科正之は「天守閣より民の暮らし」を優先させる判断を下しました。
常識的?
いまの私たちの価値観なら当たり前かもしれませんが、当時ですからね。どういう葛藤があったのでしょうか。しかも天守台は出来上がっています。乱世の雰囲気が和らぎつつあっても、まだ安泰という時代ではありません。威厳を必要とする将軍家で、慣習を変える判断には抵抗もあったことでしょうね。まぁなにもかも推測の域を出ませんが、結果として、新たな天守閣の構想は幻となりました。

正之は、いわば将軍の隠し子。当初はその存在さえも明らかにされず、父・秀忠にとって側近の中の側近であった土井利勝など数名が承知しているのみでした。信濃高遠藩主保科正光が預かり、保科家の子として育てられました。やがて腹違いの兄・家光から信頼を得て、その遺言により将軍の補佐役となります。当時はまだまだ時代の変革期。保科正之の手腕は、後の徳川幕府の体制に大きな影響を与えています。

<幻となった天守閣の土台>
shirononagori239 (25).JPG
それ以降天守閣は築かなかった。だから天守台しかない。それはそれで、立派な歴史の痕跡だと思えます。

ちょっと話がそれますが、天守閣があったのは第4代将軍までなので、いわゆる「暴れん坊将軍」である吉宗(第8代)が、しみじみと天守閣を見上げるといったシーンには無理がありますね。まぁこれは「水戸黄門」他の時代劇にもありがちな演出ですので、容認してドラマそのものを楽しんだ方がいいですかね。


■つわものどもが夢の跡■
<紫陽花と石垣>
shirononagori239 (27).JPG
移り変わることは、悪い事ばかりではありません。既存の価値観の何が必要で、何が不要なのか。大切なのは、その選択ができる勇気なのかも知れませんね。保科正之はそれができる人だったのでしょう。幕府から松平姓を名乗るよう勧められましたが、正之が葵の紋を受け入れることはありませんでした。自分を育てた保科家への恩義だったと伝わります。


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posted by Isuke at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
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