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2018年05月19日

外濠さんぽ 四谷見附から赤坂見附

本日は土曜日ですが、仕事の関係でちょっと赤坂方面へ出かけることになり、ついでに江戸城の外濠と見附跡を楽しんできました。具体的には、四谷見附跡から赤坂見附付近まで。そもそも見附とは何かと言えば、見張り番を置いている場所のこと。城郭で見附と言えば、警備員を配置して厳重に監視する出入り口ということになります。四谷も赤坂も「江戸城三十六見附」に数えられる重要な出入り口。既にブログでは紹介済なので、今回は外濠とセットで、画像を中心にまとめさせて頂きます。

<四谷見附跡>
shirononagori232 (1).JPG
残っているのはかつての見附の一部ですが、相変わらず堂々としています。この石垣の右手(北側)の土塁も散歩道として楽しめますが、今回は赤坂方面に向かうので、左手(南側)へ向かいます。


<土塁の上の散歩道>
shirononagori232 (3).JPG
これは土塁の上です。いつもならこの土塁を見上げながら道路の歩道を歩きますが、今日は何となく登ってみたくなり、この道を選びました。

<現在位置>
shirononagori232 (2).JPG
冒頭の四谷見附と現在位置。このまま濠に沿って土塁の散歩道を移動します。この図だと左方向。方角だと南へ向かっています。

<真田濠>
shirononagori232 (4).JPG
この付近の外濠は真田信之が工事を請け負いました。真田濠と呼ばれています。現在の姿は上智大学のグラウンドですが、埋め立てられてなおもこの高低差。堀跡のこの区画と土塁だけで、立派な遺構と言えます。

四谷濠とも言われていますが、私は真田家のファンなので真田濠と呼んでいます。真田信之、つまり雪村のお兄さんですね。そして昌幸にとっては長男坊。

<新緑>
shirononagori232 (5).JPG
5月としてはやや気温が高くなりましたが、土塁の上は風が心地よく、気持ちの良い外濠さんぽとなりました。外濠は桜の時期もいいですが、みずみずしい若葉もいいですね。

<行き止まり>
shirononagori232 (6).JPG
土塁の上の緑の散歩道も、ここで終了。この先は「喰違(くいちがい)見附」と呼ばれたところで、一旦土塁が途切れます。位置で言うと、四谷見附と赤坂見附のちょうど真ん中くらいでしょうか。とりあえず階段を下りて一般道へ。

<弁慶濠>
shirononagori232 (7).JPG
土塁の切れ間となっている喰違見附跡付近から、外濠の続きを撮影。ここから先は弁慶濠と呼ばれています。外濠も見る場所によっていろんな魅力がありますが、弁慶濠は「かつての雰囲気を残す」と評価される区間。あまり手が加えられていないということでしょうね。ちなみに、ここ喰違見附も江戸城三十六見附に数えられる重要な場所ですが、構造そのものはシンプル。左右の土塁が喰い違うように設けられていることから、直進を拒めるようになっていましたが、四谷見附や赤坂見附のような重厚な石組みは無かったようです。

さて、このまま外濠沿いを歩く前に、ちょっと立ち寄る場所があるので・・・。といってもすぐ近く。真田濠沿いの土塁を降りてすぐのところです。

<屋敷跡の石碑>
shirononagori232 (8).JPG
ホテルニューオータニ付近の石碑と説明板。ここは「彦根藩井伊家屋敷跡」です。

格式の高さで名高いホテルニューオータニ。その敷地は、かつて井伊家の屋敷があった場所です。超近代的なホテルも、そういう目で見ると感慨深いものがありますね。

ところで、井伊家の屋敷といえば桜田門の近くが有名です。屋敷そのものが有名というより、井伊直弼が屋敷から桜田門までの短い道のりの途上で襲撃されたことが有名、そう言った方が良いでしょうか。まぁとにかく、桜田門は内堀に設けられた門、そしてここは外濠の近く。これはどういうことでしょう。

正確に言うと、ここは井伊家の「中屋敷跡」です。そして桜田門のすぐ近くにあった屋敷は上屋敷。他に下屋敷が二か所もあったといいますから、さすが徳川幕府を支え続けた名門家ですね。


話を外濠にもどします。

<弁慶橋から見た弁慶濠>
shirononagori232 (9).JPG
ここは赤坂見附付近の弁慶濠。一部が釣り堀として利用されていますね。橋も歴史のある橋ですが、もともとここに橋は架かってなかったことだけつけ加えさせていただくとして、橋の説明は割愛させて頂きます。

<昔のなごり>
shirononagori232 (10).JPG
自然な感じがいいですね。今となっては、高層ビルの立ち並ぶ街のオアシスです。江戸城の外濠は、総延長が10km以上という壮大スケールでしたが、残っているのはその一部だけ。貴重です。弁慶濠はこの付近、つまり赤坂見附まで。その先は溜池(これも外濠の一部)でしたが、現在その姿を見ることはできません。

<赤坂見附>
shirononagori232 (11).JPG
先ほどの弁慶橋を渡って、ちょっと坂を登れば到着。赤坂見附跡です。

<枡形門のなごり>
shirononagori232 (12).JPG
構造としてはいわゆる「枡形門」でした。いまは門の姿はなく、石垣だけ。この石垣部分を造ったのは黒田家。官兵衛の孫の代のお仕事です。

<再整備>
shirononagori232 (13).JPG
プレートに「ここが見附であったこと」が説明文と写真で記されています。また、この地を再開発の際、石垣の一部が復元されました。ありがたいです。

<プレートの白黒写真>
shirononagori232ad (1).jpg
明治初期の赤坂御門です。


<見附跡>
shirononagori232 (14).JPG
右手と左手。高低差も含めて眺めると感慨深いものがあります。

ということで、二つの見附跡と外濠のご紹介でした。
どちらも江戸城の一部。いまに残る城のなごりです。

当ブログがきっかけで、いままでただ通り過ぎていた方が、ちょっと足を止めてくれたら嬉しいです。

[当ブログ過去記事]
四谷見附→『記事へすすむ
赤坂見附→『記事へすすむ


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-------追 記-------
赤坂見附跡を再訪してみると、脇に立派な説明板が設置されていました。追記として画像を貼っておきます。

<赤坂見附跡と説明板>
shirononagori232ad (5).jpg

<説明板>
shirononagori232ad (4).jpg

<地形と赤坂見附の位置>
shirononagori232ad (2).jpg

<赤坂御門>
shirononagori232ad (3).jpg

[撮影:2020年6月]
posted by Isuke at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
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