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2018年03月31日

見沼通船堀のなごり (浦和)

つわものどもが夢の跡
江戸時代としては画期的な運河。そのなごりを留める公園を訪問しました。

<竹林と桜と水路>
SN217 (4).jpg
桜も竹林も好きですが、この公園の主役は江戸時代に築造された運河です。

<木造の閘門式運河>こうもんしき
SN217 (3).jpg
なるほど・・・ここで水を塞き止めて、水位を調整するわけですね

■見沼通船堀■
見沼通船堀は日本で一番古い『閘門式運河』です。水位に差がある場合に、閘門を使って水位を調整し、船を通過させる仕組み。私がうだうだ説明するより、パナマ運河を想像してもらった方が早いですかね。

ただし、そのパナマ運河よりも約180年も前に、日本には閘門式運河が存在していました。まだ江戸時代のお話。日本人は凄いですね!場所は現在の埼玉県。埼玉は凄いですね・・・ね(県民なので、ちょっと言ってみたいだけです)。

■芝川と水路をつなぐ■
二つの水路(見沼代用水西縁と東縁)の間を流れていた芝川。江戸へと繋がる水運上重要な川でした。この川と見沼の水路、繋げてしまえば便利ですが、地形の事情で水位の差が約3mありました。江戸からの物資を積んだ船が芝川から水路へと移るためには、この高低差を克服しなくてはなりません。そこで船を通す堀(通船堀)に閘門を設け、水位を調整することで通過を可能にしました。

この仕組みが造られたのが1731年(享保16年)。これは実験といった段階の話ではなく、実際に稼働し、地域に貢献しました。水運の範囲が広がることは、そのまま経済の発展に繋がります。この当時のまさに物流革命。地元の村々は、経済の中心地である江戸と結ばれることになりました。江戸は「水の都」と呼ばれるほど水路が充実しています。そして物流の主役は水運。そこと水の道で繋がることは、大きな意味を持ちました。

この見沼通船堀、明治時代に至るまで重要な役割を担ったそうです。

むかしの人たちの仕事。凄いですね。そもそも、こういう創意工夫、実現する技術や品質が、我々日本人の得意とするところなのではないでしょうか。こんな仕事をした人たちと比較して、足りないものがあるとすれば、どうしても成し得ようとする情熱かもしれませんね。それは言い換えれば、かなり「具体的に夢をみる力」なのではないでしょうか。

桜を楽しみ、竹林に癒されながら、そんなことを考えさせられる訪問となりました。

<つわものどもが夢の跡>
SN217 (1).jpg

■見沼通船堀公園■
SN217(9).jpg
[さいたま市緑区大字大間木字八町]
↑要するに「東浦和駅」から徒歩5分程度です
posted by Isuke at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 川跡・暗渠
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