2018年03月25日

最後の武士と桜 近藤勇墓所

つわものどもが夢の跡
今回の訪問は、満開の桜に囲まれた新撰組局長の墓所です。

<近藤勇像>こんどういさみ
sirononagori212 (7).JPG
近藤勇像。その左手が「供養塔」になります。

生まれで身分が固定されてしまう世の中。近藤勇はそんな秩序が崩壊し始めた時に、農民から武士となり、ついには幕臣にまで登り詰めた男でした。

■訪 問■駅から1分
<埼京線板橋駅>
sirononagori212 (2).JPG
近藤勇の墓所は、住所だと北区滝野川になりますが、JR埼京線の『板橋駅』から徒歩1分。わざわざ行くというより、意識していればフラっと寄れてしまう距離です。板橋駅の出口は2つしかありません。東口(滝野川口)のほうです。迷う方が難しいほど、本当に駅の目の前です。

<到着>
sirononagori212 (3).JPG
3月下旬。桜が出迎えてれました。

<駅前の桜>
sirononagori212 (1).JPG
これ公園とかではなく駅前ですよ!毎年この時期はこんな感じ。いい眺めです。喫煙所もあります(すみません。私はスモーカーです)。あとベンチも充実。その付近は禁煙ですからご安心下さい。

<墓所入口>
sirononagori212 (6).JPG
こちらが墓所の入口です。派手さはありませんが目立ちます。まぁ関心のない人は素通りとなりますが、探している人の目には自然と飛び込んできます。

近藤勇といえば、いわずと知れた幕末の武士ですね。そして新撰組局長。こちらでは「隊長」となっています。とにかくリーダーということですね。勇の名で通っていますが、実はこれは通称で、本名だと昌宜(まさよし)。まぁそれ以前、その後も名がたくさんあるので、あまりこだわる必要ありませんかね。新撰組局長・近藤勇です。

■近藤勇墓所■
sirononagori212 (5).JPG
当ブログ、お墓そのものの撮影はなるべく控えるようにしていますが、今回は墓所を訪ねているので・・・ちょっとだけ。気持ち遠くから。ここには、遠く離れた五稜郭で亡くなった土方歳三の供養碑もあります。


■最期の地■
冒頭でもふれさせてもらいましたが、近藤勇は農民の家に生まれました。生家は現在の東京都調布。私ながらく日野市と思っていましたが、勘違いだったようですね(土方歳三が日野出身)。社会が激動へ向かうなか、近藤勇は武士の身分を手に入れ、更には武士として認められるべく幕府に尽しました。

攘夷派を敵にまわして奮闘した新撰組、そのリーダー近藤勇。京を震撼させた武装集団は、利害の反する者たちからは憎まれて当然の存在ですね。幕府が屈することなく、時代が大きく変わることもなければ、英雄のように扱われたことでしょう。幕府の要職につけたかもしれません。

でも戦況は逆、ということは、扱われかたも逆になりますね。

千葉県の流山で、岩倉具定が率いる軍に追い詰められた近藤勇は出頭を決意。ここで、同志であり友だった土方歳三と別れることになります。身柄は板橋宿に送られ斬首に。ここ板橋で短い生涯を閉じました。切断された首は京都に送られ、三条河原で曝し首となりました。今回訪問の墓所には、胴体が埋葬されているそうです。

このあたりのお話、つまり近藤勇の最期についてはいろいろな話が出回っていて、どれが史実なのか私にはよくわかりません。ほんといろんな情報が交錯していますね。そこで、北区の飛鳥山博物館さんの説明をそのまま引用させて頂きます。以下はホームベージの写しです。

『慶応4年(1868)4月25日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。
本供養塔は没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人である永倉新八が発起人となり造立されました。高さ3.6メートル程ある独特の細長い角柱状で、銘文と近藤勇、土方歳三、合計110名の隊士などの名前が刻まれています。
本供養塔には、近藤勇のほか多くのゆかりの者たちが祀られているので、新選組研究を行う際の基本資料とされ、学術性も高く貴重な文化財です。』
[出典元:北区飛鳥山博物館HP]


参考になりました。飛鳥山博物館さん、ありがとうございます。

さて、上の記載だと『一里塚付近に設けられた刑場』とありますね。街道の途中に臨時に設けたとも解釈できます。もしかしたら、けっこう質素な刑場だったのかもしれません。いろいろと悪い話も耳にしますが、今回は満開の桜のなか、地元の人に親しまれている武士の墓所を訪ねているので、そこには触れずにおきます。

■墓所が複数■
実は近藤勇の墓所と呼ばれている場所は他に複数あります。例えば東京都三鷹市福島県会津若松市、あるいは山形県米沢市など。事実はわかりませんが、それぞれにいまでも訪れる人がいて、それぞれに近藤勇に思いを馳せる。それは間違いありませんね。墓所そのものより、時代を越えて多くの人たちが近藤勇を思うところに、本当の価値があることだと思います。男冥利に尽きる。そう感じます。

■つわものどもが夢の跡■
武士の世が終わりに近づくなかで、武士を夢見た豪傑でした。

<板橋駅東口>
sirononagori212 (4).JPG
35歳で散った最後の武士。私はここ板橋にて、その生涯にしばし思いを馳せました。

<武士の背中>
sirononagori212 (9).JPG
合いたくなったらまた来ます。

[東京都北区滝野川]

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