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2018年03月04日

赤塚梅まつり 赤塚城跡再訪

つわものどもが夢の跡
板橋区にそのなごりを残す中世の山城。そこで毎年3月に開催される「赤塚梅まつり」に本日行ってきました。

<城跡の梅林>はくばい
SN204aktsukaumematsuri (16).JPG
アクセスが良いので、既に何度か来ています。といってもこの光景は年に一度。しかも今年は3月上旬としては気温が高く、とても過ごしやすい。最高の城日和となりました。ただ花粉症の方にはちょっと厳しい1日だったも知れません。


■現地への道のり■
<西高島平>スタート
SN204aktsukaumematsuri (2).JPG
他にも交通手段はありますが、私はここで下車。都営三田線の西高島平駅です。ここが終点なので乗り越す心配もありません。駅から赤塚城跡へは、わりと速足の大人の男で10分程度。ゆっくりだともうちょっと掛かりますかね(板橋区ホームページだと徒歩約13分とあります)。

<駅の地図>道のり
SN204aktsukaumematsuri (3).JPG
ちょっと筆を入れさせてもらいました。赤い径路で進んでいくのが合理的かと思われます。赤丸が目的地の赤塚溜池公園です。

<赤塚梅まつり>到着
SN204aktsukaumematsuri (4).JPG
第34回赤塚梅まつり。34回もやっているのですね。毎年の恒例行事です。


■赤塚城跡■
<山城の斜面>
SN204aktsukaumematsuri (6).JPG
23区内とは思えない自然豊かな場所です。ここにかつて城が築かれました。

<郷土資料館の茅葺き>
SN204aktsukaumematsuri (8).JPG
久しぶり・・・いい雰囲気です。

<暗渠>あんきょ
SN204aktsukaumematsuri (7).JPG
郷土資料館の裏手。城と直接の関係はありませんが、前回も気になった暗渠です。つまり蓋をした水路ですね。この水の行き先は山城の麓の溜池です。

<溜池>
SN204aktsukaumematsuri (5).JPG
かつての外堀の跡と言われる場所。この池というより、この付近ということだと思います。先ほどの暗渠もそうですが、周辺の水が高低差により集まりやすいようです。

<水のゆくえ>
SN204aktsukaumematsuri (9).JPG
また話題が城から遠ざかりますが、こんなタイトルだと興味をそそられます。ただ中世の城と自然の川は密接な関係です。城と無関係というわけではありませんね。

<説明板>
SN204aktsukaumematsuri (10).JPG
ふむふむ。千葉氏の城跡ということですね。台地上に位置する室町時代の城跡。城山、お林山などと呼ばれているそうです。

<梅まつり各種イベント>
SN204aktsukaumematsuri (11).JPG
今年の開催は3日(土)・4日(日)の2日間。獅子舞や戦国絵巻武者行列など、いろいろな催しが行われます。画像は本日(4日)のスケジュール。

<本丸へ>
SN204aktsukaumematsuri (12).JPG
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やや急な斜面ですが距離は短く、小さな子供やご高齢の方も元気に登っていました。比高10m程度。本丸(主郭)はもうすぐ・・・

<西洋流火術鉄砲隊>イベント
SN204aktsukaumematsuri (14).JPG
本丸跡で開催されているイベント。鉄砲隊はもっとたくさんいましたが、大勢の見物人を避けて撮影したのでこんな画像となりました。のんびり眺めていましたが、このあと鉄砲音の大きさに一瞬怯みました。むかしはこういったイベントにあまり興味がありませんでしたが、最近は何となく感謝したくなります。楽しませてもらいました。江戸末期の砲術家・高島秋帆( しゅうはん)が、この付近にて日本初の洋式砲術の訓練が行ったことにちなんでいます。高島平という地名の由来はこの方。江戸時代は徳丸ケ原と呼ばれていました。

<梅林>本日の主役
SN204aktsukaumematsuri (17).JPG
山の麓にも咲いていますが、こちらも圧巻ですね。城跡の梅の木は紅梅・ 白梅あわせて約200本とのこと。数えてませんが、もっとあるような気がします(それくらい圧倒的という意味です)。春といえば個人的に桜ですが、梅は先駆けて咲くところが粋ですね。


■中世の山城■
<石碑と説明板>
SN204aktsukaumematsuri (15).JPG
ここはあくまで中世の城跡です。普段ならこの石碑と説明板で人が立ち止まるところですが、今日はさすがに見向きもされません。まぁ梅の花も、そして開催されているイベントも立派ですからね。説明内容は以下の通りです。

武蔵千葉氏と赤塚城跡
『下総国の守護千葉氏は、古河公方足利利成氏と関東管領上杉家が争った享徳の大乱に巻き込まれ、一族で骨肉相食む争いを繰り広げました。康正二年(1456)成氏方の軍勢に攻められた千葉実胤・自胤兄弟は、上杉家の助けをうけ、市川城を逃れて赤塚城と白浜城(現台東区)へ入城しました。
  寛正四(1468)年に兄の後を継いだ自胤は、太田道灌に従って各地を転戦、現在の和光市や大宮市、足立区内に所領を獲得するなど、武蔵千葉氏の基盤を築きました。
  その後、武蔵千葉氏は、南北朝以来の領主であった京都鹿王院の支配を排除するなど赤塚の支配の強化に努め、北条氏が武蔵国へ進出してくるとこれに従い、豊臣秀吉に滅ぼされる天正十八(1590)まで勢力をふるいました。
  城は荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地上にあります。その縄張りは、地形の観察等から都立公園の広場の部分が一の郭、梅林の部分が二の郭、そしてその西側が三の郭とする見解もありますが、正確なことはまだ明らかになっていません。』
[現地説明写し:板橋区教育委員会]


ちょっと補足すると兄の実胤(さねたね)は武蔵千葉氏の初代当主。弟の自胤(よりたね)は武蔵千葉氏第2代当主です。ここに出てくる上杉は扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)。千葉兄弟は扇谷上杉家の家宰・太田道灌の支援を受けていました。心強いですね。まぁ道灌には道灌の思惑があったのでしょう。

<堀の中>
SN204aktsukaumematsuri (18).JPG
梅の花やイベントの華やかさとは対照的に、この付近はいつも通り。堀の底のような場所です。

<土の壁>
SN204aktsukaumematsuri (19).JPG
奥に見える土の壁。土を盛ったのではなく、こちら側が堀の中という位置関係です。掘ったのか、もともと谷状になっているのを利用したのか分かりにくい。ここは武蔵野台地の端っこ。結構地形が複雑なので…。まぁ人が地形を利用して作った堀切と思うことにします。

近くを荒川が流れ、むかしはその氾濫原だった場所です。周辺を湿地に守られた段丘の上に城を築く。城の「地の利」が分りやすいですね。いかにも中世らしい山城です。

現地説明にもありますが、築城は千葉自胤と考えられています。これには諸説あり、私は以前この城について投稿させてもらった時には、千葉氏も関係しているものの、最初の築城は豊島氏系の赤塚氏とさせてもらいました。まぁいずれにしても、廃城は1590年。これは確かのようです。秀吉による小田原征伐の時ですね。武蔵千葉氏は小田原北条氏の家臣であったため領地は没収、ここ赤塚城もそのまま使われなくなりました。遺構が豊富という訳ではありませんが、曲輪(くるわ)や堀跡と思われる跡も残され、とにかく中世の山城の雰囲気が漂う場所です。都内、しかも23区内にあるのですから、とても有難い城跡です。梅も見事ですし、来年もまた来れたら・・・と思わせる城跡でした。

ということで、最後までお読み頂きありがとうございます。

----------■赤塚城■----------
築城者:千葉自胤
築城年:1456年
(赤塚氏の城を改修した説もあり)
城 主:武蔵千葉氏
廃 城:1590年

[東京都板橋区赤塚]


昨年も赤塚城について投稿させてもらいました。よかった覗いてみて下さい。
豊島一族の城跡(赤塚城)
暗渠と城跡5(赤塚城)

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posted by Isuke at 22:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
この記事へのコメント
GORIさん、コメントありがとうございます。そうですか。では土地勘のある場所ということですね。まぁ中世の城なので、天守閣とか石垣もありませんが、もともとの地形を活かし、人が思惑を込めて砦に仕立てた場所です。

おっしゃる通りで、視点を変えればただの山ではなくなります。そのヘンはただの緑道が川や水路に見えるのと似てますね。
Posted by Isuke2020 at 2018年03月09日 23:09
こんにちはGORIです、お邪魔します。

このあたりは販売会社に出向していた当時(もう20年以上前の話ですが)クルマで走り回っておりました。が、お城があったなんてつゆ知らずでした。知っていたら仕事中ののどかな休憩スポットとして活用できたはずなんですが。惜しいことをしました。

しかし、お城っていろんなところにあったんですね。興味の視点を変えると、町の別の次元が見えてくる。そんなところなんでしょうか、面白いです。

Posted by GORI at 2018年03月09日 07:54
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