つわものどもが夢の跡
今回の訪問は埼玉県戸田市にある足利一門の城跡。最寄駅は埼京線の戸田公園駅です。
■桃井直常の城跡■もものいよしすけ
<光明寺>
真言宗智山派の光明寺です。戸田城跡と推定されています。
<入口付近>
城は桃井直常の居城跡と考えられています。城跡に関する説明板や石碑の類はありません。さて、桃井氏は聞く名ですが、直常さんはいったいどのようなお方てしたか・・・
まず桃井氏ですが、清和源氏足利氏の支族。名門です。初代の桃井義助(もものいよしすけ)の実父は足利氏の二代当主の足利義兼(よしかね)。義助は次男として生まれ、上野国(群馬県)において領地の地名を名乗るようになりました。これが名門足利氏から枝分かれした桃井氏の始まりです(と考えられています)。
父である足利義兼と同じく、義助も鎌倉幕府に仕えました。そしてその子孫は、足利氏による室町幕府創設に尽力。正真正銘の足利一門ですね。
で、肝心の桃井直常。調べたところ、主に関西や北陸方面での戦歴が目立ちますね。武蔵国との関りですが・・・ちょっと見つけることができず。ただ上野国との関わりはあったようなので、活躍の場が関東と無縁というわけではなさそうですね(ここは素人の推定です)。今回訪問の戸田城跡が、直常の居城だったというのはあくまで推定。そういう可能性が高いというお話ですが、個人的には特に違和感はありません。
<光明寺の周辺>
特に劇的な地形というわけではなく、遺構も確認できません。
<隣接する公園>
こちらは光明寺北側の公園です。この付近も城跡だったと推定されます。土の盛り上がりが土塁跡のようにも映りますが、あまり説得力がありません。
■蕨城■
ところで、今回訪問の城跡付近には元蕨(もとわらび)という地名が今も残っています。
<元蕨第三公園>
隣接する公園の名は元蕨第三公園。ここから少し北に行ったところに元蕨第二公園があります。第一は?更に北なのですが、ちょっと離れているので立ち寄りませんでした。
蕨?戸田市のお隣はむかしむかし宿場町として栄えた蕨市なんですが・・・。
実は蕨宿はもともとこの地にあり、後に現在の蕨に移ったと考えられています。このことを背景に、渋川氏が居城としたとされる「蕨城」は、実は今回訪問の戸田の城跡ではないかとする説があります。蕨城は、当主の渋川義基が1567年の三船山合戦(北条氏政VS里見義弘:渋谷氏は北条方)で討ち死にしたのち廃城となります。ここがその蕨城だとすると、城はその時までは存続していたことになりますね。
これはちょっと興味深い話ですね。ただ、じゃ現在の蕨城址公園はなんなのかというややこしい話でもあります。蕨市の蕨城跡については当ブログでも紹介済。よろしければ覗いてみて下さい。
→『宿場町に残された城跡』
市は異なるものの、蕨城址公園(蕨市中央四丁目)はここから徒歩圏内。言い伝えに行き違いがあっても、あまり不思議ではありません。
■つわものどもが夢の跡■
<戸田城跡>
桃井氏同様、渋川氏も足利一門。不明な点が多いながら、この地が足利一門の城跡だったことは間違いなさそうですね。
ということで、かなり大ざっぱな結論で納得しました。ちょっと雑な拙ブログ、最後までお読み頂きありがとうございます。
-------■戸田城■-------
城 主:桃井直常
(築城者・築城年等不明)
[埼玉県戸田市笹目]
2018年02月22日
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