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2018年02月21日

美女木八幡神社と北戸田暗渠散歩

つわものどもが夢の跡
今回はJR埼京線の北戸田駅を下車して、源頼朝ゆかりの神社を訪ねました。

■美女木■
まずこの地名、私は埼玉県民なので見慣れています。まぁほぼ見た通りですが「びじょぎ」と読みます。位置は戸田市の北西、地形としては西側に荒川が流れる低地です。


■源頼朝ゆかりの神社■
<美女木八幡神社>
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こちらは戸田市美女木の神社。今回の目的地です。創建は鎌倉時代。あの源頼朝が、奥州へ向かう途上でこの地に宿営し、その晩に神のお告げを聞きいたことにより相州鎌倉の八幡宮を観請した。そう伝わります。

<説明板>
shirononagori201toda (11).JPG
なるほど・・・

1189年の奥州下向、つまり奥州藤原氏との合戦に向かう途中ということですね。この地で「神のお告げ」とは、そういう夢をみたということでしょうか。源氏の棟梁のお話ですので、ちょっと凡人の想像の域を超えています。

<拝殿>
shirononagori201toda (6).JPG
狛犬が二対。四天王のように映ります。

<鐘楼>
shirononagori201toda (7).JPG
風格があります。

<氷川神社>境内社
shirononagori201toda (8).JPG
拝殿の左側には氷川神社。埼玉に多い神社です。昭和になってここに移されたようです。

<境内の東側>
shirononagori201toda (4).JPG
こちらは正面ではなく東側の参道になります。

<山ノ神社>境内社
shirononagori201toda (5).JPG
小さいですが、思わず足を止めてしまう雰囲気。

<随神門>
shirononagori201toda (12).JPG
こちらが正面

<参道>
shirononagori201toda (13).JPG
境内の立派さと比較すると、ちょっと窮屈な参道となっています。むかしは参道が長く、毎年夏になると流鏑馬(やぶさめ)が行われていたそうです。

ネット検索してみると、美女木の地名は『流鏑馬による「飛射騎(びしゃき)」の呼称が年とともに変化した呼称である(出典:Wikipedia)』という説がありました。格好いい由来ですね。あくまで説のひとつで、ほかに美女に由来する説もあり(美女が来た)、これはこれでいいですね(何がいんだか・・・)。

<銅鐘>
shirononagori201toda (9).JPG

社宝の銅鐘は県の指定文化財となっており、現物は戸田市立博物館に保管されています(鎌倉時代末期から南北朝初期の作と推定されています)。ここ美女木八幡神社はそれだけ歴史のある場所ということですね。銅鐘には伝説があります。水中より掘り出され、つくと大水が出て洪水になる。うかつにつけませんね。でもオリジナルは博物館ですから。大丈夫です。

この付近は低地であるが故に、水には悩まされてきたのでしょうね。荒川沿いでありながら、治水もいまとは比較にならないレベル。まぁ恩恵もあるからこそ、人が集まるのですが・・・


■頼朝軍が通った戸田■鎌倉街道
源頼朝による奥州征伐(1189年)。その軍勢は複数に分かれていたようですが、頼朝本人の率いる軍は、鎌倉街道中路から北上したと伝わります。中路ってどこ?戸田も通るの?・・・。まず鎌倉街道ですが、これは鎌倉へ通じる街道の総称であって、一つではありません。中路は鎌倉街道の主要幹線の一つです。で、どこ?

最近痛感するのですが、古道に詳しいと、きっと歴史の楽しみ方も違ってきますよね。城跡好きなので地形はけっこう意識するほうですが、人の通り道も重要です。今後のテーマとしますかね・・・

頼朝軍の具体的なルート、詳細は分かりません(私には)。ただ、鎌倉街道の中路は、『武蔵国東部から下野国を経由して奥州白川に至る道』(参考:Wikipedia)と考えられているようです。東京都・埼玉県の東部から、栃木県へ向かって北上し、福島県に入る。そんな道筋ですかね。その途上に、現在の戸田市も含まれる。そんな大まかな認識で良いかと。たぶん・・・
もう少し範囲を狭めて推定すると、東京都の北区とか板橋区から舟で荒川を渡り、埼玉県戸田市に入った。そんな感じでしょう。素人なりに更に調べてみた結果、美女木も荒川に近いエリアですが、もう少し南の「早瀬」の辺りで渡河したのではないかと思われます。早瀬は先述の銅鐘が掘り出されたところで、やはり戸田市。向こう岸だと板橋区の高島平付近ですかね。


■街散歩■
これらのこと、確たる証拠はありません。ただそんなことを想像しながら歩くと、同じ街並みが違うものに映ります。歩いてみると、ほぼ平坦な北戸田の地形。これは荒川の流れにより形成されたのであろうとか、大昔は湿原のような状態だったのかなぁとか・・・そんなふうに思いを巡らせていると、同じ距離を歩いてもあまり疲れません。きっと小さな川や沼が点在する場所だったのでしょう。それらを避けるように、長い年月をかけて人が築いた通り道を、頼朝軍も進んでいった。などと妄想してみる。かなり勝手な想像も含まれますが、自分なりのこだわりを持っていると、すっかり都市化された街の散歩も奥深いものになります(なっているような気になります)。


■水のなごり■北戸田の暗渠
また地名の由来の話に戻りますが、飛射騎と美女以外に、「ビジョ」がぬかるみを意味していて、低湿地を指しているという説もあります。これはこれで納得です。

<暗渠>あんきょ
shirononagori201toda (2).JPG
北戸田駅からここまで来るのに「暗渠が多いなぁ」と感じていました。

<暗渠>
shirononagori201toda (3).JPG
蓋がしてありますが、これは要するに水路です。

<暗渠の車止め>
shirononagori201toda (19).JPG
車止めは暗渠にはつきもの。人や自転車はいいが、車は勘弁してね!ということです。歩行者のためにもなりますが、そもそも構造的にそんな重量はお断りということですね。それにしても役割が分りやすい「車止め」です。

繰り返しになりますが、北戸田付近はもともと低湿地でした。近代化にともない整地され、その面影はありません。余計な窪みは埋められ、水のための路(みち)が整備され、更には暗渠化され、かつて広範囲に点在していたであろう水は姿を消しました。

好き勝手に流れる小さな川とか、どうしてもそこに水が集まってしまう沼とか、人にとって不都合なものは無くなり、その痕跡すらほとんど残っていません。ただ人の暮らしの営みに、水は欠かせない大切なものです。その証の一つが暗渠ではないでしょうか。視界から消えても、水そのものが人から遠ざけられることはありません。

<暗渠>
shirononagori201toda (17).JPG


■そもそも北戸田へ来た理由■
ここまで感じるままに「頼朝軍が通った」「低湿地」「その面影はない」といったことを書かせて頂きました。冒頭では「源頼朝ゆかりの神社を訪ねました」などと掲げておきながらなんですが、実は源頼朝のファンでもなく、歴史ある神社のファンという訳でもありません(どちらも好きですが「熱烈!」というほどでもないという意味です)。暗渠を見に来た?それは結果であって、目的ではありませんでした。ではなぜわざわざここへ来ようと思ったのか・・・当ブログ、基本は城跡ブログです。

<美女木八幡神社付近>
shirononagori201toda (15).JPG
この神社付近の発掘調査で、堀と土塁跡が発見されたという話があります。城跡の一角に鎮座する神社に、城としての遺構が残されているというのは良くある話です。もしやもしや?更に・・・

<堀之内公園>堀ノ内
shirononagori201toda (16).JPG
とどめは地図で見たこの公園の名前。城跡好きが「堀之内」なんて聞いたら、城跡とか館跡とか、なんとなく期待してしまいますよね!何かあるんじゃないかと・・・ね?

ちょっと安易ではないか?
そのようなことは百も承知!されど・・・来ちゃいました。

<堀之内公園>
shirononagori201toda (18).JPG
この土の盛り上がりは土塁跡?(違います)

まぁ当然のように、城跡としての収穫はありません。そもそも、専門の方々の文献で、この地で発見されたという堀や土塁と、城の存在を関連づけるようなものはないのです。素人がフラっと行って、新しい発見なんてあり得ませんよね。

まぁ勝手な想像力により楽しく歩き回れたので、それだけで満足です。豊富な北戸田の暗渠にも出会えましたので・・・

<笹目川>
shirononagori201toda (1).JPG
本日訪問の美女木は、中世においては足立郡笹目郷(佐々目郷)。その名を冠する川を渡って埼京線北戸田駅へ戻りました。

以上です。毎回ながら、こんな拙文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。

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タグ:暗渠
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