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2018年01月17日

消えた見沼の浮き城 寿能城

つわものどもが夢の跡
かつて埼玉にあった巨大な沼。その岸に築かれた城跡を訪ねました。

<寿能城跡>
sirononagori190junojo (7).JPG
城があったことの目印です。本丸の物見台跡と推定されています。

■岩槻城の支城■
寿能城は戦国時代の後期に「岩槻城の支城」として築城されました。築城者は潮田資忠(うしおだすけただ)。岩槻城主・太田資正(すけまさ)の子と伝わります。岩槻の太田氏、つまりあの太田道灌の流れをくむ太田氏ですね。潮田資忠は実家の太田氏同様、小田原北条氏の圧力に抵抗しつつも、最後は北条側の武将として戦にのぞんでいます。秀吉の北条征伐の際には小田原城で籠城。そのまま帰らぬ人となりました(この時に息子の資勝も討死)。城主不在の寿能城は、天下軍の別動隊を率いる浅野長政により攻め落とされます。浅野長政は秀吉からの信頼厚い五奉行の筆頭。寿能城の本城・岩槻城も、長政が率いる2万の軍勢に落とされています。


■訪問■
最寄駅は東武野田線の大宮公園。現在の大宮区の北東部に位置します。
<大宮公園駅>
sirononagori190tobu (2).JPG
私は大宮駅から現地へ向かいました。

<駅前>
sirononagori190tobu (1).JPG
コンパクトで清潔感のある駅です。

<交番と石碑>
sirononagori190koban.JPG
目的地へ行く手前の交番。既に城跡に足に踏み入れたということですかね。それにしても写真が撮りにくい。失礼します。特に悪い事もしてません。城跡はこの交番の角を曲がり、まっすぐ。

<公園入口>
sirononagori190junojo (1).JPG
これが無ければ通り過ぎてしまうところでした。

<公園となった城跡>
sirononagori190junojo (2).JPG
ああ・・・ここか。ネットで事前に調べてあった光景です。公園は小さいですが、城そのものは東西で約9百m弱、南北約4百m強の広さだったそうです。

<資忠の墓碑>
sirononagori190junojo (3).JPG
物見台跡は潮田資忠の墓碑となっています。

<石碑>
sirononagori190junojo (6).JPG
読めない・・・

<説明板>
sirononagori190junojo (5).JPG
これなら読める。

寿能城や潮田資忠のことに加えて、巨大沼のことについても説明がなされています。 分りやすい。かつての城の「地の利」を知るうえで重要なポイント。それを伝えようという思いが嬉しいですね。


■地形の話■
地形ですが、城郭はかつて埼玉にあった巨大沼に面する台地上に位置しています。このブログにたびたび登場する鴻沼(こうぬま)・・・ではなく、もっともっと広範囲に及ぶ湖のような沼・見沼(みぬま)です。
この付近、古代においては東京湾とつながる入江でした(ちょっと遡り過ぎ?)。やがて海の水が退くと、低地のあちらこちらに沼や湿地が残されました。それらのなかでもっとも巨大なものが見沼です。
鴻沼も見沼も開発により姿を消しますが、それは江戸時代のお話。戦国時代、寿能城の目の前には、まだ手付かずの大きな沼が広がっていました。綺麗な円形の沼?ではなく、相当複雑な地形だったようです。

<説明板の図解>
sirononagori190junojo (4).JPG
赤のは私が筆を入れました。長い年月を掛けて、人の手により沼の水は姿を消しました。

ではそれを肌で感じてみますかね。

<多少の高低差>
sirononagori190junojo (8).JPG
公園は周辺と比べれば多少の高低差があります。ただかつての城郭の地の利はこんなものではありません。

<見沼代用水西縁>みぬまだいようすいにしべり
sirononagori190minuma (1).JPG
城跡からもう少し坂を下ると、水路があります。見沼代用水西縁。江戸の公共事業のなごりです。そして、かつてここが沼だったことのなごりでもあります。

<水路付近の説明板>
sirononagori190minuma (3).JPG
城跡と水路の位置関係がわかります。そしてかつての城主の名を冠する「潮田橋」の文字。

<低地より>
sirononagori190minuma (4).JPG
更に下るとこんな感じです。もうかつての見沼に足くらいは漬かっている感じでしようか?または立ち泳ぎしている状態か。いずれにしても、沼から台地を見上げるとこんな感じです。

上の画像の左手には野球場があります。大和田公園です。その付近には寿能城の出丸があったとされていますが、何分にも広い・・・。本丸はやや高台となっていますが、出丸も含めて考えると、見沼の浮城のような感じだったのかもしれませんね。寿能城のもともとの意味は「洲の城」とも言われています。


<水路沿いの散歩道>
sirononagori190minuma (5).JPG
出丸跡推定地とは逆方向に向かって探索。城跡好きですが、水路好きでもあるので・・・。本人は、かつての沼のヘリを歩いているつもり。つまり、見沼を肌で感じているつもりです。

<住人>
sirononagori190minuma (6).JPG
こういう場所って、猫と会うことが多いような気がします。すぐ立ち去りますから、そんな睨まないでくださいな。


■つわものどもが夢の跡■
城主不在の状態で天下軍に落とされた寿能城。家来たち、そしてその家族も、沼に身を投げたと伝わります。壮絶な最後。しかし城はおろか、沼の姿もありません。

sirononagori190junojo (9).JPG

ただ、比較的根拠のある資料、地形、そしてこの地の歴史を今に伝えようとする人の思い。それらがじんわりと伝わってくる城跡でした。明確な遺構はありません。でも満足な城巡りとなりました。

-------■寿能城■-------
築 城:1560年頃
築城者:潮田資忠
城 主:潮田資忠
廃 城:1590年
現 状:寿能公園
[さいたま市大宮区寿能町]2丁目

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posted by Isuke at 21:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
この記事へのコメント
WASABIさん
ご子孫のメッセージに驚き、寿能城を再訪したり、もう一度潮田氏について調べ直したりしました。資忠の墓碑は、資忠の子孫(古河藩の家老になった潮田資方)が、資忠没後150年に建立したものです。そんなことも知らないまま、ブログにまとめてしまい、ちょっと恥ずかしかったですw
拙ブログに訪問頂きありがとうございます。
Posted by Isuke at 2022年05月19日 22:25
寿能城跡は前から気になっていたので、昨日散歩がてら行ってきました。
今日ワード検索してこのブログを見ました。
潮田家のご子孫のメッセージには驚きました。歴史を感じますね。

出丸は橋を渡ったところなのですね

Posted by WASABI at 2022年05月18日 22:58
潮田様
このような拙ブログで恐縮です。素人なりに歴史を調べ、紀氏のことや横浜の地名のことなども頭にいれておりましたが、城主の血縁者がやがて古河藩に仕えたこと、正直知りませんでした。家老にまでなった方のようですね。藩主の土井利勝もとても魅力的な人物。素晴らしいですね。またちょっと賢くなれました。お教え頂き、ありがとうございます。
Posted by Isuke2020 at 2018年07月02日 22:52
小田原城で討死した潮田資勝の弟資政の子孫の潮田家15代の潮田資勝です。資政は古河の土井藩に仕えてその子孫は平成にも生きています。
寿能城と潮田資忠について書いていただきありがとうございます。
Posted by 潮田資勝 at 2018年07月01日 22:24
コメントありがとうございます。実はむかし公園だけ見て帰ってしまったことがあり、今回の訪問はいわば「やり直し」です。GORIさんは水や地形に敏感とお察しします。どうぞ周辺も含めて味わって下さい。
Posted by Isuke2020 at 2018年01月27日 12:56
GORIです。

寿能城への訪問ありがとうございます!
私も一度行ってみます。
Posted by GORI at 2018年01月25日 22:50
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