2017年12月30日

餐霞館跡 鷹山ゆかりの地G

つわものどもが夢の跡
上杉鷹山が隠居後に暮らした邸宅跡を訪問しました。

<餐霞館遺跡>さんかかん
sirononagori170yozan (2).jpg
[米沢市城南]

■鷹山の隠居■闘いはつづく
17歳の若さで藩主となった鷹山。35歳で隠居し、家督は前の藩主にして養父の重定の次男・治広に譲りました。改革はまだ道半ば。この隠居には諸説あります。

⇒天明の大飢饉
これは凶作が続いたことにより、特に東北地方が大打撃を受けた飢饉です。江戸にも影響、近代で最大の飢饉でした(日本全国の餓死者は百万と推定される大飢饉です)。当然米沢藩にも影響。倹約に取り組んでいた鷹山ですが、ここで新潟や酒田から米を買い集め、領民に分け与えます。この英断により、米沢藩の領内では餓死者が出ませんでした。ただ、あまりにも大きな代償。凶作で収入が半減している一方での臨時の支出です。再び借金が膨らみました。この責任という形で、藩主の座を降りたとする考え方があります。
良いことをして、なんでそこまでする必要が?と思いますが、鷹山はまだ家臣団全員から支持されていたわけではありません。抵抗勢力に対し、筋を通したのかも知れませんね。

⇒養父の実子
鷹山が重定の養子となったのが1760年。次の藩主・治広は1764年生まれです。鷹山は、養父が存命中にその実子へ家督を譲ることで安心させたかった・・・という見方もあります。

⇒実務に専念
これは現代の会社や役所でもあることかも知れません。ポストにはやたらと形式的な手間が付いて回るので、実務に集中できない。まぁ何事ないときはそれでも良いですが、改革を急ぎたい鷹山にとって、藩主の身分はかえって不便。敢えて影に回ったとする説があります。

いずれにせよ、隠居後も重定、そして治広の要望により、鷹山は藩政に関与し続けます。

■霞を食べる■
餐霞館の意味は「霞を食べる住処」、つまり世俗を離れ清貧の生活を営む館ということです。その意味を知った上で餐霞館遺跡の小ささを目の当たりにすると、鷹山は狭くて質素な空間で仙人のように暮らしたのか?などと思ってしまいますが、実際は違うようです。

今の雰囲気とは異なり、当時の餐霞館は土地の広さ約3千坪の大きな平屋。相変わらず暮らしそのものは質素だったようですが、本丸を出でここ(当時の三の丸)へ移ったのちも、のんびり暮らせたわけではなく、生涯を藩の改革に捧げました。この地はいわば執務室を兼ねた住処。「第2ステージ」始まりの場所だったわけですね。

■側室の存在■
鷹山の正室は幸姫 (ゆきひめ)。重定の次女です。日向高鍋藩の次男として生まれた鷹山は、この幸姫と生涯をともにすることを前提にして上杉家の養子となりました。ただ幸姫は健康に難があり、例えて言えば、心身ともにずっと幼女のままだったようです。三十歳で亡くなるまで、鷹山がこの幸姫を大切にしたことはとても有名です。 また、江戸藩邸で暮らす娘の事情を、米沢で隠居していた重定は遺品で知ることとなり、改めて鷹山に感謝したと伝わります。

さて、このような事情もあり、家臣は側室を持つことを鷹山に勧めます。拒んでいたようですが、結果としては米沢で一人の側室を迎え入れました。この『お豊の方』、活躍のわりには幸姫ほどは知られていません。幸姫の話があまりに有名だからでしょうか。
お豊の方は鷹山より10歳年上、遠縁にあたります。鷹山が自ら鍬を手にしたように、ここ餐霞館で絹を織ったり・・・活動的でありながら、陰に回って鷹山を支え続けました。そして何より、孤立しそうな改革者の良き理解者であり続けました。お豊の方は一般的な呼び方で、名は浄鏡院(じょうきょういん)。鷹山との間に子供をもうけています。

総じて苦難の多い上杉鷹山。ここ餐霞館では、妻と子と過ごす時間もあったわけですね。


■晩年の鷹山■
上杉治憲(はるのり)。これがもとの名です。米沢城東北に位置する白鷹山(しらたかやま)にちなみ、鷹山と号したと伝わります。この時52歳。もうそろそろ本当に隠居しても許されそうですが、鷹山は最後まで藩政に関わりました。

1822年、上杉家の中興の祖・鷹山は72歳で没します。側室であるお豊の方の死から4ヶ月後のことでした。

もともと幕府への領地返上が検討されるほど財政危機だった米沢藩。かなりの時間は要しましたが、改革者鷹山の死後まもなく、藩の借金は返済し終わったそうです。

<餐霞館跡の石碑>
sirononagori176.JPG

なせば成る
なさねば成らぬ 何事も
成らぬは人の
なさぬなりけり

この有名な言葉は、ここ餐霞館の一室に掲げた壁書の一部でした。米沢城三の丸。鷹山が人生の半分以上拠点とした場所です。


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■参考本
上杉鷹山
[著者:童門冬二]

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