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2017年08月24日

織田乃里 (信長末裔の地) 天童市

<織田乃里>
shirononagori tendo (2).JPG
風になびくのぼり旗にその文字を見つけ、しばらく足が止まりました。

■織田信長末裔の地■
信長本人も長男も討たれ、武家としての織田家はやがて消滅してしまったようなイメージありませんかね?。次男の系統は、藩主として明治維新まで存続。いろいろあって転々とし、最後は現在の山形県天童市に辿りつきました。画像は舞鶴山(天童城跡)へ向かう途中の坂。かなり遠くまでやってきたような感覚だったので、この光景にしばらく見惚れました。

■天童織田藩■祖先は織田信雄
本能寺の変(1582年)のあと、信長の次男・信雄 (のぶかつ)が宗家を継いだことは良く知られていますね(直後の清洲会議では秀吉の力で兄の子「三法師」が当主に!かと思いきや、同年秀吉がこれを反故。信雄を当主として擁立しなおしました)。信雄の所領は尾張・伊勢・伊賀で100万。あの信長さまの次男ですからね。やがて秀吉と争ってしまいますが、織田の家はしっかりと残ります(5万石)。さて、そのあとどうしたのでしょう。

天下の織田さまに対し、大変失礼ではございますが、「戦国武将好き」でありながら織田家のその後はあまり意識していませんでした。確か、秀吉の小田原征伐の布陣に、織田の名もあったような・・・そんなレベルでした。やがて織田家とは全く関係のない小説(上杉鷹山)で、天童織田藩の存在を知り、やっと調べることに。織田家は小幡藩(現在の群馬県甘楽町)や高畠藩(山形県高畠町)を治めたのち、天童へ入ったのですね(一部省略)。つまり国替えを繰り返しながら、存続し続けました。辿りついた場所が天童。天童織田藩の成立です。

<建勲神社>
shirononagori tendo (3).JPG
織田信長を祀った神社。明治まで続いた天童織田藩は、多大な犠牲を払いながら新政府軍に貢献しました。そのこともあり、明治政府から信長に建勲神(たけしいさおのかみ)の神号が与えられ、それ以降は建勲神社(たけいさおじんじゃ)という名称になったそうです。現地では「ちょっと読みずらいなぁ」などと思いましたが、しっかりとした経緯を知って納得です。

尾張からは遠く離れた山形県天童市。山城・天童城を探索に来ましたが、その前にとても感慨深い光景と出会えました。

[山形県天童市城山]


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posted by Isuke at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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