2017年08月18日

半蔵の眠る丘(西念寺)服部半蔵と徳川信康

戦国武将好きです。今回は服部半蔵ゆかりの地を訪ねました。家康の長男・信康ゆかりの地でもあります。

■西念寺■ さいねんじ
服部半蔵が開基した寺です。「忍者が寺?」と思われる方もいるかと思います。まず半蔵の身分ですが、伊賀国の出身で忍者の血をひく男ですが、厳密には武士。今川の家来から始まり、のちに徳川十六神将の一人に数えられた立派な武士です。

では「なぜ寺を?」ですね。これは徳川家康の長男・信康の菩提のため。「鬼の半蔵」とまで呼ばれた男のこの思いは、全く異なる時代を生きる私たちの心にも響くものがあります。四谷駅から徒歩圏内。閑静な住宅街にその寺を訪ねました。

<正門より撮影>
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浄土宗の寺です(専称山安養院西念寺)

<説明板>
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住所は新宿区若葉。江戸時代には徳川家に仕える伊賀衆の組屋敷があったとされています。服部半蔵は、徳川家に仕えるこの伊賀衆の組頭という立場でした。この位置から江戸城へ向かうと、いわゆる江戸城「半蔵門」に辿りつきます(説明するまでもなく、門の名の由来ですね)。


■服部半蔵と徳川信康■
織田信長の要求に従い、徳川家康は自分の長男・信康に対して切腹を命じます(1579年)。これにはいろんな説があります。私個人は「賢明にして勇猛果敢な徳川家の長男に対し、織田信長が将来を見据えて潰しにかかった」という説を信じています。まぁ他にもいろんな考え方があるようですが、とにかくどれをとっても信康本人からみたら理不尽な言い掛かりばかり。徳川家康の長男として生まれ、織田信長の長女を側室とし、将来有望と思われた信康ですが、僅か二十年の生涯を終えることになりました。

この時、介錯役を命じられたのは服部半蔵でした。主の息子です。服部半蔵をもってしても、これを果たすことはできませんでした(検死役が代わって介錯したそうです)。

半蔵が名を上げる家康の「伊賀越え」はこれより後の話(1582年)。明智光秀が本能寺で信長を討った直後ですね。このとき境にいた家康は、四面楚歌の上に僅かな家来しか連れていません。窮地の家康を、半蔵は伊賀盆地を経由して三河の岡崎まで送り届けました。小牧・長久手の戦い(1584年)や小田原征伐(1590年)でも、半蔵は活躍しました。そして晩年、半蔵は信康の菩提をとむらうため西念と号し、仏門に帰依したと伝わります。

<信康の供養塔>
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半蔵は信康の慰霊のために供養塔を建て、その菩提を弔いながら余生を過ごしました。

<説明板>
hanzo nagori (12).JPG
岡崎三郎信康。松平宗家の居城である岡崎城主を務めたことから、岡崎三郎と名乗りました。松平信康、そして徳川信康でもあります。ただ、後の時代に「徳川」姓は将軍家と御三家のみに許されることとなり、信康は死後にも関わらず「松平」に格下げされました。

そこまでする?

と個人的には思いますが、歴史を操作できる立場の人は何でもしますからね。

私が信康の存在を意識するようになったきっかけは、ずばり「花の慶次」(原作:隆慶一郎・漫画:原哲夫)です。原哲夫さんは北斗の拳で有名ですね。小説家の隆慶一郎さんは「花の慶次」で知り、原作となった小説「一夢庵風流記」も読みました。それ以降ファンです。

その「花の慶次」の終盤、家康の次男・秀康が登場した時、兄の信康も一瞬だけ登場しました。不世出の武将にして心優しき男。そして父親から冷遇される腹違いの弟を不憫に思い、気を配る優しい兄そう描かれていました。こういう若い時の記憶、というか思いは、なかなか変えられません。私にとっての信康のイメージは、いまも変わっていません。

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徳川信康。世間でどう決められているかは関係なく、私にとっては今後も家康長男・徳川信康です。

■半蔵の眠る丘■
<服部半蔵の墓>
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服部半蔵正成の墓。こちらはあくまで個人のお墓なので、何となく遠くから撮影しました。四谷は地形が複雑。お墓のすぐ右手は谷になっています。半蔵が亡くなったのは1596年。関ヶ原の戦いより前ですね。争いの世しか知らないままこの世を去りました。服部半蔵の眠る場所は、信康の供養塔のすぐそばです。

西念寺
[場所:東京都新宿区若葉]二丁目


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