2017年07月22日

伊奈一族の拠点 伊奈氏屋敷跡(伊奈町) 

<伊奈氏屋敷跡>
shirononsgori ina (3).jpg
関東の治水で名を馳せた伊奈氏。その屋敷跡を訪ねました。場所は地名にその名が残る埼玉県伊奈町です。

■現地■
場所は原市沼川の北岸微高地。規模は東西約350m南北約750m。土塁や堀の跡を見ることができます。一般に「伊奈氏屋敷跡」と呼ばれていますが、屋敷というより、ちょっとした城郭です。個人的には、まぁ「館跡」というくらいの表現がしっくりきます(よって以下は館跡ということで)。

<空堀>
shirononsgori ina (2).jpg
こういった遺構もいわば伊奈氏の思惑。ここは虎口(出入口)付近の堀跡です。

<案内板>
shirononsgori ina (4).jpg
説明によれば、調査の結果「障子堀」も確認されたようです。こういう調査の時に見物できたら、相当楽しいでしょうね。
※説明はこちら→「城用語 障子堀

<曲がり道>
shirono inayashiki3.jpg
一見ただの道ですね。これは意識して見通しを悪くした道。昔の屋敷絵図と一致します。遺構とは言えませんが、これも「屋敷のなごり」です。
shirono inayashiki5.jpg
この道は判断が難しいですが、やはり昔の屋敷の図から推定して、空堀とか堀切りのような場所だったような気がします。確証はないのですが、私はそう思って楽しみました。

■伊奈氏の関東進出■
伊奈氏はもともと信州伊那の出。その地名から「伊奈」を名乗ったといわれています(字が若干違いますが発音重視で読み流してください)。伊奈忠基(ただもと)の代に松平広忠に仕え、三河国の小島城(おじまじょう)の城主となりました。徳川家康が関東へ入国したとき、忠基の孫にあたる忠次(ただつぐ)が旧領に加えて武蔵国小室(現在の埼玉県伊奈町小室)・鴻巣領を与えられました。今回訪問の館跡は伊奈忠次が築いたものです。

■幕府の基盤を造った一族■
伊奈一族は、関八州の天領の治水や新田開発、検地で功績を上げ、徳川家の関東支配の基盤整備に大きく貢献しました。利根川と荒川の改修は、たくさんの成果の中でも最大級の事業と言えます。戦や政治の舞台ではないのでやや地味な存在ですが、幕府の下支えをした功労者ということですね。訪問した館跡は伊奈氏の足跡のほんの一部。関東には、伊奈氏が整備した水路や、名を関する神社などが数多く残されています。そして何より、かつては北から南下して江戸湾に注いでいた利根川が、東へ流れて太平洋へ注いでいます。

■波乱万丈伝■忠次 (1550―1610)
伊奈備前守忠次。「ちゅうじ」ではなく「ただつぐ」です。通称は熊蔵(これも信州の地名由来のようです)。この方、関東へ移るまでは山あり谷ありの道のりでした。
三河国においては、父とともに一向一揆に加担して国を追われることに(反家康に加担して立場なく出奔)。のちに「長篠の戦い」へ自主的に参加して活躍。これが認められ、父とともに徳川家康の長男である信康の家臣になります。ところが、諸々の言い掛かりで信康が切腹させられると再び徳川家から出奔(ここはかなり複雑な事情がありそうなのですが、いろんな説がありなんとも・・・そもそも徳川信康や母である築山殿に関することは諸説が多すぎで、私個人も疑問が多すぎ。まぁ今回は伊奈氏の話ですので、とにかく出て行かざるを得ない状況になったということで)。また流浪の生活となりました。
普通ならもうチャンスは無さそうですが、本能寺の変の直後、家康が自国へ向かって決死の脱出をはかったいわゆる「伊賀越え」でまた貢献(家康のそばにいたということでしょうか?疑問多すぎ・・・)。この功により、また帰参が許されました。服部半蔵もそうですが、この家康最大の危機で貢献できたことは大きいですよね。そののち、豊臣秀吉による小田原征伐の際には、大軍をサポートする兵粮運搬や街道整備などを担い、更に信用を得ました。

■開花する伊奈氏■忠治 (1592―1653)
忠次の息子、伊奈忠治。「ちゅうじ」ではなく「ただはる」です。通称は半十郎。伊奈氏の地位を不動にしたのは忠治とまで言われています。次男でしたが、忠次の後を引き継いだ兄が34歳で亡くなってしまい、事業は忠治が引き継ぎました。この時すでに本家から独立していたので、忠治の活動拠点は今回訪問の館ではなく、足立郡赤山(現在の埼玉県川口市)になります(赤山城址★として整備されています)。伊奈一族の大仕事として有名な利根川の事業は、忠治の力によるところが大きいと考えられています。

忠治の兄・忠政は病弱とかではなく、例えば大坂冬の陣では外堀を埋め立てる時の普請奉行を務めたり、更に夏の陣では戦そのものにも参加し、伊奈家二代目として充分に活躍していました。忠政亡きあと、関東代官の役割は弟の忠治が引き継ぎ、伊奈家本家の家督(今回訪問の伊奈家屋敷含む)は、まだ幼い兄の子が継ぐことになりました。

★訪問記はこちら→「伊奈一族の城跡

<微高地の森>伊奈氏屋敷跡
shirononsgori ina (1).jpg
緑で覆われた部分が館跡。周辺よりは微高地になっています。7月の炎天下、駅から日陰もなく、やや厳しい訪問となりました。

■つわものどもが夢の跡■
このブログでは「城跡」を指してそう呼んでいますが、伊奈一族の場合、館跡より関与した水路などを指す方が相応しいかもしれませんね。それらの多くは、今でも現役で頑張っています。

[例] 備前堀川
BizenHorikawa.jpg
埼玉県久喜市付近の堀川。名前は備前守(びぜんのかみ=伊奈氏)が開削したことに由来します。この画像は稲穂が頭を垂れ始める頃に撮影したもの。実りの秋に、水路まで黄金に輝いているように映ります。


-----■伊奈屋敷跡■-----
別 名:伊奈陣屋・伊奈城
築城年:1590年(天正18)
築城者:伊奈忠次(初代)
屋敷主:伊奈忠次・忠政
廃城年:(不明)
最寄駅:丸山駅(ニューシャトル)

[埼玉県伊奈町大字小室]字丸山


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タグ:伊奈一族
posted by Isuke at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
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