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2018年04月30日
花たんのお葬儀3
花たんが火葬場に移動してからのお話です。
花たんとの思い出の中で1番悲しい時間でした。
花たんの棺は、火葬場のレールに置かれました。
葬儀場の方から、優しい口調で説明がありました。
私は、もう涙が止まらなくて、どうしていいのかわからない状態でした。
心の中で、
いかないで、いかないで、と何度も叫びました。
でも、お別れの時間が来ました。
花たんの棺はゆっくりとレールにそって、細長い向こう側へゆっくりと移動していきました。
とても不思議だけれど、
その様子は、
花たんが手術をするために、NICUを出て、
小さなコットに乗って、
ゆっくりと開いた、手術室の扉の向こうへ先生方と移動していく姿に見えました。
扉の向こうまで親は入れないので、海パパと、小さくなる花たんを見送った日を思い出しました。
その時、花たんに「花たん、大丈夫だよ、がんばって!!」と言い続けた私。
ゆっくりと、レールの向こうにいく花たんは、
また、1歩前進していくようで、
私の知らない世界をどんどんクリアしていく花たんをママとして応援してあげないと・・という気持ちになりました。
そして、私は、叫ぶように花たんに届けと声を出しました。
「花たん、ありがとう!花たん、生まれてきてくれてありがとう!!」
花たんのお耳がまだあるうちに・・・もしかしたら、まだ聞こえているかもしれない。
おなかの中で、ママの声をいっぱい聞いてたんだもの、生まれる前から耳は聞こえていたんだもの。
死んでしまっても、耳だけはまだ生きてるかもしれない・・
勝手にそう信じて、扉が閉まるまで、「花たん、花たん」と名前を呼び続けました。
私のきょうだいが、私を後ろから抱きしめていました。
扉はしまり、
赤ちゃんなので、大人よりお骨になる時間が早いと告げられました。
花たんを待つ間は、気がそわそわしていました。
一人にしてほしい気持ちと、誰かのそばにいたい気持ちと、ヘンな感じでした。
1番いらないのが、励ましや、慰めの言葉でした。
何も言わず、そっとしてほしいと思いました。
私の実家の家族が、私のそばについてくれて、最近会った出来ことなど、歓談してくれました。
私を無理に笑わそうとするわけでもなく、私を囲んで楽しい時間を作ってくれました。
海パパも、私と同じような感じでした。
笑える心境ではないけど、親戚たちが来てくれたことに感謝をしつつ・・。
時間になったと告げられ、
お骨になった花たんをみました。
なんだか、おなかの中にいたときのエコー写真に戻ったみたい。
赤ちゃんだし、健康的に生きたわけではないので、お骨が残らなかったらどうしようと思ったけど、しっかり残っていました。
心臓に入れた人工弁があれば、形見にしたいな、と思ったけど、ありませんでした。
解剖の時に、先生が取っていたのかな・・。
お骨は小さな小さな骨壺に入り、これで葬儀は終わりました。
海パパが、皆へのあいさつの時、「私たちは、4人家族です。」と、言ったのが嬉しかった。
親戚の方には特に、願いたいのです。
どうぞ、花たんが親族の一員であることを忘れないでください・・。
花たんの写真と、お骨を家に持って帰り、準備していた棚に飾りました。
終わった・・。
葬儀が終わって、終わったと思ったのか、
花たんがいなくなって、花たんにしてあげることが終わったと思ったのか、よくわからないけど・・。
とりあえず、晩ごはんはどうしようか、と、海パパと普通に話していました。
太陽くんも、久しぶりにお家に戻って、くるくる走って遊んでいました。
花たんに、会いたい・・。
太陽くんのそばに行って、ギューっと抱きしめました。
花たんにしたいことは、太陽くんにしてあげよう・・。
太陽くんも、ママと離れてばかりでゴメンね。
翌日は、太陽くんとパパママとで、遊びに行くことにしました。
太陽くんは大喜び。
こどもが喜んでいる姿を見て、空ママも大喜びでした。
その夜から、空ママは、毎晩のように、こどもを亡くしたお母さんが書くブログを読んでいました。
どうやって立ち直ったのだろう・・。
その話はまた。。
花たんとの思い出の中で1番悲しい時間でした。
花たんの棺は、火葬場のレールに置かれました。
葬儀場の方から、優しい口調で説明がありました。
私は、もう涙が止まらなくて、どうしていいのかわからない状態でした。
心の中で、
いかないで、いかないで、と何度も叫びました。
でも、お別れの時間が来ました。
花たんの棺はゆっくりとレールにそって、細長い向こう側へゆっくりと移動していきました。
とても不思議だけれど、
その様子は、
花たんが手術をするために、NICUを出て、
小さなコットに乗って、
ゆっくりと開いた、手術室の扉の向こうへ先生方と移動していく姿に見えました。
扉の向こうまで親は入れないので、海パパと、小さくなる花たんを見送った日を思い出しました。
その時、花たんに「花たん、大丈夫だよ、がんばって!!」と言い続けた私。
ゆっくりと、レールの向こうにいく花たんは、
また、1歩前進していくようで、
私の知らない世界をどんどんクリアしていく花たんをママとして応援してあげないと・・という気持ちになりました。
そして、私は、叫ぶように花たんに届けと声を出しました。
「花たん、ありがとう!花たん、生まれてきてくれてありがとう!!」
花たんのお耳がまだあるうちに・・・もしかしたら、まだ聞こえているかもしれない。
おなかの中で、ママの声をいっぱい聞いてたんだもの、生まれる前から耳は聞こえていたんだもの。
死んでしまっても、耳だけはまだ生きてるかもしれない・・
勝手にそう信じて、扉が閉まるまで、「花たん、花たん」と名前を呼び続けました。
私のきょうだいが、私を後ろから抱きしめていました。
扉はしまり、
赤ちゃんなので、大人よりお骨になる時間が早いと告げられました。
花たんを待つ間は、気がそわそわしていました。
一人にしてほしい気持ちと、誰かのそばにいたい気持ちと、ヘンな感じでした。
1番いらないのが、励ましや、慰めの言葉でした。
何も言わず、そっとしてほしいと思いました。
私の実家の家族が、私のそばについてくれて、最近会った出来ことなど、歓談してくれました。
私を無理に笑わそうとするわけでもなく、私を囲んで楽しい時間を作ってくれました。
海パパも、私と同じような感じでした。
笑える心境ではないけど、親戚たちが来てくれたことに感謝をしつつ・・。
時間になったと告げられ、
お骨になった花たんをみました。
なんだか、おなかの中にいたときのエコー写真に戻ったみたい。
赤ちゃんだし、健康的に生きたわけではないので、お骨が残らなかったらどうしようと思ったけど、しっかり残っていました。
心臓に入れた人工弁があれば、形見にしたいな、と思ったけど、ありませんでした。
解剖の時に、先生が取っていたのかな・・。
お骨は小さな小さな骨壺に入り、これで葬儀は終わりました。
海パパが、皆へのあいさつの時、「私たちは、4人家族です。」と、言ったのが嬉しかった。
親戚の方には特に、願いたいのです。
どうぞ、花たんが親族の一員であることを忘れないでください・・。
花たんの写真と、お骨を家に持って帰り、準備していた棚に飾りました。
終わった・・。
葬儀が終わって、終わったと思ったのか、
花たんがいなくなって、花たんにしてあげることが終わったと思ったのか、よくわからないけど・・。
とりあえず、晩ごはんはどうしようか、と、海パパと普通に話していました。
太陽くんも、久しぶりにお家に戻って、くるくる走って遊んでいました。
花たんに、会いたい・・。
太陽くんのそばに行って、ギューっと抱きしめました。
花たんにしたいことは、太陽くんにしてあげよう・・。
太陽くんも、ママと離れてばかりでゴメンね。
翌日は、太陽くんとパパママとで、遊びに行くことにしました。
太陽くんは大喜び。
こどもが喜んでいる姿を見て、空ママも大喜びでした。
その夜から、空ママは、毎晩のように、こどもを亡くしたお母さんが書くブログを読んでいました。
どうやって立ち直ったのだろう・・。
その話はまた。。