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2015年12月12日

相待妙、絶待妙 A

此の経には二妙あり釈に云く「此の経は唯二妙を論ず」と一には相待妙・二には絶待妙なり、相待妙の意は前の四時の一代聖教に法華経を対して爾前と之を嫌い、爾前をば当分と言い法華を跨節と申す、絶待妙の意は一代聖教は即ち法華経なりと開会す
一代聖教大意 403−404頁

相待妙は、華厳・阿含・方等・般若の四時の経典を爾前教と判定し、法華経を最高のものと考えます。

法華経を最高のものとすることが目的であるならば、相待妙だけでよいはずですが、「二妙」ということですので、もう一つの妙があります。それが絶待妙なのですが、絶待妙は、一代聖教がすなわち法華経であると考えます。

先日、検討したように、法華経以外の経典が法華経と同格になるわけではなく、法華経という軸、中心をサポートする形で爾前教が活かされるということですね。

あくまでも法華経が至高であるという相待妙の考えは堅持されており、その上で、法華経を通しながら、爾前教を開き会していくという絶待妙が同時に展開されるということですね。

相待妙、絶待妙の考え方からすると、無駄になるものは何もないという結論が導き出されます。

相待妙によって否定されながらも、絶待妙によって肯定されるという、この相待妙と絶待妙との関係性は、まさに妙なる次元の事柄といえるでしょう。

この相待妙と絶待妙とが別々であるというのではなく、同時にあるというのがポイントですね。

別々と考えてしまいますと、相待妙で法華経を第一した後、爾前教がいりませんので、爾前教を捨てるだけになります。しかし、爾前教にも重要な法門があり、すべてを捨てる必要はないのですね。

また、別々に考えますと、絶待妙は、一代聖教は即ち法華経ということなのだから、爾前教が法華経だという意味不明な解釈が横行してしまいます。当然のことながら、爾前教と法華経とは違う経典ですので、違いを明確にしておかなければなりません。

やはり、相待妙だけでもない、絶待妙だけでもないという観点から、また、相待妙でありながら、絶待妙でもあるという、同時進行で相待妙、絶待妙を把握する必要があります。

そうしますと間違った解釈をしなくて済みます。

相待妙と絶待妙との関係性は、まさに妙なる関係性ですので、単に頭で考えるだけでは、よく分からないと思います。ここは、妙なる関係性を実感するしかないですね。

自由自在な境涯を得ることによって、相待妙、絶待妙の妙味が感じられ、十二分に活用することができます。そうしますと、絶妙な振る舞いができ、絶妙な判断能力がつき、所謂、成仏の状態となるのですね。

単なる知性の問題ではなく、人格の問題、境涯の問題に関わってくるのが相待妙、絶待妙であるといえましょう。
posted by lawful at 13:35| 御書

2015年12月09日

相待妙、絶待妙

相待妙と絶待妙について考えてみたいと思います。

まず、相待妙とは何か。「諸宗問答抄」を通しながら確認してみましょう。

相待妙の下にて又約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候
諸宗問答抄 376頁

相待妙は、各経典について勝劣をつけることですね。華厳部・阿含部・方等部・般若部の経典を爾前権教と判定し、法華経を至高の経典と判断するのが相待妙ですね。

では、絶待妙とは何か。

絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり
同書 377頁

絶待妙は、開会の法門であるという。一度は、爾前権教として、捨てて置いた経典を法華経の中に取り込むのが絶待妙ですね。

法華経の中に爾前権教を取り込んでいますので、法華経と爾前権教が混ざり、一緒になるのかというと、そうではないようです。

設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味となる事無し、法華の体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり
同書 378頁

爾前権教が法華経と一緒になることはないのですね。法華経の体内に入ったにしても、体内において権という位置付けになるわけです。法華経そのものの実にはならないということです。

法華経の内部においても厳然と違いがあるということですね。絶待妙だからといって相待妙の側面が排除されるわけではありません。

相待妙と絶待妙とは共に存在するものと考え、双方ともに一緒に把握しなければなりませんね。

相待妙の時も絶待妙の時も倶に須く悪法をば離るべし
同書 同頁

相待妙、絶待妙は、共に悪法を離れるためにあるのであって、絶待妙だからといって、悪法が悪法のままでよいということにはなりません。

法華経の中に爾前権教を取り込んだにしても、その爾前権教そのままでよしとするのではなく、法華経という体内の実という中心があった上で、その爾前権教を体内の権として活用することが絶待妙ということですね。

この絶待妙の考え方からすると、爾前権教だけでなく、キリスト教、イスラム教をも法華経の中に取り込みながら、あくまでも体内の権という側面で活用できますね。

確かに、相待妙の次元では、キリスト教もイスラム教も外道という位置付けであり、法華経と対比した場合、嫌い捨てられる宗教となりますが、キリスト教、イスラム教という伝統巨大宗教がそう簡単に切り捨てられるような柔な宗教とは思えません。

キリスト教、イスラム教には、それぞれ問題点はあるにしても、それはそれとして、我々としては、体内の権として活用できる点を見つけ出し、法華の大海のなかで自由自在に活用するほうが価値的と思われます。

仏教徒よりも多くの信者を抱えているキリスト教、イスラム教には、優れた点があるわけで、その良質な点を見逃すことは好ましくありません。

異文化理解の点においても、正しく、キリスト教、イスラム教を把握することが重要ですね。

絶待妙の考え方は、グローバル化していく世界において、必要な考え方といえるでしょう。
posted by lawful at 14:25| 御書

2015年12月07日

法華宗という名称

問う法華宗の意如何、答う経文に「具三十二相・乃是真実滅」云云、或は「速成就仏身」云云
蓮盛抄 152頁

蓮盛抄は、建長7年の述作であり、立教開宗から2年後になります。

その時において、日蓮は、法華宗という名称を使用しています。

天台宗ではないのですね。

後年、日蓮仏教教団の多くは、日蓮の名を冠して日蓮宗や日蓮正宗や日蓮本宗等と名乗っています。

もちろん、顕本法華宗、本門法華宗、法華宗(真門流、本門流、陣門流)と名乗る教団もありますが、日蓮宗の方が馴染んでいますね。

日蓮は、蓮盛抄において、法華宗の意はいかなるものかとの問いを立て、まずは、法華経化城喩品の文を引き、涅槃に至ることであるとし、また、法華経如来寿量品の文を引き、仏を成就することであるとしています。

端的に言うと、生死即涅槃であり、即身成仏、一生成仏ということですね。

別の言い方をすれば、境涯を上げることとなりましょう。

我々は、御書、法華経を根本に信仰をしていますので、宗ということで言えば、日蓮宗であり、法華宗となりましょう。

ただ、特定の教団という制約を取っ払い、涅槃に至ること、成仏することに焦点を定めて、信仰を続けていくべきですね。

各教団は、涅槃に至り、成仏するに資する場合、活用するという対象とはなり得ます。

主体を我々側に置くことですね。教団は、我々のサポートに徹すべきでしょうね。

それができない教団は、捨てておけばよいでしょう。役に立たないのですから。
posted by lawful at 06:00| 御書

2015年12月06日

『仏教史年表』から創価学会を見る

『仏教史年表』山崎宏・笠原一男監修 法蔵館 1979 から創価学会の歴史を辿ってみましょう。

1930年(昭和5年)11月18日 牧口常三郎、戸田城聖が創価教育学会設立。

この時が創価学会創立の日となっていますが、牧口常三郎が『創価教育学体系』第一巻を発行した日なのですね。書籍の発行日というわけです。よって、創価教育学会という組織ができた日ということではないのですね。

1937年(昭和12年)牧口常三郎、東京で創価教育学会正式発会式を挙行。

事実上、この時に組織体としての創価教育学会が成立したと考えるのがよいでしょうね。現在、創価学会は、創立85年と数えているようですが、マイナス7年と計算して、実際は、創立78年ということでしょう。

1943年(昭和18年)6月20日 創価教育学会弾圧、牧口常三郎・戸田城聖ら検挙。

ここで一旦、創価教育学会の活動が停止します。

1944年(昭和19年)牧口常三郎没(73)。

『仏教史年表』では、日付が書いていませんが、牧口常三郎は、11月18日に亡くなっていますね。

1946年(昭和21年)1月1日 戸田城聖、創価学会再建。

前年の7月3日に釈放されていた戸田城聖が実質的に活動し始めた時ですね。創価教育学会から創価学会と名称が変わったのもこの時ですね。

1951年(昭和26年)5月3日 創価学会会長に戸田城聖就任、折伏大行進展開。

戸田城聖が創価学会を再建してから5年経過し、戸田城聖が会長となります。すぐに会長になっていないのですね。元々、理事長であったということもあるでしょうが、いろいろあったということでしょう。この時から、折伏大行進がはじまります。いつまで続いたのかは、後の年表に出てきます。

1954年(昭和29年)8月8日 創価学会、全国地方折伏を開始。

折伏大行進開始から3年経過したのち、全国に展開しはじめたのですね。戦後の復興と共に創価学会も発展したことが分かります。

1955年(昭和30年)4月23日 都道府県議会議員に創価学会進出。

布教だけでなく、政治の世界にも創価学会は進出します。勢いがありますね。

1957年(昭和32年)7月14日 創価学会大阪大会、北海道炭労の学会反対決議は信教の自由への妨害と宣言。

このころになりますと、創価学会の勢力が強くなり、他の団体と衝突し始めるのですね。社会的な存在になったということですね。

1958年(昭和33年)4月2日 戸田城聖没(51)。

戸田城聖が亡くなります。51歳ではなく、正しくは58歳ですね。それにしても若いですね。歴史に、もし、はありませんが、もし、戸田城聖があと5年、10年長生きした場合、創価学会の姿は全然違うものになっていたことでしょう。

1960年(昭和35年)3月8日 厚生省は故なく創価学会員の埋葬を拒否出来ない旨通達。

創価学会の勢力は急拡大しましたから、どうしてもお墓の問題が出てきます。創価学会や日蓮正宗にしてもすぐに会員、信徒のためのお墓が準備できるわけでもなく、創価学会、日蓮正宗に入った人にとっても、今までの宗派でのお墓しかないわけで、埋葬はそのお墓になります。そこで、他宗派としては、創価学会の拡大はおもしろくなく、創価学会員になった人に対して、埋葬拒否があったということですね。さすがにこれは問題ということで厚生省まで動き始めたということです。

この厚生省通達の約4年前、昭和31年5月「大白蓮華」60号に掲載されたという座談会で戸田城聖さんが当時の状況を語っています。確認してみましょう。

戸田 まさか、いますぐ正宗で墓を全国につくるわけにはいかない。寺だけで大変なのに、墓までつくったらこれまた大変だ。
『戸田城聖全集』第二巻(質問会編) 聖教新聞社 459頁

急成長はいいことばかりではありませんね。衝突が勃発するものです。

1962年(昭和37年)1月17日 創価学会政治連盟、公明政治連盟と改称。

名称が変わっていますが、事実上、公明は創価学会ですね。細かく言うと、創価学会政治部でしょうね。

1964年(昭和39年)5月 大阪の日蓮正宗蓮華寺、大石寺末より離脱。
11月17日 公明党結成大会。

ここでいう蓮華寺は、大阪市北区のお寺のようですね。大阪市淀川区の蓮華寺とは違うようです。大阪市北区の蓮華寺は、日蓮実宗となっているという。日蓮正宗創価学会には、いろいろなことがあるのですね。

1969年(昭和44年)11月 藤原弘達著「創価学会を斬る」に関し、創価学会の言論妨害に批判高まる。

所謂、言論問題ですが、創価学会は、批判本の出版を妨害しようとして、結局、批判されてしまったということです。

1970年(昭和45年)1月28日 創価学会、折伏目標の達成をもって、折伏中止を発表。

言論問題の後ということもあり、折伏大行進がここで終了したようです。約20年に渡る大行進だったのですね。数百万人の会員を抱え、巨大新宗教団体となった創価学会は、その後、会員が増えていませんので、やはり、この時に行進が止まったというわけです。

1971年(昭和46年)1月27日 創価大学認可。

創価学会は、大学まで作りました。相当なものですね。

1975年(昭和50年)1月26日 創価学会インターナショナル創設。

創価学会の国際組織を立ち上げています。ただ、折伏大行進のようなことはなく、地道に活動しているようです。

『仏教史年表』は、1975年(昭和50年)で終わっており、それ以降の年表はありませんが、実質的に、創価学会の見るべき点は、ここまでといってよいでしょう。これ以後、創価学会に特筆すべきことはないと思われます。

折伏大行進によって、急拡大した創価学会は、昭和の宗教団体といえるでしょう。

折伏大行進が終わった1970年(昭和45年)から会員が増えているわけでもなく、それなりに成熟した団体となりました。

ただ、現在、時代の要請に応えられているかというと、全く応えられていませんね。ある意味、過去の宗教といえるでしょう。

あとは、惰性で組織運営をしていくだけでしょうね。昭和の一時期に大立ち回りをした教団があったという歴史を残したということですね。

年表を辿りますと、今となっては、もの悲しい感じがしますね。栄枯盛衰が強く感じられます。
posted by lawful at 06:00| 新宗教

2015年12月05日

日蓮は、法華経の中に密教を組み込んだといえるでしょう

日蓮(1222-1282)は千葉県小湊の漁師の家に生れ、12歳で清澄山の寺に入り、16歳で出家し、是聖房蓮長と名乗った。当時、清澄寺は天台系の密教寺院で、師の道善房は念仏信仰者であった。そのために日蓮は若くして法然や善導の浄土教義を学び、さらに天台の本覚思想に触れた。
平川彰『インド中国日本仏教通史』春秋社 277頁

日蓮は、清澄寺にいた頃、天台系の寺院ですから、法華経、天台本覚思想を学んでいたことが分かります。

そして、清澄寺が密教寺院であったことから、密教も学んでいたことが分かります。

また、師の道善房が念仏信仰者であることから、法然、善導の浄土教義を学んでいたことが分かります。

まとめますと、
@  法華経、天台本覚思想
A  密教
B  念仏、浄土教義
の3つを学んでいたのですね。

日蓮がまだ21歳で蓮長と名乗っていた仁治3年の作といわれる「戒体即身成仏義」には、

十界互具する故に妙法也。さるにては互十界二乗菩薩凡夫を具足せり。故に二乗不成仏云はば、凡夫・菩薩も不成仏云事也。法華の意は、一界の成仏は十界の成仏也。法華已前には仏非実仏、九界を隔てし仏なる故に。何況や九界耶。然に法華の意は、凡夫も実には仏也。十界具足の凡夫なる故に。何況や仏界耶。
『昭和定本日蓮聖人遺文』第一巻 10−11頁

法華経の悟と申は、此国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一と知也。
同書 14頁

とあり、すでに法華経の十界互具の法門を明確に論じています。法華経已前の経典では、仏ですら実仏でないと言っています。法華経に至って初めて成仏が可能であり、凡夫も実は仏であると言っています。凡夫本仏論があらわれているといえるでしょう。

法華経の悟りについても、我々が住んでいる土地と我々自身と釈迦如来とは別々ではなく、一体であると論じています。

釈迦如来と別々ではないということは、我々自身が仏たり得ることをあらわしており、また、此国土と言っていることから、どこか遠くへ行って成仏するのではなく、今、この場において成仏することをあらわしています。

後に、日蓮と名乗ってからの法門と軸が変わりませんね。このころから、法華経の法門を重要視していたことが分かります。

ただ、

今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子也等云云。知法華経申は、此文を可知也。我有と申す有は其非真言宗者難知。
同書 14頁

と述べており、法華経譬喩品第三にある今此三界の文を知ることが法華経を知ることであると言いつつ、我有の有ということを知るには、真言宗によらなくてはならないと言っています。

真言宗ですから、密教の次元において理解すべきということでしょう。

この点においては、後年の日蓮の法門との違いが見て取れます。

また、

為令人知顕教密教勝也。
同書 15頁

とも言っており、顕教よりも密教が優れているとの認識を示しています。

このころの日蓮においては、法華経を重視しながらも、密教をも重視していたことが分かります。

では、浄土教義についてはどうでしょうか。

法華経の如法経を浄土の三部経に引違へたる是を毀と云也。権教を以て実教を失は、子が親の頸を切たるが如し。又観経の意にも違ひ、法華経の意にも違ふ。
同書 12頁

浄土三部経は権教であり、実教の法華経の代わりにはならず、浄土三部経を主にして、法華経を蔑にすることは、子供が親の頸を切るようなものとまで言っています。

このころから、浄土教義については、手厳しく批判をしています。これは、後の日蓮の法門と軌を一にしています。

初期日蓮以前の蓮長の時において、注目すべきは、真言宗重視、密教重視の姿勢ですね。

法華経を中心としているところは変わらないのですが、そこに密教が深く浸透しています。

後年、日蓮は、真言宗、密教を批判するに至りますが、その過程を研鑽の中で明確にしていきたいですね。

また、真言宗、密教を単に批判したというわけではなく、実は、真言宗、密教のエッセンスを法華経に取り込んだからこそ、真言宗、密教そのものをあえて用いる必要はないということだったのかもしれません。

日蓮本尊に関して考えてみますと、そもそも、本尊を曼荼羅の形式にしているところから、真言宗、密教の影響が見て取れます。

南無妙法蓮華経という陀羅尼、所謂、呪文を唱えますが、これも、真言宗、密教の陀羅尼、呪文と同じようなものです。関連性があるといえるでしょう。

また、本尊の右側には、記号のようなものがありますが、これは、不動明王をあらわしており、密教で用いられる梵字(種子)で書いています。左側は、愛染明王であり、これも種子で書いています。まさに、密教を取り込んでいますね。

日蓮は、本尊を文永年間から揮毫し始めますが、建治年間、弘安年間と経るにしたがって本尊の相貌は完成に近づきます。それと同時に、真言宗、密教批判が強くなります。

本尊を完成させた後においては、密教を取り込んだ本尊が存在するわけですから、真言宗、密教そのものを修する必要はなく、本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱えればよいと考えていたのでしょう。

法華経を中心とする法門の中に、密教を組み込んだといえるでしょうね。

法華専修のようでありながら、法華経の中に密教の要素をも取り入れ、実のところ、総合仏教となっていったのが日蓮仏法といえるかもしれません。

仏教の様々な法門を法華経に組み込むというダイナミックな過程を、研鑽しながらより深く把握していきたいですね。
posted by lawful at 10:48| 御書

2015年12月02日

日蓮仏法において、文字が重要であること

修多羅と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命なりと天台釈し給へり
諸宗問答抄 381頁

修多羅は、梵語のスートラ(sūtra)から来ていますので、経文、経典のことですね。

スートラ(sūtra)ですから、素多覧(そたらん)ともいいます。

経文、経典は、文字で構成されていますので、修多羅は文字というわけです。

この文字は、三世諸仏の気命(いのち)であると天台は釈しているという。

天台の解釈では、経文、経典の文字は、単なる文字ではないのですね。

日蓮は、天台の解釈を継承していますので、日蓮仏法において、文字は重要です。

ここから、御書、法華経の文字を我が気命(いのち)とする信仰が出てきます。

御書、法華経を軽視する人がいますが、これらの人は、日蓮的、天台的ではないですね。

三世諸仏の気命(いのち)なのですから、軽々しく扱えるものではないですね。真剣に立ち向かうべき対象といえましょう。

まずは、毎日、御書、法華経に触れていきながら、自らを磨くのがよいでしょうね。
posted by lawful at 06:00| 御書

2015年12月01日

勘違いする人

民の身として国王と名乗ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり
諸宗問答抄 380頁

自分のことをよく見せようとして、大したことがないにもかかわらず、国王とまでは言わないにしても、それなりの立場があるように吹聴する人がいます。

なぜ、このような嘘を言うのか、よく分かりませんが、本人は至って本気なのですね。

自分の境涯を少しずつでも上げていけばよいのですが、そのような地道な修練は嫌なようです。

俺はすごいんだ、俺はすごいんだ、と連呼するばかりです。

それで、本当にすごいのかといえば、全くすごくないのですね。

むしろ、みっともない人間なのですね。そして、私だけでなく、その他の人々にも嫌われています。

しかし、当の本人は、俺は素晴らしく、人々から慕われていると思っています。

なぜ、このような勘違いが生じるのか、よく分からないところですが、実際にこのような人間が存在します。

このような人を相手にしなくなって久しくなりますが、今回の御文を拝した時に、ふと思い出した次第です。

鎌倉時代にも同じような勘違いした人、痛い人がいたのですね。いつの時代にも、一定数、変な人間がいるということですね。
posted by lawful at 06:00| 御書

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