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2015年03月29日
唱法華題目抄
法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
唱法華題目抄 16頁
仏教はあくまでも法門によるべきですね。
日蓮仏法でいうならば、御書、法華経を根本として、信仰を行っていくことです。
利根とは、簡単にいうと能力が優れていること、優秀であること等をあらわしていると考えてよいでしょう。
通力とは、不思議な現象を起こすことができる力と考えてよいでしょうね。分かりやすく言うと超能力のようなものといえましょうか。
能力があることや超能力があることは、それはそれで結構なことだと思います。
ただ、能力や超能力は、使うものであって、根本にはなり得ないということですね。
つまり、能力や超能力を持っているだけでは完結しないということです。
根本となる法門を軸として、その上で活用されるのが能力や超能力といってよいでしょう。
もっと言うと、能力がさほどなくとも、超能力がなくても、別に何の問題もないわけです。
法門を根本とする信仰が透徹されているならば成仏に不足することはなく、能力が劣ろうが超能力がなかろうが、どうでもいいのですね。
あればあったで、多少のアドバンテージがあるというだけのことです。
能力があるからといって、いい気になっていますと、成仏が覚束なくなってしまいます。
ただ、ほとんどの人間に優れた能力や超能力はありません。
能力や超能力があるようなふりをしている人間が多いというだけのことでしょう。
実のところ、上記御文以前の段階の人間が多いということです。
我々としては、御書、法華経という法門を根本として正しいものと邪なものを見分けていきたいですね。
2015年03月22日
家のガラクタを整理する
ガラクタのいっさいない家というのは、信じられないくらいスッキリして心が落ち着く。
リチャード・カールソン『小さいことにくよくよするな!2』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 236頁
本書は1998年に発行され、翻訳は1999年に出されています。約16年も前の本なのですね。断捨離が流行る前に同じようなことが言われています。
やはり、物事を考えていくと、断捨離に行き付くのでしょう。
ガラクタのない生活は、すっきりと整理され、よく管理されている。空間を感じる余裕がある。開放的な気分のおかげで気力が充実し、生活に押しつぶされるのではなく生活との一体感をもてるようになる。
同書 同頁
ゴミ屋敷ほどではなくても、一般の家庭の中を見ますと、いらないものが溢れていますね。
大きなお世話でしょうが、もっとすっきり生活できないものかと思ってしまいます。
散らかっている部屋で生活している人は、精神が荒んでいます。
周りに悪影響を与えるのですね。よって、他人の事柄であっても、注視しておく必要があるのですね。
私についていえば、いらないものをどんどん減らしていくなかで、本当に残そうと思ったものに対して強い愛情を感じるようになった。
同書 237頁
本についても、そうですね。たくさん本があるときは、御書が重要と思っていながらも、さほど読むこともなく、そのままになっていました。
しかし、本の断捨離をはじめますと、当然ながら、御書は残るわけで、本棚において、御書が目立つようになります。
そして、手に取り、読み始めます。
御書は相当分厚い本ですが、読み進めるうちに、読了に至ります。
本の断捨離をしたが故に、読み終えることができたといえるかもしれません。
本が多いままであると、御書が本棚の中で埋もれていたかもしれませんね。
本が多いと、大切な重要な本を読まないという弊害があるようです。
何度も読み返す本は、本棚に置いておき、そうでない本は、その都度、処分するのがよいですね。
2015年03月01日
お金を使いすぎないこと
老後の蓄えがほとんどない人にずいぶん会ったが、彼らの多数が意外にもかなり高級な、しかも新車に乗っているのを見てふしぎに思った。もし新車を乗り回したり、新品の物ばかりを買わず、お金をもっと賢く投資していたらどうだっただろうか、と。
リチャード・カールソン『お金のことでくよくよするな!』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 224頁
高齢者になって貯蓄がないというのは、悲惨ですね。
悲惨であるから、最貧困状態なのかといいますと、そうでもないようです。
ただ、定期的な収入が1回でも滞るならば、破綻するような家計であるようです。
なぜ、このような家計になるのか。上記にあるように、車で考えますと、高級車を欲しがるようです。そして、その高級車も新車であるという。数年に一度は買い換えているのでしょう。
これでは、お金は貯まらないでしょうね。
車だけでなく、あらゆる出費についても同じでしょうから、あったにしてもローンぐらいのものでしょう。
危険な生活といってよいですね。
自分の物欲にブレーキをかけて、収入の範囲内か、それを下回るレベルで生活をすると、「心の平安」というべつのタイプの豊かさを発見するにちがいない。心が平穏でリラックスした状態というのは、人生の最高の贈りものの一つだと私は思う。
同書 237頁
物を欲しがるのは子供じみています。
大人になっているならば、物にこだわるべきではないでしょう。
いい車に乗って、いい服を着て、いいものを食べて、と考えていきますと、お金はなくなるばかりです。
欲望のままに生きていくことは避けるべきですね。仏教的に言うならば、貪欲に陥らないこと、餓鬼界の状態から脱することですね。
見栄を張るという生き方もやめておいた方がよいでしょう。他人のために一生懸命見栄を張っても、何の豊かさも実現しません。無駄なだけです。このようなことが分かっていないというのは、仏教的に言うならば、愚かな状態であり、畜生界の状態といってよいでしょう。
大人にとって必要なことは、質素、倹約でありながらも極めて豊かな生活を編み出すことでしょうね。
二年分の生活費を蓄える
大成功している財政管理の専門家が、「金持ちになる前に実行したいちばん重要なことは、二年分の生活費を蓄えたことだ」と言っていた。大変な犠牲、規律、まじめさ、忍耐のほか五年の月日を要したが、その利子――とくに心理的な見返りは大きかったという。その財政上のクッションがあったおかげで、心に平安があったし、危険を承知で成功に欠かせないステップを踏む勇気が出た。彼は二年分の生活費を蓄えたことで、心配をせずに夢やさまざまなチャンスを追求できたのだ。
リチャード・カールソン『お金のことでくよくよするな!』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 124頁
よく聞くのは、3か月分の生活費や6か月分の生活費を貯めるということですが、二年分の生活費とは、なかなかの金額になりますね。
さて、1か月分の生活費とは、いくらぐらいなのでしょうか。
人それぞれではありますが、余裕をもって考えるならば、30万円程度と考えるのがよいかと思います。1日1万円と考えるわけですね。
そうしますと、二年分の生活費は、約730万円になります。
もっと余裕をもって考えますと、1年に10万円は余分に欲しいところです。二年分で20万円。
上記730万円と20万円との合計金額である750万円程度を蓄えることができれば、二年分の生活費を貯めたといえるでしょう。
確かに、10万円や20万円程度の貯蓄額では不安だらけでしょうね。
ただ、100万円や200万円程度の貯蓄額でも不安は拭えないでしょう。
300万円から500万円といっても、まだまだということなのでしょうね。
やはり、上記に示した750万円程度の貯蓄額があってこそ、次のステージに進めると考えるのがよいでしょう。
単にお金があるというだけでなく、心理的な見返りが期待できるようです。
心の平安が得られ、その上で、いざという時はいつでも動けるというのは、心強い限りです。
750万円を貯めたからといって、すぐに何かをする必要はありませんが、いつでも動ける状態をキープできることは、安心感につながりますね。
お金に振り回されないで生きていくには、少なくとも二年分の生活費、本ブログでは750万円と設定しましたが、この程度の貯蓄額は必要でしょうね。
休暇を減らし、車や家、服にぜいたくをせず、外食の回数も減らし、ある程度の必需品も切りつめるという犠牲を払ってでも、二年分の生活費を蓄えることには充分に価値がある。
同書 126頁
二年分の生活費を貯めるには、無駄を排し、いらないぜいたくをやめ、蓄財に励まなければなりません。
質素な生活、節約をする生活を身に付けることによって、お金が貯まるのですが、実はそれだけでなく、質素、倹約の生活を行う程の自制心を育むことが根本的な目的と思われます。
浪費しない生活ができるようになれば、750万円を貯めることは困難ではありませんし、余裕資金があるならば投資をすればよく、お金が増えていくことになるでしょう。
そもそも浪費しない生活は、経済的破綻の正反対の生き方ですから、破綻しようにも破綻できないですね。
二年分の生活費を貯めるとは、浪費しない自分を作り上げるためのトレーニングと考えればよいですね。
そして、二年分の生活費が貯まったならば、浪費しない人間になったのだと思ってよいでしょう。
あとは、投資をして運用の次元でお金と付き合うことになりますね。