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2014年09月21日

神学の4区分から日蓮仏法を考える(2)

神学は、以下の通り、4区分されるようです。

@ 聖書神学(旧約聖書神学・新約聖書神学)
A 歴史神学(教会史・教理史)
B 組織神学(教義学・倫理学)
C 実践神学(牧会学・説教学)

この神学の4区分を参考に日蓮仏法を研鑽する上で必要となる書籍を割り当ててみたいと思います。

旧約聖書神学に相当する書籍は、法華経ですね。

新約聖書神学に相当する書籍は、御書ですね。

教会史に相当する書籍はないかと考えたのですが、キリスト教にとって教会とは圧倒的な存在ですが、日蓮仏法にとっては圧倒的な教団というものは見当たりませんね。

確かに、伝統的に各日蓮宗は存在しますし、各新宗教団体もあります。

しかし、キリスト教の教会ほどの存在感があるかといえばありませんし、キリスト教の教会と比べるという次元にすら至っていないでしょう。

はっきり言ってしまえば、小さいわけです。

よって、日蓮仏法においては、教団というよりも、圧倒的な存在感を示している日蓮その人を研鑽するのがよいですね。

書籍としては、『日蓮入門』(末木文美士 ちくま学芸文庫)が参考になりましょう。

教理史の方ですが、日蓮宗の宗学や新宗教団体の教学という枠にとらわれず、仏教全体の教理の歴史を概観する書籍を読むのがよいでしょう。

書籍としては、『思想としての仏教入門』(末木文美士 トランスビュー)が参考になりますね。

教義学については、護教的な側面を保持した書籍がよいと思いますので、日蓮仏法を統合し、体系化しようとしていた昭和50年代初頭の創価学会の書籍である『仏教思想の源流』(池田大作、後藤隆一、野崎至亮 東洋哲学研究所)がよいでしょう。

倫理学、牧会学、説教学については、実践的な事柄ですので、書籍を読むというよりは、そのまま実践で展開した方がよいでしょう。

法華経、御書を軸としながら、『日蓮入門』、『思想としての仏教入門』、『仏教思想の源流』を読み、基礎的な仏教力を身に付けておくことは、信仰をする上で重要なことですね。

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2014年09月15日

神学の4区分から日蓮仏法を考える

「キリスト教神学は、伝統的に次の4つに分類される。すなわち聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学である」(佐藤優『神学部とは何か』新教出版社 31頁)

「聖書神学もまた、旧約聖書神学と新約聖書神学とに分類される」(同書 32頁)

「歴史神学は、教会史と教理史に分かれる」(同書 34頁)

「組織神学は教義学(教理学)と倫理学とに分かれる。」(同書 36頁)

「実践神学は、牧会学と説教学とに大きく分かれる。牧会学というのは、人間関係をケアするための実践的な学問である」(同書 38頁)

聖書神学について、日蓮仏法で考えますと、旧約聖書神学が法華経に相当し、新約聖書神学が御書に相当すると思われます。

歴史神学について、日蓮仏法で考えますと、教会史が各日蓮宗教団や各新宗教教団の歴史(大きく捉えると仏教教団そのものの歴史)に相当し、教理史が各日蓮宗教団や各新宗教教団において出来上がった教理、つまり宗学の歴史(大きく捉えると仏教の教学の歴史)に相当すると思われます。

「神学思想の中には歴史神学の成果もあり、聖書神学の成果もあるが、そういった諸々の成果をキリスト教の立場から整理し、統合していくのが組織神学の仕事なのである。よって、組織神学というのは、本質的に護教的な性格を持つ」(同書 36頁)ということですから、組織神学について、日蓮仏法で考えますと、特定の何かということはできませんが、法華経、御書、仏教の歴史を日蓮仏法の立場から統合し、体系化し、護法に努めるのが教義学に相当し、それに基づき、いかに行動するかという点が倫理学に相当すると思われます。

実践神学について、日蓮仏法で考えますと、日蓮が各門下の信仰や人生の悩みに答えるために消息文(手紙)を認めた振る舞い、所謂、カウンセリングなどが牧会学に相当し、法華経の解説、御書の解説をするのが説教学に相当すると思われます。

神学の4区分は、日蓮仏法においても同様に存在するといえますね。

日蓮仏法を信仰、研鑽、実践する中で、自分は今、どの地点にいるのかを確認するためにも神学の4区分の視点は活用できますね。

また、この4区分をバランスよく行うことが重要ですから、足りない部分を確認するためにも活用できますね。

まずは、ベースとなる経典である法華経、御書を研鑽することですね。

そして、仏教教団の歴史と仏教教学の歴史を押さえるということですが、教団とはそもそも人の集まりですから、「人」に注目するということであり、教学とは、まさに「法」であり、「人」と「法」とに着目し、その歴史を鑑みるということですね。

その上で、法華経、御書、仏教に纏わる「人」と「法」との歴史を統合、体系化し、行動していくということですね。

その行動に関しては、カウンセリングという側面の行動があり、また、法華経、御書のメッセージを的確に伝えるという側面の行動があります。

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posted by lawful at 17:57| 仏教

2014年09月14日

人の時間を食い荒らす敵

「かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」(光日房御書、931頁)

自分自身に危害を加える敵を知らずして、自分自身を守ることはできません。

ただ、敵といっても危害を加える敵だけでなく、人の時間を食い荒らす敵もいます。

どちらかというと、このような人の大切な時間を奪う敵の方が多いかもしれませんね。

人の時間を奪う敵は、危害を加える敵のように、明らかな敵対的行動をとるわけではありません。

むしろ、親しげに近づいてきます。

仲間だ、家族だ、同志だ、などと言っていますが、単なる敵にしか過ぎません。

これを知らないがために、今まで多くの時間を無駄にしてきたことか。

反省することしきりです。

いままで無駄にしてきた時間を、例えば、自己投資の時間に充てたならば、ひとかどの人間になっていたことでしょう。

それほどの時間を食い散らかすとんでもない敵には、今後とも、気を付けていきたいものです。

いつ、だまされるか分かりませんから、常に注意しておくことですね。

こちら側に隙があると、遠慮なく近づいてきます。

また、人の時間を食い荒らす敵は、相手のことをよく見ており、だませそうな人間を見つけると集中してその人間にアプローチしてきます。

ただ、だませないと思うとさっさといなくなります。

これでもかという程のスピードでいなくなります。

つまり、確固とした自分自身の軸があるならば、人の時間を食い荒らす敵は近づいてきません。

人の時間を食い荒らす敵は、所詮、くだらない人間であり、今後も、そのままくだらないままで人生を終えるわけで、こちらとしては、お好きにどうぞ、という態度でかわしておくだけでよいですね。

とにかく、自分自身の境涯を上げていくことが肝要といえましょう。

境涯が上がりますと、人の時間を食い荒らす敵との縁が切れると共に、そのような敵の素性、特徴、みっともなさがよく理解できるようになります。
posted by lawful at 13:20| 御書

2014年09月06日

Twelve Years a Slave

「彼は、人を最も腹立たしくさせることを言う能力があり」(ソロモン ノーサップ『12イヤーズ ア スレーブ』小岩雅美訳 花泉社 153頁)

原文でも確認してみましょうか。

He has the faculty of saying most provoking things.

奴隷所有者は、奴隷に対し、過酷な仕打ちをしていたであろうことは想像できますが、「人を最も腹立たしくさせることを言う能力」まで兼ね備えている奴隷所有者もいたとは驚きですね。

どうすれば、「人を最も腹立たしくさせることを言う能力」が身に付くのでしょうね。

とは言いつつ、万一、自分が奴隷所有者の立場になった場合、非道な人間にならないという保証はありませんね。

人間とは、環境に支配されるものですから、奴隷を所有するのが当然であり、奴隷を家畜同様に扱うのが当然という世界で生きているならば、過去の奴隷所有者と同じ振る舞いになるでしょう。

奴隷所有者は、奴隷を所有しているわけですから、物権に基づき絶対的な支配権があります。

このように絶対的な力、所謂、権力を持つと、人間はかくも獰猛になるのでしょう。

権力には、節度が必要であると共に、品も必要でしょうね。

歯止めとなるものが必要です。

三権分立という工夫も、その歯止めのひとつでしょうね。

とにかく、他の人間のチェックが必要です。

人間は環境に支配されるわけですから、他の人の目が存在しているならば、その他人の目がストッパーの役割を果たし、暴走を防ぐ効果をもたらします。

いずれにしても、奴隷制によって、奴隷とされた黒人の尊厳は踏みにじられると共に、奴隷所有者である白人も俗悪な生命状態に陥り、共々に不幸です。

奴隷制度は、黒人にとって過酷であることは当然ですが、実際のところ、白人にとっても好ましくない制度ですね。

アメリカ北部の人間は、このことに気付き、早々に、奴隷制度を廃止していったのでしょうね。

しかし、アメリカ南部の人間は、奴隷制度を堅持しようとし、結局、アメリカ南北戦争になるわけですが、南部が戦争に負け、奴隷制度が廃止されたとはいえ、現在に至るまで、アメリカ南部では、黒人に対する差別が色濃く残っているようですね。

150年程度では、世の中は変わらないということでしょうか。

地道であっても差別のない社会を目指すことですね。

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posted by lawful at 18:12| 雑感

2014年09月04日

小事が大事

「つゆつもりて河となる・河つもりて大海となる・塵つもりて山となる・山かさなりて須弥山となれり・小事つもりて大事となる・何に況や此の事は最も大事なり」(衆生身心御書、1595頁)

いきなり大きなことができるわけではありません。

小さなことの積み重ねを経て、大きな事柄が成し遂げられます。

まさに、「小事つもりて大事となる」ですね。

小さなことを積み重ねるとは、つまり、長い時間がかかるということです。

すぐに効果が出るものではありません。

例えば、大学受験を考えた場合、高校3年生の時の1年間や浪人の1年間でどうにかしようとしても、大した効果は期待できません。

中学校、高等学校を通して計6年間の集大成が大学受験と考えるべきでしょうね。

そもそも、中学校、高等学校で勉強しない人が、たった1年や2年程度の勉強で学力が向上するわけもなく、いきなり大きな大学受験という課題に取り組んでも結果は出ないものです。

やはり、中学校の3年間も然るべき勉強を行い、高等学校の3年間においても然るべき勉強を行ってこそ、どうにか大学受験が突破できるものです。

このようなことを30数年前の時点で分かっていれば、私の人生も大きく変わっていただろうと思います。

今頃、分かっても、というところもありますが、分かっただけでもよかったとすべきでしょうね。

これからの人生においては、「小事つもりて大事となる」ということを念頭に置きながら物事を行うことですね。

簡単そうに見えて、実際に行うとすると難しい「小事つもりて大事となる」ということを実行できるようにしたいですね。
posted by lawful at 19:55| 御書

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