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2014年03月30日

草木成仏

「『大乗涅槃経』では山川草木に仏性はないと説いていたにもかかわらず、中国仏教や日本仏教では山川草木悉有仏性が説かれ、さらには山川草木悉皆成仏が説かれた」(田上太秀『『涅槃経』を読む』講談社学術文庫 140頁)

「涅槃経」は仏性を説いた経典ということで、てっきり、草木成仏についても言及しているものと思っていましたが、草木成仏を言っていなかったのですね。

草木成仏を言い出したのは、中国の仏教者からということです。

その中には、湛然(妙楽大師)がいます。

また、日本の仏教者では、最澄、空海、親鸞、日蓮が草木成仏に言及しています。

確かに、日蓮は「観心本尊抄」で妙楽大師の言葉を引いており、草木成仏が中国仏教から日本仏教へとつながっていることが感じ取れます。

仏教は、経典に基づくわけですが、その経典を受容した中国及び日本の仏教者の悟りも重要と思われます。

仏教は、インドにはじまり、中国を経て、日本に伝わりましたが、その伝播の中で仏教が豊かになっていったと考えるのがよいでしょう。

インド仏教、インド哲学を専門にしている人からすると、日本の仏教はインド仏教をズタズタにした異物と見えるようです。

インド仏教を至高と考える人からすると、「涅槃経」に草木成仏が説かれていないのに草木成仏を言う中国仏教や日本仏教はけしからんということになるでしょう。

インド仏教を至高とすれば、そうなるでしょうが、私からすると、インドにおいて仏教は原石であり、中国において磨かれ、日本において輝くまで磨かれるものと考えています。

原石のインド仏教は、磨かない限り意味がないと思っています。

また、磨いたにしても輝くまで磨かなければならないと考えています。

よって、現在も、仏教は完成しているわけではなく、信仰者ひとりひとりが常に磨いていくものであると思っているわけです。

その観点からすると、妙楽大師が草木成仏を言い出しても、それは、仏教の発展であって逸脱ではないということです。

つまり、磨かれているということです。

ただ、原石に傷をつけるようなことをしてはいけません。

簡単に言うと、草木だけでなく、人間においても成仏できないなどと言うならば、それは、単に原石に傷をつけていることであり、原石を割っていることにもなるでしょう。

仏教の根本義を外すことなく、発展せしめるべく磨いていくのが仏教信仰者の役割ですね。
posted by lawful at 14:42| 仏教

確証バイアス

「人は、仮説に合う事例(正事例)が正しいことを確かめようとはするが、仮説に合わない事例(負事例)についてはあまり気にしない。これを確証バイアス(confirmation bias)という」(日本認知心理学会編『認知心理学ハンドブック』有斐閣 198頁)

新宗教の活動に熱心になっている人を観察してみますと、その新宗教の良いところに合う事例については、熱心に語っていますが、その新宗教の悪いところについては、気にしないという次元を超え、考えることすら、また、その事例に触れることすら拒否するという態度になります。

「確証バイアスは論理的ではない」(同書 199頁)わけで、このような態度は、当然のことながら、論理的ではなく、間違った態度といえます。

こちらは用がないのですが、いきなり話しかけてきた新宗教の熱心な信者さんと話をした際も、まったく論理的ではなかったですね。

言っていることがコロコロ変わるので、話にならなかったですね。

「理屈ではないんです」などと言っていましたので、何を言うのかと聞いていますと、屁理屈を言い出しました。

確かに、理屈を言っていませんので、その通りなのですが、屁理屈を聞かされるとは驚きでした。

頭がいかれている人でしたね。

困ったものです。

一方、新宗教団体としては、この確証バイアスをうまく活用していますね。

新宗教団体に都合のよい情報のみを流し、都合の悪い情報は一切遮断するという手法です。

また、都合の悪い情報に接する時間を限りなく減らすために、新宗教の活動と称して、さまざまな活動を信者さんにさせます。

時間は有限であり、人は、確証バイアスに傾きがちですから、情報コントロールがどうにかうまくいくわけです。

ただし、この手法も、新宗教の活動をせず、「理論が反証されるような状況にその理論を多くさらす必要がある」(同書 同頁)と考える人には通用しません。

ほどなくして、その新宗教の悪い部分、都合の悪い部分がばれてしまいます。

そうはいっても、すべてが悪いというわけでもなく、良い部分は良い部分として評価すべきですね。

その新宗教団体の悪い部分ばかりに焦点をあてるだけならば、それも確証バイアスということになります。

バランスを取って、新宗教団体と接すれば、不必要なストレスもなく、快適な宗教ライフが送れるというものです。

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posted by lawful at 13:27| 新宗教

四弘誓願(しぐせいがん)

仏教には、四弘誓願というものがあります。

@  衆生無辺誓願度
A  煩悩無辺誓願断
B  法門無尽誓願知
C  仏道無上誓願成

菩薩が行う四つの誓願ということですが、内容は以下の通りですね。

@  一切衆生を悟りの彼岸に渡すとの誓い
A  一切の煩悩を断つとの誓い
B  仏教をすべて学び知るとの誓い
C  仏教の無上の悟りを成就するとの誓い

漢字ばかりで難しく感じられますが、簡単に言うとこういうことでしょう。

@  人の成仏を手助けする、サポートする
A  悪い習慣をやめる
B  勉強する(読書を含む)
C  成仏する(境涯をあげる)

さほど難しいことを言っているわけではありません。

煩悩と言っても悪い習慣のことと考えれば、思い当たるふしがあるでしょう。

その悪い習慣をやめればいいわけです。

仏教のすべてを学び知るというと仰々しいですが、簡単に勉強すると考えるとよいですね。

読書することも勉強であり、いろいろなものを見聞きするのも勉強です。

向上心をもってさまざまなものに触れていくことと考えれば、いつもしていることと違いがないことに気付くでしょう。

そして、仏教ですから、成仏を目指すわけです。

境涯をあげるといってもいいでしょうね。

仏の境涯を目指すということです。

そして、他の人々の成仏の手助けをすればよいですね。

漢字ばかりの仏教用語も、よくよく研鑽してみると特別なことは言っていません。

ただ、いざ、実践となると、不思議なもので、人間は逆のことをしてしまうのですね。

仏教の言っていることは簡単な事柄だけれども、実践となると簡単にできないということですね。

仏教の法門を研鑽し、そして、その法門を実践してきたいものです。

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posted by lawful at 10:49| 仏教

2014年03月26日

『早起きは「3億」の徳』

「みんな時間ギリギリに起きてきてバッタバタ支度して飯食って行くんだもん。なんでもっと早く起きねえのかなって俺は思うね。なんでギリギリに起きてくるんんだろ?おかしいと思うよ」(哀川翔『早起きは「3億」の徳』東邦出版 131頁)

ここ数カ月ほど、早く起きるようになりました。徐々に起きる時間を早くして、今では、午前5時に起きています。

以前は、ギリギリに起きていましたね。

もっと言うと、ギリギリを超え、遅刻寸前といった生活でしたね。

だいたい、遅刻寸前のような生活をしている時は、夜遅くまでダラダラと起きていたものです。

よって、朝、起きることができない。

当たり前と言えば当たり前の話ですね。

今は、午後10時30分ごろには寝ていますね。

本当は、午後10時前には寝たいと思うのですが、夜に何もしないわけではありませんので、午後10時30分ぐらいになりますね。

ちょっと遅くなっても、午後11時までには寝るようにしています。

いずれにしても、午後10時から午前2時までは、睡眠のゴールデンタイムと言われているわけですから、この時間には寝ておきたいものです。

また、午前2時から午後4時までも、睡眠にとって重要な時間帯であるようで、この時間にもしっかりと寝ておきたいものです。

少なくとも、6時間の睡眠は必要であり、できれば、6時間30分、7時間程度は欲しいところですね。

朝、早く起きるようになってから、体の調子だけでなく、頭の調子も良くなりました。

それだけでなく、心の調子も良くなったようです。

今まで、なぜ、夜更かしをしていたのかと、過去の自分に対して訝しく思っているところです。

結局は習慣なのでしょうね。

宵っ張りの習慣があったというだけでしょう。

その習慣は、悪い習慣であり、間違った習慣であることに、今、気付いたということでしょうね。

これからは、もう少し早く、午前4時30分ごろに起床できるよう、寝る時間を早めるなどして、工夫していきたいと思っているところです。

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2014年03月23日

クジラの構文

『現代英文法講義』を所々読んでみますと、懐かしい例文が目に飛び込んできました。

A whale is no more a fish than a horse is.
(クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ)

所謂、クジラの構文です。

はじめて、この例文と接したのは、高校時代であったでしょうか。

英語の例文がどうのこうのというよりも、不自然な日本語訳という印象が強かったですね。

もちろん、今でも同じように不自然な日本語訳と感じます。

高校の英語教師は、英語の授業であるにもかかわらず、「公式だ」などと叫び、丸暗記を強要していましたね。

なぜ、英語で「公式」なのか?

困った英語教師でしたね。

これといった説明をしませんでした。

その後、夏休みになり、予備校の夏期講習に行った際、予備校教師は、このクジラの構文を丁寧に説明してくれましたね。

よく理解できたことを思い出します。

予備校講師の方がまともでしたね。

ただ、改めて、このクジラの構文を見たときに、やはり、不自然な日本語訳ですので、このままでは、この構文が身に付くとは思われません。

よく理解できないわけです。

日本語訳でよく理解できないわけですから、元の英文もしっくりこないわけです。

ネットでは、このクジラの構文について、より一層、細やかに解説がなされているサイトもあり、それはそれで参考になるのですが、もっと簡単にこの構文を理解できないものかと考えました。

そこで、この構文を使った他の例文を参照してみました。

『現代英文法講義』の例文を見てみましょう。

I am no more mad than you (are).
(ぼくは、君と同様、気が狂ってはいない)

『表現のための実践ロイヤル英文法』の例文を見てみましょう。

She is no more a genius than I.
(彼女は、私と同様、決して天才ではない)

結局、クジラの構文もそうですが、「クジラは魚ではない」、「ぼくは気が狂っていない」、「彼女は天才ではない」ということが言いたいだけなのですね。

than 以降は、言いたいことを強調するために付け足した部分として理解しておけば足りるでしょう。

than 以前において、発話者の意図は明快であるわけですから、「クジラは魚ではない」、「ぼくは気が狂っていない」、「彼女は天才ではない」と理解すれば、もう十分でしょう。

実のところ、これで問題はありません。

英語を前から読んで、その都度、理解していけば、混乱することなく、英語を理解することができるでしょう。

混乱の原因は、返り読みにあります。

途中でこんがらがるわけですね。

「公式だ」などということは言わず、まずは、前から理解するという軸をしっかりさせることですね。

その上で、構文を分析することには意味があるでしょう。

しかし、実際に英文を読む際、いちいち分析していますと前に進みませんので、やはり、前から理解する姿勢を徹底することですね。

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2014年03月20日

おもしろい英語の例文

I feel much better. が「大分気分がよくなりました」という意味であり、この英文を電子辞書で打ち込み、他の例文を探したところ、以下の例文を目にしました。

・I feel much better about my homosexuality since coming out.
《口語》 自分がホモであると公言してからずっと気が楽になった
『新編英和活用大辞典』(研究社)

正直なところ、笑ってしまいました。

おもしろいですね。

カミングアウトしてから、すっきりしたのか、相当、気が楽になったようですね。

あまりにも実感の籠った例文であり、力があり過ぎますね。

さすが、英和活用大辞典です。

my homosexuality の部分を違う言葉にすると、それなりに活用できる例文になるでしょうね。

ただ、coming out に相当するものでなければなりませんので、重みのある話題でないと使えないでしょうね。

いずれにしてもパンチの利いた英語の例文でありました。

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2014年03月19日

マキァヴェッリの「ディスコルシ」の言葉

「ほとんど全部の人間が、うわべの善行とか見せかけの栄誉に簡単に惑わされ、みずから望んで、あるいは気がつかないままに、すぐれたものよりは喰わせものにひきずられてしまうものだ」(『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 42頁)

今までの人生を振り返った時に、このマキァヴェッリの言葉が胸に突き刺さります。

学生時代を思い返してみますと、「うわべの善行」や「見せかけの栄誉」によく騙されていたように思います。

正直なところ、どうでもいい人間と付き合っていたものです。

それも、「みずから望んで」という側面があったことが悔やまれます。

確かに、相手が喰わせものであり、くだらない人間であったにしても、当時は、そのことに気付いていないわけで、責任の所在は結局のところ、私にあるということになります。

「あるいは気がつかないままに」とあるように、何となく、集団の中で流されていた側面もあります。

自分の人生に軸を持ち、他に振り回されることなく、学生時代を送っていたならば、相当、違った人生となったことでありましょう。

しかし、所詮、これは仮定の話であり、現実は喰わせものに人生を引っ掻き回されていたわけです。

これはこれで、深く反省すべきことです。

反省することによって、これからの人生の糧にしたいと思うわけです。

それにしても、よくもまあ、喰わせものが多いものですね。

今から思い返すと、ほとんどの人間が喰わせものでありました。

一体、私は、何をしていたのでしょうか。

喰わせものでない人間も多いはずですから、私の行動に大きな欠陥があったということでしょう。

直感的には、「おかしいな」とは気付いていたのですが、「友人を大事にしなければならない」などというよく分からない教義らしきものに引っ張れられ、間違った行動をとっていたのですね。

自分自身を信じることなく、宗教もどきのものの考え方に染まるとろくなことがありません。

とにかく、喰わせものは相手にしないことですね。

そして、喰わせものでない人々との縁ができるよう、自分自身を磨いておくことですね。

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2014年03月13日

芥川龍之介の「鼻」の一節の現代語訳と翻案

芥川龍之介の「鼻」の一節を確認してみましょう。

「人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこつちで何となく物足りないやうな心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいやうな気にさへなる。さうして何時の間にか、消極的ではあるが、或敵意をその人に対して抱くやうな事になる」
(『芥川龍之介全集』第一巻 岩波書店 166頁)

この芥川龍之介の「鼻」の一節を「です・ます」体で現代語訳してみました。

「人間の気持ちには、それぞれつじつまの合わない二つの感情があります。もちろん、誰でも他人が不幸になったことに同情しない人はいません。ところが、その不幸であった人がその不幸を、どうにかして乗り越えることができると、今度は、こちらとしては何となく物足りないような気持ちになるのです。少し、大げさにいうと、もう一度、その不幸を乗り越えた人を同じ不幸に落としてやりたいというような気持ちになります。そうして、いつの間にか、控えめな感じではあるけれども、憎しみの気持ちをその不幸を乗り越えた人に対して持つようなことになります」

また、翻案してみました。

「私は、不幸な人を助けてあげたいと思っています。そして、私は、その不幸な人を助けました。その人は、どうにか不幸を乗り越えました。そうすると、私は、物足りなくなるのです。私は「前はあんなに不幸であったのに、今は、いい暮らしをしている。おもしろくない」と感じるのです。私は、もう一度、その人が不幸になればいいのにと念じます。そして、改めて、その人を助けて、「なんて自分は素晴らしい人間なのだろう」と感じたいのです。しかし、それができないので、私は、その人が憎たらしくて仕方がないのです」

それなりに分かりやすくなったのではないでしょうか。

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posted by lawful at 20:35| 文学

2014年03月12日

英語の発音の学習法

英語を学習する際、発音がネックになります。

上手に発音できないわけですね。

英語を聞きながら、その英語をまねて発音するのですが、今一つですね。

結局、日本語の発音の枠内で発音しているだけです。

また、正直なところ、英語を聞いているだけでは、発音の違いがよく分かりません。

「「音」をまねるのは、実はあまり効果的な学習法ではありません。というのも、外国人が聞き取れる音を発音するには、「形」がカギになるからです」(小熊弥生『TOEICテスト280点だった私が半年で800点、3年で同時通訳者になれた42のルール』幻冬舎 112頁)

今まで、一生懸命、「音」を聞いていたわけですが、どうせ聞き取れず、発音もできないわけですから、「形」にこだわって発音を学習した方がいいですね。

「発音の勉強をする際は、口の形や舌の位置が書いてあり、CDなどで正確な発音が聞ける参考書を入手しましょう」(同書 113頁)

私の場合、CDだけではなく、DVDも付いている教材(『DVD&CDでマスター 英語の発音が正しくなる本』)を持っていましたので、久しぶりに取り出し、せっせと発音しております。

「形」にこだわると、なんとなく発音できると共に、聴き取るときもなんとなく聞き取れるようなります。

あとは、継続ですね。

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posted by lawful at 15:32| 英語学習

『政治学』東京大学出版会

20数年前からすると、大学の教養課程の教科書も様変わりしましたね。

20数年前の教科書は、非常に分かりにくかったように記憶しております。

内容もパッとしなかったですね。

例えば、「政治学」の教科書で思い出してみますと、20数年前の教科書は、いろいろありましたが、やけに分厚い教科書があったかと思えば、やけに薄い教科書もありました。

「政治学」という科目の特性上、現代政治、特に日本の現代政治についても適切に触れなければならないのですが、著者が現代政治に関心がないのか、海外の理論ばかり紹介していましたね。

何のための「政治学」なのか分かりませんね。

しかし、今は、少子化ということもあるのでしょうが、大学も一生懸命、学生さんにサービスしているみたいですね。

教科書にしても、分かりやすいですね。

東京大学出版会から出ている『政治学』(川出良枝・谷口将紀編)を読むと、現代政治への言及が適切になされています。

また、要所で理論を紹介しています。

理論も現代政治の現象を解明するために利用しながら説明していますね。

「政治学」にはさまざまな分野がありますが、バランスよく記述されています。

図や写真も活用し、見やすくなっています。

分量も多すぎず少なすぎずで、大学教養課程の教科書としては、良くできていると思います。

今の学生さんは恵まれていますね。

しかし、当の学生さんは、どう考えているのでしょうか。

あくまでも20数年前を知っている私の経験に照らして、恵まれていると言っているだけで、当の学生さんからすると、ひどい大学、ひどい教科書の存在を知らないとすれば、今ある教科書が当たり前であり、恵まれているとは感じないでしょうね。

ただ、分かりやすい教科書になっていますので、早く理解できることでしょう。

ここ20年で世の中は相当変わりましたね。

すべてにおいて、分かりやすくなっているという特徴があります。

この点は喜ばしいことですね。

ただ、その分かりやすくなっていることを活用できているかといえば、活用できている人が増えている一方、活用できていない人も増えているようです。

よく言われる「格差」というのは、こういうことなのでしょうね。

20数年前は、すべてにおいて分かりにくかったので、理解できる人がほとんどおらず、格差が生じなかったということでしょうか。

今は、勉強するにしても分かりやすい教材が増えていますので、努力、心掛け次第で、いくらでも伸びていくことができます。

努力、心掛けがない人は、取り残されますね。

自業自得でしょう。

どちらになりたいか、それは、その本人次第ですね。

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posted by lawful at 11:37| 政治

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