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2019年12月08日

喜多流 隅田川 DVD

喜多流の隅田川をDVDで観ましたが、やはり、隅田川はいい能ですね。

とは言いつつ、このDVDでの隅田川は、約84分であり、どうしても上演時間が長すぎると感じるのですね。最初は、そのまま84分かけて観ましたが、いい能とはいえ、ややしんどいですね。

能は信光の出た十六世紀前半を過ぎると、ほとんど新作は生まれなくなり、もっぱら芸の練磨伝承、芸統の保存という面に傾くようになった。江戸時代に入るとこの傾向は一層強く、式楽化されて荘重を旨とするようになったため、上演時間も当初の倍ぐらいに延びた。現在の能もその延長上にある。
河竹登志夫『演劇概論』東京大学出版会 203頁

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上演時間を半分にしてもらえないかと思っているのですが、現在の能において、そのようなことは望むことはできません。

相変わらず、長ったらしい能を観なければならないのかと思っていたのですが、よくよく考えますとDVDであれば、倍速ができるわけで、倍速で観てみました。

倍速であっても冗長に感じるところはありますが、非常に観やすく、聴きやすくなります。

元々の能の上演時間が現在の半分程度であったというのがよく分かります。DVDであれば、こちらの都合で能を観ることができるわけで、現在の能の業界の都合など気にすることなどありません。

江戸時代からの伝統ではなく、室町時代からの伝統、すなわち世阿弥、観世元雅からの伝統を重んじるべきでしょうね。

隅田川は、観世元雅の作ですが、伊勢物語を見事に取り込みながら、雅な雰囲気を醸し出しています。
名にし負はば、いざ言問はん都鳥、我が思ふ人は、ありやなしやと。(『伊勢物語』九段)
(都という名を持っているのなら都の消息は知っているだろう。さあ尋ねたい都鳥よ、私の思う人は、元気でいるのかどうかと)
三宅晶子 『隅田川 (対訳でたのしむ)』 桧書店 14頁

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在原業平の和歌をそのまま使っているのですが、隅田川という能の中で違和感なく組み込まれており、見事と言うほかありません。

子の亡霊を追いかける母の表情は、能面でありながら、情感豊かであり、能面の奥深さを感じます。角度によって表情が変わるといいますが、まさにその通りですね。





posted by lawful at 16:22| 芸能・芸術

2013年06月16日

能「隅田川」

能の名作のひとつである「隅田川」の詞章は、素晴らしいものです。

作者は、観世元雅ということですが、なかなかの人物ですね。

他の能の詞章の場合、ものによっては、くどく感じられるものもありますが、「隅田川」の詞章には、全くの無駄がなく、くどさなどありません。

何度、読んでも、また、音読しても心地よいという特徴がありますね。

内容も、『伊勢物語』を土台にしているだけあって、雅な感じ、麗しい感じがあります。

文学的にも優れた詞章といえるでしょう。

『伊勢物語』第九段に出てくる業平の和歌を引用していますが、趣のある和歌ですね。

名にし負はば、いざ言問はん都鳥、我が思ふ人はありやなしやと


シテは、物狂ですが、今の言葉の感覚では、病気なのかと思ってしまいますけれども、病気とは関係がないようですね。

「物狂はすでにふれたように病気ではありませんが、ある一つのことを思いつめて他を省みない。精神が異常に集中している状態です」(渡辺保『能ナビ』マガジンハウス 161頁)

一点集中の状態が、物狂というわけですね。

「物狂は病気ではないことはすでにふれた通りですが、それは物に狂うさまを見せる芸でもありました。物狂がなにかに集中するように、芸もまたなにかにとりつかれている状態でもあるからです」(同書 162頁)

また、物狂が芸でもあったということですね。

「隅田川」の詞章で気になるところをあげてみましょう。

もとよりも、契り仮なる一つ世の、契り仮なる一つ世の、そのうちをだに添ひもせで

親子の縁というものは、その時かぎりの、現世かぎりのものである、と謡っています。

その一回かぎりの親子の縁ですら、一緒にいられないとは、何と悲しいことよ、と謡い、悲しさがよく表れています。

「子を失った母の悲しみは他人にははかり知れない、そのはかり知ることができない深さを、能はきわめて鮮明に描いていることです。その目に見えない心の絶叫は抑えに抑えた表現によってかえって鮮明になるのです」(同書 165頁)

仰々しくないところが能の良さであろうと思います。

しかし、現今の能は、江戸時代からの伝統を引き継いでいるようで、謡いそのものが、あまりにもゆっくりです。

観阿弥、世阿弥、観世元雅の室町時代の頃の謡のスピードは、現在の半分程度であったようです。

「能は信光の出た十六世紀前半を過ぎると、ほとんど新作は生まれなくなり、もっぱら芸の練磨伝承、芸統の保存という面に傾くようになった。江戸時代に入るとこの傾向は一層強く、式楽化されて荘重を旨とするようになったため、上演時間も当初の倍ぐらいに延びた。現在の能もその延長上にある」(河竹登志夫『演劇概論』東京大学出版会 203頁)

例えば、狂言が現在のスピードの二倍に延びてしまったら、面白くもなんともないでしょう。

なぜ、ゆっくり過ぎる演じ方になるのかといぶかしく感じられるでしょう。

現在の「隅田川」の上演時間は約80分ですが、詞章の分量からすれば、半分の約40分が妥当のような気がします。

そうしますと、いい意味での緊張感も出るように思います。

江戸時代からの伝統ではなく、室町時代からの伝統を大事にしてもらいたいと思いますね。

正直なところ、眠たくなるだけです。

せっかく素晴らしい詞章があるわけですから、その素晴らしさを引き出すべきでしょう。

あまりにもゆっくり過ぎる謡いは素晴らしい詞章を壊す所作と思いますね。

狂言で演じられているスピードを参考にすべきでしょうね。

狂言は、ゆっくりとはいえ、程よい感じのスピードであり、絶妙な演じ方といえるでしょう。

その上で、世阿弥、観世元雅の芸論に基づき、素晴らしい能を見せていただきたいものです。

「世阿弥は、能を本来現実では見ることができないもの、見えないものを見るものだと考えていた。梅若丸の亡霊はもとより芸そのものまで。能は目だけではなく精神の見るもの、そう思っていた。だから声だけの方がいいのです。
 しかし元雅はそうは思わなかった。世阿弥のいうとおり、能は見えないものを見せるものに違いないとしても、それを形にしてみせることこそ能の本質だと思っていたのでしょう。そこにこそ、奇蹟が現実になる瞬間の面白さがある」(渡辺保『能ナビ』マガジンハウス 171頁〜172頁)

とはいえ、いつまでもゆっくり過ぎる謡いによる能を見せられることになるでしょうね。

新しい人が出てこない限り、変化はないでしょう。

能の翻案といった演劇もひとつの可能性として考えられるでしょう。

歌舞伎にその一端が感じられますが、やはり、歌舞伎は歌舞伎であり、翻案というよりも、違う作品になっていますね。

能の詞章を活かす演劇が出てきてもよいように思います。

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posted by lawful at 10:34| 芸能・芸術

2012年02月27日

『佐伯祐三』新潮日本美術文庫

筆力の充実した絵画を見ると、こちらの生命力も充実します。

激しさ、狂おしさがあれば、より一層、命を揺さぶられます。

佐伯祐三(1898〜1928)の絵は、そのような絵です。

スピード感のあるタッチでありながら、よくよく見ると繊細であり、無駄なタッチがありません。

絵の実力の申し分ないことが窺われます。

佐伯祐三は、主にパリの風景を描いていますが、その中の人物はほとんど線としかいいようのない細さでありながら人物にしか見えず、人形のようでありながらそうでもなく生き生きした感さえ与えます。

不思議な感じですね。

パリの風景も単なる風景ではなく、パリに行ったことがない人間にもパリの風情を感じさせる力があります。

躍動感があるといえましょう。

色合いに関しては、重厚であり、圧倒的な存在感を醸し出しています。

明るめの色を使っている絵は鮮やかであり、華やかさが感じられます。

ただ、佐伯祐三の絵では暗めの色の絵が多く、陰鬱な感じを与えるようかと思いきや、そうでもなく、暗めの色でありながら、鮮やかさ、華やかさがどことなく感じられます。

鋭さがあるためかもしれません。

シャープで激しい筆遣いによる効果でしょうか。

特に、暗めでありながらも緑の色の鮮やかさには目を見張るものがあります。

なぜ、ここまで鮮やかな存在感のある緑が出るのだろうと思います。

緑が多く含まれていない絵であっても、ほんのちょっとの一部分に緑が使われていることがあります。

ちょっとなのですが、吸い込まれるような緑なのですね。

美術館において、佐伯祐三の絵を見ていますと、なかなか絵の前から立ち去ることができません。

磁力があるようです。

何度も何度も見返し、見続けるといった感じです。

1998年(平成10年)には、生誕100年記念の佐伯祐三展があり、全国から多くの作品が集められており圧巻でしたね。

ただ、頻繁に美術館に行くわけにもいきませんので、展覧会での図録や画集(『佐伯祐三』新潮日本美術文庫)で絵を見ますが、印刷物であっても佐伯の絵には人を引き付ける力があります。

佐伯祐三の絵の多くは、大阪市が所蔵していますが、全国の美術館にも点在しています。

いつも佐伯祐三の絵を展示しているというわけでもないでしょうが、各地を訪れる際、機会があれば見てみたいですね。

佐伯祐三の絵を見るというテーマで旅行するのもおもしろいかもしれません。

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2012年01月05日

岡本太郎 『川崎市岡本太郎美術館所蔵作品集 TARO』

岡本太郎の作品には、油彩、版画・ドローイング、彫刻、陶磁・レリーフ、インダストリアルデザイン、写真、どれをとっても圧倒的な存在感があります。

原色の鮮やかさ、造形の美しさ、作品から放たれる臨場感、他の芸術家とは違う力強さがあります。

「太陽の塔」は、あまりにも有名ですが、大阪に行かない限り実物を観ることはできません。

子供のころ観たことがありますが、それぎりです。

展覧会に展示されているのは模型ですが、模型であっても存在感は抜群です。

見事な造形にも驚かされ見入ってしまいます。

なかなかその場から離れることができず、作品そのものに磁力があるようです。

「午後の日」は、かわいらしい作品であり、ほっとさせてくれる作品です。

愛らしさが感じられます。他の作品では激しさが強調されていますが、「午後の日」に関しては、岡本太郎の優しさを感じることができます。

「かつて、すぐれた美術品、芸術作品といえば極めて稀なものであり、だからこそ尊いと考えられた。そのような希少価値としての芸術は当然、少数者の専用物であり、嫉妬ぶかく秘められることによって、なおさら非本質的に貴重視されていたのである。だがこれからの芸術はシネマ、ラジオ、テレビジョンに見られる如く、却って極めて大量に生産され、ひろく一般の身近にふれるものこそ価値がある」(『川崎市岡本太郎美術館所蔵作品集 TARO』二玄社 85頁)

この岡本太郎の指摘には、ハッとさせられます。

確かに、少ないから貴重というのは、その通りですが、いたずらに貴重視することと芸術の価値そのものとは、実のところ、何の関わりもありません。

量が多かろうが少なかろうが価値ある芸術は価値があると判断すればよいですし、岡本太郎の言うように、多くの人々に提供される芸術こそ価値があるとの視点は重要です。

希少価値をありがたがるのは経済の側面からすれば、その通りですが、芸術の側面からすれば非本質的であり、どうでもよいことです。

岡本太郎は、芸術作品だけでなく、多くの文章、言葉も残しています。

作品そのもの及び言葉により、本質的な芸術とは何かを教えてくれる人です。

言葉にも価値がある画家、書道家、彫刻家、陶芸家、デザイナー、写真家は、ほとんどいないと思われます。

その点、岡本太郎は、作品及び言葉を含め、存在そのものが芸術でありながら、また、その芸術すらも超越している本来的な人間を体現している人ともいえるでしょう。

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2012年01月02日

長唄 芳村伊十郎 京鹿子娘道成寺

歌舞伎舞踊の人気演目の「京鹿子娘道成寺」は、道行で竹本が入り、その後、長唄が入ります。

舞踊に関しては、変化舞踊の面白さもあり舞踊そのものの素晴らしさもあるのですが、長唄の素晴らしさもあり、その相乗効果で、より一層、面白い舞台になるのだと思われます。

芳村伊十郎(1901〜1973)は、昭和31年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された名人であり、この芳村伊十郎の「京鹿子娘道成寺」は、見事な出来栄えです。

何度聴いても全く飽きがきません。

すんなり耳に入ってくるといった感じです。

名曲、大曲といわれるだけのことはあります。

他の長唄も聴いたことがあるのですが、特別に邦楽好みというわけでもありませんので、「京鹿子娘道成寺」以外の長唄は、さほど良いとは思えませんし、好きにもなれません。

まあ、趣味の問題といえます。

その意味から、この「京鹿子娘道成寺」は完成度が高い作品なのでしょう。

クラシック音楽で例えるならばベートーヴェンの「第九」といったところでしょうか。

歌舞伎舞踊だけでなく、長唄だけの「京鹿子娘道成寺」も楽しんでいきたいと思います。

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能の上演時間

能を拝見して感じるのは、謡いの時間、演じる時間があまりにも長いということです。

せっかく素晴らしい詞章(謡曲の文章。能のおける脚本のようなもの)であるのに、間延びした感じで表現されてしまうと、ほとんど言葉として把握することができませんし、詞章の持っている美しさも引き立ちません。

なぜ、ゆっくりしすぎる謡い方、演じ方をするのかと不思議に思っていたところ、以下の文章を読み、疑問が解けました。

「能は信光の出た十六世紀前半を過ぎると、ほとんど新作は生まれなくなり、もっぱら芸の練磨伝承、芸統の保存という面に傾くようになった。江戸時代に入るとこの傾向は一層強く、式楽化されて荘重を旨とするようになったため、上演時間も当初の倍ぐらいに延びた。現在の能もその延長上にある」(河竹登志夫『演劇概論』東京大学出版会 203頁)

現在のようにゆっくりした謡い方、演じ方をするようになったのは、江戸時代からのようです。

倍近くも延びたとは延びすぎですね。

正直なところ、演劇としての面白さが消えてしまっています。

豊臣秀吉も能を舞ったということですが、秀吉の時代では、まだ、本来の上演時間であったのでしょう。

まさか、秀吉が現在の能のようにあまりにもゆっくり舞っていたとは考えられません。

現在の能の上演時間の半分ぐらいであれば、詞章を言葉として把握することもできますし、詞章の美しさを感じることができます。

能の舞台にもいい緊張感が出てくるでしょうし、演劇としての面白さも出てくるでしょう。

そうはいっても、現在の能が当初の能のように上演時間を半分ぐらいにするとも思えず、これからも現在の能の形式で拝見することになりますが、能が成立した当時の上演時間で謡い演じていただければと期待しています。

江戸時代からの伝統ではなく、室町時代からの伝統を大切にした方が、能にとってはよいのではと思われます。

もちろん観客にとってもよいと思われます。

その点、歌舞伎は、観客の要望を感じ取っているのか、能の演目を歌舞伎化して上演する際、台詞の言い回しの速度、演じ方の速度がちょうど良い速度になっています。

ここが歌舞伎の柔軟性のあるところであり、観客からの支持を得ている秘訣でしょう。

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2011年12月31日

『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』(2)

「特に武智先生から受けた薫陶で「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」ということの意味は、生涯を通して実感しています。すべて一流に行くことを勧めてくださった先生のおかげで、私は本物に出会うことができました。そして本物に触れたことで、役者としての自覚も芽生えたように思います」(坂田藤十郎『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』世界文化社 51頁)

「一番いいもの」「本物」に触れることは非常に重要ですね。

ひとかどの人を観察してみると「一番いいもの」や「本物」に触れる機会が多いようですし、そのような機会を自ら求めているようです。

どの分野でも「一番のもの」「本物」がありますので、まずは、その「一番のもの」「本物」を見つけて、身に付けておくことですね。

この「一番のもの」「本物」という軸がしっかりしていれば、その他のどのようなものに触れようとも、びくともしないと共にその他の事柄をすべて生かしていけると思われます。

歌舞伎役者が映画に出たり、洋物の演劇に出たりしても、歌舞伎の中での「一番のもの」「本物」を身に付けている役者は、映画、洋物の演劇をすべて自分の中で消化し、歌舞伎にも生かし切っているように思えます。

このことと同様に、自分にとっての「一番のもの」「本物」を身に付けておけば、何事にも応用がきき、消化もでき、自分の本業や自分のフィールドでの仕事に生かすことができるでしょう。

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松本幸四郎「私の履歴書」

「演劇は総合芸術だというが、それは一つの知識しか持っていないスタッフ、キャストを10人集めることではない。一人の中に10の知識が詰まっている演劇人を10人集めるということだ。役者一人一人が演劇人としての素養をあふれるほど持っていなければ舞台に厚みが出てこない」(松本幸四郎「私の履歴書」日本経済新聞 平成23年12月31日付)

歌舞伎の舞台を拝見し思うことは、同じ演目であっても演じる役者によって、舞台の厚みが違うということです。

端的に言えば、坂田藤十郎丈、尾上菊五郎丈、松本幸四郎丈、片岡秀太郎丈の舞台には厚みがあると同時に花があります。

歌舞伎の面白さを堪能させてくれる舞台です。

ひと月の興行で何度か拝見してしまうほどです。

坂東玉三郎丈の舞台には、厚み、花があると同時に、緊張感があります。

ピンと張りつめた空気があります。

他の役者にはないものですね。

また、今年お亡くなりになった中村富十郎丈、中村芝翫丈の舞台も厚み、花、品がありました。

観ていてほっとするような感じを与えてくれます。

充実したものがありました。

松本幸四郎丈が言うように一つの知識しかない人間の寄せ集めではなく、10の知識を持っている人間の集合体がよい演劇を生み出します。

舞台を拝見すると一目瞭然です。

特に、主役だけでなく、脇役、端役の役者の方が充実している場合、その舞台は素晴らしく、主役が一段と引き立ちます。

そうでない場合、いまいちですね。

ましてや、主役の役者の芸がパッとしない場合、その舞台には何の価値もありません。

歌舞伎において、時折、そのような舞台があるので残念です。

花形歌舞伎で若手の歌舞伎役者の舞台も、厚みがあり花のある舞台を期待して拝見しています。

これからもいい舞台を拝見していきたいと思います。

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posted by lawful at 16:43| 芸能・芸術

2011年12月30日

『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』

「かつて私が一流の先生がたに教えていただいた「これが絶対だ」と思えるようなものを身につけることが歌舞伎役者にとっての必要条件だと思います」(坂田藤十郎『坂田藤十郎 歌舞伎の真髄を生きる』世界文化社 154頁)

歌舞伎役者と同様、それぞれの分野において、「これが絶対だ」と思えるようなものを身に付けることが必要です。

「これが絶対だ」というものは、難しいものや込み入った複雑なものではなく、基礎的なもの、基本的なもの、中心的なもの、根本的なもののことと思われます。

どの分野でも「これが絶対だ」といえるものがあり、それを「一流の先生」から学ぶのが一番良いでしょう。

ただ、坂田藤十郎丈のように「一流の先生」が身近にいればいいのですが、ほとんどの人にとって「一流の先生」との接点はないというのが現状です。

同時代を生き、近い空間で生きている「一流の先生」はいないかもしれませんが、時代の制限、空間の制限を超え、有史以来の全世界から「一流の先生」を探し出せばよいでしょう。

その際、手掛かりになるのが書籍等です。

この有史以来の全世界からの書籍群から、自分にとっての「一流の先生」を探し出し、その「一流の先生」から「これが絶対だ」というものを、じっくりとみっちりと学び、基礎をたたき込んでおけば、どのような状況でも柔軟性をもって生きていけるものと思われます。

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京鹿子娘道成寺

歌舞伎舞踊の中で上演回数が多く、人気もあるのが「京鹿子娘道成寺」です。

これまで舞台においては、合計9回、拝見しました。どの舞台も素晴らしいものでございました。

大阪松竹座 坂田藤十郎(平成18年7月)(2回)

京都南座  中村勘三郎(平成18年12月)(1回)

歌舞伎座  坂田藤十郎(平成20年3月)(3回)

博多座   坂田藤十郎(平成20年6月)(3回)

DVDでは、坂東玉三郎の「京鹿子娘道成寺」があり、よい出来でありました。

今後も「京鹿子娘道成寺」を拝見したいと思っています。

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