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2022年01月06日

『摩訶止観』に『論語』の引用あり

『摩訶止観』は、智(天台大師)が講説したものを弟子の灌頂(章安大師)が筆録した書物です。全部で十巻となっており、それぞれの巻に、上、下があります。摩訶止観巻第一(の上)には、『摩訶止観』の成立意義についての説明があります。
玄奥なことわりを示す本書のような書物は、そのよって来たる根源がどこにあるのか、よく知らなければいけない。『大智度論』には、「釈尊の修行は他の人から教わったというようなものではない」とあり、『太子瑞応本起経』には、「釈尊は定光仏から受記を与えられた」とある。『論語』には、「生まれながらにして知る者は最もすぐれ、学んで知る者はそれに次ぐ」とある。実に本書の仏法の世界は広大で不可思議である。生まれながらのめぐまれた資質のままにさとった者の説というべきであろうか。師に従って学び師の境涯を超えた者の説というべきであろうか。
池田魯参『詳解 摩訶止観 人巻 現代語訳篇』大蔵出版 14頁

玄奥なことわりを示す本書と言っているぐらいですから、仏法の奥義が展開されるわけですが、『大智度論』や『太子瑞応本起経』の引用の後に、『論語』が引用されます。仏教の中にいきなり儒教が入ってきており、ちょっと驚きですね。この辺が中国仏教を感じさせます。

『論語』の引用文のとおり、智は、元々、優秀で才能のある人であったでしょうし、また、師の慧思(南岳大師)に学び、その上で師を超えていった人でもあったのでしょう。

仏教史上、名を残している僧侶は、元々、天才気質であり、その上で、努力家であり、師から、経典から、律から、論から十二分に仏教を学び取っています。凡人の手の届かない人々といってよいでしょう。しかし、これらの名僧は、我々凡夫に対し、成仏への道を指し示してくれています。単に優秀というに留まらず、非常に慈悲深い、心温まる人なのですね。

もちろん、その法門は、簡単に理解できるものではありませんが、現代は、書籍も揃っており、段階を踏んでいけば少しずつではあっても理解できます。あとは、我々が努力、精進して名僧の著作を読み進めていくだけですね。

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posted by lawful at 06:00| 摩訶止観

2019年11月19日

すべて仏と考える

摩訶止観には、以下の言葉があります。
魔事を転じて仏事と為す
『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 149頁

魔の事柄が起きようとも、仏の事柄に転じていくということです。

このようになれば、理想的ですね。

しかし、魔事は、魔事のままで、人生を振り回されるのが凡夫というものです。ここに信仰が要請されるのでありましょう。

信仰をする中で、仏事という次元を見出し、魔事の次元に留まらないという発想を得て、魔事を転じながら仏事に至るという生き方が可能となります。

どのようなことが起きようとも仏の次元、仏事と転じていくのが信仰というものでしょう。

何のための信仰か。それは、仏を得るためですから、事柄としては仏事でなければなりません。魔事であろうが何であろうが、転じることによって、仏事とする。ここに信仰の根幹があるように思えてなりません。

結局、すべて仏であると達観するのが仏教信仰者の道といえましょう。

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posted by lawful at 19:40| 摩訶止観

2012年08月19日

精進

努力することを別の言葉で精進すると表現することがあります。

精進の意味として、「ひたすら努力すること」(『使い方の分かる類語例解辞典』小学館)と説明されているところからもそれはうかがえます。

精進をするにあたって、ただ単に努力すればよいというわけではないと思います。

努力がピントはずれであったり、方向性が間違っていたり、意味のない価値のない努力をしてしまったりと問題点も多くある様に思われます。

精進、努力をしても、なかなかうまくいかないという場合、根本的な間違いがあるといえるでしょう。

では、精進とは何なのか。智(天台大師)の言葉(「摩訶止観」)から探ってみましょう。

「二辺を雑へざるを精と為し、任運に流入するを進と為す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 149頁)

精進の「精」と「進」との字について、それぞれの意義を明らかにしています。

まず、「精」ですが、あっちこっちとフラフラするのではなく、一点に集中することを「精」としています。

焦点を定めると言い換えてもいいかもしれません。

「進」は、運の流れに入っていくこととしています。

ここでいう運とは当然のことながら福運や運があるというときの運ですね。

努力そのものがすべて意味のある価値のある方向に進むということですね。

まとめると、為すべきことに焦点をしっかりと定めて、エネルギーを集中させながら、努力がそのまま福運のある方向に進み無駄がないというのが本来的な精進の意味といえるでしょう。

進む方向が運のある方向というのがポイントですね。

人生において、努力も重要だが、所詮は運次第という側面がありますが、智の解釈からすれば、努力、精進と運とはつながっていたのですね。

別々のものと捉えることがそもそもの間違いといえるでしょう。

運のある人生を切り開くために努力、精進があるのであり、運のある人生を切り開けない努力、精進とは、偽物の努力、精進にしか過ぎないということですね。

本物の精進をして自身の運のある人生を切り開いてきたいものです。

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posted by lawful at 15:45| 摩訶止観

2012年05月16日

一念三千(すべての人に仏を観るということ)

法華経や涅槃経を中心とした仏教の観点からすれば、すべての人間には「仏性」が存在し、すべての人間は尊い存在であるとされています。

しかし、すべての人間といっても、「仏性」や尊いものがあるとは思えないような人間にも出会います。

嫌いな人、嫌な人、苦手な人、好きになれない人、この野郎と思う人等々に対しては、「仏性」などないはずだと思いたくなる場合もあります。

どこが尊いのだと異論を差し挟みたくなる時もあります。

このような感情は、よくある感情ではありますが、好ましい感情ではありません。

また、仏教の観点からすると、単なる間違いといえましょう。

注意しなければなりません。

自分がどのように思おうとも、感じようとも、すべての人間には「仏性」があり、すべての人間は尊い存在であるというのが、「理」の側面からではありますが、仏教上の真理であり、根本です。

この点、自分自身の感情は、さほど重要ではありません。

というよりも、全く重要ではありません。

天台の「摩訶止観」第五には、「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん、介爾も心有らば即ち三千を具す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 178頁)とあります。

心、一念があるならば、十法界、十如是、三世間の三千があるということですが、この言葉の言わんとしていることは、どのような状態であれ、すべての存在は「仏界」に繋がっているということです。

すべての存在は、「仏」であるということです。

「理」の側面ではあっても、この「理」の側面を外して「事」の側面を論じたり、実践したりしてはいけません。

とすれば、当然のことながら、すべての人間は、本来的に「仏」という尊い存在であるということになります。

自分自身の単なる好き嫌いなどの感情は、仏教の教理からすれば、どうでもいいことです。

しかし、この感情というのが厄介ですね。仏教の教理でいえば、地獄界、餓鬼界、畜生界といった貪・瞋・癡に囚われている状態といえますね。

仏教ですから、仏界でなければなりません。

先に引いた天台の言葉をその通りだと実感し、その通りであると実践できる状態が仏界に相当する境涯といえるでしょう。

これは相当難しい実践ですね。

しかし、困難な実践ができないようでは、仏界の境涯には至らないでしょう。

物事が簡単に成就すると考えてはいけません。

どのような人にも「仏性」「仏界」「仏」があるという根本義をゆるがせにせず、「敬意」や「敬う」という態度を自分自身の根本としながら生きていくべきでしょう。

短期間では、これといった変化も何もないでしょうが、長い期間で考えれば、相当な変化となっていることと思われます。

何気ない日常、何気ない日々の積み重ねがその人の人生を形作ります。

目先のことではなく、長い目で物事を捉えていきたいですね。

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posted by lawful at 20:36| 摩訶止観

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