アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2024年02月05日

「附仏教」、「学仏法成」

外典・外道等は、仏前の外道は執見あさし。仏後の外道は、仏教をききみて自宗の非をしり、巧みの心出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もっともふかし。附仏教・学仏法成等これなり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 54頁〜55頁 (開目抄)

「附仏教」とは、仏教を取り入れ、仏教に添って、仏教に基づきながら、外道の説を立てる者のことです。せっかく、仏教を信仰をして、仏教通りを志しながら、結局、外道に落ちてしまうとはもったいない限りですね。仏教を信仰するならば、仏教の道を進むべきですが、外道という全く違う道に逸れてしまっては話になりません。

新宗教団体など、仏教を標榜し、それなりに仏教を極めつつ、結局、新宗教ならではの外道チックな教義を立ててしまう場合があります。仏教に添いながらも、結局、仏教でなくなってしまい、外道になってしまう傾向があるようです。残念なところですね。仏教の新宗教団体ならば、仏教らしくすればいいのですが、目先の利益に囚われているのかどうか分かりませんが、仏道ならぬ外道に邁進している場合があります。

「学仏法成」とは、仏教を学んではいるけれども、仏教に添うことができず、仏教に基づくことができず、つまり、正しく仏教を見ることができず、仏教に背いて外道に落ちる者のことです。仏教を学びながら、結局、仏教を自らのものとできず、間違った考え、邪な考えに陥り、外道になってしまうということですから、みっともないといえますね。

新宗教の信者さんなど、あまり仏教の教義に関心のない人にこのような傾向がありますね。人によっては、一応、仏教を学んではいるけれども、中途半端な研鑽にとどまり、仏教通りになれず、誤解や邪見を起こし、外道まっしぐらというわけです。これももったいなく感じますね。仏教信仰をするならば、仏道のままでよいものを横道に逸れ、外道を歩んでいる人が一定数います。

「附仏教」、「学仏法成」という語は、なじみのない語ですが、内容は身近な団体や人々のことをあらわしています。この言葉の典拠は、『摩訶止観』ということですので、天台智は、事細やかな議論を展開していた人であったことが分かります。やや、細かい議論とも思えるのですが、仏教を信仰していながら、外道に落ちる危険性があると指摘している点は、慧眼といえましょうか。一信仰者としては、正しく仏教を研鑽し、外道に落ちないよう十二分に注意する必要があります。

日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:41時点)



岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:42時点)



図説 ここが知りたかった!日蓮と法華経

新品価格
¥1,925から
(2024/2/10 15:31時点)


posted by lawful at 20:02| 御書

2024年01月06日

細科を捨てて元意を取る

日蓮は広・略を捨てて肝要を好む。いわゆる、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。「九方堙が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る」等云々。
『日蓮大聖人御書全集』新版 156頁 (法華取要抄)

ここで「支道林」という学僧が出てきますが、中国東晋の人であり、「支遁」ともいわれ、岩波『仏教辞典』第二版では、「支遁」で出ています。314年から366年まで生存しており、「般若経」、「維摩経」の解釈で名声を博し、同じく中国東晋の書家の王羲之とも交流があったということですから相当な人であったことが窺われます。

支道林は、経を講ずるにあたって、細かいところに拘泥するのではなく、元意を捉えていたというのですね。老子、荘子の思想にも通じていたということですから、その学識を踏まえての解釈であり、中国人には分かりやすかったのでしょうね。

日蓮も同じく、仏教の細かいところではなく、根本となる妙法蓮華経の五字を重視しており、まずは、元意、根本、肝要となるところを踏まえることが大切ですね。

「法華取要抄」は、文永11年(1274年)5月24日の著述ですが、約10ヶ月後の文永12年(1275年)3月10日著述の「曽谷入道殿許御書」にも同様の記述があります。この頃の日蓮にとって、支道林の故事は、自らの法門を形作る上でぴったりだったのでしょうね。
その時に、大覚世尊、寿量品を演説し、しかして後に十神力を示現して、四大菩薩に付嘱したもう。その所嘱の法は何物ぞや。法華経の中にも、広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る。いわゆる、妙法蓮華経の五字、名・体・宗・用・教の五重玄なり。例せば、九方堙が馬を相するの法には玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるの法には細科を捨てて元意を取る等のごとし。
同書 1399頁(曽谷入道殿許御書)

ここでも支道林の故事を出しながら、法華経の広、略、要について述べています。やはり、日蓮にとっては、妙法蓮華経の五字なのですね。まずは、この妙法蓮華経からはじまり、そこから細かい点を含め、広げていくという方向性ですね。

「細科を捨てて元意を取る」との言葉は、重要と感じます。つい細かいところに躓いてしまいがちですが、まずは、元意を取ることですね。広、略、要でいえば、要から取るという姿勢が必要です。

信仰においては、妙法蓮華経の五字からスタートすることであり、その他の分野においては、それぞれの分野での元意、要を見極め、その元意、要からスタートするという心構えが大切ですね。

現代語訳法華取要抄

新品価格
¥916から
(2024/1/6 19:31時点)



日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:25時点)



岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:25時点)


posted by lawful at 19:21| 御書

2023年12月30日

「法華取要抄」に学ぶ

夫れ、諸宗の人師等、あるいは旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗に執著し、曲げて己義に随い、愚見を注し止めて後代にこれを加添す。
『日蓮大聖人御書全集』新版 149頁 (法華取要抄)

法華経信仰、御書信仰、本尊信仰をする中で、重要なのは成仏であり、仏の境涯を得ることにあります。また、その成仏、仏の境涯を自分の周りの人々に広げていくことが肝要なことです。それ以外のことは枝葉末節といってよいでしょう。

しかし、宗門なり、教団なりの、所謂、既得権益を得ている人々にとっては、自宗、自分の教団の利益が一番重要になるようであり、「執着」が生じるようです。そのため、既得権益を守るために、正しいものの考え方を曲げて「己義」を構えはじめるのですね。自分に都合のいいようなことを言い始めるわけです。

それだけでなく、愚かな見解、くだらない意見、すっとんきょうな話をし始め、ご丁寧に文書にして後世に残そうとするのですね。

「自宗に執著し、曲げて己義に随い、愚見を注し止めて後代にこれを加添す」との言葉は、短いながら端的にカルト的教団の特色を言い得ており、日蓮の筆の見事さを感じます。

このような教団とは距離を取り、活用できるところだけ活用するのが賢明な態度でしょう。すべてが悪いという教団は、ほとんどなく、それなりにいいところがあるものです。そのいいところだけいただければよいわけで、悪いところを直すために教団改革が必要であるならば、その教団で生活している人が改革すればよいことであって、一信徒や一会員が苦心する必要はありません。

この「法華取要抄」の指摘のとおり、「執着」、「己義」、「愚見」が感じられる場合、適切な距離を保ち、よく観察して、危害を加えられないように十分注意することですね。

ある意味、宗教、教団という枠だけでなく、世の中を見回しますと、「執着」、「己義」、「愚見」が垣間見られることがあります。おかしいなと感じたら注意する。このような態度が求められます。

現代語訳法華取要抄

新品価格
¥916から
(2023/12/30 16:13時点)



日蓮大聖人御書全集 新版

新品価格
¥8,000から
(2023/12/30 16:12時点)



日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第1巻

新品価格
¥1,200から
(2023/12/30 16:12時点)


posted by lawful at 16:11| 御書

2023年11月22日

死から生を考える

かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定め無き習いなり。されば、まず臨終のことを習って後に他事を習うべし
『日蓮大聖人御書全集』新版 2101頁(妙法尼御前御返事(臨終一大事の事))

賢明な人間も、思慮分別がない人間も、老人も、若人も、どうなるか、いつ死ぬかは分かりません。それ故に、まずは、臨終のこと、つまり、死の時のことを念頭に置いて、その後に、その他のことを考えるべきと日蓮は言います。

人間にとって、一大事といえることは死ぬ時のことでしょう。死は、人生の総決算であるわけで、その時にその人間の真価があらわれるといってよいでしょう。どのような人生であったのか、それは、死の状態を見れば明瞭であると、日蓮は、この御書で述べていますが、ある意味、厳しい現実ですね。ごまかしがきかないのですね。

元気なときは、取り繕うこともできますが、死の間際では、取り繕うことは、まあ、できないでしょうね。その人間そのものがあらわれてしまいます。いままでどのような生き方をしていたのか、それが死の時に出てくるのですから、安易な生き方はできないですね。

死から生を考えると身が引き締まります。ダラダラと生を続けるのではなく、死というものを念頭に置き、その上で、生を考え、日々を過ごすことです。まさに、宗教的な生き方といえましょう。

法華経、御書を研鑽しながら、死を見つめ、そして、生を見つめる。生だけでなく、死を直視することによって、人間は人間たり得るといえるでしょう。極めて仏教的な、極めて宗教的な生き方が求められます。

この「妙法尼御前御返事(臨終一大事の事)」は、真筆があるのですが、一部分が欠けているのですね。引用している部分があるのは、真筆でいうと第2紙の部分です。この第2紙も一行だけは真筆があるのですが、残念なことに引用している部分ではないのですね。引用している部分は、真筆がない部分です。

この御書の重要なところですから、この第2紙だけでもといって持っていた人がいたのでしょう。そして、その第2紙も分割され、バラバラになり、その一部である一行の部分だけ残ったのでしょうね。そして、引用している部分は欠けています。重ねて残念なことです。

また、この御書の最後の部分である第8紙、第9紙も欠けているということで、この部分も分割されてしまい、そして、紛失したのでしょう。

ただ、写しがあったので、真筆の一部が欠損しているとはいえ、全文が確認できる状態ですから、この点は、ありがたいですね。

日蓮大聖人御書全集 新版

新品価格
¥8,000から
(2023/11/21 23:29時点)



日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第4巻

新品価格
¥1,200から
(2023/11/21 23:30時点)


posted by lawful at 06:00| 御書

2023年11月06日

「食物三徳御書」を読む

人間の幸せに必要な基礎的な事柄は、「睡眠」、「食事」、「運動」です。これらを外して幸せになることは不可能ですね。

この中で「食事」について、御書を拝してみましょう。
 食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろをまし、三には力をそう。人に物をほどこせば、我が身のたすけとなる。
 譬えば、人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし。
『日蓮大聖人御書全集』新版 2156頁 (食物三徳御書)

食事には、命を継ぐ作用があり、「いろをまし」ですから、血行がよくなり肌つやがよくなり健康になる作用があり、活力が漲ってくる作用があります。

人のために食事を施すと、結果的に自分の身の助けとなると示されています。明かりを灯すことで例えていますが、確かに、人の前を明かりで照らそうとすると、どうしても自分の目の前も明るくなります。人のためと思ってしたことが、結局、自分のためにもなるということはよくあることです。

では、どんな人であっても食を施せばいいかとなると、そう簡単ではないようです。やはり、誰でもよいわけではなく、特に悪人に対しては養う必要はないですね。
 悪をつくるものをやしなえば、命をますゆえに気ながし、色をますゆえに眼にひかりあり、力をますゆえにあしはやくてきく。かるがゆえに、食をあたえたる人、かえりていろもなく、気もゆわく、力もなきほうをうるなり。
同書 同頁 (食物三徳御書)

悪人を養うと、その悪人は長生きし、健康になり、力を増し、逃げ足が速くなり、悪いことをあれこれと行います。そのために、その悪人を養った人は、その報いとして、不健康になり、気力がなくなり、生命力そのものをなくしてしまうと指摘しています。

悪人を養ってはならず、遠ざけるに限りますね。

この「食物三徳御書」ですが、真筆が残っています。所蔵しているのは、富士大石寺ですね。『日蓮聖人真蹟集成』第9巻 151頁〜154頁に真蹟があり、昭和定本を参照しながら文字を追って読んでみますと、「は」が「ハ」と表記され、「つ」が「川」と表記され、「の」が「乃」と表記されているなど、違いがあるのですね。その他の文字についても違いがあり、真筆を読むのは、なかなか大変です。

しかし、真筆を読むことができるのですから、非常に恵まれているといえるでしょう。日蓮の思想だけでなく、日蓮の文字を通して、日蓮仏法の真髄に触れることができるのですから、日本語のネイティブでよかったと思えます。

日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第4巻

新品価格
¥1,200から
(2023/11/5 15:42時点)



日蓮大聖人御書全集 新版

新品価格
¥8,000から
(2023/11/5 15:42時点)


posted by lawful at 06:00| 御書

2023年11月04日

「河合殿御返事」を読む

 人にたまたまあわせ給うならば、むかいくさきことなりとも、向かわせ給うべし。えまれぬことなりとも、えませ給え。かまえてかまえて、この御おんかぼらせ給いて、近くは百日、とおくは三ねんつつがなくば、みうちはしずまり候べし。それより内になに事もあるならば、きたらぬ果報なりけりと、人のわらわんはずかしさよ。かしこ。
  卯月十九日    日蓮 花押
 かわいどの御返事
『日蓮大聖人御書全集』新版 1952頁〜1953頁 (河合殿御返事)

仕事をしていますと、嫌な人、困った人との出会いがあるものです。相手にしたくないのですが、一応、仕事に関連する場面においては相手をしなければなりません。ストレスが溜まるのですね。

日蓮の書を読むと、「向かい臭きこと」とあり、これは嫌なことをあらわしていると思いますが、それも「臭きこと」と表現していることから、相当に嫌なことをあらわしていると考えてよいでしょう。

つまり、とんでもない嫌なことがあっても、向かい合いなさいというのですね。いわば、覚悟を決めなさいと言っているようです。安易な気持ちで物事に対処してはならないとの教訓が得られます。

また、笑顔になれないことであっても、笑顔で対処しなさいと言っています。顰めっ面では、うまくいくこともうまくいかないですから、笑顔で穏やかに対処せよということです。

御文にある「この御おん」は、どのような御恩のことを言っているのだろうかと考えますと、仏教的な御恩、つまり、功徳のことなのだろうと推測します。どうにかして、この功徳を得て、百日、三年という間、問題がなければ、身の回りは平穏であるだろうと言っています。

百日、三年の間に何かあったならば、果報、功徳がなかったのだなと、人が笑い恥ずかしいことであるよ、と言っており、どうなるかはあなた次第ですよ、あなたの信仰心次第ですよということが含意されているように感じます。

まずは、自分で対処しなければならないことについては、覚悟を決めて対処し、笑顔で対処できるほどの余裕を持ち、根本的な仏教的な功徳を得て、あとは、天にまかせるという感じでしょうか。くよくよするなということでしょうね。

やるべきことを徹して行い、悩んでも仕方のないことには時間、エネルギーを使わないという姿勢が肝要です。

「河合殿御返事」は、昭和定本では第四巻に収録されており、御書新版で新規で収録されていることから、昭和27年以前には確認されておらず、その後に発見された御書です。新たに発見されるのは、断簡が多く、まとまった内容の御書は少ない中で、短い御書でありながら、中身が濃く、強い教訓が得られる御書ですね。

最後の「かしこ」ですが、昭和定本では「かしく」となっています。『日蓮聖人真蹟集成』第5巻144頁で真筆を確認しても、最後の文字が「こ」なのか「く」なのかが判読できず、この部分はよく分からないですね。「かしこ」は女性が手紙の末尾に書くことばであり、日蓮が「かしこ」と書くとは思えません。

いずれにしても、「河合殿御返事」は、人生においてどのように行動すべきかを示してくれており、「覚悟」を決めなさいということ、つまり、「覚り」、「悟り」を得ていきなさいというメッセージが読み取れます。

日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第4巻

新品価格
¥1,200から
(2023/11/4 19:45時点)



日蓮大聖人御書全集 新版

新品価格
¥8,000から
(2023/11/4 19:44時点)


posted by lawful at 19:35| 御書

2023年09月03日

唱法華題目抄を読む

「三類の強敵」とは、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢のことですが、「唱法華題目抄」において、法華経の文と妙楽大師の法華文句記巻八の四の文とを出して、まとめてくれています。御書を読めば、「三類の強敵」が文証付きで理解できるのですね。御書新版では、8頁から9頁にかけて記載されています。

「悪知識」とは、簡単に言うと、人を不幸に陥れる人間のことですが、「唱法華題目抄」では、涅槃経の文、章安大師の言葉を引用しながら説明を加えています。
故に、涅槃経二十二に云わく「悪象等においては心に恐怖なく、悪知識においては怖畏の心を生ず。何をもっての故に。この悪象等はただ能く身を壊るのみにして、心を壊ること能わず。悪知識は二つともに壊るが故に。乃至悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」文。この文の心を章安大師宣べて云わく「諸の悪象等は、ただこれ悪縁なるのみにして、人の悪心を生ずること能わず。悪知識は甘談・詐媚・巧言・令色もて人を牽いて悪を作さしむ。悪を作すをもっての故に人の善心を破る。これを名づけて殺となす。即ち地獄に堕つ」文。文の心は、悪知識と申すは、甘くかたらい、詐り媚び、言を巧みにして、愚癡の人の心を取って善心を破るということなり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 10頁 (唱法華題目抄)

ここで言う「悪象」は、単なる悪人、ただの悪人といった感じですね。確かに注意すべき悪人ではあるのですが、自らの心に悪心を抱かせるほどの悪人ではないため、悪人の程度としては、大したことがないといえます。

しかし、「悪知識」となると、善き心が破られ、悪心とさせられ、結局、地獄に落とされるというのですから、根本的な悪人といえます。注意すべきは、「悪知識」ですが、この「悪知識」は、甘い言葉で近付いてくるというのですね。詐術を使い人を騙しながら、媚びへつらうことさえします。また、口がうまいようで、弁舌爽やかであり、人の心の中にある愚かな側面を見逃さず、そこに集中攻撃をかけながら、人の善き心を破るのですね。

これは、見破るのが困難といえましょう。人は甘い言葉で寄ってこられると、つい気が緩むようで、まんまと騙されるのですね。

「悪知識」を信用してはいけないのですが、信用してしまった場合、どうなるのか。「唱法華題目抄」の記載を確認してみましょう。
日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず、たまたま仏法を知る智者は国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失い利生を止め、この国をすて他方に去り給い、悪鬼は便りを得て国中に入り替わり、大地を動かし、悪風を興し、一天を悩まし、五穀を損ず。故に、飢渇出来し、人の五根には鬼神入って精気を奪う。これを疫病と名づく。一切の諸人、善心無く、多分は悪道に堕つること、ひとえに悪知識の教えを信ずる故なり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 11頁 (唱法華題目抄)

仏法を知る智者が不遇になるようですね。また、守護の善神はどっかに行ってしまうようです。その代わりに悪鬼が国中を暴れ回り、地震、悪天候、不作、飢饉、疫病と数々の災難を起こすのですね。これが「悪知識」の故というのですから、いよいよ「悪知識」には気を付けなければなりません。根本的な悪が「悪知識」というわけです。

また、「唱法華題目抄」では、本尊と行儀についても述べられています。
 問うて云わく、法華経を信ぜん人は、本尊ならびに行儀、ならびに常の所行はいかにてか候べき。
 答えて云わく、第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、あるいは題目を書いて本尊と定むべしと法師品ならびに神力品に見えたり。また、たえたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造っても法華経の左右にこれを立て奉るべし。また、たえたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。
 行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。たえたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸の菩薩・二乗・天人・竜神八部等、心に随うべし。愚者多き世となれば、一念三千の観を先とせず。その志あらん人は、必ず習学してこれを観ずべし。
『日蓮大聖人御書全集』新版 17頁〜18頁 (唱法華題目抄)

文応元年の段階で、曼荼羅本尊の相貌の主要な部分があらわれています。法華経八巻が本尊と言っていますね。また、一巻、一品という言い方もしています。その後、あるいは題目と言っています。法華経八巻が本尊であり、その一部である一巻、一品だけでなく、題目も本尊ということであり、これを書いて本尊と定めるとしています。

題目だけでは物足りない向きには、釈迦如来、多宝仏を書くとあり、また、十方の諸仏、普賢菩薩等をも書いてよしとしています。まさに、曼荼羅本尊の中心部分の相貌があらわれています。

その本尊の前での行儀はどうすべきか。「必ず坐立行なるべし」ですから、座ったり(坐)、立ったり(立)、歩いたり(行)ということであり、座るだけではないのですね。立ったままでもよく、歩いてもよいわけで、動きがある行儀となっています。座るにしても、正座してもよいし、椅子に座ってもいいですね。そもそも立ったままでもよく、歩いてもいいわけで、正座にこだわる必要もなければ、座ることにこだわる必要もないでしょう。信仰は動きの中にあるといえるでしょう。

「道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず」ですから、歩いたり(行)、立ったり(住)、座ったり(坐)、横に寝たり(臥)してよいとあります。横になる以外は、「坐立行」と変わりがありません。横になっていても題目をあげることができますから、信仰の形としては、柔軟性がありますね。ある意味、信仰心がしっかりしていれば、なんでもありということでしょう。ただ、その信仰心がぐらぐらなのが凡夫なのでしょうね。

最後に「唱法華題目抄」では、よく引用される最後の文を見てみましょう。
ただ法門をもって邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず。
『日蓮大聖人御書全集』新版 23頁 (唱法華題目抄)

つい、宗教というと「利根と通力」が重要と感じてしまいますが、日蓮仏法にとっては、「利根」という、いわば才能のようなもの、勝れた資質のようなものは、確かに重要ではあるけれども、根本とすべきほどのものではないのですね。また、「通力」という、いわば超能力のようなもの、絶大な力といったもの、魔力といったものは、日蓮仏法においては、どうでもよいようです。日蓮仏法は、あくまで「法門」によるべしということなのですね。

世の宗教を概観しますと、「通力」を売り物にしている宗派がありますが、日蓮からすると偽物ということですね。宗教は、やはり、「法門」で判断すべきですし、「法門」に基づいて信仰したいと考えています。「通力」で信仰するのは困難ですね。あやふやなものというよりは、単なるインチキなのですから、そもそも、信仰に値しません。

信仰する場合は、「法華経」、「御書」を中心として信仰していくべきでしょう。

日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第1巻

新品価格
¥1,200から
(2023/9/3 16:09時点)



posted by lawful at 16:05| 御書

2023年08月07日

初心の功徳

妙楽大師、「五十展転」の人を釈して云わく「恐らくは、人謬って解せる者、初心の功徳の大なることを測らずして、功を上位に推り、この初心を蔑る。故に、今、彼の行浅く功深きことを示して、もって経力を顕す」文。文の心は、謬って法華経を説かん人の、この経は利智精進・上根上智の人のためといわんことを、仏おそれて、下根下智・末代の無智の者のわずかに浅き随喜の功徳を四十余年の諸経の大人・上聖の功徳に勝れたることを顕さんとして、「五十展転」の随喜は説かれたり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 6頁〜7頁 (唱法華題目抄)

「初心の功徳」という言葉が出てきます。『法華文句記』巻10の中にある妙楽大師の言葉ですね。信仰を始めたばかりの人にあらわれる功徳のことをいいます。

信仰において、重要なのは信仰を始めたその時なのでしょうね。しかし、親が法華経信仰をしている場合、生まれたときから信仰の世界にいるわけで、その場合、「初心の功徳」と言われてもピンとこないところもあります。

しかし、改めて、信仰とは、法華経とは、御書とは、本尊とは、との問いを発し始めると、まさにその時が、事実上、信仰を始めたときといえるかもしれません。その時に信仰をしていく中であわられる功徳が「初心の功徳」といえるでしょう。

また、長年、信仰を続けてきた場合であっても、常に心新たに信仰をするならば、その時が初心ともいえるわけで、常に「初心の功徳」を得ることができると考えられます。

この「初心の功徳」は、初心の時の功徳ですから、浅い、深いでいうと浅い信仰になります。浅い信仰であるから、功徳も浅いのかというと、そうではないのですね。

「彼の行浅く功深きことを示して、もって経力を顕す」ということですから、修行が浅くとも、功徳は深いのですね。これが法華経の力であるというわけです。浅い修行では浅い功徳、深い修行で深い功徳というのではなく、浅い修行でも深い功徳を得ることができるのが法華経であり、そうであるからこそ、法華経が素晴らしいといえるのですね。

「初心の功徳」という考え方は、信仰する上で有り難い考え方ですね。仏道修行が段階的であり、徐々に功徳を得ていくものだとするならば、いつまでたっても大した功徳が得られず、途中で嫌になってしまうでしょう。

また、「利智精進・上根上智の人」には、深い功徳があるが、「下根下智・末代の無智の者」には、浅い功徳しかないとなれば、これまた、信仰を続けるのがばかばかしくなるというものです。

しかし、法華経信仰は、「初心の功徳」を強調しますから、「行浅く功深き」であり、はじめから法華経の真髄の功徳を得ることができるのですね。信仰を続けることが容易といえるでしょう。

もちろん、「利智精進・上根上智の人」になるよう努力はすべきですが、そこが根本ではないのですね。「初心の功徳」を大切にする信仰、これが根本ということです。
posted by lawful at 06:00| 御書

2023年05月29日

法華経の信仰を貫く困難さ

かりそめにも法華経を信じていささかも謗を生ぜざらん人は、余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず。ただし、悪知識と申して、わずかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我らが機に叶い難き由を和らげ申さんを、誠と思って、法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて、一生さて法華経へ帰り入らざらん人は、悪道に堕つべきこともありなん。
『日蓮大聖人御書全集』新版 1頁〜2頁 (唱法華題目抄)

法華経の信仰を始めて、法華経に背くこともせず、悪いことにも流されないならば、悪い道、不幸の道に落ち込むことはないと言っています。

しかし、問題は、「悪知識」という根本的に悪道に誘う人間なのですね。大した学識があるわけではないが、権教を少し知っている程度でありながら、知識人、智者のふりをして、「法華経は、難しいから我々凡夫には合いませんよ」という旨を穏やかに言うような人のことですね。

そこで、「いや、私は法華経を信仰し続けますよ」と言えばいいところ、悪知識が言うことを「そうなのか」と本当のことと思って、法華経信仰で得た喜びの心をさっさと捨ててしまい、他の経典(浄土三部経)に移ってしまい、そのまま、一生、法華経に帰ってこない人は、悪道、不幸せの道に落ちてしまうでしょうねと指摘しています。

せっかく法華経を信仰したならば、そのまま法華経の信仰を貫けばいいのですね。別に他の経典を根本とする必要はないでしょう。

仏教経典には、様々な経典がありますが、一番メジャーな経典は、やはり、法華経です。法華経信仰者が勝手に言っているだけではないのですね。日本仏教の歴史を鑑みますと法華経ほど重視された経典はありません。所謂、蓄積が違うのですね。

確かに、法然、親鸞らによって、念仏が力を持ち得て、浄土三部経にも注目が集まったにせよ、法華経の蓄積にはかないません。

仏教信仰をするならば、オーソドックスに法華経を選択するのがベストでしょう。

日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第1巻

新品価格
¥1,200から
(2023/5/28 22:47時点)


posted by lawful at 06:00| 御書

2023年04月30日

大悪大善御書

大事には小瑞なし。大悪おこれば大善きたる。すでに、大謗法、国にあり。大正法、必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給うべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか。普賢菩薩の来るには、大地を六種にうごかせり。
事多しといえども、しげきゆえにとどむ。またまた申すべし。
『日蓮大聖人御書全集』新版 2145頁 (大悪大善御書)

通常、大悪が来ると参ってしまい、大善に転換できずに終わってしまうものです。
しかし、日蓮によれば、大悪が起きるならば、大善が来るというのですね。根本的に次元が違います。そもそも、信仰をするとは、このような「大悪おこれば大善きたる」というような境涯になることであり、単なるおすがり信仰とは訳が違うのですね。極めて実践的なのが日蓮仏法の特徴ですね。

この「大悪大善御書」ですが、昭和定本では、「大善大悪御書」となっています。ただ、御書では、「大悪おこれば大善きたる」と記載されていますので、「大悪大善御書」の方がしっくりくると思うのですが、どうなんでしょうね。

昭和定本によると、「大悪大善御書(大善大悪御書)」は、系年が文永12年となっており、真筆は、堺の妙國寺に所蔵されているようです。真蹟がある御書ですね。

舞いがあり、踊りがあり、躍動感のある御書です。迸っていますね。ダイナミックな信仰を求められるのが日蓮仏法ということでしょう。

迦葉尊者、舎利弗、上行菩薩、普賢菩薩が出てきますが、よくよく考えますと、本尊の相貌にあらわれる菩薩、声聞ですね。本尊との関連性が深い御書ですね。

短い御書ですが、中身の濃い御書となっております。困ったことがあれば、まずは、「大悪大善御書」を確認するという癖を付けておくのがよいでしょう。

日蓮大聖人御書全集 新版 分冊 第4巻

新品価格
¥1,200から
(2023/4/30 16:34時点)


posted by lawful at 16:19| 御書

観心本尊抄―訳注

新品価格
¥1,980から
(2023/1/1 22:16時点)

日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:41時点)

岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:42時点)

図説 ここが知りたかった!日蓮と法華経

新品価格
¥1,925から
(2024/2/10 15:31時点)

カテゴリアーカイブ
<< 2024年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

観心本尊抄―訳注

新品価格
¥1,980から
(2023/1/1 22:22時点)

日蓮 「闘う仏教者」の実像 (中公新書)

新品価格
¥906から
(2024/1/6 19:41時点)

岩波 仏教辞典 第三版

新品価格
¥9,900から
(2024/1/6 19:42時点)

図説 ここが知りたかった!日蓮と法華経

新品価格
¥1,925から
(2024/2/10 15:31時点)

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。