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2011年12月26日

自分の心

一番厄介なのは、他人ではなく自分です。

他人は、所詮、他人であり、その人はその人で心配しなくても生きていきます。

心配しなければならないのは、自分自身です。

その中でも自分の心が問題です。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」最終講 希望
「心というものは、よくもまあ、これほどまでに勝手に動くものかと驚くほどです。自分の心を自在にコントロールするためには、やはり鍛錬が必要なのです」(「日経ビジネス」2005年12月26日号・2006年1月2日号145頁)

人間の悩みのほとんどは、自分の心から発しているといえるでしょう。

この自分の心を上手に制御できれば、自分自身の問題のほとんどは解決するように思われます。

しかし、この自分の心が暴れだすとどうしようもなくなります。

自分で自分を苦しめ、自分で自分を振り回し始めます。

他人が入る隙間すらありません。

自分自身の問題を、他人のせい、社会のせいにしたところで、所詮は自分の問題ですから自分に戻ってきます。

それも100パーセント戻ってきます。

言い訳が許されません。

口では言い訳が言えても、所詮は口だけの話です。

実質的には自分の問題から逃れることはできません。

潔くなければならないのは、このためです。

13回にわたって、稲盛和夫氏の連載を通しながら、自分自身の生き方、自分の心に関して学んできました。

これからはより一層、学びを深めながら、日々の生活において学んだことを生かしていきたいと思います。

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posted by lawful at 20:52| 敬天愛人

2011年12月19日

六つの精進

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第12講 精進
「人が素晴らしい人生を送るために心がけるべきことは何だろうかと私なりに考えて、簡潔に整理したものがあります。それが「六つの精進」です。
一、 誰にも負けない努力をする

二、 謙虚にして驕らず

三、 毎日の反省
   (利己の反省、利己の払拭)

四、 生きていることに感謝する
   (幸せを感じる心は、
   足るを知る心から生まれる)

五、 善行、利他行を積む

六、 感性的な悩みをしない

(「日経ビジネス」2005年12月19日号103頁)

まずは、「努力」ですね。

「努力」ですべてが解決するわけではありませんが、「努力」がないところには、何の解決もありません。

人生がうまくいかない人の特徴として「努力」が足りないという共通点があるように見受けられます。

次に、「謙虚」ですが、簡単そうで難しいですね。

最初はいいのですが、人生がうまく回り始める途端、いい気になってしまうものです。

不思議ですね。

気を付けたいですね。

そして、「反省」です。

日々の反省がない場合、生活がマンネリ化し、硬直したものの考え方になってしまう危険性があります。

「反省」とは、人間にしなやかさをもたらす精神の柔軟体操といえるでしょう。

「感謝」。

これは、意外となされていない事柄のように思われます。

何となく生きている場合、不平不満ばかりで、「感謝」すべきことを忘却してしまいがちです。

心したいものです。

「善行」とは、どういうことでしょうか。

特別なことをするというのではなく、日々の自らの仕事に打ち込むことではないかと思います。

「人のためになる仕事をしたい」という言葉を聞くことがありますが、よくよく考えれば、おかしな表現と思われます。

そもそも「仕事」とは、「人のためになること」をいうと思います。

つまり、「人のためになる仕事をしたい」と言うことは「人のためになる人のためになることをしたい」と言っているようなものです。

「人のためになる」を2回も言う必要はありません。

簡単に、「仕事をしたい」と言えばよいでしょう。

結局、どのような「仕事」であれ、「仕事」をしっかり行うことが、取りも直さず「善行」といえます。

最後の「感性的な悩みをしない」というのが「六つの精進」の勘所と思われます。

「反省」はすべきですが、「感性的な悩み」はしてはいけないということです。

人生には、思い悩んでも仕方のないこと、意味もないことが多いものです。

しかし、そのような悩みに振り回されることが多いのも事実です。

どうでもよい悩みを、どうでもよい悩みであると正しく認識し、さっさと忘れてしまうことが大切です。

正しい認識をするためには、然るべき人生経験が要求されます。

漫然と生きているのでは、正しい認識に至りません。

やはり、年季、それなりの時間が必要ですね。

簡単にはいかないものです。

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2011年12月12日

安易な生き方を超えること

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第11講 立志
「西郷南洲が最も厳しく戒めたこと。それは、人が自分自身を高めていこうという「志」を捨て、努力をする前に諦めてしまう心の弱さでした。楽な方、安易な方に流されるままに生きようとする人間の甘えを、「卑怯」という言葉を使って叱りました」(「日経ビジネス」2005年12月12日号130頁)

西郷南洲の指摘は、非常に厳しい。

しかし、全くその通りであるため、何らの反論も許しません。

楽な方、安易な方と言われれば思い当たるふしがあります。

今は、少しずつではあっても楽な方、安易な方に流されないよう努力していますが、若かりし頃、思慮が足りなかったのでしょう、楽な方、安易な方に流れていました。

今思えば、恥ずかしい限りです。

やはり、楽な方、安易な方に流れていた時、私の周りには安易な生き方をする人々が多くいました。

しかし、楽な方、安易な方に流されないよう努力すればするほど、安易な生き方をする人々との縁が薄くなっていき、少しずつ、いい塩梅に縁が切れていきました。

その結果、交際する人の数は減っていきましたが、安易な生き方をする人々との交際がなくても、何らの問題もないことに気付きました。

今まで何をしていたのだろうと深く反省した次第です。

これからは、然るべき人々との交際にも耐えうるような自分自身でありたいと思います。

向上心のない、いい加減な人間であれば、然るべき人々に失礼と思われます。

その意味で、西郷南洲の言葉は、身に沁みます。

困難であろうとも、自分自身を高める努力を続けたいと思います。

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2011年12月05日

人生の方程式

稲盛和夫氏は、「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第10講 信念(「日経ビジネス」2005年12月5日号125頁〜126頁)において、以下のとおり「人生の方程式」を紹介されています。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

人生・仕事の結果は、「考え方」、「熱意」、「能力」の掛け算によって決まると言われています。

数値化する場合、「熱意」、「能力」は、「0点」から「100点」までということです。

プラスのみということです。

「能力」がそこそこでも「熱意」があれば、「能力」を補って余りあるということですね。

反対に、「能力」が高くても「熱意」が乏しい場合、「能力」を十二分に生かすことができません。

一方、「考え方」を数値化する場合、「マイナス100点」から「プラス100点」まであるということです。

プラスだけでなく、マイナスになってしまう場合があるということです。

これは恐ろしいことですね。

「考え方」がマイナス点である場合、「熱意」、「能力」が高ければ高いほど、とてつもなく悪い結果を生じます。

実のところ、人間の「熱意」、「能力」は、さほど変わらないものです。

「熱意」がある、「能力」がある、といったところで、人生の大勢には影響がないというレベルでしょう。

肝心な点は、「考え方」ですね。

これは、ちょっと違うだけで大違いというものと思われます。

「考え方」は、人格に関わる事柄ですね。

では、人格を高め磨くにはどうすればよいのでしょうか。

稲盛和夫氏は、以下のように書いています。
「あるべき人間の姿を示した素晴らしい哲学を常に自分の理性に問い、人格のレベルを高く維持するように努力し続けなければならないのです」(『人生の王道』日経BP社 189頁)

常日頃からの鍛錬を続けることが必要ということですね。

ここで思い出したのですが、だいぶ前のこと、私が、人格のレベルを高める努力が必要といった趣旨のことを言った際、ある人が「レベル」という言葉が気に入らなかったようであり、「レベルとは何事だ。人間は皆平等である」といった趣旨のことを言われました。

私は、レベルを高める努力を強調したかっただけなのですが、その人の反応にちょっと驚いたものです。

その後、数年、私は、私なりに努力して、自分で言うのもなんですが、努力すれば人格のレベルがそれなりに高くなるものなのだと感じていたところ、例のその人と久しぶりに会うことがありました。

その人のレベルは以前のままというよりは下がっていました。

どういうことだろうと考えましたが、その人は、「レベルがなんだ。平等がどうのこうの」と言っていましたが、つまるところ、努力したくないだけの人だったのですね。

平等といってもレベルを高めない人間が言う平等では、何らの意味もありません。

「考え方」が歪んでいたのでしょう。

結果として現れていますからどうしようもありません。

私の言わんとすることも理解できなかったのですから、「能力」も乏しいといえます。

その人を観察してみますと、確かに、努力するという傾向性はなかったですね。

ごまかしごまかしの人生を歩んでいるように見受けられました。

まともな生き方ができない人なのでしょう。

なぜ、努力しないのか不思議です。

いろいろと難癖をつけてくる人がいますが、やはり、人格のレベルを高める努力をしなければなりません。

雑音に耳を貸すことなく、我が人格を練磨していきたいと思います。

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2011年11月28日

道徳、倫理、宗教、哲学

戦後の日本に関し、稲盛和夫氏は以下のように指摘されています。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第9講 真心
「本来、人間関係や社会の秩序を構成するために欠かすことができない道徳教育とか倫理教育が全くなおざりにされてしまいました。宗教や哲学といったものも軽視されるようになってしまいました」(「日経ビジネス」2005年11月28日号133頁)

私も同様に感じると共に、改めて、道徳、倫理、宗教、哲学を見直し、自分自身の根本を形作っていきたいと考えています。

上記の稲盛和夫氏の連載は6年前のものです。

この6年で、道徳、倫理、宗教、哲学を大事にしようという気運が少しずつ大きくなっているように感じられます。

経済の停滞により、お金以外のものに目が向いているという側面もあるでしょうが、さすがに人間の根本を外して生きていくのに無理を感じ始めているからともいえます。

何かが違う。

そのように感じ始めている人々が増えていると思います。

何が違うのかを確かめるために、さまざまな書籍を読み、街に出かけさまざまなものを見聞きする中で、道徳、倫理、宗教、哲学に至っていると思われます。

現代社会は、多くの問題点を抱えているとはいえ、まともに生きている人々が増えていく限り、悲観する必要はありません。

まずは、自分自身がまともに生きる人間となっていきたいですね。

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posted by lawful at 21:47| 敬天愛人

2011年11月21日

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」に学ぶ:王道

いい気になってしまったり、思い上がってしまったり、天狗になってしまったりと人間は困った存在です。

やはり、人間には「道」というものが必要です。

しかし、道は道でも「覇道」になってしまう場合が少なくありません。

道としては、「正道」「王道」で行くべきでしょう。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第8講 王道
「企業の経営も、国の内政も、そして外交も、最も基本になるのは正道を踏むことです。策略をもって相手を貶めようとすれば、同じ仕打ちがこちらにも返ってきます。力をかさに着て我を通せば人の心は離れます。相手の顔色をうかがい迎合すれば信用は得られません。終始一貫、毅然とした態度で臨むことが本当の信頼関係を築きます」(「日経ビジネス」2005年11月21日号143頁)

悪い人間に対しては、悪い方法で対処してかまわないと思いがちですが、そうであれば、自分自身も悪い人間に過ぎなくなります。

好き好んで悪くなる必要はありません。

相手がどんな悪人であろうとも、正道、王道で対処すべきです。

相手が悪いから自分も悪くて構わないという考えは、よく考えてみれば滑稽なだけです。

中途半端な自己弁護の際に発せられることが多いくだらない言い訳を思わせます。

自己弁護をする前に、虚心坦懐に反省する癖をつけておきたいものです。

正道、王道でどうしようもない場合、覚悟を決めておけばよいでしょう。

また、テクニックとしての覇道は、上手に使う場合は、多少、活用する余地があると思われますが、根本とすべきではありません。

相手がどうのこうのではなく、自分自身がどうであるかを根本として生きていくことです。

その意味合いから、正道、王道を考えれば、無理なく、正道、王道に入っていくことができるでしょう。

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posted by lawful at 23:09| 敬天愛人

2011年11月14日

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」に学ぶ:覚悟

人間にとって能力、才能は必要であり、また、家柄、人脈、出世も重要であり、運も大切ですが、最終的に人間にとって必要で重要で大切なものは、覚悟と思われます。

能力、才能は今一つ、家柄、人脈もなく出世せず、運にも見放されていようとも、そんなことはどうでもよく、覚悟があれば、自分自身の人生を全うできます。

現今、社会の閉塞状態に押し潰され、不安を抱えている人も多いでしょうが、不安は不安でも、やみくもに不安になっている場合、その人には覚悟がないものと思われます。

精神的にまいっている人をよくよく観察してみると、不勉強であったり、思い上がっていたり、偏見があったり、何でも人のせいにしたり、欲望が強すぎたり、不平不満だらけであったりと、それなりの原因があり、精神に不調をきたしています。

しかし、根本的には、自分自身の人生を生き切るという覚悟がないことが主原因と見受けられます。

覚悟とは、どのようなことか。西郷南洲遺訓を通して、稲盛和夫氏が解説しています。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第7講 覚悟
「【遺訓30条】
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
命もいらぬ、名誉もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬというような人は対処に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、困難を一緒に分かち合って国家を導く大きな仕事を成し遂げることはできない」(「日経ビジネス」2005年11月14日号109頁)

命が惜しい、名誉が欲しい、出世したい、お金が欲しいでは、ちょっとつまずいただけで不安になるでしょう。

あれも欲しいこれも欲しいとフラフラしていてはいけません。

覚悟を決めることが肝要です。

もちろん、すんなりと覚悟が決まるわけではありませんが、覚悟を決めようとしていく姿勢を保ちつつ、日々、一歩一歩踏みしめる人生でありたいものです。

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2011年11月07日

日本の歴史

これからの日本はどうあるべきかという大きな問題を考える際、我が国の歴史を正しく把握しておくことが必要です。

今までの事柄を知らずしては、適切な判断ができません。

また、これから自分自身はどうあるべきかという個別具体的な問題を考える際も、自分自身の国についての学識はとても重要です。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第6講 大計
「私たちにもやらなければならないことがある。(中略)自分たちの国が歩んできた道のりを知ることです」(「日経ビジネス」2005年11月7日号114頁)

我が国の歴史、つまり日本史ですが、学校で勉強したとはいえ、知識があやふやである懸念があります。

以前、高等学校の日本史の教科書(山川出版社)を入手し、ところどころ読んでおりましたが、何かもの足りない。

そこで同じ山川出版社の『詳説 日本史研究』を購入し、ところどころ読んでみましたが、教科書よりも内容が充実しています。

分厚い本ですので、辞書のような感じで使っています。

高校時代、日本史は得意科目ではありましたが、『詳説 日本史研究』を読んで感じるのは、高校時代の日本史の知識など大したことがないということです。

改めて、しっかりと日本史を学びたいと思いますし、学ぶべきと考えます。

まずは、自らの中に日本の歴史の知識を入れ、その知識を見識にまで熟成し自分自身の日本史観を作り上げていくことでしょう。

その上で、さまざまな場面で然るべき胆識でもって行動していけるようにしたいですね。

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2011年10月31日

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」に学ぶ:大義

自分だけ良ければよいという利己的な考え方で経営を行い、結局は破綻していった企業がたくさんあります。

とりたててどこの企業という必要もないほど、多くの企業の破綻を報道で知るに至ります。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第5講 大義
「企業とは本来、多くの人との関わり合いを持ちながら、世のため人のために貢献することをもって、この社会で活動することを許されている存在です」(「日経ビジネス」2005年10月31日号107頁)

個人の場合も、多くの人々との関わりの中で生活しているという感覚を忘れてはならないでしょう。

毎日の食事にしても、その作物を作った人、加工して製品にする人、流通に携わる人、小売りを担当する人、また、商品を購入するための金員を扱う金融等々、たくさんの人がおり、数え上げればきりがありません。

そもそも、自分だけ良ければよいということはあり得ないことです。

あり得ないことを基にして活動していれば、おかしくもなるでしょう。破綻するのは明らかです。

ある時、「自分だけ幸せになろうとしている」と言って人を非難する人がいました。

おかしなことを言う人だなと思っておりました。

その人は、やや単純な思考回路の持ち主であるので、思慮不足な発言をしているのだろうと、その時は考えておりました。

確かに、思慮不足なのでしょうが、それだけでは、何かが抜けていると感じ、いろいろと考え、また、その人の行動をよくよく観察してみると、その人自身が「自分だけ幸せになろうとしている」人だったんですね。

その後、その人は「俺の人生は何だったのか」と嘆いていたということですが、真面目に生きていけばよいのにと思ってしまいます。

あり得ないことを基にしているからおかしくなるのでしょう。

つまり、人が他者を非難する時は、自分自身の卑しいところをそのまま相手にぶつけてしまうのですね。

悪口にしても、自分自身の卑しいコンプレックスを吐露しているだけのように思われます。

非難や悪口ではなく、世のため人のために貢献する生き方をしたいですね。

そうでなければ、何しに生まれてきたのかと心ある人に叱られてしまうでしょう。

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posted by lawful at 22:01| 敬天愛人

2011年10月24日

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」に学ぶ:人間関係

人の悩みの中で大きな割合を占めるのは人間関係であると思われますが、人間関係といっても「人を相手にする」から起こりうることであって、人を超えた何がしらのものを基準にした場合、人間関係の悩みがあまりにも小さく感じられるものです。

西郷南洲遺訓では、人を超えた何がしらのものを「天」と表現しています。

敬天愛人ですから、天を敬うということですね。

稲盛和夫「敬天愛人 西郷南洲遺訓と我が経営」第4講 利他
「策には策をもって対し、悪意には悪意をもって処す―。それが人の陥りやすい性であり、すぐに醜い騙し合いや足の引っ張り合いが始まる。人を相手にするからそうなるのです。だから、物事を判断する時は、それが天の道に恥じないことか、人の道を踏み外していないかということだけを基準にせよと言っているのです」(「日経ビジネス」2005年10月24日号107頁)

しかし、天を敬う前に、他人を気にし、他人を相手にし、他人の悪いところに振り回されといったことが多いようです。

また、悪意に対して悪意をもって処しているならば、自分自身もその悪意に飲み込まれてしまいます。

自らを省みて天を敬えばよいのですが、目に見える事柄、目先の事柄に囚われてしまいます。

悪意のある人、マイナスオーラ満載の人などがおり、悪影響を及ぼされることがあります。

確かに、悪いのはその人たちであることが明らかであっても、その人たちを相手にしてはいけません。

また、その人たちを無視して足りるというものでもありません。

天の道、人の道に照らして、適切に対処することが肝要でしょう。

この「適切に対処する」ということは相当な大人でなければできないことでしょう。

単に年を取って老いていく大人になるのではなく、年輪を重ねながら味わいのある行動のできる大人になりたいものです。

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