土民思想に於ては、職業によつて軽重を樹てない。たゞ総ての職業が土着することを理想とする。自治は土着によつてのみ行はれる。然るに他の諸々の職業人と有機的に連帯しない農民のみの土着は不可能だ。その土着生活は必ず他の職業に依頼せねばならないので、再び動揺を起さねばなるまい。総ての職業が土着するには、金融相場師がなくなるを要する。総ての職業が土着すれば、そこに信用が確立し、投機が行はれなくなる。そして其職業が職業別に全国的、全世界的連帯を樹立すると同時に、地方的に他の全職業と連帯する。そこに有機的な地方土着生活と有機的な世界生活とが相関聯して複式網状体を完成する。

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 第三に農本主義は現在の強権的統制をそつとしておいて農本的自治を行ふことに依て社会改造の目的を達しようとする。それは百年前にユトピヤ社会主義者が考へたと同じ考へ方だ。意識的に或は無意識的に治者、搾取者の地位から農民を教化し向上せしめようとする考へから出発したこの思想には、無産農民自身の身になつた感情が動いてゐない。どつちへ向いても手足を延ばす余地を持たず、資本と強権との鉄条網をめぐらされて、機関銃と爆撃飛行機とに威迫されて、最後の生命線まで逐ひつめられてゐる無産窮民――即ち土民の心情とは縁遠いものだ。
 現制度の下で何か現実的にまとまつた仕事を達成しようとするには農本主義もよろしからう。けれども、それは解放の事業ではない。「土民」は先づ鉄条網を断ち切らなければ団結も共働も自由にはできないのだ。先づ鉄条網を寸断することだ。如何にして周囲の鉄条網を切断するか、それが解放の最初の問題だ。最大緊急な問題だ。
 鉄条網に繞らされた土民はいま機関砲も爆撃機も持つてゐない。絶対絶命の土民はたゞ鍛えられた肉弾を持つてゐるのみだ。土民仲間にあつては「爆弾三勇士」なぞは常に到処に見出される。
それが地びたにつくといっしょに、どんどん大きくなりました。天使たちはみな、かしらにはかぶとをいただき、手には楯とやりをもっていました。天使の数はだんだんふえるばかりでした。そして、ゲルダが主のおいのりをおわったときには、りっぱな天使軍の一たいが、ゲルダのぐるりをとりまいていました。天使たちはやりをふるって、おそろしい雪のへいたいをうちたおすと、みんなちりぢりになってしまいました。そこでゲルダは、ゆうきをだして、げんきよく進んで行くことができました。天使たちは、ゲルダの手と足とをさすりました。するとゲルダは、前ほどさむさを感じなくなって、雪の女王のお城をめがけていそぎました。
 ところで、カイは、あののち、どうしていたでしょう。それからまずお話をすすめましょう。カイは、まるでゲルダのことなど、おもってはいませんでした。だから、ゲルダが、雪の女王のごてんまできているなんて、どうして、ゆめにもおもわないことでした。
僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のビー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました。「それ見ろ」といわんばかりの顔をして子供達は憎らしそうに僕の顔を睨みつけました。僕の体はひとりでにぶるぶる震えて、眼の前が真暗になるようでした。いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び廻っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。あんなことをなぜしてしまったんだろう。取りかえしのつかないことになってしまった。もう僕は駄目だ。そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。
「泣いておどかしたって駄目だよ」とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張って行こうとしました。僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて階子段を登らせられてしまいました。そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。
 神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。私の動乱はそこから芽生えはじめた。
 或る人は私を偽善者ではないかと疑った。どうしてそこに疑いの余地などがあろう。私は明かに偽善者だ。明かに私は偽善者である。そう言明するのが、どれ程偽善的な行為であるぞとの非難が、当然喚び起されるのを知らない私ではない。それにもかかわらず私は明かに偽善者であると言明せねばならぬ。私は屡私自身に顧慮する以上に外界に顧慮しているからだ。それは悲しい事には私が弱いからだ。私は弱い者の有らゆる窮策によく通じている。僅かな原因ですぐ陥った一つの小さな虚偽の為めに、二つ三つ四つ五つと虚偽を重ねて行かねばならぬ、その苦痛をも知っている。弱いが故に強いて自分を強く見せようとして、いつでも胸の中を戦慄させていねばならぬ不安も知っている。苦肉の策から、自分の弱味を殊更に捨て鉢に人の前にあらわに取り出して、不意に乗じて一種の尊敬を、そうでなければ一種の憐憫を、搾り取ろうとする自涜も知っている。弱さは真に醜さだ。それを私はよく知っている。
「しかし倉地は妻や娘たちをどうするのだろう」
 こんな事をそんな幸福の最中にも葉子は考えない事もなかった。しかし倉地の顔を見ると、そんな事は思うも恥ずかしいような些細な事に思われた。葉子は倉地の中にすっかりとけ込んだ自分を見いだすのみだった。定子までも犠牲にして倉地をその妻子から切り放そうなどいうたくらみはあまりにばからしい取り越し苦労であるのを思わせられた。
「そうだ生まれてからこのかたわたしが求めていたものはとうとう来ようとしている。しかしこんな事がこう手近にあろうとはほんとうに思いもよらなかった。わたしみたいなばかはない。この幸福の頂上が今だとだれか教えてくれる人があったら、わたしはその瞬間に喜んで死ぬ。こんな幸福を見てから下り坂にまで生きているのはいやだ。それにしてもこんな幸福でさえがいつかは下り坂になる時があるのだろうか」
葉子の知覚は半分眠ったようにぼんやりして注意するともなくその姿に注意をしていた。そしてこの半睡の状態が破れでもしたらたいへんな事になると、心のどこかのすみでは考えていた。そのくせ、それを物々しく恐れるでもなかった。からだまでが感覚的にしびれるような物うさを覚えた。
 若者が現われた。(どうしてあの男はそれほどの因縁もないのに執念く付きまつわるのだろうと葉子は他人事のように思った)その乱れた美しい髪の毛が、夕日とかがやくまぶしい光の中で、ブロンドのようにきらめいた。かみしめたその左の腕から血がぽたぽたとしたたっていた。そのしたたりが腕から離れて宙に飛ぶごとに、虹色にきらきらと巴を描いて飛び跳った。
「……わたしを見捨てるん……」
 始めての旅客も物慣れた旅客も、抜錨したばかりの船の甲板に立っては、落ち付いた心でいる事ができないようだった。跡始末のために忙しく右往左往する船員の邪魔になりながら、何がなしの興奮にじっとしてはいられないような顔つきをして、乗客は一人残らず甲板に集まって、今まで自分たちがそば近く見ていた桟橋のほうに目を向けていた。葉子もその様子だけでいうと、他の乗客と同じように見えた。葉子は他の乗客と同じように手欄によりかかって、静かな春雨のように降っている雨のしずくに顔をなぶらせながら、波止場のほうをながめていたが、けれどもそのひとみにはなんにも映ってはいなかった。その代わり目と脳との間と覚しいあたりを、親しい人や疎い人が、何かわけもなくせわしそうに現われ出て、銘々いちばん深い印象を与えるような動作をしては消えて行った。
死んだ姉の晴れ着を借り着していい心地になっているような叔母の姿も目に映っていた。船のほうに後ろを向けて(おそらくそれは悲しみからばかりではなかったろう。その若者の挙動が老いた心をひしいだに違いない)手ぬぐいをしっかりと両眼にあてている乳母も見のがしてはいなかった。
 いつのまに動いたともなく船は桟橋から遠ざかっていた。人の群れが黒蟻のように集まったそこの光景は、葉子の目の前にひらけて行く大きな港の景色の中景になるまでに小さくなって行った。葉子の目は葉子自身にも疑われるような事をしていた。その目は小さくなった人影の中から乳母の姿を探り出そうとせず、一種のなつかしみを持つ横浜の市街を見納めにながめようとせず、凝然として小さくうずくまる若者ののらしい黒点を見つめていた。若者の叫ぶ声が、桟橋の上で打ち振るハンケチの時々ぎらぎらと光るごとに、葉子の頭の上に張り渡された雨よけの帆布の端から余滴がぽつりぽつりと葉子の顔を打つたびに、断続して聞こえて来るように思われた。
「葉子さん、あなたは私を見殺しにするんですか……見殺しにするん……」
驚いてハンケチを袂から探り出そうとした時、
「どうかなさいましたか」
 という声に驚かされて、葉子は始めて自分のあとに人力車がついて来ていたのに気が付いた。見ると捨て石のある所はもう八九町後ろになっていた。
「鼻血なの」
 と応えながら葉子は初めてのようにあたりを見た。そこには紺暖簾を所せまくかけ渡した紙屋の小店があった。葉子は取りあえずそこにはいって、人目を避けながら顔を洗わしてもらおうとした。
 四十格好の克明らしい内儀さんがわが事のように金盥に水を移して持って来てくれた。葉子はそれで白粉気のない顔を思う存分に冷やした。そして少し人心地がついたので、帯の間から懐中鏡を取り出して顔を直そうとすると、鏡がいつのまにかま二つに破れていた。


僕の厭味の最後の根據は實に愛せむとする意志と愛するを得ざる本質との矛盾にある。愛の缺乏と動物性の跳梁と――この二つこそ僕の厭味と下品との奧深き根なのである。僕はこの二つの事を外にして僕の下品と厭味とを承認する事を肯んじない。さうしてこの二つの事は共に僕の「聰明」を以つては如何んともするを得ざる人格の病ひである。
 若し君が僕の下品と厭味との根を此處まで追及して理解して呉れたならば、恐らくは此處に君自身と共通な或ものを認めたらうと思ふ。固より君の中には僕のやうに矛盾した混雜した動物性の跳梁がないには違ひない。君の眼と心とは僕のやうに苦味に充ちてゐないにも亦違ひない。併し靈性と動物性との矛盾が混在する限り、愛せむとする意志と愛するを得ざる本質とが相剋する限り、凡ての人はそれぞれの性格に應じて樣々に姿を變へた下品と厭味とを持つてゐると思ふ。
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