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2020年01月08日
長宗我部雄親
長宗我部 雄親(ちょうそかべ かつちか)
室町時代の武将。
長宗我部文兼の子。
時代
室町時代
生誕
未詳
死没
文明10年(1478年)
戒名
覚誉常通
氏族
長宗我部氏
父母
父:長宗我部文兼
兄弟
長男 長宗我部元門
次男 長宗我部雄親
子
長男 長宗我部兼序
次男 長宗我部序堯
三男 長宗我部親興
四男 長宗我部道孝
長宗我部氏の家督は
父・ 長宗我部文兼の隠居を受けて
兄の 長宗我部元門が継いでいたが、文兼と元門は次第に対立して不仲となり、文兼は元門を追放して家督に復帰、雄親はその後に家督を継いだ。雄親は家督争いで混乱した長宗我部氏の内部をまとめるため、寺社勢力との関係強化や弟を他家に養子として出すことでの家臣団強化を図った。
文明10年(1478年)に雄親は死去し、
跡を子の長宗我部兼序が継いだ。
室町時代の武将。
長宗我部文兼の子。
時代
室町時代
生誕
未詳
死没
文明10年(1478年)
戒名
覚誉常通
氏族
長宗我部氏
父母
父:長宗我部文兼
兄弟
長男 長宗我部元門
次男 長宗我部雄親
子
長男 長宗我部兼序
次男 長宗我部序堯
三男 長宗我部親興
四男 長宗我部道孝
長宗我部氏の家督は
父・ 長宗我部文兼の隠居を受けて
兄の 長宗我部元門が継いでいたが、文兼と元門は次第に対立して不仲となり、文兼は元門を追放して家督に復帰、雄親はその後に家督を継いだ。雄親は家督争いで混乱した長宗我部氏の内部をまとめるため、寺社勢力との関係強化や弟を他家に養子として出すことでの家臣団強化を図った。
文明10年(1478年)に雄親は死去し、
跡を子の長宗我部兼序が継いだ。
長宗我部 兼序
長宗我部兼序(ちょうそかべ かねつぐ)
生誕 不明
死没 永正5年(1508年)9月
または永正15年(1518年)以降
土佐の国人領主・長宗我部雄親の子として誕生。
文明10年(1478年)、父・雄親の死をうけて家督を継ぎ、
守護の細川政元に仕えた(兼序の別名・元秀の「元」の字は政元から賜ったものと考えられる)。
本山家によって攻められ居城の岡豊城で自害
孫は長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)
生誕 不明
死没 永正5年(1508年)9月
または永正15年(1518年)以降
土佐の国人領主・長宗我部雄親の子として誕生。
文明10年(1478年)、父・雄親の死をうけて家督を継ぎ、
守護の細川政元に仕えた(兼序の別名・元秀の「元」の字は政元から賜ったものと考えられる)。
本山家によって攻められ居城の岡豊城で自害
孫は長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)