アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

schalke
リンク集
https://fanblogs.jp/schalke/index1_0.rdf

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2009年10月21日
人と話す
あなたは、人と話すときどんな態度でどんな表現をつかってますか?
日本人は、控えめが好きで「何々ナイのであれば、何々ナイですね。」とかいう2重否定など多用する人がいる。2重3重にナイという言葉を入れて控えめと言うことを言いたい。


しかし、欧米人には、このナイすなはちnotという言葉を多用すると能力のない人と言う誤解を生む。
「どんな何々でも何々ナイ」と言う英語が存在しないほど、こうすればできると言いたい。
できないのなら完全否定する。すなはち「絶対に何々ナイ」という。


欧米人を対象にしたプレゼンなどでは、ナイすなはちnotという言葉を入れて話してはいけない。
「−する」「−できる」「−すると−なる」とストレートな表現で全てをまとめる必要がある。
notという言葉でなくその意味の動詞を使う。
たとえば「not allow」ではなく「restrict」というように。



ここで欧米人2人と日本人3人で話す場合などは、複雑な状況となる。
欧米の教育を受けている日本人なら欧米人2人に話すのと同じことばでいいが、英語は、notといえないし、日本語は、控えめにしないとと気遣いでつかれる。


日本人に、欧米人と話すように話すと「おおっ!」「何だこいつは!」と思われてしまうこともあることに注意しなくてはならない。



また女性と話すときは、男性は注意しなくてはならないことがある。
これはこれ、これはこれと次々に話していくと女性は怖いと思うらしい。まじめな顔で迫っていくような印象と捕えて怖いと思うらしい。
まじめにやればやるほど!
そんなにいっぱい迫られて、怖いのだ。





相手の立場を考えて、相手の立場もわかって、話すことができれば、人間的トラブルも減ると確信する。



Posted by schalke at 02:00 | 思想 | この記事のURL
2009年10月11日
サブカルチャー
現代の日本は、海外の目から見るとドウも変に映る。

欧米では、人々がアパート暮らしでも大きな部屋がいくつもあったりして、また平屋でもプールがあったりして、日本人から見るとうらやましい暮らしぶりである。



いつのまにか、日本人の心の中に自分たちの暮らしは認められないとか、自分は認められないと言った考えがはびこり、それがマイナーな世界観の人たちだけの価値判断の世界を作るようになった。



サブカルチャー。



世界の人たちから見ると日本人の多くがこのサブカルチャーなる集団を形成しているように見える。



Schalkeの役割について。

日本の問題点の提起。

そしてこのブログを広め読んだ人が自分の意見をいわざるを得なくし、ドウドウと自分の意見をいうようにさせることである。

このことによってマイナスのイメージのものは、少なからず解消してゆくと考える。

共産やサブカルチャーなるマイナスイメージを払拭するためまた過去のものとして明るく笑えるようにしたい。



自分に自信を持とう。

自分の意見に自信を持とう。

貧しくても堂々と生きよう。

このことによって皆プラス思考となり、明るい未来を語ろう!






Posted by schalke at 20:19 | この記事のURL
2009年10月11日
共産
昭和の戦後、敗戦した日本は、今までの考え(赤狩りをする超右翼の考え)を捨て、急速に共産の考えに染まっていった。学校の教育が才能を伸ばすというよりか、人のいうこと良く聞いて働く、すなわち紡績工場とかで働くのに都合の良いよう教育される教育であった。才能をつぶし、従順で何も考えないそこそこの人間を育てる教育。



人々は、社会にでて、「さあこれからやるぞ」と意気込んで働くとつぶされる。

教養を排除し、それほどやる気のない人間が受ける。

こういった社会は、昭和の時代に続いていたので、自由民主を掲げる人までもが共産の考えに染まっていた。

このような考えはいまだに日本の各所で続いている。

しかし、G7とかG8という場で日本の立場を話す機会に教養を排除した考えで望むと完全に孤立してしまう。

国際的な会合を持つたびに、こういったことを気づく。



日本の教育は、才能とか教養を排他する教育であるので、欧米のようにそれはいいことかを教養で判断する価値判断ではなく、得するか損するかと言う考えの人間に育つ。



また日本のテレビ局のほとんどが共産を指示していることから、見ていると自然に共産の考えになる。

何をやってもいけない、自由を制限する考え。



人の自由を制限し、考えないで行動する人間の大きさで言うと小さい人となってしまう。



世界の共産の国がやっていることは、自国から出てくる自由を叫ぶ人を精神異常といって収容所にいれて完全に自由を奪うこと。

その考えも東欧で完全に理論的に否定され、東欧の国は自由化した。

教養を排除する考えに恐怖を感じる宗教があったからこそ、一気に自由主義に切り替えられた。



日本の場合はもっと深刻であった。

損得の考えや教育で社会で才能をつぶし、理性や善行を信仰する人が少なく、またそういった宗教が表に出ることはめったにない。

すぐに人の自由を制限する方向に向かう傾向が強く出てくる国となっている。








Posted by schalke at 06:57 | この記事のURL
2009年10月09日
外国人の和(輪)
日本人が、これが世界でとおると考えていることが、世界では非常識と考えられていることが多々ある。
海外特に欧米では、レディーファーストが常識で、女性に対して気安くつきあえるとか、結婚できるとか言うことはない。
友達になるには、その人に人間的魅力が必要とされることが多い。
結婚についても、あなたは友達までと言われてしまう場合もあり、友達となってから結婚の許可を得るまでその人のため努力が必要である。


映画やCMで欧米のビジネスマンが4-5人で話し合っているシーンは良く見るが、オフのときその4-5人は、友達、恋人、セックス、趣味、人生観、政治、経済、宗教・・・について差別や偏見のない言い方でどこまで語れるかなど楽しく輪を作ってテーブルを囲んでお茶する。


付き合っている恋人の2人のはなしなど、その人を差別しない話し方や、立ち入った話でも下品にならない話し方、下品でも笑って済ませられる話方、性差別、暴力、偏見で傷つけない話し方ができる方が良い。


女性に気安く近づいて気楽に話しかけられるのも注意しなければならない。
女性がいやだと言うのに強引にやるとその男性友達が怒って「お前は何だ!」といいかねない。


女性とすぐにつきあえるとかいう考えは、誤解で極端にいうとセンセーションなるポルノ映画による影響なのかも知れない。
ポルノ女優でも、相手役を選ぶ。
誰でもいいというのは、「naughty」といわれ最低扱いされる。


学歴の高い人たちと対極にあるのは、学歴のない貧しい人たち。
この貧しい人たちの中には、収入を得るのに売春する女性もいるが、こういった人でも人間的魅力のいある人をリッチと思う。


人間的魅力とは何か?
自分なりに考えてみよう。
リッチとは何か、単なる金持ちではない。


つきあってみよう!
今国際異文化交流会なるものが盛んに日本各地で開催されているので、外国人の和(輪)にはいって、世界観と日本人が考えている世界観の差異に気付いてみても楽しい。




Posted by schalke at 04:20 | 思想 | この記事のURL

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。