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2016年12月30日
想えば一年前 X 365日 = 母
母を偲んだ一年間
今年、2016年はうるう年・・・正確には366日でした。
オリンピックも開催された。
母と観ることは出来なかったが・・・
母を想い続けた・・・淡々と・・・粛々と・・・。
思い出されることは母の事ばかり。
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この一年間、毎日がその繰り返しでした。
毎日カレンダーを見る度に一年前の今日は・・・
と、ついつい思い返してしまう。
その回想が始まると、時にはエスカレートしてしまい
二年前・・・三年前・・・と無理やりに記憶を
引き出そうともした。
母の命日を境に、その状況が一変した。
それまでは、一年前の母は生きていた。
過ぎてから思ったことだが、
この差は大きい・・・私には・・・。
母が生きていたという記憶は十年前でも二十年前でも
思い出すことはできる。
しかし、それは遠い記憶だ。
一年前の記憶とは違う・・・当たり前だが・・・。
肌身に感じられる記憶と言える。
不思議な感覚さえ覚えるほどに
それらの記憶は鮮明で、母がこの世界に居ないという
ことがにわかに信じられない。
それが、命日を過ぎると出来なくなってしまう。
昨年の今・・・は、母は居なかった。
この差が大きいのだ。
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喪中明け
喪に服した一年間は終わった。
これと言って何を喪に服したのか実感がないが、
とにかくお祝い事やお祭りごとを避けられるだけ避けた。
なので、忘年会も一切参加せず終えた年末。
おめでとう・・・という言葉に敏感になった一年でもあった。
ただただ、母を想い返す日々。
思い出すことの内容には少しずつ変化も見られ
心が少しずつだが、前を向いているとも感じられる。
昨年の今を思い出しても、そこに母はいない。
その事実が私の心を前進させてくれる。
ある意味・・・私の心は解放された・・・
一年前の記憶が、私に重たくのしかかり
前に進むことが困難になっていた。
別に、母が重荷になっていたというわけでもない。
ただ単に、自分の仕掛けた罠にハマっていただけだ。
その仕掛けが無くなった・・・それだけの事。
それだけのことで、私の心は少し軽くなった。
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